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2話 用心棒

 名もなき旅の女は鬱を振り払うかのようにグラスを握り、果実酒を一気に呷った。細い喉を鳴らしゆっくりと酒を飲み干した彼女は、まだわずかに氷の残ったグラスをすぐさま店主に突き出した。

「……よし! もう一杯貰おうじゃないか、ランサルさん。今度はそうだな、もう少し辛いものがいい」

 酒場の主は呆気に取られつつグラスを受け取ると、再び背を向けて酒瓶を吟味し始めた。

「こう言っては失礼ですが、お客様は意外と飲まれる方のようですね」

「まあな。これでも長い間、南の国々をあちこち旅して回っていたから酒はかなり飲み慣れているつもりだ。……実は北の方に来たのは今回が初めてでな、どんな酒が出るのか楽しみだったんだ」

 それを聞いたランサルは何かを思いついたかのように動きを止め、急にカウンターの内側で屈み込み、何かをごそごそと取り出した。女が訝しげにその様子を眺めていると、酒場の店主は満面の笑みを浮かべながら、カウンター上に古めかしい大瓶を置いた。木栓で蓋をされたガラス瓶の中に並々と注がれた酒は亜麻色に輝いていた。旅の女はその深い色味をした年代物の酒を見るなり、黄金色の両目を嬉しそうに光らせた。

「これはウシャールティ近郊で栽培される泥麦とザガの根を発酵させて更に蒸留した酒です。ムディ酒と呼ばれていて、この街の特産品と言えるものですよ」

 ランサルは大粒の氷を惜しげもなくグラスに落とし、その上から亜麻色の古酒を注いだ。喜び勇んで女は酒を受け取り、鼻腔の奥まで届くツンとした強い香りを楽しんだ後、そっと舐めるように一口飲んだ。途端に女の顔が歓喜の色に染まり出す。

「……美味いっ! これを飲めただけでもこの街に来た価値があったな!」

 大喜びする褐色の旅人を前にランサルも嬉しそうに微笑んだ。そして今度の酒は早々に減らないだろうと踏んだ彼は、再びグラス磨きを始めた。

「お客様。ご自分の名前を探して旅をしているとのことですが……旅はもう随分長いのですか?」

 旅人は酒を少しずつ舐めながら何かを思い出すように遠くに目をやった。

「……そうだな、長いぞ。きっと貴方が想像しているよりも遥かに長い時間を旅してきた。だが余の探し方が下手くそなのか、今のところなーんにも成果は上がっていない」

 やや赤みがさしてきた頬を緩ませ、女はあっはっはと大口を開けて笑った。次の言葉を探していたランサルは、身体と一緒に揺れる女の耳が自分のものよりやや長いことに気が付いた。

「お客様の耳は少し長いようですね。もしかしたらエルフ族の血でも流れているのかもしれませんよ。私は見たことが無いですが、南の方には森のエルフの他に砂漠のエルフもいるのでしょう?」

 ああと呟いた旅人は、途端に嫌そうに顔をしかめた。

「エルフ族か。余も当然同じ考えに至って彼らの国に行ったこともあるが……いや、あんまり思い出したくはないな。とりわけ森のエルフのことはな。砂のエルフは好きだが、森のエルフ族はどうも苦手だ。連中は排他的すぎる」

 言った後ではっと気付いたのか、女は背後を振り返り、酒場の客席に慌てて目を凝らし始めた。そんな様子を見て、ランサルは苦笑した。

「大丈夫ですよ、今はエルフのお客様はいません。それにここ第三区の夜はこの街でも特に治安が悪いですから、そもそもエルフの皆さんはあまり来ないんですよ。まあ稀にシルハニケルのエルフが来ることもありますがね。彼らはエルフの中でも変わり者の一族ですから」

 北方にもエルフの国があるのかと女が聞こうと身を乗り出した時、すぐ隣の椅子に男が大きな音を立てながら座った。女は眉根を寄せながら黄金色の目を右に向けた。カウンターに肘を付いてにやけ面を晒すのは、白い肌と濃い灰色の短髪が特徴的な若い男だった。上半身には黒色の鎖帷子を身に付け、腰の革ベルトに幅広の剣を差している。肌は不気味なくらいに青白かったが、その割には腕も太く、かなり鍛えているように女の目には映った。若い男の後ろには、同じく白い肌と灰色の髪をした男が二人立っていた。椅子に座った男が頭目で背後の二人は手下か何かなのだろう。

「話、聞こえてたんだけどさ。記憶が無いんだって? 大変だねえ。俺らが探すの手伝ってやろうか?」

 男は変わらずにやついた表情を崩さないまま、耳に障るダミ声で話しかけてきた。背後の二人も酒瓶を手にしながら、下卑た赤ら顔を互いに見合わせて笑い声を漏らしていた。

「それはどうも、ご心配ありがとう。で? 一体どうやって手伝ってくれるんだ?」

 白けた調子で旅人は尋ねた。鎖帷子の男は黄ばんだ歯の間から酒臭い息とともに、軋むような笑い声を漏らした。

「そうだなあ。まあ、やり方は追々考えようじゃねえか。それよりだ、まずはあんたがどういう人間なのか詳しく知らなくちゃ話にならねえ。互いの自己紹介も兼ねて、いっちょ親睦を深めてみねえか? それに床に行けば案外昔のことも思い出すかもしれねえぜ」

 男はますます口元を歪めながら左手の人差し指を立てて、酒場の天井に向けた。二階には宿がある。旅人は目の前の男が何を言いたいのか、聞かずとも分かっていた。旅をする中でこういった輩に出会うのは初めてではなかったからだ。彼女が溜息をつく前にカウンターの内側で様子を見守っていたランサルが口を挟んだ。

「お客様、私の宿はそういうことは一切お断りです。南の広場に沿って色街がありますからどうぞそちらへ」

 ランサルの毅然とした態度が気に入らなかったのか、男はカウンターに両手をつき、濁った目を見開きながら、身を大きく乗り出した。

「ちょっと、ちょっとお。オヤジさんよ、大事な客にそりゃあないだろう。これでも俺たちは結構なカネを稼ぐ腕利きの傭兵なんだぜ。これから良い常連になるかもしれない人間にその態度はいただけねえな」

「左様ですか。しかし生憎ながら私の店には他に沢山の常連様がおりますからね。規則を守っていただけない方は来ないでいただいて結構ですよ」

 一歩も引かない酒場の主に激昂した男は悪態を吐くよりも前に腰元の長剣に手を掛けた。だが、いざ抜かんとした時、男は瞬間的な違和感を覚えた。その場の空気が一瞬揺らぐ感覚。大気に漂う見えない粒子が揺らされ、細波が立ち、やがて大波に変わり、肌を粟立たせる感覚を。男は焦燥に顔を歪め、バッと身体を捻って振り向いた。女は唇を薄く曲げ笑っていた。

「……遅い」

 華奢な右手、その人差し指が突き出される。男がしまったと思う間もなく、女の指先に粒子が渦巻き、魔力となって放出された。……しかし、目をかっと見開いた男は何の変化も無い自分の身体をしげしげと見下ろした後、あまりに拍子抜けた光景に大笑いを抑えられなかった。

「ぷっ……ははははははっ! なんだそりゃあ? 蝋燭の火よりも小さいじゃねえかよ! 脅かしやがって!」

 旅人の女は不満げに唇を尖らせて、指先に点った小さな炎を睨んだ。馬鹿笑いする男を無視して彼女は指をがむしゃらに振る。しかし炎はちろちろと揺れ動くだけで、一向に大きくならなかった。

「……むむむ、やっぱり駄目か……」

「ったく、ふざけてんじゃねえよ。俺らをコケにしやがったんだ。どういうことになるか分からせてやるから付いて来い」

 ランサルの制止など意にも介さず、男は旅人の細い腕を掴み取って無理矢理立たせた。非力な女は抵抗することも出来ず、よろけて椅子を蹴り倒してしまった。男は勝ち誇ったように笑いながら女を引きずって歩く。酒場に集まった酔いどれたちはざわつきながら男の行為を非難し始めた。しかし男たちが得物をちらつかせると、誰もかれも口を窄ませて黙りこくった。そんな酔っ払いたちの情けない姿に男はますます気分を良くしたが、出入り口のすぐ近くに座っていた飲み客が立ち上がり、扉の前に立ち塞がったのを見つけると途端に声を荒げ出した。

「なんだ、お前は? しゃしゃり出てくんじゃねえぞ、さっさとどけ!」

 扉を塞いだ男は頭まですっぽりと覆った外套をゆっくり脱ぎ捨て、傍らの椅子に引っ掛けた。軽く飛び跳ねればそれだけで天井に手を付けられそうなほどに背は高く、黒褐色の腕は鎖帷子の男の腕よりも倍は太い。長めの毛髪と、厚い胸板に届くまで伸びた顎鬚は赤色に染め上げられ、荒々しく編み込まれていた。まさに山のような大男を前に青白い肌の傭兵は暫し気圧された。だが、すぐに気を取り直し、唾を飛ばして啖呵を切る。

「こっ、この野郎。見下ろしてんじゃねえよ、デカブツが! 邪魔だっつってんだろ」

「……どかねェよ、三下。てめェこそ女置いて、この店からとっとと失せろ。それともそのチンケな得物でウチとコトでも構えてェか? だったら俺は構やしねェがな」

「ああ!? 舐めやがって、上等じゃ……」

 短髪の傭兵は怒り狂って長剣を抜き放とうとしたが、すぐ後ろに控えていた仲間に抱え込まれて止められた。

「おい、何してんだ! 離せ!」

「駄目だ、やめとけ! こいつはヴィシャール・ヴァーク! 黒影商団の大幹部だ。連中に盾突いたらまずい! 行こう!」

 無表情なままの大男と暴れる女を交互に見やった後、傭兵は大声で悪態をついて、女を床に突き飛ばした。そして捨て台詞を吐きながらヴァークの横をすり抜け、酒場から出ていった。ヴァークは剣呑な目付きでしばらく背後の扉を眺めた後、床に転がる旅人をそっと立たせ、カウンターの元の席まで連れていった。彼女が味わっていた泥麦とザガの根の蒸留酒は、氷がすっかり溶け切っていて水っぽくなっていた。旅人は落胆を隠せず、呻きながら薄まった酒を一気に飲み干した。ヴァークは旅人の隣の椅子に腰掛け、同じく泥麦とザガの根の酒を氷も入れずに喉に流し込んだ。

「助かりましたよ、ヴァーク殿。……最近はオルキー人やサマリ人の傭兵たちが増えてきていますからね。またひと悶着起こりそうだ」

 ランサルは言いながらあっという間に空になったヴァークのグラスに酒を注ぎ足した。ヴァークも今度は一息に飲み干さず、グラスを片手に強い香りを楽しみ始めた。

「なに、これが俺らケツモチの仕事だからな。ランサルさんには世話ンなってる。ああいうアホが来たら、いくらでも任せてくれ」

 それから彼は横を向き、新たに注がれた蒸留酒を飲み直している旅人に話しかけた。

「姉ちゃんよ、ケツモチがいる店で良かったな。今日であんたの旅が終わるところだったぜ。にしてもさっきの炎は酷かったな、おい。あれじゃ魔術学舎に入りたてのガキの方が、まだ幾分でけェもんを出せるぞ」

「……耳の痛いことを言わないでくれ。何故か魔術は昔から駄目なんだ。いくら練習してもあの程度しかできない。牽制くらいにはなるかと思ったんだが……」

「本気でそう思ってんなら今後はやめときな。あんなの牽制どころか相手を逆上させるだけだ。……けど、まァ、そう落ち込むほどのことでもねェさ。偉そうに喋ってる俺だって魔術の才能はあんたとそうそう変わんねェ。それに世の中には魔術が全く使えねェ人間だってごまんといるんだ。気にすんなよ」

 慰められても沈んだままの気分を誤魔化すように、名無しの旅人の目線は酒場のあちこちをさ迷った。すると彼女の目は、ランサルが立つカウンター席の更に右側、大小さまざまの紙片が貼りつけられた古ぼけた掲示板に釘付けになった。その瞬間、彼女はこの酒場に入ったもう一つの目的をようやく思い出した。

「ランサルさん! あれは求人の掲示板か?」

「ん? ああ、そうですよ。一応、仕事の紹介所もやらせてもらってます」

 女は立ち上がり、掲示板の前に移動した。そして食い入るように掲示板の端から端にまで目を通していく。真剣な様子の女を見て、ヴァークは感心した様子だった。

「掲示板で真面目に仕事探したァ偉いねェ。この街に来る連中は大抵、博打か盗みで手っ取り早く一儲けしようとすんのによ。……そうだ、姉ちゃん。ウチがやってる高級酒亭の配膳係に空きが出来ちまっててよ、あんたなら顔も文句なしだし、やってみねェか? ああ何、心配しなくていい。予約制の酒亭だからさっきみてェなチンピラはまず来ねェし、客への色仕事も無しだ。あんたに覚えてもらうのは基本的な作法と料理のやり方、それから成金の客どもをおだてる為の話術だけだ」

 ヴァークは半ば本気で勧誘していたが、女の態度はにべも無かった。

「うーん、助けてもらったところ申し訳ないが、余は水商売はあまりしたくないんだ。昔少しやったことがあってな……大変な目に遭ったことがあるからな」

 露骨に落胆する大男を尻目に、女の黄金色の目がある求人の文面に止まった。もはやそれ以外のものは見えていないかのようで、読み進めるうちに女の目の輝きはどんどん増していった。

「ランサルさん! この求人、良いな! “地域に愛される宝飾品中心の雑貨屋。商品の販売の他に日常生活でお困りのことなどもお手伝いさせていただきます。是非何でもご依頼ください。大らかな店主とともに楽しく働いてみませんか?”だそうだ。街の雑貨屋さんかぁ、わくわくするなぁ」

 すっかり有頂天になって両手を合わせてニコニコしている女だったが、一方でランサルとヴァークは酷く顔を顰めながらお互いを見合わせていた。女に向き合ったヴァークが大きく咳払いをした。

「姉ちゃん、姉ちゃんよ。わりィこた言わねェ。そいつはやめ」

「よし、ランサルさん! とりあえず、今日の宿泊とこの雑貨屋の紹介を頼む。あと酒をもう二杯追加で!」

 褐色の旅人は楽しそうに酒を呷り、すっかり雑貨屋で働く気でいるようだった。ヴァークは止めるのを諦めて、ランサルを見た。酒場の主は目を閉じて首を横に振った。ヴァークは非難がましく小声でランサルを責めた。

「……だから、アレは剥がしとけって言ったんだよ、ランサルさん。可哀想に、あの調子じゃ長く続かねェぞ」

「ヴァーク殿、剥がせと言われたってそれは無理ですよ。こっちは頼まれたら貼るしかないんですから」

 そうは言いながらも、当のランサルも旅人のことが気掛かりだった。

「……確かに、彼は癖が強いですからね……」

 ランサルの小さな呟きは、幸せそうに揺れる女の耳には届いていなかった。


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