第2話 ハイランダ帝国皇帝ベルンハルト
サジャール国から遠く離れたハイランダ帝国の宮殿の一室。
若干22歳の若き皇帝ベルンハルトと4人の側近達は国内の反逆勢力ときな臭い動きを見せる周辺国を牽制するため、今日も難しい顔をしてテーブルに向き合っていた。5人がこんなにも難しい顔をしている原因、それは隣国に送り込んだスパイからつい最近とある情報を入手したからだった。
───リナト国がセドナ国に政略結婚を打診しようとしている。リナト国第1王子の正妻にセドナ国の第1王女を据えようとしている。
リナト国とセドナ国は共にハイランダ帝国に国境を接している国家であり、数十年おきに国境線を廻って戦争を繰り返している。そのリナト国とセドナ国が政略結婚すれば、両国家が共謀してハイランダ帝国に攻め込んでくる可能性がある。
更に、ハイランダ帝国は数年前にクーデター未遂が発生し、当時の皇帝は反逆者に暗殺された。未だ若き皇帝の政治基盤は盤石ではないのだ。そのようなことになれば最悪国家滅亡の危機になる可能性すらある。
「いっそのこと、先にこちらがセドナ国に第1王女との婚姻を打診してはいかがでしょうか」
側近の一人であるデニスはそう提案したが、別の側近のフリージは眉間に皺を寄せてそれを否定した。
「セドナ国が『黒鋼の死神』と呼ばれる陛下に第1王女を渡すとも思えん。むしろ、焦っていることをセドナ国に悟らせてしまうのではないか?」
───黒鋼の死神
これは若き皇帝の二つ名だ。
ベルンハルトはその若さゆえに周囲から舐められないようにと公に出る際は必ず黒ずくめの鋼製の鎧で全身を覆い身体を大きく見せている。
死神の名は数年前のクーデター事件の際に、混乱する状況の中でどさくさに紛れて当時第2皇子であった若き皇帝が兄であった第1皇子と皇后を殺害したとされることから陰でそう名づけられた。そして、いつの日からかハイランダ帝国の若き皇帝は『黒鋼の死神』と呼ばれるようになったのだ。
この二つ名と脆弱な政治基盤のせいで22歳の若き皇帝には未だに婚姻申し込みが一度もない。クーデター事件前のまだ第2皇子だった頃は掃いて捨てるほどあった婚約話は面白いほどに立ち消えた。
わざわざ不安定な国の死神に可愛い娘を渡して不幸にしようと考える変人の国王はどこにもいないのだ。そして、皇后が居ないこと、即ち世継ぎが居ないことは若き皇帝の地盤を更に脆弱にする原因になっていた。
「やはり国内の有力者辺りから適当な娘を見繕ってさっさと結婚なさるのがよいのではないかと」と側近のフレイクは進言した。
「確かフレディ候爵家が娘をどうかと言ってなかったか?」
側近のデニスが言うと、カールは大きく両手を振って見せた。
「あのいつもおっぱいがはみ出そうなくらいに胸の谷間を強調してる子だろ?あの肉体は魅惑的だけどフレディ候爵の令嬢ってのが良くないよな。そのうち父親に寝首を掻かれそうだ」
その時、側近の一人であるフリージがポンと手を叩く。
「そういえば、陛下に婚姻申し込みがありました。2日ほど前に書簡が届きました」
「陛下に?」
「宛先間違いじゃないか?」
「あり得ないな」
次々に否定する3人の側近達。若き皇帝は「おい…」とつっこんでぎろりと睨みつけると、ちゃちゃを入れていた3人の側近は慌てて黙り込む。ベルンハルトは気を取り直してフリージに向き直った。
「相手はどこの国の姫だ?姫でいいんだよな??」
「はい。サジャール国の第1王女リリアナ姫です」
「サジャール国……。随分と遠いな」
ベルンハルトは予想外の国名に驚いたように目を瞠り、腕を組んで考え込んだ。サジャール国はここハイランダ帝国から早馬でも1ヶ月、馬車で3ヶ月はかかる距離に位置する。これまで国交すらなかった国なのだから驚くのも無理はない。
「サジャール国とリリアナ姫の評判を調べるために陛下への報告が遅れてしまいました。申し訳ありません」とフリージはベルンハルトに謝罪する。「サジャール国ですが、別名『魔女の国』と呼ばれています」
「魔女の国? 魔法が使えるのか?」
ベルンハルトは驚いて身を乗り出した。魔法というのは噂では聞いたことがあるが、実際に見たことは一度もない。
「そのようですね。魔法と言ってもセドナ国に僅かにいる魔術師を見る限りは少しだけ物を浮かせるとか、そよ風をおこすとか、些細なもののようですが。因みに書簡は使い魔と思われるカラフルな鳥が運んできました。
リリアナ姫ですが、現在18歳。噂によりますとシルバーブロンドの髪にアメジストの瞳を持ち、その姿は妖精かと見紛うばかりとのことでございます。ちなみに先日4回目の婚約が解消されました」
「4回目の婚約解消? 何故だ??」
「分かりません」
訝しむベルンハルトに対し、側近のフリージは首を傾げて見せる。
ベルンハルトは再び腕を組んで考え込んだ。王女の婚約ともなれば国と国との約束事であり、そうそう簡単に解消するものではない。それを4回も解消したとなると普通ではない。
「人ならざるもの、つまり妖精かと見紛うばかりの不細工なんじゃないか?」と黙っていた側近の一人、フレイクがニヤニヤしながら呟く。
「それはあり得るな。令嬢の姿絵ほど信用ならないものはこの世に存在しない」と側近のカールも何か苦い記憶を思い出したかのようにうんうんと頷く。
「お前ら……」とベルンハルトは再び側近を睨み据える。
彼らが皇帝であるベルンハルトにこんな軽口を聞けるのは、ベルンハルトが4人の側近と幼馴染だからだ。普段、家臣たちの前では『黒鋼の死神』と呼ばれ、残虐非道なイメージを創り出している若き皇帝からはかけ離れた姿だ。
「魔法が使える王妃というのは周辺国への良い牽制になるかもしれないな」
顎に手を当ててそう呟き考え込むベルンハルトに、カールはあきれ顔で突っ込んだ。
「本当に妖精と見紛うばかりのブスだったらどうするんだよ?世継ぎ作れるのか??」
「……4回の婚約解消も5回の婚約解消も似たようなものだろう。その時はその時で、きっと大丈夫だ」
かくしてサジャール国からのハイランダ帝国の若き皇帝ベルンハルトへの婚姻申し込みは了承されたのだった。