意地と意地
ばぁばも少々ヒステリックなところはあったが、私の母には到底敵わないだろうと思う。
何回目の退院か覚えていないが、とにかく母が家に戻っており、仕事にも復活していたある日。
私の保育園では町内を何周かに分け、小さなお神輿を園児たち全員が担いで回る行事が予定されていた。
家から保育園までの道のりは、大人が歩けば10分ちょっとくらいの所にあったが、毎日母は車で送ってくれていた。
夜中までスナックで働いている母は、飲みすぎたり帰りが遅くなったりするとなかなか起きてくれない。
私が目を覚まし母を揺すると、「朝ごはん食べてて…」とモゴモゴした口調で言う。
私は台所へ行ってコーンフレークに牛乳を注ぐか、昨日の余りのご飯を電子レンジで温めて生卵を落として食べた。
その日も、母はなかなか起きてくれない日だった。
一人でテレビを見ながらご飯を食べていると、母はむくっと起き上がり、家を出る準備をした。準備と言っても、ジーンズにTシャツ、髪の毛はオールバックでポニーテール、すっぴん。決して世の女性の"準備"には程遠かった。
いつものように車に乗り込み、保育園へ向かう。
車中、お神輿の時間はお昼頃だから、始まる頃に母のお手製の浴衣を持って行くね、と言われた。
浴衣は姉が着ていたお古ではあったが、母が作った浴衣が着られるというのは、他の子との差がつくようで嬉しかった。
私は元気よく頷く。
保育園で別れを告げ、お神輿の準備で園内は賑やかだった。
そうこうしているうちに、第一週目のお神輿チームが出発した。
私は保育園の玄関で母を待つ。
第二週目が行く。母はまだ来ない。
そのうちに先生が私に声を掛ける。
「お母さん、なかなか来ないねぇ…。美穂ちゃん、次でお神輿担いじゃおうか?浴衣は後で着れるから、ね?」
私は首を横に振った。
「もう少し待ってみる。」
目の前で行っては帰ってくる他の園児たちが眩しく見える。
母が到着したのは最後のお神輿が行ってしまった後だった。
母は息を切らしながら園内に入ってきて、私に謝った。
同時に「お神輿担いできたら良かったのに…!」とも。
何故遅れたのかは覚えていなかいが、母は薬も服用していたし、仕事の時間が遅くて睡眠が十分に取れていない状態だった。恐らく仮眠のつもりが爆睡に変わったのだろう。
私は悲しさとイラつきでずっとムスッとしていた。
母は宥めるように、色々話し掛けてきてくれていたが、私はだんまりだ。
家に帰ってもまだ不機嫌は直らず、怒ることにも実は飽きそうになってきていたのに、ほぼ意地の塊となってしまっていた。
母が自らの太腿をパンパン、と叩く。
「もういいでしょ?ほら、こっちへおいで」
優しくしてくれている母の腕に飛び込みたいのに、意地がそうさせてくれず、それがまた歯痒く、私はそれを拒否しながら泣いた。
ここで母の限界が到達する。
「いいかげんにしなさい!」と激怒し始め、怖いと思いながら、私も負けじと大声を張り上げながら反論する。
終いには、絶対に言ってはいけないと分かっているはずなのに、どうしようもなく母を傷付けたい衝動に駆られてしまった。
「お母さんなんて、早く死んじゃえばいい!」
母は怒った勢いをそのままに、自分の作った浴衣をビリビリに破き始めたのだった。
私の着たかった浴衣が無惨な姿になっていく。
ビリビリになった浴衣から手を離し、母は台所へ向かった。いつもより盛大な音を立てながら夕ご飯を作っていた。その間、私は声を上げて泣いた。
私と母はそっくりだ。
今思うと私が発した最悪な言葉も、母が破いた浴衣も、それぞれ同じことだった。
二人ともその場で後悔しているのだ。後悔しているのに、素直に謝れない。血で争う、厄介な親子だった。