「春一番」 スプリングランサー
ユリエの案内で普段馬たちが暮らす厩舎に着いた。横ではブレアが驚きの声を声を上げている。
「どうですか。大きいですよね。こちらが、クレマン・ベルナール厩舎です。ここでは40頭の馬とそれに類似する動物たちが暮らしています」
それに類似する? 厩舎に馬以外の動物がいるとはどういった意味だろう。それにしても立派な建物である。俺の育った村には、職員用の馬を管理するための村役場に併設した厩舎があったのだがそれとは比較にならない。外観からでもそのことが良く分かる。さらに中へと入って行く。
平屋建ての厩舎は天井が高く、1つあたりの馬房がとても大きい。そのため厩舎全体が明るくどこまでも広がっているように感じられる。昔ながらのというと適切ではないが、うちの村のような田舎にある使い込まれた厩舎とは異なり、新しく清潔感のある厩舎である。 終始、呆気にとられる。すると突然、通路の反対側から男性の声がした。
「どうしたんだ、教員補助のユリエが生徒を連れているなんて珍しい。何をしに来たんだね?」
声の先には年配の男性がいる。この人がベルナール先生であろうか。背丈はユリエよりもわずかに高いくらいでそこまで高くなさそうである。
「この子たち、私の生徒なんですけど。馬が足りなくなってしまって、お借りできないかと思って来ました。私の生徒だから」
ユリエは“生徒”というなぜか特に大事でもなさそうなところを二回も繰り返す。強調すべきところは違う気がする。要件は馬を借りに来たことのはずだ。というより、ユリエの生徒というのも違う気がするけど。
「なるほどな。そういうことなら・・・・ポニーは空いてはいないがランサーなら出れるぞ」
“ランサー“? 馬に“槍騎兵”という名前をつけたのか。これはまた面白いことをするものだ。というより、ランサーってどこか聞き覚えのある名前だ。なんだっけ。
「ちょっと待ってください。ランサーって、まだ人を乗せて走れるんですか。もう16歳ですよ、行けるんですか」
16歳だと。先の疑問が気にならなくなるほど驚きの数字が聞こえた。馬の16歳は人間でいえば50歳ぐらいだ。乗馬なら使えなくはないが、強めの運動をさせるとすぐに息の上がる馬齢だ。つぶれてしまう心配もある。仮に今はまだよくとも武装して騎乗した時に走れなくなるかもしれない。乗馬というのは人馬共に命を懸けて行うものである。そんな馬に乗れるのか心配になる。危なくて授業では使えないのと思う。
そんなことを考えているとベルナール先生の後ろから青みの入ったクリーム色の毛をした馬が現れた。河原毛の馬はゆっくりとこちらに歩いて来る。力強さは感じられないが大人の余裕が醸し出されている。馬齢は10歳を超えたぐらいだろう。落ち着き払っていて賢そうな馬である。馬術競技用の馬だろう。 この馬なら授業でも十分使えそうである。
それより馬房に入っていなかったのだろうか。開けっ放しとは随分と不用心である。少なくともこちらと反対側の入り口の扉は開け放たれている。逃げようと思えばすぐに逃げられるだろう。
ああそうか。だから、ポニーが二頭もいなくなったのだ。もしかするとこのようなことは日常茶飯事なのかもしれない。それなら、授業前にきちんと頭数を数えておけばいいのに。
通路を歩いてきた馬は、俺たちの前で脚を止めた。
どうしたのだろう。走りたくなって出てきたのだろうか。筋肉は決して多くはないのだが、体が大きく見える。訂正した方が良さそうだ。これだけの体格をしているのだからきっと10歳弱だ。雰囲気に騙されてしまった。
「この馬は何という馬ですか?」
「この馬はランサー。元競走馬だよ」
・・・・・・えっ、この馬がランサーだって? 16歳!? まさか、そんな訳があるはずがない。でも、馬齢的には間違っていない。何より、河原毛なんていう珍しい色をした競走馬で、ランサーって言えば・・・・。
「──────“スプリングランサー”?」
名前に反応した馬はこちらに目線を向け。じっと睨みつける。
動けない。何とも言えない威圧感がある。ユリエはニコニコしている。否定しないということは肯定ということだ。おかしい。なんか不思議な構文が飛び出した。冷静じゃないのか。
しばらく睨み続けた後、ランサーは満足したのか視線を外してぼんやりとする。警戒を解いたのである。おかげでやっと息がつけた。
「お前の年代でランサーのことを知っているのか。物心つく前に活躍した馬じゃないのか」
「先生、この子たちはそんな小さくないですよ。それにしてもランサーのこと知ってるんだ。そうなんだ・・・・」
とんちきなベルナールの疑問に驚くこともなく答えるユリエ。それよりも俺的には、往年の名マイラーであるスプリングランサーがこんなところにいる方が驚きである。日本でいうところの中央競馬にあたる“ノーブルレース”でマイルを中心に活躍した競走馬である。二つ名の“春一番”は、いい脚が長く使え、風となってターフを一瞬で駆け抜けたことに由来する。ギリギリまで脚を使わず、ラストで一気に爆発させて二着馬をハナ差でかわす。芸術のようなまくりをすることで有名な馬であった。
引退後は種牡馬になったと聞いたはずだったが、こうして息を感じられる距離で会うことができるとは。感慨深い・・・・・・。
「オト・・・・オト!」
「あっ、はい」
「僕、この馬に乗りたい」
体をゆすられてやっと気がついた。すごいブレアもやる気になっている。俺もランサーに乗れるんだよね。目線をベルナールに送る。ベルナールは静かに頷いた。ランサーのたてがみをそっと撫でる。特段嫌がっている素振りはない。
「スプリングランサー、いいんだよね?」
名前を呼ばれた馬は頷きながら低くいななく。Nickerという鳴き声である。これは仲の良い相手に対してされる基本的な発声でオーケイという意味だ。わずかではあるが、触れ合っている右手を通して心がつながっている気がする。
「馬装具を持ってきましたよ。ぱっぱと馬装をして乗りに生きましょう」




