第14話 夢見の魔女、皇帝を心地よい眠りに誘う
盗賊団が警備の騎馬隊や兵士の目をかいくぐり暗躍する。たまたまそういう事があっても不思議ではないが、これだけ増やした警備をこうも長期間に亘りかいくぐるとなると違和感を感じる。
「誰か内通しているのか?」
考えたくは無いがそれが一番しっくりくる。しかし、一体誰が??御前会議に出席する大臣や警備の騎士、文官をまで含めるとその人数はざっと50人はいる。更にバックヤードで作業に当たる人間は会議記録を見ることが出来るとすると、その疑いがある人間の規模は100人は優に超える。その中にはもしかすると金に困って情報を売る人間が居るのかも知れない。
「どうするかな……」
「一人一人洗い出しますか?」
「そうだな。街道の警備ならまだしも、国境の警備の情報を洩らされると命取りだ」
デニスに指示を出してもう一度抜けていることがないか考える。そのまま執務室で考え込んでいるうちに、ベルンハルトは段々と疲れを感じてきた。昨日も悪夢を見てよく眠れなかったのだ。
山積みの仕事を処理するために頭を振って眠気を醒ますが、そうこうするうちに耐え難い睡魔が襲ってくる。ベルンハルトは執務室のソファーで少しだけ仮眠をとることにした。
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「まぁ、なんて利発そうな子でしょう。きっと立派になって陛下を助けてくれます」
初めて会ったとき、その人は屈託のない笑顔でそう言った。正妻であり皇后であった俺の母親が流行病で亡くなってから3年ほど経ったある日、その人は宮殿にやってきた。赤茶色のうねる髪と黒い瞳が印象的な女性だった。俺が10歳、兄上が12歳の時のことだ。
「母上。何をしているのですか?」
「あなた達のマントに刺繍をしているのよ。龍は天高く昇る皇帝の象徴です。殿下はハイランダ帝国を治める立派な龍になるのですよ。ベルトには鷹を。共に天を目指して国を繁栄させるのです」
ある日、兄上と新しい皇后の部屋を訪ねると、皇后は刺繍をしていた。まるで宝物を作るかのように一針一針を丁寧に縫いつけている。完成した龍のマントと鷹のマントを俺達にふわりとかけると子どものように嬉しそうに笑う。あまりに嬉しそうに笑うので、こっちまで嬉しくなった。
何年かして兄上が病にかかり体調を崩しがちになった時には、その人は主治医よりも足繁く兄上の元に通った。兄上の体調不良を嘆き悲しみ昼夜を問わずに献身的に看病する姿は、本当の母親よりも母親らしく見えた。
父親である皇帝の斜め後ろに一歩下がり、父親を立てて微笑んでいる。誰もが認める理想的な妻であり、母親であり、皇后であった。
あんな事件が起こるまでは……
血塗れの父親の前には真っ青な顔をしてこちらを向く皇后、そしてあの日庭園で逢い引き現場を見た相手の側近がいた。側近の手に血に濡れた剣があるのを見たとき、頭に血が上った。
──ちくしょう、ちくしょう、ちくしょうめが!!!
殺してやる。そんな思いが全身に突き抜ける。次の瞬間に激しい爆風が起きて辺りの物が全て吹き飛んだ。目の前が赤く染まる。
『陛下…』
誰だ?
『陛下……』
視界が霞む。血で染まった世界が白く変わる。
『陛下。大丈夫。私が傍に居ます』
一体誰なんだ?? その優しい声はどこかで聞いたことかある気がするのに、思い出せない。
いつの間にか視界は真っ白になり、俺は意識を手放した。
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リリアナは先ほどまで酷く魘されていたベルンハルトが規則正しく寝息を立て始めたのを確認して、そっとそのおでこに当てていた手を離した。
「陛下は普段から魘されることがあるのですか?」
「眠ると毎回ですね。よく寝られないようで疲れが溜まっているようです」
リリアナは執務室で書類に目を通しながら応えるデニスの言葉を聞いてベルンハルトをもう一度見つめた。
この日、ベルンハルトはなんの報せもなく、夕食の時間になっても晩餐室を訪れなかった。普段なら必ず連絡があるのにと不思議に思い執務室を訪ねて来たところで、魘されるベルンハルトに遭遇した。リリアナが部屋に入って来たとき、ベルンハルトは大粒の汗を流して表情は苦悶に満ちたものだった。
放って置くことは出来ずリリアナは少しだけ夢見の魔法を使った。夢見の魔法は夢を意図的に作り出すことはできない。しかし、夢を終わらせる事は出来る。
「一体何の夢を見ていたのかしら?」
少しだけ夢を覗いたらそれは簡単にわかったのだが、激しく魘されるベルンハルトを見ていることが出来ずに咄嗟に夢を終わらせてしまった。
「リリアナ姫は陛下に何か魔法をかけたのですか?珍しく穏やかに寝ていらっしゃる」
デニスに聞かれ、リリアナは無言で首を傾げて見せた。
夢見の魔法の具体的な力はサジャール国の王族とごく親しい側近だけしか知らない。夢見の魔法は離れた場所にいる人間の夢に入り込み、深層心理が作り出す願望やその人しか知らない過去の秘密を知り得る。近隣国にとっては間違いなく驚異であり、知られると拉致監禁や暗殺されかねないほどの力なのだ。
当然、リリアナはハイランダ帝国の人にも具体的な夢見の魔法の話はしていない。ベルンハルトには言うつもりだが、今はまだ運命の相手に夢で会える旨を手紙に書いただけで、それ以上は言っていない。
「よく眠れるおまじないです」
「そうですか。よく効いていらっしゃる」
デニスはベルンハルトとリリアナを見比べて、目元を和らげた。
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ベルンハルトはゆっくりと瞼をあげてハッとした。いつの間にか眠ってしまった。しかも、ぐっすりだ。
「デニス、済まなかったな。眠ってしまったようだ」
「いえ。陛下は働き詰めなので少しお休みになられた方がよいかと。よく眠っていらっしゃいましたね。リリアナ姫がよく眠れるおまじないをかけたと仰ってました」
ベルンハルトはそこで初めて気が付いた。先ほど血に染まる世界にいた自分を呼んだのはリリアナの声だ。
「リリアナ姫は?」
「陛下がよく眠られていたのでお部屋に戻られました。晩餐は先に1人で召し上がるそうです」
「そうか……」
リリアナが先に食事をとってしまった事を少しだけ残念に感じてしまい、ベルンハルトは慌てて首を横に振った。




