第二章 パートナーセレクト 6
輝石学園の前期試験からは本当に忙しい毎日ですっかりと田中太郎について忘れていた。
俺はまじまじと確認してみる。眉や目、口、細部まで舐めるように眺めた。そして、一つの結論に至った。
「全然似てない……」
体格も顔も、なにもかも似ていない。
かろうじて髪の長さは同じでセットもそれっぽいだけだ。
写真だともうちょっと俺に似てたはずなんだけどな。
だが、こいつは間違いなくあの田中太郎なんだろう。
同じ中学校って話をしていたし、現代でこんな名前のやつ二人といないだろう。
なぜ前期試験について歯切れが悪かったのかも納得がいった。
こいつは受験票を落として受験出来なかったのを風邪だったと嘘をついた。
恥ずかしいのだろうか。後期試験トップだったららしいから変なプライドがあるのかもな。
まぁ、変な奴ではあるが、ここに入れて良かったな。俺の徒労もちょっぴり報われた気がする。
「どうかしたんだい? ほら、そろそろ僕が狙ってる子の番だよ」
「お、おう」
田中が言うと、一人の女生徒が立ち上がった。
そいつは毛先がくるくるしている茶色の髪を黒のリボンで二つにまとめている。
袖浦より小柄ではないが、全体的に比べて背が低いように思える。
ブラウスの第一ボタンを開けて赤いリボンのゴムを伸ばし、白のカーディガンで手元を袖に隠している。
スカートの丈も短く今時といった感じの女だった。
「初めましてぇ、星宮茉莉奈って言いますっ。皆さんよろしくお願いしまぁす」
涙袋が特徴的な目元を細めると、口元を緩ませた。
隣にいる田中が見たことないようなスピードでメモ欄に文字を書き込んでいく。
どんだけこいつに期待してるんだよ。
「えっとぉ……特技は裁縫でぇ自分で洋服とか自作してたりするんですよっ」
なんだって、それは凄いな。自分で作れれば洋服代をかなり節約することができる。
ただどうなんだろうな。やっぱり大量生産してコストを抑えているやつのほうが安いのだろうか。
俺はそこに関心がいってしまう。
洋服を一着自作する値段を聞いてみたいものだ。
星宮は体を小さく左右に揺らしながら、数分間で自己紹介を終えた。
そして、次に出番がやってきたのは袖浦だった。待ってましたと俺は筆記用具からペンを出した。
率直に言うと全体を見た結果、俺の中では袖浦が一番だ。
素直でいいやつだし、ちょっと臆病で危なっかしいやつだが、見た目によらず結構ガッツがある。
一緒に行動するなら袖浦が最も安心できそうだった。それに、あの林で見たダンスが脳裏から離れない。
あいつの能力を引き出してやれば打倒、峯谷も夢じゃない。
「それじゃあ、次は芽衣ちゃんねー」
「は、はい」
立ち上がった袖浦は緊張で体がガチガチになっている。俺はそれを見て半笑いになってしまう。
「……そ、袖浦、芽衣です……よろしくお願いします……えっと……」
名前を言い終えた後の台本をあいつなり色々考えていたはずだ。
だが、こちらから見てもわかるほど頭が真っ白になっているのが伺える。
パニックになっているのか目をぐるぐると回して何度も口を開けたり閉じたりしていた。
それが三十秒ほどずっと続いた。
周りのマネージャー科の生徒もしびれを切らしたのかペンを置き始めた。
「あの子ダメそうだね」
ポツリと田中が呟いた。そういう意見もこれだけみれば仕方がないのかもしれない。
「はーい。時間切れー」
藤沢先生は無常にもタイムアップを宣言する。
袖浦は肩を落としながら座り込んだ。
まだまだ入学したばかりだ。そんなに落ち込むこともないだろう。
人前に立つのが苦手なのであれ将来的に克服すればいい。
と、俺が考えていると、藤沢先生が首をかしげていた。
「あのときはもっと普通だったのになー」
顎に手を当てながら小声でボソッとなにかを呟いた。だが、すぐに袖浦に声を投げかけた。
「全く皆の貴重な時間を無駄にしないでねー」
「……次はマネ科の生徒の自己紹介だ」
天野先生がそう言うと、神谷愛を先頭に次々と自己紹介をしていく。
名前を覚えてもらえようと必死に笑いをとってアピールする者。
いかに自分が有能かを話アピールする者。様々だった。
俺はというと、気の利いた自己紹介なんて出来る訳もなくナイトレイのように名前だけ告げて座った。
天野先生は俺にもっとなにかあるだろうという目をしてきたが無視した。ないものはない。
「ふふ、じゃあ、次は折角の会だからドル科の生徒たちに歌って踊ってもらうねーナイトレイさんもしっかりやってくださいね」
ナイトレイを一旦睨むと、藤沢先生はスマホを取り出すと楽曲を探しているのか指で操作し始めた。
アイドル科の面々は事前に聞いていたのか速やかに立ち上がり、お互いが邪魔にならないように距離を取り合った。
マネージャー科の人間たちがまたペンを取り出す。
これは結構重要な機会かもしれない。アイドルにとってダンスと歌は絶対に必要なものだ。
『輝石学園劇場』で俺が見たアイドルは誰もが歌が上手かったし、ダンスも相当練習しているのがわかった。
これは袖浦の実力が見れるチャンスかもしれない。またあの時のようなダンスが見れるだろうか。
そういえば人前に出ると上がって踊れなくなると話していたな。俺は袖浦に目を向ける。
そこには思いつめた表情をしている袖浦が立っていた。上がっている、という感じではなさそうだ。
簡単に言えばなにかを恐れているように見えた。
顔を真っ青にして今すぐに吐き出しそうになっている。大丈夫かよ。なんだか今の袖浦には異常なよう気がする。
「準備はいいかなー?」
それから藤沢さんがカウントダウンを開始すると、音楽が鳴り始めた。
全員が一斉に踊りだす。綺麗に揃ったダンスだ。
おそらく全員で踊るのはこれが初めてだろう。それなのにも関わらず一人を除いて誰も乱れずに踊っている。
その、一人というのは袖浦だった。ダンスは覚えているようだが、周りと全然合っていない。
一秒、二秒前の振りを後を追うように袖浦は踊っている。
それではダメだとなんとか対応しようと袖浦は試みたようだが、今度は先の振りを踊ってしまう。踏んだり蹴ったりだ。
その口はなにかをぶつぶつと呟いているが、こちらには聞こえない。
ただ、相当追い詰められているのは一発でわかった。
すると、全員が一斉に歌いだした。誰が誰の声なのか把握は出来ないが、袖浦は間違いなく歌っていない。
ダンスに必死なのか歌を忘れているようだった。俺はほかのメンバーに目を向ける。
ナイトレイはさすがというべきなのか、笑顔でしっかりと踊りと歌で存在感を示している。その風貌はまさしくアイドルだった。
田中が押していた星宮も余裕を感じさせる動きで、全体の中ではなかなか目立っている。
曲が終わると、ピタッと全員が静止をする。なんとかそこは袖浦も合わせる。
マネージャー科の生徒たちから拍手が上がった。アイドル科の皆は達成感に満ちた顔をしていた。袖浦はというと俺と顔が合うとすぐに逸らしてしまう。
「一人を除いて皆様お疲れ様でしたー」
藤沢先生の発言に苛立ちを感じた。わざわざそれを皆が見ている前で言う必要があっただろうか。
「ねぇー芽衣ちゃーん。どうしてちゃんと踊れなかったのかなー? 周りの皆の足を引張てたんだよ? これがライブだったら戦犯ものだよー」
おっとりとした喋り方なのに言葉にはトゲがある。
「すみません……」
「皆一生懸命ダンスをやってるんだよー? 一人だけそんなんじゃ周りの人が可哀想だよー」
「はい……ごめんなさい」
「はいー。ごめんなさいー。すみませんー。ははは、それだけ言うのは簡単だよねー。なにも考えてない証拠かなー?」
袖浦は今すぐにでも逃げ出しそうな顔をする。だが、ギュッとスカートの裾を掴んで耐えている。
自分の不甲斐なさに嫌気が差しているのかもしれない。だが、あの藤沢って教師も言いすぎな気がする。
袖浦の実力を知らないくせになにを言っているのか。
「あの……」
と、考えた瞬間に思わず言葉が出てしまった。俺はしまったと口を抑える。天野先生を含めて全員の視線が集まる。やってしまっただろうか。
「……なにかなー?」
藤沢先生は水を差されイラついているのか俺を睨むように見てきた。
「い、言い過ぎじゃないっすか? こんなマネージャー科の人間がいる中でボロクソ言うなんて公開処刑じゃないですか」
袖浦は俺にそんなことを言って欲しくないのか、周りに気づかれない程度に俺の目を見ながら顔を左右に振った。
だが、もう言ってしまったのは取り返しがつかない。俺は袖浦に安心しろと目で訴える。
藤沢先生は俺を値踏みするかのような視線を向けてくる。そして、すぐさまなにかを考え始めた。
しばらくすると、俺と袖浦を交互に見てから、納得したように一人で頷いた。
今の一連の間はなにを意味するものだったのだろうか。
「言い過ぎじゃないか……だったねー。でもねー。このくらいの罵倒は芸能界では日常茶飯事だよ。むしろ私レベルの罵倒に耐えられないなんてやめたほうが賢明だよー」
「だからって今やる必要はあったんですか? あんなの学校の授業で言われるようなものじゃないっすよ」
「授業? なにを勘違いしているのかなー? ここは学校であって学校じゃないんだよー。皆はまだ研究生だけど、少しすれば大人の世界に放り込まれる一人の社会人になるわけでー。これからさきもっと酷い罵倒をたくさん受けると思うよ。学校の授業で言われるようなことじゃないってそんな甘い考えを持っているんだったら即刻転科したほううが身の為かなーって」
俺は続く言葉が出てこなくなる。そうだ。確かに俺たちはただの学生じゃない。
プロフェッショナルとして、高校生のときから活動しなければならない人間だ。
これから先辛いことや逃げたくなること、藤沢先生のように大人から罵倒されたりするだろう。
このくらいは耐えなきゃ続かない。その通りだった。
悔しいが藤沢先生の言う通りなのかもしれない。俺は拳を握り締めた。
「大元君さー特別に見られているからってなんでもかんでも好き勝手にやらないほうがいいよー」
藤沢先生の発言に全員が首を傾げた。
待て、どうしてそれを言ってしまうんだ。確か内緒にするはずじゃなかったのか。
俺がもうすでにホープスターに在勤しているのがばれたら周りから針のむしろにされかねない。
「特別に見られている。それは悪いほうにだけどな。ブービーで入学してきて口だけはいっちょ前。それは特別に見られてしまうだろう」
天野先生は笑いながらそう言った。マネージャー科の生徒たちがくすりと笑う。隣にいる田中は腹を抱えて必死に笑いを堪えていた。
天野先生の言葉だけ聞けば俺を馬鹿にしているようにしか見えない。ただ、これは天野先生からの助け舟だ。
「さて、そろそろ時間だ。皆教室に戻れ。ドル科の生徒もな。大元はここに残って説教だ。確かにお前はなんでもかんでも言いすぎている」
藤沢先生はまだ言い足りないのか不服そうに俺の顔を見ていたが、すぐにアイドル科の生徒たちを引き連れて教室に戻った。
途中で袖浦が心配そうな視線を送ってきたが、すぐに消えていった。
マネージャー科の生徒は神谷愛先導の元に教室へ向かっていく。多目的ホールには俺と天野先生だけが残った。
「言いたいことはあるか?」
「……すみませんでした」
「大元、お前はまだ若い。だが、耐えるのを覚えろ。相手が藤沢先生だからよかったが、これが取引先なら取り返しがつかない事態になっていたかもしれないんだぞ」
「そうっすよね……」
「それにお前の存在は面倒だ。目立つな、とは言わん。ただ悪目立ちするのは避けろ。いいな」
「うす」
「返事は、はいだ。次にちゃんとした敬語を使わなければお前の転科を考えるからな」
「しょ、承知しました……」
天野先生はそれだけ伝えると多目的ホールから出て行く。天野先生は冷たいように見えて意外と、俺のことをしっかりと考えてくれているのかもしれない。
堪えろ、か。でも、あんだけ袖浦が言われるのは耐えられなかった。
結果的には藤沢先生の言い分に反論ができなかった。あの人はあの人なりに袖浦と正面から接しているのかもしれないな。
今日のこのあとの出勤は憂鬱なものになりそうだった。