動き出した何か
「変わりませんよね。」
夜、とある宿の一室、突然聞こえたその言葉にラストは好物の菓子を食べる手を止め、少し離れた所に座る男に目を向けた。
声の主であるワカは窓の外をじっと見つめ、何かを考え込んでいるようだった。
「フレッドさんの事ッスか?」
先ほど少女に呼び出されて部屋を出ていった少年の事を思い出し、そうだろうか、と疑問に思う。
ラストとはあまり接点がなく深い話をしたことは無かったが、彼は数週間前にあった大きな戦いを境に変わったように感じる。以前まで纏っていたピリピリとした空気がどこか柔らかくなった。決して気が緩んでいると言うわけではなく、周りを見る余裕が出てきたのだとラストは思う。それは彼が本来持つ、真っ直ぐな心と優しさをより表面化させた。
「あ、それともルノさん?いやでも……。」
次に少年を呼びに来た少女を考える。しかしやはり納得は出来ない。
部隊が同じである彼女とは戦場ではもちろん、プライベートでも随分世話になっている。そんな彼女はあの戦いの後、酷く落ち込み傷付いたと聞いていた。その原因は未だに教えて貰ってはいないが、それが彼女の中で何かに気付くきっかけとなったのだろう。具体的に言葉に出来るような大きな変化ではないけれど、確かに変わった。彼女の花咲くような笑顔を見て、ラストはそう感じていた。
「……うーん……なんの事ッスか?」
「……。」
「ねぇ、ワカさーん?」
考えてもわらかずワカに答えを求める。しかし彼は相変わらず窓の方見つめたままで、返事をすることもラストを振り返る事もなかった。
自力で考えろってことか、そう思ったラストはそれ以上声を掛けるのを止め、手に持った菓子を再び頬張りながら考え始めた。
「……貴方の事ですよ。」
暫くの間これ以上の会話は無いと思われていた空間に、ポツリと声が落とされる。その言葉がさっきの自分に対する答えだと理解するのにラストは少しの時間を要した。
「……オイラ?」
「あんな事があったのに、変わらない。」
「うーん、そう言われても……。」
「……あの時、なんで来たんですか。」
死にたくない、そう言って咽び泣く男の姿をワカは鮮明に覚えている。いつも腹立つほどにヘラヘラと笑い軽口を叩く姿はそこにはなく、口からは押さえきれない嗚咽がもれ、普段はゴーグルで隠されている光の閉ざされた瞳は涙で濡れていた。
そんな彼に戦うのは無理だと判断し、その後の波動砲破壊の計画からは外した筈だった。なのに彼は来た。あの時、ワカがかつての上官であったイルギーニに追い詰められ死を覚悟した時、助けられた。いつも通りのムカつく笑みを口許に浮かべた、彼に。
「死にたくないんじゃなかったんですか。」
二人の目が合った。相変わらず視線は窓に向けられたままだ。ラストはそこで初めてワカが窓の外ではなく、最初から窓に映る自分を見ていたことに気付いた。
「どうして、変わらないままあそこに来れたんですか?」
「……変わらないように見えたッスか?」
ラストの瞳が窓越しにワカを貫く。
ゴーグルに隠れて見えていない筈なのに、ワカはその感覚を敏感に感じ取りほんの少し身を怯ませた。
「怖かったッスよ。死にたくなかった。ホントはあの場所から今すぐに逃げ出したいって、思ってました。」
「じゃあ、」
「ワカさんがそこに居たから。」
何故、そう続けようとしたワカの言葉は遮られる。
「このままだとどうせ死ぬんだ、あんたも、僕も。……って、ワカさんオイラにそう言ったじゃないですか?」
「言いましたけど……。」
今考えると死を恐れる人間に向かっていう言葉じゃなかった、とワカは思う。でもあの時は自分もそれほど切羽詰まっていたのだ。混乱していた。だからあんな喧嘩腰の言葉しか返せなかった。
「それが、何なんですか。」
「……自分が死ぬよりも、ワカさんが死ぬほうが怖かった。」
「は……?」
「だから追いかけたんッスよ。アナタを死なせない為に。」
思わず振り返る。真剣な声色とは裏腹にラストの口は柔らかな弧を描いていた。
ワカは顔にカッと熱が灯るのを感じ、早足でラストの元へ近づくとゴーグルを力任せに奪い取った。
「ちょっ!?え、ワカさん!?」
「うるさい!何なんですかそれ!」
「えぇ!?な、何ってそのまんまの意味ッスけど!?」
「そういうのは普通、好きな人とかにいう台詞でしょう!」
「オイラ、ワカさん好きッスよ?」
「そうじゃなくて!」
いまいち要領のないラストに思わず口調が荒くなる。
「あんたは別に僕とキスしたりセックスしたりしたい訳じゃないだろ!?」
「セッ……!?」
その言葉に今度はラストが耳まで真っ赤にし、両手で顔を覆う。
「ち、違っ、そういう意味じゃなくて!」
「じゃあ紛らわしい事言わないでください!」
「ご、ごめんなさいッス~!」
ハァ、ハァ、とお互いの荒い息づかいが部屋に響く。
男二人で何やってんだ、ワカがそう思い奪い取ったゴーグルをラストに投げてシャワーでも浴びようと背を向けた瞬間、やけに熱い手に腕を捕まれた。
振り返ると火照った頬はそのままに、困ったように眉尻を下げるラストの表情が目にはいる。
「でもその、本気でそう思ったから……それだけは、わかってほしい、です。」
そう言うだけ言うと腕を離しうつむくラストに、それはどういう意味だ、と聞き返す元気は今のワカにはなかった。