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傷だらけのウォルデン  作者: 春日康徳
1/2

第1稿

「おっかしいなぁ……じっちゃんにもらった地図通りなら、そろそろ着いても良さそうなのに……」


 深い深い森のなかを、一人の青年が歩いていた。

 地図を上下左右にくるくると向きを変えながら、首を傾げている。黒いケープを身にまとい、荷物を背負ったところを見れば、行商人か、旅人のようにも見える。

 だが——右の頬に走る×印の傷と、腰に帯びた巨大な剣を見れば、尋常でない人物であることがわかるはずだ。

 彼は冒険者であった。

 名をウォルデン・カーディス。

 浅黒い肌色に無駄な肉を削ぎ落とした彫刻のような肉体。そこには、これまでにどれだけ激しい戦いを切り抜けてきたかを物語るような、無数の傷が刻み込まれている。

 短い銀色の髪に、透き通るようなコバルトブルーの瞳。頬の傷は人相を悪く見せるかと思いきや、澄んだ瞳を細めて笑うと、悲壮感を感じさせないから不思議だ。

 ウォルデンは魔物討伐で功を成し、フォルネウス地方でも評判の《いきなり肉亭》で散財したあと、あらたなクエストを求めて旅をつづけていた。

 途中、立ち寄った宿屋でウォルデンは、九つの教会の町グレダボルダで間もなく王子の戴冠式が迫っており、傭兵を求めているという情報を得た。

 その宿の主人に書いてもらった地図をもとに、ウォルデンは森を突き進んでいるのだが……。

 グゥゥゥ——とウォルデンの腹が空腹を訴えて唸った。


「うぅ……昨日の夜から何も食べてねーぜ……」


 陽はそろそろ傾きはじめている。できることならグレダボルタの町に早く着きたい。そして、暖かい肉にありつきたい。


「あぁ……〈いきなり肉亭〉のいきなり厚切りベーコンは塩加減といい、ジューシーな肉汁といい、最高だったなぁ……」


 数日前に味わった肉味を思い出すと、おもわずヨダレが出てくる。いっけね、とウォルデンは頭を振って地図に向き直った。

 そのとき。

 鳥たちがバサバサっと危険を察知して飛び立ったのとときを同じくして、


「グルブォボォォォォォォォォオオッ!!!」


 と大地が揺れるほどの咆哮が森に響いた。


「おっと! 焼いて食える肉ならいいがな——!」


 ケープをバサッと広げ、腰に帯びていた剣を抜く。

 ドスン、ドスン、と敵が森の奥から近づいてくる。

 これまでの戦闘経験から、ウォルデンはだいたいの敵の大きさを頭に思い描く。


「グルブォボォォォォォォォォオオッ!!!」


「おいでなすったか!」


 予想通り、敵の大きさは民家を丸呑みできるほどの巨大な魔物だった。あずき色の体の半分以上を口と牙とで構成した、捕食特化型の魔物だ。細い脚が何本も脇から生えて、その巨大な体を支えている。

 衝撃波をともなう咆哮に怯むことなく、ウォルデンは一直線に魔物に立ち向かっていった。


「ブルォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!」


 牙を剥いて襲いかかってきた魔物に対し、


「おらあああああああああ!」


 と剣を一閃。

 魔物の顎を横に薙いで切り裂く。緑色の大出血と共に、魔物は痛みに咆哮を歪める。


「グルゥゥゥゥゥゥゥゥッ!」


 緑色の血液は瘴気を含んでいたようで、酸で溶かされたようにウォルデンの衣服を侵食し、肌を焼いた。


「ち……っ!!」


 片目をぎゅっとつむって痛みをやり過ごし、片手で剣を振り回してウォルデンは魔物の脚を斬り裂く。

 抵抗力を奪われた魔物は、その場でジタバタと暴れ出した。


「あと一撃で——仕留める!」


 魔物にトドメの一撃をお見舞いしようと、両手で剣を握り、その刃を振り下ろそうとして——。


「待たれよ!」


 不意に背後で声が起こった。


「……?」


 ウォルデンが振り返ると、そこには教会の十字マークを胸つけた鎧騎士たちの集団があった。ラージシールドを持った異様な集団で、旗持ちもいる。彼らが掲げているのは、九つの教会の町、グレダボルタの記章であった。


「その魔物、我ら《アレン騎士団》が仕留めさせていただきたい!」


「何んだとぉ?」


 いいところだけ持っていこうというのか? 緑色の血を浴びたウォルデンは、痛みにのたうちまわる魔物を背にして騎士団に向き直った。


「そいつぁ、ずいぶんと調子のいい話じゃねえか?」


「即位の儀ゆえである!」


 ウォルデンの問いに答えたのは、鎧騎士たちではなく——その奥の森からゆっくりと姿をあらわした馬上の騎士だった。

 白銀の鎧に身を包み、豊かな金髪を風になびかせる騎士は、大人しそうな外見とは裏腹に爛々と輝かせる真紅の瞳でウォルデンを見据えている。


「我は皇太子、アレン・グレダボルタである。その魔物は王たるこの我が討伐しなければならない」


「そいつは残念だったな。オレが仕留めちまった」


「トドメはまだだったな?」


 言うや否や、アレンは馬から飛び降りると剣を抜いて風のように駆け出した。


「アレン様をお守りしろ!」


 魔物に向かっていくアレンを守るように、ラージシールドの騎士団が脇を固める。


「おいおい、ちと大袈裟すぎるんじゃねえのか?」


 騎士団にとって行手を阻まれたウォルデンが呆れた声をあげる。

 すでに魔物に反撃は不可能だ。そんな瀕死の魔物に刃を突き立てるアレンに傷ひとつつけてなるものかと、騎士団がラージシールドで移動する壁を構築する。


「ググゥゥゥゥ……グボボボォォォォォォォォッ!!」


 魔物の咆哮は力を失っていき、痙攣して、動きを止めた。


「やったぞ! 我らの勝利だ!」


「さすが、アレン様、お手柄です!」


 騎士団が団長のアレンを褒め称え、勝鬨をあげている。


「ったく……いいところ持っていきやがって……ま、しょうがねえ。魔物の肉はいただいていくぜ?」


 騎士団の横をつかつかと通り過ぎて、ウォルデンは魔物から今夜の晩飯となる肉を切り取ろうとした。


「待て」


 騎士団がウォルデンを制止する。


「んだよ! おめーらが倒したんだから、それでいいだろ?」


「この魔物は即位の儀の供物となる」


「そりゃないぜ! オレの晩飯になる予定だったのに!」


「其の者」


 怪物の上から見下すようにしてウォルデンに一瞥を与えたアレンは、「褒美をつかわす。グレダボルタまで帯同せよ」と命じた。


「え? 褒美? それって、飯奢ってくれるってことか?」


 アレンに問おうとウォルデンが近づくと、騎士団が守りの壁を形成する。


「手当てもしてやろう」


 それで会話を打ち切るように、アレンはさっさと森の奥へと消えていった。


「お前、意外といいやつだな!」


 ウォルデンが騎士団の人垣ごしに叫んだ。


「コラ、貴様、魔物を運ぶのを手伝え」


「はあ!?」


「当たり前だろう、下賤の者が。せーの! で持ち上げるから、協力いたせ」


 そういえば、この魔物を即位の儀の供物にするとか言っていたっけ?

 騎士団たちは「お前はそっちな?」と指示を出し、魔物を取り囲み出した。


「面倒くせーなぁ……オレ一人で大丈夫だよ。よいっしょ」


 ウォルデンがひょいと片手で魔物を持ち上げると、騎士団は腰を抜かしてその場に尻餅をついた。


「えええーっ!?」


       †


 森を抜けると美しい湖畔が広がっていた。

 その先に石畳の教会尖塔が九つ、屹立しているのが見える。


「あれが九つの教会か……」


 ウォルデンは片手で魔物を持ち上げながら、背後から遠巻きについてくる騎士団を振り返った。


「あれがグレダボルタか?」


「い……いかにも」

 魔物を運んでやっているというのに、騎士団員たちは変にウォルデンによそよそしかった。汚らわし、というように目を細めているものもいる。


「アレンとかいうやつは先に行っちまったみてーだぞ? いいのか、お守りしなくて?」


「アレン様は馬に乗って戻られたのだろう。騎馬隊が迎えにきたはずだ」


「へえ、お迎えつきの討伐隊ってことか。すっげーなあ」


 アレンとかいう青年の装備は白銀でかなり高価なものだった。騎士団たちのラージシールドだってなかなかの装備だ。どうやらグレダボルタはかなり羽ぶりがいいらしい。


「こりゃ、晩飯も期待できっぞ……」


 湖畔に沈む夕陽と、長い影を草原に投げかける九つの教会塔を眺めながら、ウォルデンの頭のなかは晩ご飯への期待でいっぱいだった。


       †


「って、これが……晩飯?」


 グレダボルタに到着した夜。教会の晩餐会に招待されたウォルデンは、出された食事——いや、野菜スープを前に目をぱちぱちさせていた。

 周囲を見回す。鎧を脱いだ騎士団員たちは、生真面目にスープを啜っている。

 ウォルデンも一口、啜ってみたが、何の味もしなかった。


「なんだ、これ? 味がしねえぞ?」


「バカを抜かすな」


 年配の騎士団員が咎めた。


「教会の素食だ。味があればそれは過剰の罪となる」


「けどよ、肉も入ってねえぜ?」


「肉などもっての他」


「げえ……」


 せめて塩ぐらいはないものか……。


「不服かな?」


 期待を裏切られ、げっそりしたウォルデンの背後からアレンが姿をあらわした。テーブルの騎士団たちがさっと居住まいを整える。


「オレは好き嫌いがないほうだけど、さすがにスープだけじゃなあ。何か腹にたまるもんはねえのか?」


「ここグレダボルダは、過剰を禁じている。腹を満たすことも罪だ」


「って、あんたを守る騎士団の数は、過剰じゃねえのかよ?」


 ウォルデンの一言で、場が静まり返った。


「ほう——?」


 ウォルデンを見下し、アレンは顎に手を当てた。


「働いたらその分、飯食って寝る! 過剰だ何だのかたっ苦しいこと言ってっから、魔物もろくに一人で倒せねーんじゃねえのか?」


「貴様! アレン様の前で……」


「よい」


 年配の騎士団員をアレンが制した。


「確かに我は、常に我が騎士団に守られている。一度も敵に傷を負わされたことがない。だがそれは、弱いからではない。民を信じ、戦士への信任があればこそ、我が背中を預けるのだ」


「ふーん、そんなもんかねえ」


 アレンは金貨の入った布袋をウォルデンの前に投げて寄越した。


「報酬だ。町でなら、貴様の望む俗っぽい食い物にありつけるであろう」


「……」


 ウォルデンは金貨の布袋をじっと見つめた。


「……気に食わねえぜ、さっきからよ」


 立ち上がり、アレンに顔を近づける。


「この金は騎士団にわけてやれ。オレは町を出ていく」


「いいのか?」


「ああ……森で猪でも屠って丸焼きにして食うわ!」


 ウォルデンはそう言い残し、教会の外に出た。

 夜風が頬を打つ。


「さぁて……今度は教会のない町に行きたいもんだな?」


 夜の闇に溶け込んだ暗い森に向かって、ウォルデンは去っていった。

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