7話 小競り合い
大広場を目前にしてナムリースは唇を嚙みながら通りに立ち尽くしていた。通行人が迷惑そうな顔をして彼女を避けて通っていくが、それに気付く余裕は彼女には無い。彼女の視線はただ一点、目と鼻の先で下卑たにやけ面を晒す青白い傭兵に釘付けにされていた。傭兵はランサルの酒場で鉢合わせた時と全く変わらない軽薄な調子でナムリースに声を掛けた。
「おいおい、お嬢ちゃんよお。だんまりなんて寂しいなあ? 何か言ってくれよ。それともこんな外じゃあ恥ずかしくて口も利けないってか? だったら部屋の中なら色々お話してくれるかい?」
途端にナムリースの眉根がピンと跳ねる。
「……ふん、相変わらず品の無い男。流石、腕利きなだけあって、何の脈も無く女を誘うのが大層お得意なようだな」
ナムリースに鼻で笑われた傭兵は顔を赤らめ口角を歪めたが、あくまで余裕ぶりたいのか、すぐに表情を落ち着かせた。
「言ってくれるな、女。そういう態度は嫌いじゃないが、その強気がどこまで持つか楽しみだぜ。……おい」
低い声を合図に、傭兵の背後に控えていた彼より背の高い部下二人が前に出た。二人は獣欲を顔に張り付けて、舌なめずりをした。そして絶対に逃がすまいといった気迫で、一歩ずつ女に迫った。今や明確な危機に晒されたナムリースは一歩ずつ下がりながら、足に力を込め駆け逃げる準備を終えようとしていた。
「よお、俺を放って置いて何してんだ、てめえはよ?」
雑踏の中でもやけにはっきりと聞こえた若い男の刺々しい声。首を微かに曲げたナムリースの視界には、布袋の中にやたらと細長い陶製の青い壺を収めた雑貨屋の店主の姿が映った。
「レ、レイニオ……」
雑貨屋の店主はあくまでナムリースしか見ていない様子で、ニヤッと笑みを浮かべながら布袋の中に仕舞い込んだ長い壺を取り出した。
「おら、見ろよ、この壺。壺にしちゃ長っちょろくて訳わかんねえ形をしてるが、花瓶として使えそうじゃねえか? それにこの色も良い。分かるか? 青一色って訳じゃなく、所々緑や紺が混ざってるんだよ。きっと売れるぜこれは。何なら次の週から陶器強化期間ってことにしてよ、壺だけじゃなくて食器とかも揃えておくか」
上機嫌で女に話し掛け続ける様子が気に障ったのだろう。存在を無視された青白い肌の傭兵は、怒りで顔を歪めて雑貨屋の店主に凄んだ。
「おい、この野郎! 今は取り込み中だってのが分からねえか? どこの誰だか知らねえがすっこんでろ!」
そこで初めてレイニオは傭兵の方に目を向けた。
「……あ? てめえこそどこの誰だ? その病人みてえな陰気くせえ面構え、てめえオルキー人のクソかサマリ人のクソだな。女のことしか頭にねえ色ボケ傭兵民族どもが、こんなとこで偉そうに肩で風切ってんじゃねえ。俺の店の従業員にちょっかい掛けてる暇があんなら、とっとと娼館に行って腰でも振ってろクソ猿野郎が」
あまりに苛烈な罵りを食らって思わず呆けてしまった傭兵たちに目もくれず、レイニオはナムリースに向かいぶっきらぼうに手を伸ばした。しかし、手を差し伸べられたナムリースがどうしていいものか分からずにまごついていると、レイニオの機嫌は沸騰を始めた水のように激しく悪くなり出した。
「何やってんだよ、てめえはよ。ぼーっとしてねえで、早く掴めってんだ」
これ以上機嫌が悪くなる前にと、ハッとしてナムリースはレイニオの手を掴んだ。
「……いや、しかし、こういうのは男の方から女の腕を掴んでくれるのが常では?」
「はあ? てめえはほんっとどうだっていいことに何気に拘るよな……。下らねえこと言ってねえで、さっさとずらかるぞ」
呆れ顔のレイニオが踵を返そうとした瞬間、通り一帯に響き渡る怒りの咆哮が放たれた。雑貨屋の店主は勿論、通りを歩いていた全ての者たちが立ち止まって困惑の表情を浮かべた。喚き声の主は歪めた顔を今や真っ赤に染め上げて、雑貨屋の若大将を悪鬼の形相で睨みつけていた。その手は既に刀剣の柄に掛けられていた。
「……おい、この野郎。さっきから黙って聞いてりゃふざけたことばっか抜かしやがって。俺はそこの女に恥かかされたんだ。そいつを置いてとっとと消えろ。さもなきゃ、その生意気な舌を首ごと斬り落とすぞ!」
傭兵の怒り具合は凄まじいものだったが、雑貨屋はそれを見て薄く笑うだけだった。
「はァ? 何を被害者ヅラしてんだよ、てめえはよォ? 大方のとこ、先にてめえの方が恥をかいて当然な真似をしたんだろ? てめえら傭兵民族は女のことになると見境がねえもんなあ。……いいか、こいつは俺が雇ってる貴重な店番だ。殺しと女遊びしかやることのねえてめえらなんぞにくれてやる気はねえんだよ。てめえらこそ、股座の薄汚ねえチンケなモンを斬り落とされる前に俺の前から失せろ」
馬鹿にしたように自らの股間の手前で右手を振ってみせた雑貨屋の男を見た瞬間、傭兵の血管が切れた。彼は激情のまま腰に差した長剣を引き抜いた。
「ぶち殺す!」
レイニオは不敵な薄笑いを崩さないまま、胸元に手を突っ込んだ。周囲の人間たちは遠巻きに距離を取りながらも、突然の喧嘩に興味津々という有様だった。誰も逃げないどころか、どこか他人事のように騒動を楽しんでいるような雰囲気に、危機の中にあるナムリースは思わず唖然としてしまった。
「……おいおい、喧嘩が始まったぞ。見ていこうぜ」
「ありゃオルキー人か? それともサマリ人か?」
「……知るか、そんなの見分けなんてつくもんかよ」
「喧嘩の相手は……」
「レイニオだよ、“預かり屋”のレイニオ」
傭兵が剣を構えて一歩踏み出し、合わせてレイニオが一歩下がると同時に胸元から何かを掴み出そうとした刹那、甲高くて耳障りな、複数の金属音が広場の方から近付いてきた。騒動の当事者たちは動きを止め、無責任な群衆たちは自然と道を開けた。
果たして、やかましい足音と金属の擦れる音を響かせながら現れたのは、黄金の甲冑に身を包んだ屈強な兵士の集団だった。先頭に立つ、端正な顔立ちをした長身の男が口を開くと、重々しくはっきりとした声が響き、その場にいた誰もが静まり返った。
「……大人しくしないか、貴様ら。このろくでなしのチンピラどもめが。この私が見ているところで問題を起こす不届き者どもは、全員もれなく地下牢に繋いで犬の餌にするぞ」
冷たく響き渡る声に、群衆のざわめきもピタリと収まってしまう。息を巻いて剣を抜いた傭兵も、黄金の兵士たちの射貫くような視線に貫かれ、焦りの色を浮かべた。続いて、聞き苦しい弁解が始まった。
「あんたら、街の衛兵だろ? さっきから俺のことばっか睨んでるけどよ、言っとくが原因を作ったのはこの褐色女だぜ」
衛兵隊の隊長はそれを聞くなり顎に手を当てて不思議そうに首を傾げた。
「ふむ、そうなのか? しかしおかしいな……。この私の目には、剣を抜いた上でか弱い女と連れの人間に斬り掛かろうとしている傭兵の姿がしっかり映っているのだが?」
と同時に、背後の衛兵たちが一斉に剣に手を掛けた。傭兵の男は激しく悪態をつき、諦めた様子で剣を仕舞った。そして最後にナムリースとレイニオを睨み付けて吐き捨てた。
「覚えとけよ、てめえら。俺はゼイラグ・ローク。次に会った時は覚悟しておくんだな」
そのまま雑踏の向こうに消えていくゼイラグたちを見届けた後、ナムリースは申し訳なさそうに雑貨屋に頭を下げた。
「レイニオ……。すまなかった、ありがとう」
雑貨屋の青年は目を丸くして、次いで眉間に皺を作った。
「はァ? なーんでてめえがペコペコ謝って頭下げてんだ? てめえに明日から居なくなられちまったら、俺はまーた新しい求人を貼り出さなきゃなんねえだろ? そんなの面倒くせえからな。雇い主として最低限やるべきことをやっただけだっつーの」
鼻を鳴らすレイニオを見て、ナムリースは思わず小さく笑った。
「……ふふっ、そうか。いや、それでもありがとうと言わせてくれ」
「何を笑ってんだよ……よくわっかんねえなあ……」
溜息をついて歩き出そうとしたレイニオの足を止めるように、衛兵隊長が声を上げた。
「ああ、待て待て待て。取り込み中失礼だが、何もやらかしていないんだろうな?」
雑貨屋の青年はジトっとした半目で隊長をねめつけた。
「本当に失礼だな、おい。俺が何かやらかしたように見えんのか? え?」
「何を言うか。貴様なんぞ、毎日大なり小なり何かしらのことはやらかしているだろうが。なあ、レイニオ」
衛兵隊長が雑貨屋の名前を呼んだことにナムリースは驚き面食らった。雑貨屋は大げさに首を振り、わざとらしい嘆き声を漏らした。
「ひでえ決めつけもあったもんだぜ。善良な市民は悲しくて悲しくて涙が溢れそうだ。おい、コルン隊長よ、あんたが俺の店で物を買う時は割増し料金を請求してやるからな」
「ほう……。この私にぼったくりを仕掛けるのか。悪ガキが一丁前に言うようになったものよ。お望み通り、抜き打ちで今度訪れてやろう」
雑貨屋は呆れたような笑い顔を浮かべると、肩を竦めて、何事も無かったかのように衛兵隊長の横を通り抜けた。圧倒されていたナムリースも慌ててその後を付いて行き、人々で賑わう大広場の中に足を踏み入れた。衛兵隊長は微笑を浮かべて二人の後姿を眺めていたが、ついぞ追いかけることはしなかった。
「……レイニオ、レイニオ! 誰だかは知らないが、あんなことを言ってしまって良かったのか?」
雑踏の中を掻き分けながら進む青年は振り返ることなく、大きな声を返した。
「んー? ああ、さっきのならまあ何も問題ねえよ。あいつはな、この街の治安を取り締まる衛兵の親玉で、マシャック・コルンって言うんだけどよ。何せガキの頃から知ってる、ある意味腐れ縁のダチみてえなモンだからな」
そこで言葉を区切って青年はちらりと背後を振り返る。
「そんなことよりも、だ。てめえがこの街に来た初日にランサルの酒場で揉めた相手ってのは、あの傭兵野郎だな? あんなのがウロウロしてるんじゃおちおちメシも食ってらんねえ。残念だが今日は何か買って帰って食うことにしとこう」
外食を楽しみにしていたナムリースが素っ頓狂な声を上げたのは言うまでもない。
「ええええっ!? 何故だ!? また会ったとしてもさっきみたいに戦ってくれればいいではないか……」
「はァ!? 戦ってくれりゃいいだって? なーにを言ってんだ、俺はさっき逃げようとしてたんだよ!」
人にぶつかるのも構わずレイニオは急に立ち止まり、胸元から丸っこいものを取り出して見せた。
「……? なんだそれは?」
「あ? こいつは煙幕だよ。俺みたいな素人がどうにかできるほど、奴ら傭兵民族の剣は優しくねえ。連中はどいつもこいつも女狂いのケダモノだが、剣術の腕だけは確かだからな。つーか、そもそも俺は丸腰だぞ」
オルキー人やサマリ人のことをよく知っているかのような言い方にナムリースは引っ掛かりを覚えたが、彼女はそれ以上詮索することを避けた。
「……丸腰。丸腰ならあそこまでわざわざ煽らなくても良かったのでは……」
「それじゃつまんねえだろ。ああいう舐め腐った偉そうな野郎が顔真っ赤にし出すのが面白えんじゃねえか。ああ、そうだ。ところでよ、てめえこそ剣術はどうなんだ? 魔術はサッパリでも剣術はバリバリできたりしねえの?」
すっかり呆れ切った様子のナムリースはあっさり首を横に振った。
「いいや。残念ながら専門外だ」
するとレイニオは露骨な落胆を隠さなかった。
「んーだよなぁ……。あわよくば、てめえに店番だけじゃなくて用心棒もやってもらいたかったんだけどな」
「待て待て、何を言うか。煙玉でやり過ごそうとする男にそこまでがっかりされるのは心外だ」
膨れ顔できっぱり不満を突き付けられたレイニオは、愉快そうに笑った。
「相変わらず言ってくれるもんだぜ。……いやいや、頼もしいな全く」
◇◇◇
先程の喧嘩の余波などもはや微塵も感じさせず、大広場はいつもの賑わいを取り戻していた。沢山の人々が縦横無尽に行き交い、大道芸人の周囲には人だかりができている。どこかの店の宣伝なのか、ビラを配って回る者もいた。時折あちらこちらで見受けられた住民同士の小競り合いを避けながら、レイニオとナムリースは大広場の中心に聳え立つ巨大な石像の下にようやく辿り着いた。その古めかしい石像はウシャールティがまだ小さな村だった頃の初代村長を象ったもので、周囲は植込みで囲まれた小さい芝生の広場となっていた。芝生広場の周りはと言えば、色とりどりのテントが軒を連ね、行商人たちが思い思いの品物を広げていた。
「どうだ? この場所にはな毎日色々な商人が来て、即席の店を広げるんだ。ここに長いこと居着いているヤツもいれば、その日限りでいなくなるヤツもいる。まさに一期一会ってやつさ。良いと感じたモノはその時に買わねえと、大抵二度と会えなくなる場所なんだ」
レイニオは普段の表情からは考えられない程、子供のように目を輝かせながらテントの間を注意深く歩く。その横でナムリースも目線を忙しなく動かし続けた。
「なるほど、一期一会か……。となると、今日も買いたい物は特に決まっていないんだな?」
「その通り。実際に来なきゃ何が置いてあるかも分からねえしな。……何を買いたいかは、結局最終的には勘に頼っちまうな。まず俺が良いなと思えるモノか、次は客の目に留まるであろうモノかどうか、それから利鞘をいくらくらい出せそうか……。ま、偉そうに語れる程、俺も長くやっているワケじゃねえんだけど」
蘊蓄をしたり顔で語るレイニオを余所に市場の品物に夢中になっていたナムリースの視線がふと止まる。その先にあったのは、透き通る薄桃色が美しい、ガラス製の平皿だった。それに気付いたレイニオが立ち止まった。
「なんだ、その皿、気に入ったのか?」
「あ? ああ……いや、少し良いなと思っただけだ。余はただの手伝いだからな。何を買うかはレイニオに任せるとも」
レイニオはひょいとその平皿を手に取ると、底面の値札を見てから口を開いた。
「いいぜ、買ってみよう。陶器と一緒にガラスものも揃えとくか」
途端にナムリースの目が丸くなる。
「え? え? いいのか、レイニオ? 余は全くの素人で」
「いーんだよ。俺が選んだモノばっかじゃつまんねえだろ」
翡翠色の鋭い眼がいたずらっぽく細くなった。
「ま、売れなかったら、てめえに買ってもらうから」
ナムリースは思わず顔を顰め、それから一転同じようにニヤリと笑った。
「いいとも。ならば余がしっかり売ってやるから今に見ておくといい」
「……ははっ。やっぱおもしれえな、てめえ。その、変に自信のあるところ、嫌いじゃねえよ」
旅人の女は開きかけた口をそっと閉じて、言葉を飲んだ。自信を持っていないとこんな人生はやっていられないのだ、と。宝探しをしているような笑顔でテントの間を歩いているレイニオを見ると、その笑顔を曇らせるようなことを言うことは彼女にはとても出来なかった。ナムリースが無意識に俯いた時、ふとレイニオが後ろを振り返った。
「なあ。そういや、メシは何を買って行く? なんか食いてえモンあるか?」
女が考え込んだ時間は僅かだった。
「うーん、豚肉かな」
「おいおい、てめえ、また豚かよ。なんでそんなに好きなわけ?」
「さあ、何故だろうな。そのうち話すよ」
そう言った彼女は、懐かしい昔を思い出しているかのような寂しげな横顔を見せた。雑貨屋はそれを見て、もう何も聞かなかった。
「あーそ。じゃあいつか忘れた頃に、酒の肴にでも聞くわ。それじゃとっとと買いに行こうぜ。今日休んだ分、明日ははりきって売らねえとなぁ」
踵を返して先を歩き始めた男の足取りは、心なしか幾分ゆっくりとしていた。




