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競馬の戦い方

 芝の状態が非常に良い。ここ数日、天候がよい日が続いたおかげだ。

そのせいか今日のレースはめったに成功しない逃げの戦法が2回も決まっている。逃げを選択するのも無理はない。

 はるか前方でハナを争う3頭の馬を眺めながらそんなことを思う。実力的な話をするならば、オレ達もあそこにいるべきである。


 実力の劣る馬がレースで勝つためにはレースをかき乱さねばならない。例えば大逃げをするとか、実力で劣る馬たちを攪乱に利用して強い馬の本来の力を発揮させないとかだ。とにかく、何もしないで待機するというのが一番危ない気がする。波乱が起きなければ勝てないのだ。

 もし仮に実力のある馬たちが後方でけん制し合い勝手につぶれていくことがあっても、それで勝つのは先頭で競馬をしている馬だけだ。何より、G1という大舞台で騎手がそんな凡ミスをするとは思えない。取りこぼしを拾うような勝利は期待できない。


 息が上がってくる。まだ直線の坂を超えただけだ。折り返し地点にさえ到達していない。それにも関わらず、需要に供給される酸素が追いついていない。

 カーブでは息を入れる予定だ。そこでわずかにだが体力を温存できる。

 しかし、問題はそれだけではない。

 競馬は人馬一体にならねば勝てない。そのことはよく分かっている。でも、そんなことを考えるだけの余裕は馬にも騎手にもない。とにかく目の前のことで手一杯だ。


 こんなことになるなら逃げの練習をしておくべきであった。オレたちの想定シュミレーションに逃げという選択肢はなかった。初めての競馬場、しかも正しい逃げ馬の走り方も知らなかったため選択肢としては初めから消えていたからだ。競馬を知らなさすぎるのである。

 後悔の念に駆られる。


 競馬における最強の戦法、それは「逃げ」である。逃げができる馬は強い。逃げという戦法は基本、周りの馬に左右されることなく、自分の好きな展開でレースをすることができる。そのため、逃げのできる馬はコンスタントに勝つことができる。


 その逃げができない馬には主に二パターンある。一つ目が、馬の性格的に逃げができないパターン。これは先頭に立ったことに満足して走る気をなくすパターン、つまりソラヲを使う場合である。このような馬は道中後方で待機して、ラストスパートで前にいる馬たちをまくって一着を奪うというレースが多くなる。

 そしてもう一方が、実力がないため後方で競馬をするパターン。オレたちはこのパターン。先頭で一定のペースを刻みながら走るだけの力がないのである。特に2歳馬にとっての2400メートルという距離は、古馬にとっての3200メートルに匹敵する。

 つまり、オレ達は周りの馬が2400メートルのレースをしているなかで、3200メートルを走るつもりでレースをしなければならないのだ。きっと皇帝もびっくりだ。

 

 ただしこのレースには注意点もある。実はレース展開がかなり早いのだ。誰かしら飛び出すという想定はあったためあくまでも予想内だが、そのスピードがかなり速い。正直、前と後ろで別なレースになりかけている。それ以外は順調な5ハロンだ。

 カーブに入り馬群が内ラチに寄ってくる。これまで中央や外を走っていた馬たちが突っ込むようにカーブを切り込んできた。


 脚を休めた瞬間、目の間に割り込まれる。横にいた2番の馬にぶつけて跳ね返りの力を利用して、最小限の力でポケットに馬を収めたのである。壁にされた馬は外まで弾き飛ばされている。遠心力を使われたのだ。カーブの急なこのコーナーでは大きなロスになる。

 前のみならず右からもピッタリと馬体を寄せられる。こうして並ぶと良く分かる。一流の馬たちは躍動感が違う。

 横に付けられているのは、G1・4勝の1番人気のキングリード。その前方には今年のダービーホース3歳最強のリンドバーグ。さらに後方には、最強牝馬ことスペシャルガールがいる。


 どこを見渡してもG1勝利経験のある優駿にリーディング上位の乗り役たち。競馬新聞でよく見かける人や馬ばかりで現実とは思えない。

 そして彼らはこのような展開も想定した上で自分の走りをしている。オレが勝っているのは負担重量の軽さだけ。小細工は通用しない。純粋なスピード勝負に持ち込まれたら不味い。

 鍛え抜かれた筋肉の上に薄い皮膚が張り付いついている。一完歩の大きさが全然違う。明らかに体つきが違う。違うことばかり。直線に入ったら一気に置いていかれそうだ。とてもじゃないが勝ち方が見えない。


 でも、競馬は馬の能力だけで決まるわけではない。原則「7:3=馬:人」だ。つまり3割は騎手にかかっている。しかも馬の7割を左右するのもまた人間である。どれほど優秀な馬でもトレーニングや体調を管理する厩務員や調教師がいなければ7の絶対値は下がるものだ。

 一部には自分で調整できる馬もいるが、そんな馬は1万頭いて5頭もいない。このタイプは怪我知らずで、実力さえ伴っていれば長期間活躍することができる。まあ、サボり癖があって怪我しない馬もいて、この馬たちは結構種牡馬になると活躍するのだが。どちらにせよ自己管理ができる馬は圧倒的に少ない。

 本題から逸れたが、とにかく馬というのは騎手の思いだけでなく、牧場や厩舎関係の人、競馬サークル全体の思いを背負っては強いているのだ。簡単に諦めるような真似はできない。


 タイトなコーナーを抜け、緩やかなコーナーに差し掛かる。周りの馬たちはゆっくりと前方に進出し始める。ついて行こうとしても脚が思うように動かない。何より騎手オトの手が動いていない。まだ仕掛けて時じゃないということ? でも作戦的にはここでは7番手まで上げて前の方で駆け引きをするはずだ。

 先頭の3頭は自滅するから除外するとして、それにしても後ろにはヴォルテージのみ。しかもヴォルテージは手綱を抑えられている。脚が上がっているわけじゃない。

 どうしよう……


 フーフーフィーフィー。


 どこからか掠れた音が聞こえる。これは口笛だ。下手でとぎれとぎれ。でもこのメロディーは知っている。そうか、そうだよね。

下手な口笛を聞いたら高揚していた気分が落ち着いてきた。オレらしくなかった。

 ジタバタしても仕方がない。脚に入っていた力を抜く。すると視界も広がってきた。レース全体がよく見える。遠くの音が聞こえる。


 直線に入るとゴール前にあるスタンドからの叫び声が聞こえる。馬の名前や騎手の名前が叫ばれる。もちろんオレのものはない。誰も馬券を買っていないし、勝負になるとも考えていないからだろう。興味ないのだ。


 ラチの内側にある大きなモニターをチラ見する。大画面には先頭集団を端にして一団が引きで映し出されている。

 今のところ手が動いているのは2頭、ついでに大逃げをしている3頭。合わせて5頭はみな学生。学生はあと4人ほどいるがその内一人はガチガチになって動けていない様子。学生たちの馬で残っているのはウチの学園所属の3頭だけということになる。

 対して9人いるプロの騎手はまだ動かない。レースの展開が早かったため普段よりも脚を使っているからだろう。直線でよーい、ドンとはいかなかったようだ。互いにけん制し合っている。

レースというものはゴール板で他の馬より頭一つ抜け出していればいいのだ。ぶっちぎる必要はない。そのため、自分が確実に勝てる距離までスパートをかけず、行くような振りをし合っているのだ。


 とにかく今は勝ち負けにすることを考えればいい。前は参考にならない。こうなればターゲットは一つ。ロッサーナだ。一回勝負したことのある彼女の走り方は知っている。あそこのコンビは一着を取るための競馬をする。あの馬よりも前にいれば勝利にグッと近づくはずだ。

 ロッサーナは馬場の中央2馬身ほど前を走っている。最内のここから馬体を合わせにいけばかなりのロスになる。当然そんなことはしない。狙うのは今走っているラインだ。正面には13番の馬。馬一頭がギリギリ通り抜けられるスペースを空けてラチ沿いを走っている。

 鞍上はベテラン騎手。誘われている可能性もある。あそこに突っ込むのは躊躇われる。

普通ならば。上等である。ブロックするならばその力をこちらが利用するまでだ。

これは相手を信じているから行えるわざだ。そこにいるのがレース経験の浅い2歳馬や勢いだけの若手騎手あんちゃんだったらできない。


 手綱が短く握り直される。騎手の覚悟が伝わる。

 仕掛けるときは一瞬。


「さあ頑張るぞ……ウラノス!!」

 ステッキが高らかに掲げられる。右後肢が地面を踏みしめる。脚が地面にめり込む。体が沈み込む。

 オレたちは自分のために走っているわけじゃない。育ててくれたみんなや少なくとも応援してくれる人たちの思いをのせている。

 全ては30秒後、歓喜の瞬間を迎えるために。

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