ターフの騎士
ウルスは飛び上がって俺の上にまたがっている。生暖かい息が顔にかかる。鼻がひん曲がるような刺激臭だ。遠のいていた意識が一気に戻る。
大きな口にはテカテカとした鋭い牙が生えている。これまでも多くの動物たちが餌食になったのだろう。
その牙を俺に向けて使う。ちっぽけな命を奪うため首筋に噛みつく。
残っているすべての力を使って体を時計回りに半回転させる。
狙いの外れた牙は深々と左肩に突き刺さる。
「っあぁぁ!」
牙は神経を傷つけ骨が切れる直前で止まる。魔術で体を硬化しており完全には噛み切れなかったようだ。ウルスは諦めることなく肩の骨を断ち切るために何度も噛みつく。その度に電気が流れるような鋭い痛みが走る。
薄い皮膚を突き破り、赤々とした血が飛び散る。生の証明でも赤い液体は勢いを増してどんどん流れ出て行く。
このままじゃ駄目だ。何か武器を持って抵抗しなけれは時間の問題でショック死する。
左腕から先はすでに神経がやられており動きそうにない。右腕はウルスの前脚に押しつぶされている。こちらは地面が柔らかいため大事には至っていない。だがこの状況では使えそうにない。
今は足が頼りだ。
ウルスの体は丸まっている。あれが狙えるかもしれない。
右の膝を曲げ両足に力を籠める。反撃を想定していないウルスは俺を仕留めることに集中している。チャンスだ。
溜めた力を上方に開放し、下半身を起こす力を使ってウルスの急所を蹴り上げる。
グオォォン!
手ごたえあり。フルスイングに近いのが入った。これはいった。ウルスの牙が肩から離れる。
だが、右手が下敷きになったままだ。ビクともしない。これが左であれば切り落としてでも逃げられたのだが、これは不味い。
痛みが少しずつ引いていくのに合わせ、ウルスの思考も落ち着いていく。鋭い野獣の眼光が俺の姿を映し出す。ウルスの手がのった右腕にこれまで以上に力が加わる。火に油を注いだだけだ。
もはやここまで。迫る凶器に死を覚悟する。
「どいて!」
ドン、という鈍い音がしてウルスの体が揺れる。
下敷きになっていた右腕が抜ける。好機だ。地面を握りしめ体をウルスの下から這い出る。
ウルスは頭を抱えている。どうやら軽い脳震盪を起こしたようだ。その場で頭を揺らしている。
そしてそのような状態にしたのは。
「オト早く乗って」
ブレアである。とても大きな槍を手にしてランサーに跨っている。
「ごめん。左手が使えない。俺は乗れそうにない。助かったよ、ブレアこそ早く逃げなよ」
「何言ってるのさ、何のため助けに来たと思ってるの!」
「いや十分助けてもらったよ。あとは大丈夫だから」
お互いに譲らない。ブレアの云っていることは良く分かる。しかし、今の状態では馬の背の上には乗れない。
腹ばいになれば乗れなくもないだろうが、そんな状態で逃げてもすぐにウルスに追いつかれる。あとはランサーの首を使う方法もあるがその場合手綱を操るのは俺だ。こんな体ではランサーは御せない。共倒れになる。
「乗っているだけでいいんだよ」
「悪い。ウルスが起きたみたいだ」
フラフラしていたウルスが回復している。四足歩行でこちらに向けて構えている。
「ブレアは先生たちを呼んできてくれ。馬を連れてきて、そうすればウルスから逃げきれるプランがある」
「そう。それは良かった。それは今フィリアが行っているから心配いらないね」
ブレアが槍を小脇に抱える。まさか・・・・
「やめろ! ウルスの体重が何キロあるか知っているのか! 装備もなしに突撃しても落馬するのはブレアの方だ」
ブレアは何とも返さない。
この子が考えていることは良く分かる。ブレアはウルス相手に騎馬突撃をしようとしている。騎馬突撃は西洋騎士の戦闘の基本スタイルの1つで、本来は武装した相手騎士の盾を槍で突いて相手を落馬させるである。確かに馬の体重が重い方が突きの威力が上がる。ランサーの力を借りればウルスも倒せるだろう。
だが、騎馬突撃がなされるのは相手が槍を持った場合に限られる。なぜなら、剣のように小回りに効く武器では図らずしも馬を傷つけてしまうからだ。しかも今回の相手は野生のモンスターであるウルスノア。とてもじゃないが黙って見ているわけにはいかない。
右手を横に広げてランサーの前に立ち塞がる。
「オト何してるの?」
口を閉ざしていたブレアが言葉を発した。冷たい言葉である。覚悟を決めたあとのようだ。関係ない。
「やらせない」
普段は何を考えているのか分からないブレアであるが、今だけは思考が手に取るように分かる。ランサーを宥めるために右手をランサーの方に伸ばす。
「・・・・・・君が心配してるようにならないよ。だからできる限り遠くに逃げて」
「ブレア、ランサー早まるな」
「いくよ」
ブレアの声を受け、ランサーは自らの意思で大きく右回りで俺のことをかわしてウルスの方に走っていく。ウルスもほぼ同時に駆け始める。
「待て!」
ランサーとウルスが交差する。甲高い音がして両者がすれ違う。
両者は向き合って立ち止まる。どうやらダメージを与えられなかったようだ。突きを受けて平気なウルスもおかしいのだが、ウルスのタックルをいなしたブレアの槍捌きとランサーのバランス力は大したものである。
今度はウルスが先に動く。それを確認してランサーも走り出す。再び両者は交差する。
白熱した戦いが繰り広げられている。あれから何度も両者は交差しているが回数を増すごとに激しさが高くなっている。双方一歩も退かない。互角の戦いだ。俺は肩の怪我もあり走れないため少し離れたところで観戦している。
4メートルを超える大槍を扱うブレアには多少疲れが見える。だが、それはウルスの方も同じだ。思いがけない苦戦に焦りが見える。
今度は槍を構え直したブレアの方から仕掛ける。ウルスは動かない。何かが違う。槍の先がウルスに当た・・・・・・
「逃げろブレア!」
ウルスは槍を避け、ランサーの脚を狙う。反応の良いランサーはすんでのところで回避する。だが、ブレアの右足が鐙から外れる。もともと限界に近かったであろうブレアの体勢が崩れ、槍を持った右側に倒れそうになる。あのままでは落ちる。
ブレアの異変に気がついたランサーは体を傾け右方向に走る。ブレアは左手のみでしがみついている。チャンスとばかりにウルスは背後から追走を始める。落馬すればブレアの命の保証はない。
「ランサーこっちに来い」
俺にどうにかできるわけではない。しかし、何らかのアクションを取らなければならない。体に力を入れる。左肩にズキンとした痛みが走る。まだ走れない。
このままではブレアももしかするとランサーも俺のせいで死んでしまうかもしれない。二人ともこんなところで死んでよい逸材ではない。何より二人を巻き込んだ俺には責任がある。俺のこだわりなんてこの際些末なものだ。
ランサーは懸命にこちらに向けて走る。その後ろにはウルス。走りにくそうにしているランサーとの距離を徐々に詰めていく。
ここで俺がとるべき行動は守りではない。攻めである。俺の武装は短剣のみ。しかし、この剣で戦っても先ほどの二の舞だ。
最後の手段。
普段は封印しているが、今こそ出番だ。例え、どれほどの罪を背負うことになろうとも仲間を助けるためならば躊躇している場合じゃない。
腰に手を当てる。しっかりと息を吐いて、空気を深く吸い込む。体全体に新鮮な空気が広がっていく。
ランサーが俺の傍を通り抜ける。
今だ。




