第2稿
「うまそーな匂いがしてきたなあ……」
冒険者ギルドの酒場。
時間はちょうど夕食どき。クエスト帰りの冒険者たちがそこかしこで一杯はじめている頃合いだった。
騒がしい酒場の片隅。黒いマントを身にまとった一人の青年が、テーブルへ直にほっぺたをくっつけている。空腹のあまり力が入らないというように。
短い銀色の髪に、透き通るようなコバルトブルーの瞳。左頬には×印の大きな傷が走っている。しかし、情けなく腹を空かせている青年に、不思議と悲壮感や威圧感はない。
彼は冒険者であった。
名をウォルデン・カーディス。
腰に帯びた黒い両手剣は、尋常な冒険者のものではない。これまでどれだけの冒険を切り抜けてきたのかを物語っていた。
そして——金欠気味であることも……。
グゥゥゥ、とウォルデンの腹が鳴った。
「あぁ……最後に飯食ったのは……おととい、だっけ? 〈いきなり肉亭〉の厚切りステーキは焼き加減といい、ジューシーな肉汁といい、最高だったなぁ……」
焦げた表面の食感と、赤身のやわらかさとを思い起こし、ふたたび腹が鳴る。
大規模攻略戦に参加し、まとまった額の報酬を手にしたのをいいことに、高級肉店で散財したのがいけなかった。新たなクエストを求めて次なる街、グレダボルダへやってきたものの、ウォルデンは職にあぶれていた。
グレダボルダは経験値が低い冒険者たち向けの、いわゆる“はじまりの街”というやつだった。すでに上級職のウォルデンは、下級クエストには参加できなかった。
かといって、上級職向けのクエストを求めて旅に出ようにも、いまのウォルデンは報酬をすべて食費に充ててしまったがために先立つものがなく……。
「あーあ、なんでこんなしけた街に来ちまったのかなあ……」
ともすれば、高レベル冒険者の嫌味に聞こえなくもないが、テーブルに頬をつけて脱力しているウォルデンのは、どう見ても冒険者見習いといったところだ。
遠くで「かんぱーい!」とグラスをカチ鳴らす賑やかな音が耳に入ってくる。
ひもじい……。
「あとは——」
ウォルデンは腰に帯びている刀剣に手をやってその感触をたしかめた。黒光りするそれはかなりのレア・アイテムだ。《陰滅剣》——今もウォルデンの全身に走る無数の切り傷と、多大な犠牲の上に手に入れた、命の次に大事な刀剣。
陰滅剣を売り払えば、食うのに困らないだろう。それも年単位で。
だが、それは冒険者としての死を意味する。
剣に伸ばした手をだらりと垂らし、ウォルデンは何度目かの深いため息をついた。そのとき———。
「失礼? そなたは上級職の冒険者ではないかな?」
掛けられた声に反応して、ウォルデンは目を向けた。テーブルの前で、豊かな金髪の男がほほえみを浮かべている。
「お?」
空腹のあまり、何か用かと訊ね返す気力もないといったように、ウォルデンは応じる。
金髪の男は、真紅の瞳をらんらんと輝かせ、こちらを見下ろしていた。
「我の名はアレン。アレン・フォールネス。そなたの帯びている刀剣は神器であるな?」
剣の価値を見抜かれ、ウォルデンはさっと警戒して顔をあげる。
男の全身に目を走らせたが、帯刀はしていない。錦の刺繍が入った白装束は最高級品の仕立てだ。貴族か、とウォルデンはあたりをつける。
「安心したまえ。そなたの剣を奪おうというのではない」
アレンは自分に向けられる警戒をほぐすように手を振った。
「むしろその神器を見込んで、そなたにクエストを依頼したいのだ」
「クエストの依頼? って! マジかよ!?」
ウォルデンは飛び起きた。テーブルにくっつけていた頬から溢れていたヨダレをズズッと拭い、目の前の男・アレンに向き直る。
「見たところ、この街のクエストはそなたには下級すぎて請け負えないのであろう?」
「そ、そうなんだよ!」
アレンの上から目線の物言いは少し気になったが、仕事を世話してくれそうなのだから、文句も言っていられない。
「で、俺に依頼したいっていうのは?」
と早速ウォルデンは本題を促す。
「うむ。我はアレン・フォールネス。北部の辺境フォールネス王国が王、ダマライト・フォールネスのひとり息子だ」
腰に手を当て、アレンは胸を張って言った。
「へえ……それじゃ、王子様ってわけか」
「その通り!」
「それで?」
肩透かしを食らったかのように、アレンは少し体勢を崩した。
「む……我が王子であることについて、あまり驚かないようだな?」
「いい服着てるし、上から目線だし、貴族かなっとは思ってたよ」
「そ、そうか。さすが上級職は落ち着いておるな」
アレンは気分を入れ替えるように咳払いをした。
「コホン!実は来月、我は王位を継ぐことになった」
「ふーん。あれ? 即位前の王子様が、何でこんな酒場に?」
「やっとそこに疑問を持ってくれたか。そうと言うのも——」
グゥゥゥ、と三度ウォルデンの腹が咆哮した。ウォルデンは情けなく腹を押さえる。
一瞬の間のあと、アレンは乾いた笑いをこぼした。
「そうか! そなたは腹を空かせているのだな? これは悪いことをした。食事をしながら話をした方がよさそうだな?」
「まさか奢ってくれるのか? あんた、やっぱいいやつだな!」
「料理を取ってこよう……ああ、良い、良い。そなたはここで待っておれ。立ちあがれぬほど腹を空かせている様子だしな?」
そう言うとアレンはカウンターに注文を取りに行った。
「王子様に料理取りにいかせたら、なんか悪い気がしてきたぞ……」
それにしても、王子の割にお付きの者はいないのか? ウォルデンは酒場を見回した。それらしい人影は見当たらない。
そうこうしているうちに、アレンが戻ってきた。大きめのスープ皿を手にしている。
……ん? スープ皿?
首を傾げるウォルデンに対し、アレンはにこやかに、
「さ、遠慮はいらぬ。腹いっぱい食べるがよい!」
と言って皿を差し出してきた。
「アレ? あんたの分はいいのか?」
「ああ、我のことは気にするな。さ、温かいうちに……」
皿に目を落とし、ウォルデンは言葉を失った。
「うっ……って! キャベツのスープ⁉︎」
そこには肉など一片もない。
溶けかけたキャベツのコンソメスープがたゆたっているだけであった。
「どうした? 食べないのか?」
「えーっと……奢っておいてもらって何なんだけどよ……これは……」
ウォルデンはスプーンでスープをすくった。暗に肉っけのないことを示したつもりだったが、アレンは笑顔のまま応えた。
「ああ! 金がないのだ!」
清々しいアレンの言動に、ウォルデンは「は、はあ……」としか返せない。
期待した自分がバカだった。
ウォルデンは大きなため息をひとつ洩らすと、スープをすすりはじめた。
「さて——そろそろ依頼内容について話してもいいかな?」
温かいスープを腹に収めると、猛獣のように吠え猛っていた空腹も鳴りを潜めていた。人心地ついたウォルデンはアレンに向き直った。
「で、どんな依頼なんだ? 魔物退治あたりか?」
「当たらずとも遠からず、と言ったところかな?」
「それじゃ……」
「そなたには、我と共に龍退治についてきてもらいたいのだ! ドラゴンの心臓を戴冠式に持ってくることが、王位を継ぐにあたっての条件となっているのでな」
「龍退治……って、はあ!?」
「天上界へ行って神話級のドラゴンを倒す——その旅の仲間になって欲しいのだ!」
呆気にとられているウォルデンに対し、かまわずアレンは話をつづける。
「報酬は出世払いだ。我はドラゴンの心臓さえ持ち帰ればよい。戦闘でドロップした神器の類はすべてそなたに譲ろうではないか!」
「いや、いらねーよ! ってか、神器だったらもう持ってるし!」
「やはりそうか……」
アレンは悲しそうな顔になって肩を落とした。
「実は断られたのは、そなたが初めてではないのだ」
「そりゃ、そうだろうさ」
「我が祖国は小国。多額の賞金を用意できるはずもないし……」
「ってか、先代の王。あんたの父さんはどうやって王様になったんだよ?」
「無論、ドラゴンを倒したのだ!」
「天上界にまで行って?」
「ああ! 一人でな!」
「すげーやつじゃん」
「しかし、強い戦士が、良き王——何より、良き父になれるかといえば……それは別の問題だ」
「それはつまり……」
「自分で言うのも憚れるが……我は生まれてこの方、さんざん甘やかされて育てられた。生まれてこの方、かすり傷ひとつ負ったことがないのだ。それなのに、こうしてダメ息子を遣いにやって、仲間を探してこいと無茶を言う。そもそも私はそうやって鍛えられてこなかったし、育ててももらっていない。それでもできる、と父は言う。かつての王はできたから、息子のお前にもできるはずだから、と……」
「王子様が従者も引き連れていないのは、その厳しい親父さんの教育方針ってわけか?」
「腹が減っているのに、邪魔をしたな?」
アレンは立ち上がると、くるりと背を向けた。
「ちょっと待った。あんたわかってんのか? 天上界へつづくダンジョン塔は、上級職以上でないと即死する超難関クエストだぞ?」
金髪の青年はしかたがない、と言うようにうっすら笑った。
「わかっているさ。最悪、我ひとりで行くことになろうな? かつて父がそうであったように」
「どうしてそこまで……」
「でなければ、我には帰る国がないからな?」
夢をあきらめてこの街でくすぶっている冒険者が何千人といるというのに、アレンは生真面目に父王からの無理難題に応えようとしている。
そんな一生懸命なやつを放って置けるか?
いや——できるはずがない。
「ったく、不器用な野郎だぜ……」
ウォルデンはやれやれと息を吐き出した。
「あんたには、スープの礼をしなくちゃなんねえな?」
そう言ってスープを飲み干した。
「オレの名はウォルデン・カーディス。この陰滅剣は天上界の暗黒龍ドラコヴァインを倒して手に入れた神器だ」
「ではそなたは——」
「ああ——!!」
バサァァァァッ!
ウォルデンは黒いマントを背後に翻した。
浅黒く引き締まった肉体があらわになり、むき出しになっている筋骨隆々の腕、いや、体中のそこかしこにに無数の傷跡が刻み込まれている。
「オレはこの世界を一度“クリア”しちまった冒険者だ。よろしくな!」