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森の王者に挑む者

 感覚を研ぎ澄ませる。時の流れがスローに感じられる。この集中状態は長続きしない。決めるなら一撃だ。


 ――――視界が狭まっていく。


 森の王者(ウルスノア)は目の前に迫っている。あいつは俺のことをなぎ倒しながら、標的であるランサー目がけて走っていくのだろう。ウルスにとって俺は歯牙にもかけない相手に過ぎない。


 ――――聴覚が鋭くなっていく。


 人間だってそうだ。雑草は踏みしめながら歩けど、花を踏むのは避けるものである。雑草なんて好き勝手に抜き散らかすが、そのくせして花をめでるのだから質が悪い。花も雑草も生きている。そんなことをするから対抗心を燃やした雑草ばかり生命力が強くなるのだ。

 おかげさまで俺の生命力は人よりも強いかもしれないと思えてきた。それだけは感謝だ。


 ――――――カチッと体内で音がした。


 仕掛けは遅すぎても早すぎてもダメ。競馬と同じだ。

 命がけだというのに随分と呑気なものである。これで負けたら仕方がないという心の表れだ。駄目なときは素直に死を受け入れられる。逆にいうならば・・・・・・


「クマ公相手に負けるはずがない! そうだろ,細雪ささめゆき!」


 何もない次元にぽっかりと穴が開いて、中からむき出しの刀身が現れる。その柄を右手で握り、右手一本で上段に構える。

 そして、俺にこちらに向けてタックルするウルスノアに入れ違いながら切りかかる。


 甲高い音が当たり一面に鳴り響く。

 硬いものにぶつかり、振り下した腕が止まった。


「さすが」

 振り下した刀は咄嗟に飛び出たウルスの爪によって受け止められた。一瞬だった。その直前までこちらのことなど一切気にしていなかった。そにもかかわらず、本能的に守りに入ったのだ。やはり森の王者は経験値が違う。一筋には行かない。

 思わぬ攻撃を受けたウルスはこちらを凝視している。先ほどまで雑草だと思っていた相手が、死をもたらす立派なスイレンの花を咲かせていたのだ。驚かない方が無理かもしれない。


 グルルルル。


 ウルスは不快感を露にするように低く唸る。

 対して俺の集中力の方は途切れている。5秒と持たなかった。

 今行ったのは「極集中」という技である。視覚からの情報入力を制限し、自己への感覚を鋭くする。こうしてハイパフォーマンスを発揮できる「ゾーン」という領域に無理やり入るのである。アスリートではない俺が編み出した苦肉の策である。


 それにしても肉体に蓄積したダメージが酷い。万全な状態ではないため、疑似的なゾーンに入っていられる時間が短くなっている。上手くやらなければならない。

 そう考えれば考えるほど、失敗したかもしれない。完全な不意打ちだった。相打ち覚悟で攻撃すれば、かなりのダメージを与えられた。もしくは刀を受け止められたあと、すぐに次のコンビネーションに入っていれば。


 何にせよ後の祭りだ。俺はウルスを殺したい訳ではない。相手が引いてくれるのであれば深追いはしない。

 ランサーから下馬したブレアに対して刺激しないようにというジェスチャーを送る。

 ウルスは距離を保ったまま弧を描くように俺の周囲をグルグルしている。こうして精神を落ち着かせるのだ。

 しばらく旋回し続ける。どうにも逃げるというのは森の王者のプライドが許さないらしい。難儀な性である。もう少し冷静になれば逃げるのが吉だと気が付くかもしれない逆も。十分にあり得るのだが。


 不意にウルスの脚が止まる。こちらも両足に力を籠める。おそらくこれは後者だ。


 ウルスは身を翻してこちらに向けて飛び掛かる。5メートルほどの距離を一足で縮めてくる。冷静になったウルスが出した答えは戦闘続行。リフレッシュして動きが鋭くなっている。

 しかし体を休めたのは俺も同じである。先ほどよりも「極集中」は持たないだろう。冷静に見切り、一撃で決めなくてはならない。ただし、ウルスの運動量は馬鹿にならない。長引いてスタミナ負けするのはこちらだ。

 決めるなら早く、相手の意表を突かなければならない。


 いつでもガードできるように、右半身を前にしてウルスに対して垂直に構える。まずは左へのサイドステップで体当たりを躱す。ウルスは地に前脚をつけることなくこちらを追いかける。

 間合いに入ったタイミングで左右のクローが襲い掛かる。ここも受けずにウルスのコンビネーションを後ろに飛び跳ねて回避。ウルスは再び構えて突進する。ここで左に回り込む。


 後方にはブレアとランサーが控えている。太陽はほぼ頭上。方角はクリア。

 ウルスは再び後肢に力を籠める。


 ここだ! こちらから一つ仕掛ける。刀を握る右手首をわずかに傾け、刀の側面を見せる。刀は太陽の光を反射し、ウルスの視界を遮る。


 ガアッ! 


 ウルスは一瞬怯んだもののすぐに立て直して飛び掛かる。

 相手の目が眩み、怯んだ僅かなスキに半歩ほど右にずれる。

 飛び上がるウルス。その照準は少しだけだが左に外れている。気が付いた時にはもう遅い。


 刀を脇に構え、大きく振りかぶる。ウルスの伸ばされた爪がわずかに左の頬を捉える。しかし浅い。無効だ。

 ここで攻守が入れ替わる。俺が狙うのは左脇の下から後ろ脚の付け根まで。

 右足を踏み込みながら腰を起点に刀を振り切る。


 ウルスが左(わき)を通り抜けた。俺もウルスも動かない。

 極集中から解放され止めていた呼吸が復活する。次第に思考が戻ってくる。しばらくしてウルスの方に振り返る。ウルスもこちらを見ている。互いに見つめ合う。


 ウルスの脇からは、ボタボタと血が流れている。

 一方、俺の頬からも血が伝っている。

 俺の頬の血は想像していたよりもずっと多い。すれ違う瞬間、ウルスは精一杯爪を伸ばして俺の顔を狙っていたのである。あと1センチ深ければ、俺はウルスに切りかかることは叶わなかった。

 瞬時の判断でウルスにはそこまでできたのである。強すぎて底が見えない。明らかに一枚も二枚も上手だ。とてもじゃないが敵う相手ではない。


 脇から血が流れているウルスは、腕をかばうように身を低くして動かない。出血量が少ないわけではない。しかしまだ戦えるだろう。

 だが、こちらの右腕はもう上がらない。元から使えなくなっていた左のみならず、右まで駄目になってしまった。心まで負けを認めてしまった。もう「あいつになら殺されても文句はいえない」とそう思えてしまう。


 グルゥン。


 そんな俺の思いとは裏腹にウルスノアはその場から静かに立ち去る。予想外のはずなのに不思議と驚きの声が出ない。まるでこうなることが分かっていたかのようだ。森を目指して歩いて行く。


 視界からウルスの姿が消える。

 全身の力が抜け、膝から崩れ落ちる。地面の芝が良い感じに反発して体を支える。


「やったよ。オトすごい! ランサーもこんなに喜んでるよ」


 ブレアとスプリングランサーの声とか感触とかが流れ込んでくる。

 うれしい気がする。だがその思いは言葉にはならず、芝に顔を埋めることしかできなかった。

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