一人ターフの上で
ゲート練習に苦戦中のオト
打開策は見つかるのか?
掛け声が聞こえる。ラスト一頭だ。その馬が枠の中に入った瞬間、ゲートが開かれる。騎手たちは、掛け声を合図にして集中力を高める。両足に力を籠め、重心を下げる。次は成功させる。
今、ゲートが開かれる。
各馬がゲート内から飛び出して行く。
しかし、フィリアは動かなかった。ゲート内から動くことなく、ポケっと空を見上げている。もはやゲートの外に出ることさえ拒否するようだ。
「またか……」
フィリアに跨ったまま、離れていく背中を見ていることしかできなかった。
ゲートの横で、生き生きと練習する同級生たちを眺める。フィリアは、練習には向かないという理由から厩舎に連れ帰られてしまった。今は見学するしかない。
それ以前に俺はお騒がせ物以外の何者でもない。突然、授業にやって来て、良く分からないことをして帰っていく。自分でも何をしたかったのか分からない。これなら、Cグループの仲間と一緒に輪乗りでもしていれば良かった。
授業の参加者が交代し、後半のメンバーが練習に参加し始めた。アビゲイルもこの中にいる。ミラから乗り替わったアスペンドリームは、イレ込んでいる様子もない。おかしいな、俺と何が違うんだろう?
アビゲイルはゲート係の指示に従いドリームを誘導する。ここまでは問題ない。ゲート内での様子も普通だ。それどころか、他の馬たちも落ち着いて集中力を高めている。
最後の一頭がゲート入りしてゲートが開く。
順次、馬たちが走り出す。アビゲイルも手こずりながら真っ直ぐスタートする。どの馬も特に出遅れることなくスタートできている。俺の知らないところで練習してないよね。だとしたら、原因は馬の方にある?
「あーっ!」
思わず立ち上がって声が出る。俺とアビゲイルの違いが分かった。非常に簡単な話だ。
「一体どうしたんというんです?」
後ろの方からミラの声が聞こえる。振り向いてみると周囲の視線が俺に熱く注がれている。声出てたかも。いや、遠くにいる馬たちもこちらを見つめているから、出ていたのだろう。
恥ずかしい。適当に誤魔化そう。
「思うことがあっただけです。特に何もないですよ」
ミラは「そう」と呟いて以外にも口を閉ざした。もっと、嫌みか何かを言うのかと思ったけれど……絶対に言わなければならないわけでもない。それ以外の人も特に口を挟む様子はない。
別に距離を取られているのは今始まったことではない。気にするだけ損だ。
さて、俺が気づいたことは非常にシンプル。足りないものはズバリ、ゲート練習を積んだ馬である。前提として競走馬は、ゲートが開けば走るように教えられる。そして、この授業を受けている馬は、おそらく元・競走馬だ。ゆえに、ゲートが開けば勝手に走り出すのである。
対してフィリアは違う。競走馬どころか馬でもない。ゲートが開いたところで走る必要性を感じないのである。例え、俺が故郷で乗っていたような農耕馬では、ゲートが開いても全力で走り出しはしないだろう。
そんな基本的なことに気がつかずに、他の人と同じようにしても無理なはずだ。大変なことを失念していた。
大発見。大発見だけど、でも、どうしたらいいんだろう? 分かったところでどうしようもない。ロバであるフィリアにゲート練習を積ませたところでできるようになるかは怪しい。実家の馬を一頭、連れて来る?
どうしよう。お金はギリギリ足りるとして、アビゲイルも付いて来るとか言いそうだよな。こっちに来て数日の間は、ホームシックを起こして大変だったのだから。最悪の場合2人分? 今の内職の収入じゃ足りないよな。
しかも、そんなことをすれば週末がつぶれるし、家族に迷惑をかけてしまう。恥ずかしいことに今の俺に一人で生きていく力はない。もし誰も知り合いのいない街の中に放り出されれば、1週間後どうなっているか分からない。
問題点がズレている気もするがこれは難題だ。いっその事、引退した競走馬を買う方がいいかも。駄目だ。収入が少なすぎる。仕事を増やせば、十分な勉強時間が確保できなくなる。
う~ん。頭の上を小さな馬たちがくるくる回り始めた。親切なことで蹄の音まで聞こえる。しかもどんどん大きくなって来るし。
あれかな、この問題が自分の中で詰まって、どんどん厄介になって行く様子を表しているのかな。脳のスペックをそんなことに使わないでもらいたい。
「オト君、何を悩んでいるのですか?」
「何を悩んでいると言いますか、どうしたものかと言いますか」
フィリアを戻しに行ったユリアが返ってきたのだ。俺のせいで多大なる迷惑をかけてしまっている。最悪だな、俺。
「大丈夫ですか?」
「本当もう、自分のことが――――それは?」
言葉が詰まる。ユリアの手には、曳き手が握られている。ただし、フィリアのものではない。曳かれてきたのは、小型の馬だ。
「次は、この仔で挑戦してみましょう」
この馬はマウロニーポニーだ。他の競走馬と比べれば、体は小さいが、性格が温厚で乗馬や農耕馬に向いているらしい。実家にいたのが農耕馬だったこともあり、俺にとっては、競走馬よりも身近な存在である。 当のポニーは、ユリアに顔を擦り付けて甘えている。
手始めに跨ってみる。
ポニーでありながら、どっしりとしている。かと言って鈍いわけではない。何とも言えぬ力強さがある。
「どうですか? この仔でやってみたいと思いませんか?」
「やってみます」
ユリアが手綱を持ったまま、外のゲートに誘導する。ポニーは軽快な足取りでゲートの中に吸い込まれていく。そして綺麗に静止した。
「あれ、またやってるのかあいつ?」
「ホントだ。でも、ポニーじゃない? ロバよりはマシかもしれないけれど」
「どうでもいいじゃない。邪魔されなければそれでいいわ」
あちこちから俺たちの評判が聞こえてくる。俺は前科二犯。当然の反応だ。
「この仔は素直な性格ですから問題ないと思いますよ」
それはひしひしと伝わってくる。ただ、その気持ちに応えられるのか俺には自信がないのだ。
「考えすぎる必要はないですよ。ゲートの中で何かあったら、手綱を離して柱に掴まってください。落とされるくらいなら、自分から降りて下さい。ミリーもオト君も初心者同士ですから」
俺に向けてアドバイスをする間も、ゲートの前に立って、ミリーと呼ばれたこの馬をなだめている。うん? ミリーって女の子的な響きだ。
「この馬、牝馬ですか?」
「ですよ」
ポニーという先入観もあったかもしれないが、このどっしりとした感じ、牡馬だと勝手に考えていた。ここがゲート内じゃなかったら、股の下を覗いて確認しているレベルだ。そのくらい分からない。
「行けそうですね。多分、驚いてしまうと思いますけど、気にせず走らせてください。走りさすればいいんです」
ユリアはゲートから離れ、柵の外に出て進行方向に走っていく。ミリーは寂しそうに鳴く。ユリアの真似をしてミリーの肩やら首やらを撫でてみる。やはり馬だ。ロバとは違う繊細さを感じる。牝馬だし、鞭は使いたくない。
こんな感じで俺に乗りこなせるのか?
細かな振動を感じる。
行く手からユリアが大きく手を振っている。散々迷惑をかけたのだ。失敗できない。ユリアだけじゃない。他のみんなに対してもそうだ。俺のせいで怪我を負うようなことがあってはならない。
「出遅れてもいいから、怪我だけはないようにして」
ミリーに声をかけてみる。小さな揺れは断続的に続いている。地震ではなさそうだ。だとすれば、俺か? いや違う。この揺れは、足の裏から感じる。もしかして!
「ミリー大丈夫?」
どんどん揺れが大きくなる。間違いない。ミリーが震えているのだ!
ミリーの頭が下がる。マズい。反射的に手綱を離す。ゲートが開いていないのにミリーの体は前に進んでいく。後ろの柱に掴まったその瞬間、ミリーがゲートの下を潜り抜けて走り出した。
席の方から、どよめきが起きる。
「放馬だ~」
その場にいる全員の視線がミリーに注がれている。俺は、柱から降りて力なく立ち上がる。ミリーは馬っこ一頭いない、ターフを悠然と走り抜けていった。




