最古の記憶
頭の中の一番古い記憶というものを掘り返してみる。
古そうな木造の家の、よく掃除された、畳が敷かれた大きな部屋に私は寝かされていて、ふと目が覚めた。
部屋の上部には、隣の部屋との間に穴の空いた木彫りの仕切りがあり、そこから明かりが漏れている。
襖は完全に閉まっているが、その明かりの付いた部屋から大人たちが静かに会話をしていた。
広い部屋に一人で寝かされていることに猛烈な孤独を感じ、声を上げて泣き始めると、襖が開いて数人の大人たちがこちらに向かってくる。
そこまでしか覚えていないが、不思議と鮮明に覚えているものだ。
後々、何年も掛けて過去の話を繋ぎ合わせてみると、どうやら私は当時まだ一歳であり、場所は父の実家。話し合いは両親の離婚後の報告と話し合いだったのだろうと思われる。
きっとこの時が、父に抱っこされた最後の日だったに違いない。
いつからか冷めた考え方を身に付けていた私は、父親の記憶が無いことに悲しいという感情を抱いたことは無かった。
「お父さんはあなたが産まれてすぐに死んだ」
そう聞かされていたものだから、アパートの敷地内にある公園の砂場で「お父さんのお墓」と言って小さい山を作り、木の枝を刺して空の砂山に手を合わせたりもした。
しかしその行為にはなんの感情もなく、「死んだらお墓を作るもの」ということを知って真似をしただけだった。
私には八つ上の兄と六つ上の姉がいたが、歳が離れていたためさほど相手にはしてもらえず、アパートの敷地内にある小さな公園で一人遊んだ。
母は子供三人を養うため、近所のスナックで働いていた。
家庭科の教師免許を持っていながら、それが活かされたことはなく、ただ稼げる、好きなお酒とカラオケに囲まれるという仕事をした。
幼少期はそのスナックにたまに連れていかれ、見知らぬ酒臭いおじさんの膝の上に座らされて、不安でしょうがなかったことを覚えている。
泣いてしまえば母の腕の中に戻れることを知っていたが、そんなことをしてしまってはおじさんに悪い、という気配りを、三〜四歳ほどの子供が生意気にも思考していた。
母は当時まだ三十代であり、明るく活発で、言葉遣いは慎ましい方ではなく、女友達といるよりは男友達といる方が楽、というタイプであった。簡単に表現するなら、男らしい性格、といったところか。
一例を挙げると、家の中で母がブラジャーも付けず、タンクトップにパンツ一丁という姿でいることに文句を伝えると、「私はシガニー・ウィーバーに憧れているんだ」と言い切られ、私は言葉を失った。
男らしい、というよりは少し風変わりなだけだったのかもしれない。