転
水の星マリレにある3つの国のうちの2国、
モンフォールとアドラータの間の群島海域は
プライベートアイランドの管轄である。
ただ、その海域の西の端にポツンと離れた
アデルモ島を唯一の例外としていた。
現在アデルモ島は、アシュリーの報告によって
密かに衛星による厳重な監視下に置かれていた。
そのアデルモ島にある隠し倉庫の管理室らしい
手前の小屋にある部屋で、
エスゲイ・ビドゥは愛用のヘラを片手に
大きな熱帯魚の水槽にへばりついていた。
しばらく手入れできなかったために大事な水槽に
しつこいコケがのさばってしまっていたのだ。
「……くっそぉ、ちょっと目を離すとすぐこれだ。
俺の大事な熱帯魚ちゃんたちの住環境、
最悪じゃねぇかよ。」
柄のついた小ぶりの網で剥がれたコケを
何度もすくい取ってバケツに捨てる。
「定時の連絡もよこさねぇなんてな、
奴らしくもねぇ……」
ぶつぶつ言いながら網をヘラに持ち替えて
更にコケをガシガシ剥がしとる。
「……なんでもかんでも適当でいい加減なのに、
妙に定時連絡だけはきっちり真面目で」
再び持ち替えた網で
目立つコケのかけらをあらかたすくうと、
サイフォン式の逆流させない工夫のあるホースで
水槽の底のほうから汚れや細かいクズも
水と一緒に吸い出す。
水量を加減すれば水槽の底の小石や砂が巻き込まれて
煽られるようにホースの中に吸い込まれるが、
そのまま小石や砂だけ再び
ホースの先から水槽に戻っていくのだ。
「欠かしたことなんてなかったってのに、
……おい、ダァト!
てめぇ、どこで何してやがんだっ!! ……くそっ」
水槽の底を一通り吸い取ったら
今度は一段高い棚の上に置いたバケツから自作の海水を、
ホースを逆に使って水槽に入れていく。
浅いうちは特に慎重に、水槽の中を荒らさないように
細心の注意を払って水を元の量まで足していく。
「……明日にでも、ひょっこり帰ってきやがったら、
あの野郎、ボッコボコにしてやるからな」
きれいになった水槽をチラッと見やるとフンと鼻を鳴らし、
バケツと水槽のお手入れセットを持ってドアから外に出た。
と、胸ポケットが震える。
着信だ。
バケツを置くと急いで出る。
「てめぇ、今まで何してやがった! ……あっ?!
すんません。てっきりダァトの奴かと……。
はい、まだ何の音沙汰もなしで。
……まぁそうなんすが、連絡だけはマメな奴なもんで、
ちっとばかし捜しに行ってみようかと。
……いや、でもっ! ……あ、はい。……わかりやした。
はい……」
携帯電話を胸ポケットに入れると
足元のバケツを持ち上げた。
「……ちっ。
子供じゃないなんて、当たり前のこと
言ってんじゃねぇってんだよ。
全部が全部いい加減で適当な奴だが、
定時連絡だけはきっちり欠かしたことなんて
無かったんだって何度言っても判りやがらねぇ……。
何かあったに違いねぇんだ。
今夜の定時連絡が無かったら、
何と言われようが俺は動くぞ。
……島空けるな、なんてそんなもん
知ったことかっ!」
ビドゥは桟橋の端まで歩いていくと、
バケツの中身を海にぶちまけた。
さて、時は少しばかり溯る。
奈落に向かって滑り落ちていったアシュリーは
意表を突かれ過ぎて、一瞬呑気な思いを浮かべてしまった。
なんだ、これは?
……ダストシュート?! うそだろ……。
探査系に特化しているアシュリーのPCFには、
ダストシュートは当たり前の設備過ぎて
危険物認識されなかったらしい。
サイズ指定しておくべきだったか……。
一瞬の反応の遅れは致命的なミスに繋がるのだが、
ここの微妙な角度のある穴は思いの他長さがあったので、
アシュリーには幸運だった。
PCFに下の様子を探らせ暗視対応させておく。
穴の下には大きな空洞が広がっていると判った。
装備を取り出して握る。手持ちは5個。
空間に投げ出される前に指示できた。
“自由落下移行後、着地点指示”
滑ってきた穴から広い空間に放り出される。
緑がかった闇の中にPCFは赤い人型を表示した。
それに向かって一個ずつ僅かな間隔を取って投げつける。
ボンッという鈍い音が立て続けに重なった。
ボンッ、ボ、ボ、ボ、ボンッ!
途端にアシュリーは薄いスポンジの膜で出来たような
直径1センチほどの泡の大きな塊を、
縦に5個積んだ上に突っ込んだ。
アシュリーが投げたのはバブルボム。
狭い通路で投げつければ一瞬で無数の泡が膨らみ
通路を数メートル塞ぐ。
力任せに強引に突破しようとしても
結構抵抗があって意外に時間がかかる、
という程度のものであった。
もちろんエアバッグのような強度もない。
小さな抵抗の積み重ねを最大に活かすため
精一杯手足を広げて伸ばした。
と、泡の塔に一瞬受け止められた。
が、一気に潰れていく。
すぐに身体を捻って足からの着地を試みた。
衝撃はかなりのものだったが直ぐに頭をカバーしつつ
上体を逆向きに捻り、脛から細かく接地しながら
衝撃を逃がすようにゴロゴロと勢いのまま何度も転がった。
地面に投げ出されるように止まった後、
しばらく寝転がったまま手足を伸ばして荒い息をつく。
ギリギリだったな……。
裏の仕事の時よく使用する
瞬間的な圧力にはとても強い素材の服がなかったら、
そして、バブルボムが何個か少なかったら
ダメだったかもしれない。
角の尖った岩がやたらに多いこの場所で
生身の身体が吹き飛ばされたように激しく転がったのだ。
それだけでズタズタに切り裂かれていても
不思議は無かった。
打ち身や目立つ裂傷、擦過傷などの
応急処置を手早く済ませる。
幸いにも命に関わるような大きなダメージはなかった。
傷は多いが回復力の高いアシュリーにはかすり傷だ。
……さてと。
ここは、鉱山の資料を見たときに記載があった
鉱山の手前地下に広がる空洞だろう。
空洞が見つかった時、調査が入っている。
出入りした通路があるはずだが、
無ければ今の穴からか……。
とにかく、一回り調べてみるか。
落ちてきた穴の位置をPCFの描き出す地図上にマークして
アシュリーは歩き出した。
ふと、リコシェの笑顔が浮かんだ。
……今日は会いに行けそうもないな。
ここから何としても生きて帰らねばならない。
それにしても、と、アシュリーは思った。
通路いっぱいのダストシュートは
やっぱり危険だと思うがなぁ。
迂闊だったな……。
PCFの暗視機能で緑がかって見える地下の空間は
奥が見通せない広がりだ。
しばらく歩くと、
かつて巨大な結晶が存在していたらしい場所にでた。
一部元の形をとどめる結晶の根元の巨大さに圧倒される。
倒れて崩壊した結晶の欠片が膨大に積み重なっていて、
結晶のかけらを踏んで歩くと、
更に小さく割れているようで
一足ごとに透明な破裂音が響く。
……パキッ、パキッ、ピキッ、ジャキッ……
儚いが美しい音だと思う。
なぜか耳に心地良い。
……彼女ならきっと好きな音だとも思う。
この地下もとても興味深く楽しむに違いない。
こんなことを言っていると、
きっとまた呑気だと叱られるだろうけれど。
この地下を開発しようとしていないのは、
おそらくこの結晶の成分が
とりあえず必要な物ではなかったということだろうな。
結晶の欠片で出来た斜面を登る。
登る端から足元が崩れてずり下がる。
シャララララ…… シャララララ…… シャララララ……
音はとても美しいのだが、これは大変だ。
一歩登るのにほとんど半歩以上
ずり下がってるじゃないか……。
やっと登って見渡すと、
大小の違いはあるが欠片の小山が延々続いている。
ここを踏破するには時間と労力が
どれほどあっても足りないだろう。
身近に砂漠のある環境で育っても、
砂の斜面とのあの違いを体験すれば
おそらく誰でも途方にくれる。
砂に比べると結晶の欠片の斜面を登るのは苦行に等しい。
……ああ、足腰の鍛錬にはとても良さそうだが。
出入りのルートが確定したら、
そのうちレイモンドを誘って
一緒に鍛錬に来てもいいな……。
最初に落ちた地点とはあまりにも違う光景が広がっていて
アシュリーは気付いた。
瓦礫だらけのあの地点が異質なのだと。
あのダストシュートから
不要な岩を手っ取り早くここへ捨てていたのだ。
相当量の不法投棄であの一帯だけ
すっかり様子が変わってしまっていた。
もしかしたら、
ダストシュートは一個ではないのかもしれない。
これだけでも
かなり重大な違反行為だぞ、ケネス・ヴィヴァース。
うーん、それにしても、この調子で歩いていくのでは
端まで行くのに何年もかかりそうだ。
仕方がない。
アシュリーは全装備を手早く外す。
引っ張り出した袋にすべて詰めて、袋のヒモを首にかけた。
次の瞬間、ドラゴンが地下空間に飛び立った。
大きな空間だが高さが一定ではないので、
できるだけ地面すれすれを飛んだ。
すると、PCFの探査が一気に進んだ。
地下空洞最奥には、
水の溜まっている一帯がかなり広くあって
水中には大きな結晶がたくさん見えた。
水深はかなり深そうだ。
いずれ機会があったら水中も調べてみたいものだが、
今は外界への出口を探すのが最優先事項だ。
更にしばらく飛んだ地点に、縦に走る亀裂を見つけた。
亀裂周辺には足跡らしき痕跡がある。
ここかもしれない。
アシュリーは人型に戻ると、
急いで身支度を整えて亀裂に入った。
しばらく進むと行き止まりになった。
が、裂け目は頭上に続いている。
アシュリーは岩の裂け目を登り始めた。
慎重に岩を掴み足がかりを探って
足の力で身体を上げていく。
10数メートル登ったあたりで
横に入れそうな裂け目があった。
PCFの地図上に分岐のマークをつけて
横穴を調べる事にする。
横穴は数メートル進んだ所で
完全に行き止まりになっていたので
すぐ元の縦の裂け目に戻り、再び登り始めた。
一つ一つ確認しながら道を探る。
見落としたところが、もしも唯一の地上との接点だったら
と考えると慎重にならざるを得ない。
もっとも、落ちてきた穴があるが場所は遥か頭上だし、
多少角度はあるとはいえ垂直に近い長い縦穴だ。
更にダストシュートなのだから、
登っている間に上から何か落ちてくる可能性は大きい。
それもおそらくは瓦礫だろう。
できれば、あのダストシュートを登るのは避けたい……。
アシュリーの生存をかけた探索は始まったばかりだ。
深夜、アデルモ島で。
再び定時連絡の時間が来て1時間が過ぎ、2時間が過ぎた。
島は静まり返って人の気配はない。
ビドゥは既に空港に来ていた。
ルベに渡るには朝一番の宇宙便を待つしかない。
空港の座り心地のいいベンチで背中を丸めながら、
近頃何やかやと文句を言い立てていた
ゴールズワージー鉱山の
特級鉱山技官の顔を思い浮かべていた。
あまりしょっちゅう見る顔ではなかったが、
それ故かその変わりようは激しく、
罠にはめられて堕ちていく一般人の中でも際立っていた。
奴は結構いい報酬を貰ってたはずだ。
自分の裁量でホンのちょっと物を動かすだけで
濡れ手に粟だなんて、
俺に言わせりゃこんな楽な仕事はねぇんだが、
そいつが不満だなんてなぁ俺にゃあわからねぇ感覚だ。
わからねぇが、確かに、
嫌な仕事をおっつけられて
嫌でも何でもやるしかねぇって破目に
落ち込んじまったって気分ならよくわかる。
たぶん、そういうこったろう。
だが、それと俺の相棒があの鉱山へ行ってから
行方不明になったってのは
全くもって関係ねぇ。
朝一番の宇宙便でルベに飛んだら、
すっとんでってキリキリ締め上げてやるから覚悟しとけ。
俺は相棒みてぇに優しくはねぇからな……。
ビドゥはまんじりともせずに夜を明かすと
その日最初の便でルベに向かって飛び立った。
ゴールズワージー鉱山のケネス・ヴィヴァースは、
二日酔いで痛む頭とムカムカする胃を抱えて唸りながら
私室のソファに転がっていた。
見るともなしに室内をぼんやり見まわしていて
何かが気になった。
……なんだ? 判らない。
一度目をつぶってから改めてもう一度室内を見回す。
……やっぱり判らない。
だるい身体を無理やり起こして立ち上がった。
とにかく気分を変えたくて、
いつものようにお気に入りのノートを引き抜いて
パラパラめくると、なぜか中身が違った。
驚いて表紙を確かめると、表書きが違う。
これはいつものノートではない。
間違えて別のノートを抜いたのかと
ノートの並ぶ棚を見ると、
いつものように3冊目に隙間があった。
慌てていつものノートは?
と見るとすぐ隣の4冊目にあった。
ああ、ちゃんとあるじゃないか。よかった……。
持っていたノートを棚の隙間に戻そうとして、
ふと気付いた。
……ノートはいつも隙間に戻すのだ。
抜いて、戻す。
抜いたら隙間が開いて、開いている隙間に戻す。
だからいつも同じ場所にいつものノートがあったのだが、
今いつもの場所から抜いたノートは別物だった。
いつも3冊目にあったお気に入りのノートが
3冊目になかった……。
ケネス・ヴィヴァースは激しい吐き気に襲われて、
手近のごみ箱をひっつかんで吐いた。
……誰かがここに入り込んだのか?
ここは私の部屋だぞ!
私の許可なしに勝手に入っていい場所じゃないんだ。
安心して寛げる自分だけの部屋が、
不快な酸っぱい臭いが立ち込めたことも相まって
突然見知らぬ場所に
変異してしまったように思えてしまった。
逃げなければ。急いでここから逃げなければ!
手近な持ち物を手当たり次第に旅行カバンに詰め始めた。
2個目のカバンもパンパンになって
まだ入りきらない荷物がある。
ヴィヴァースはしまい込んでいた
古いカバンも引っ張り出した。
プライベートアイランドへ行った時に使ったカバンだ。
複雑な思いで一瞬カバンを見つめたが、
気持ちを振り切って荷物を詰め込んだ。
詰めきれなかった服は重ね着した。
着膨れた上に街着のコートを着て、
更に雪山用の防寒着を無理やり着込んでベルトで締めた。
大きなカバンを3つも持ってダルマのように膨らんだ姿で
鉱山管理棟を出て登山電車の駅に行き、
上りのホームで電車を待つ。
一つ上の駅からは3方向に線路が伸びていた。
直ぐ山を下るのではなく
登ってから一番早い電車に乗り換えて山を下ろう。
行き先は電車にまかせて行けばいい。
しばらくすると、上りの電車がやってきた。
ホームに着いてドアが開く。
すると、目の前にネズミが立っていた。
ヴィヴァースは驚いて卒倒しそうになったが、
何とか踏みとどまれた。
「よう! 久しぶりだな。どこへ行くんだ?」
日記にネズミとして書いていた男、確か名前は……、
そうだ! セルゲイ・ビドゥだったはず。
「……いや、その、ちょっと」
「えらい大荷物じゃねぇか。
後で手伝ってやるから、ちょっとでいいんだ。
顔貸してくんな」
「わ、私は急いでいるから、この電車に乗らなければ」
「まだ夏ダイヤだし、次はすぐ来るさね。
さあ、鉱山に戻るぞ」
そう言うとビドゥはヴィヴァースの腕を掴むと
強引に向きを変えてグイグイ引っ張って歩き出した。
「いや、私はこの電車に……」
必死に振り返ったヴィヴァースの数メートル先で
無常にも電車の扉は閉じ、発車していった。
「こんな所で騒ぎを起こしたくねぇだろ?
お偉い特級鉱山技官さんよ。
素直に言う事聞いとくのが身のためだぜ。
……わかったら、人に面倒かけずに
キリキリ歩きやがれ」
ビドゥが耳元でドスを利かせた低い声で囁く。
着膨れた服の上から掴まれている腕が痛い。
ヴィヴァースは逃げ場を失って
トボトボと鉱山に向かって歩き出した。
しばらく重いカバンを引きずって歩いていたが、
指が痛くて重さのかかる場所を変えようと
グイッと引っ張った拍子に留め金が外れ、
道端にカバンの中身が派手に散らばった。
ヴィヴァースは開いたカバンをその場に捨てると、
中身も皆そのままに残りのカバン2個だけを
引きずって行こうとしたがビドゥに止められた。
「……おい。荷物拾ってけ」
「もう、いいんだ。
……そんなもの、放っといてくれ」
「てめぇ、ふざけてんじゃねぇ!
てめぇの荷物がどうなろうと
俺の知ったこっちゃねぇけどよ、
こんなもんココにホッタラカシにされたら、
如何にも何か事が起きてるみてぇじゃねぇかよっ!
1分やるから一つ残らずカバンに詰めろ。
モタモタすんなっ!」
ヴィヴァースは怒鳴られて、
大慌てで散らばった物を拾い集めて
カバンに詰めようとした。
着膨れた服が邪魔して身体を曲げづらく
地面に落ちた物をなかなか拾えなかったが、
それでも必死に拾い集めてカバンに詰めた。
汗と鼻水でぐしょぐしょになりながら
滅茶苦茶に詰めたので
カバンの上に乗らないと閉められなかったが、
何とか留め金をかけて立ち上がろうとした時に
カバンの陰に
鉱山の仕掛けのリモコンが落ちているのに気付いた。
こんなものまでカバンに詰めていたのか……。
ヴィヴァースはその物騒なリモコンを
そっと手の中に握りこんでカバンを引き起こした。
そして、重いカバンを3つとも引きずりながら、
とうとう逃げ出そうとした鉱山管理棟に
戻ってきてしまった。
「……引き留めちまって悪かったな。
今回俺はいつもの仕事で寄ったんじゃねぇんだ。
ちょっとばかしお前さんの話が聞きたくてな。
……この頃、俺は全然眠れなくて困ってるんだ。
それを何とかしたくてよ」
「……不眠の相談されても私は医者じゃないから、
どうしようもないんだが」
「そんなことはねぇ。
たぶんあんたにしか治せねぇと俺はふんでる」
「何を馬鹿な……。あ、そ、そういえば亡くなった母が
眠れない時には蜂蜜を入れた
ホットミルクをつくってくれたもんだが、
あんたに効果があるかどうかはわからない……」
いきなりビドゥの気配が凶暴に変わった。
側の椅子を蹴り飛ばす。
激しい音をたてて椅子が吹っ飛んだ。
「母ちゃんのホットミルクだぁ?!
てめぇ、穏やかに聞いてやろうと思ったが
もう止めだ。舐めやがって!
判んねぇならはっきり言ってやるっ。
……俺はな、相棒をどうしたのか
てめぇに聞きに来たんだ。
それ以外の返事は要らねぇ!」
ヴィヴァースは震え上がった。
「……わ、わ、わた、私は、し、知らない……」
「そうか。
……んじゃ、選べ。
足の爪と手の爪と歯のどれが好みだ?
好きな所から抜いてやるぜ」
ビドゥはそういうと吹っ飛んでいた椅子を拾ってきた。
ヴィヴァースをドンと突いてその椅子に座らせると、
手近にあった何かのコードでヴィヴァースごと
椅子をぐるぐる巻きにした。
「ちっ、しまった。ペンチを忘れてきちまったぜ。
……しょうがねぇ、
このドライバーを突っ込んで剥がすか」
そう言ってビドゥがヴィヴァースの目の前に
ドライバーをちらつかせながら
ぐるぐる巻きのコードの隙間から手を掴んで引っ張った。
すると、途端にヴィヴァースは叫び始めた。
「うわあ、やめてくれぇ。
あの人は値打ちの鉱石を取りにいって
落盤にあったんだよぉ。
私のせいじゃないんだ。
助けてくれぇぇぇ」
「なんだと?!
てめぇ、それで助けもしねぇで
見殺しにしたってのか!」
「あの落盤じゃ助からないよぉ。
……それに私は、あんたたちが怖かった。
事故にあったなんて言ったら
何をされるかと思うと、怖くて怖くて……」
長い事ビドゥは黙っていた。
あまりに静かなのでヴィヴァースは恐る恐る声をかけた。
「……あ、あのぅ」
「……現場はどこだ。案内しやがれ」
「はいっ。すぐに……。
あの、これ、ほどいて貰えますか?」
「あ、ああ……」
自由になったヴィヴァースは着膨れていた服を脱いだ。
雪山用の防寒着を脱いで横に置き、
重ねて着ていた街着のコートを手始めに
どんどん脱いでいった。
やっと普通に戻った所で
横においていた雪山用の防寒着を着た。
ポケットに例の仕掛けのリモコンが入っている。
「ああ、やっと普通に動けるようになった。
……やれやれ」
ヴィヴァースがスッキリした顔で汗をぬぐっていると、
ビドゥが静かに言った。
「さぁ、案内しろ……」
「はい、こっちです」
坑道に入って分岐を幾つも過ぎた頃、
灯りがジージー音をたてている横穴があった。
「あ、ここ。ここです」
「……そうか。
それじゃ、奴を迎えに行くぞ。先に行け」
「え? 私はちょっと……」
「ちょっと何だ」
「あ、あの、その……、
あ! そうそう、道具を取りに行って来ます。
きっとかなりの量の瓦礫を
どけないといけないでしょうから。
だから、あなたは先に行っててください。
すぐ取ってきますよ」
「わかった」
ヴィヴァースは内心ほくそ笑んで
ビドゥが穴に入っていくのを待ったが、
彼は突っ立ったまま動かない。
「……あの、どうしたんですか?
穴に入らないんですか?」
「俺も一緒に道具を取りに行ってやるよ。
どっちにしろ道具無しでは
大したこともできないだろうからな」
「そ、それもそうですね。それでは一緒に行きましょう」
ヴィヴァースはイライラし始めた。
なんでコイツはさっさと穴に入っていかないんだ!
一人で穴に入って行きさえすれば
一瞬で始末がつくのに……。
ポケットの中のリモコンを撫でる。
鉱山の採掘は既に
人力で掘る事はほとんど無くなっているが
細かい作業用に昔の道具が僅かに残されていた。
その中からスコップとつるはしを2本ずつ、
あと、瓦礫を積んで移動させるための
坑道用自動運搬車を2台用意した。
さっきの坑道には落盤はない。
ヴィヴァースは準備しながら
忙しく考えをめぐらせた。
準備を済ませたヴィヴァースは
今度は本当に落盤させた例の坑道へ案内した。
「む? ここはさっきの穴とは別の所のようだが?」
「いえいえ、とんでもない。さっきと同じ場所ですよ」
そう言いながら、さっさと自分から穴に入っていく。
「……そう、だったかな……」
ヴィヴァースの後に付いてしばらく行くと
瓦礫が散乱し坑道が塞がった落盤の跡に着いた。
「ここかっ! ……今助けてやるからな」
ビドゥは瓦礫をスコップで山盛りすくっては
坑道用自動運搬車に積む。
内心は嫌々ながらヴィヴァースも
せっせと、ただし少しずつ瓦礫を積んだ。
満杯になると運搬車は自動でどこかへ運んでいった。
すると、もう一台が交替ですぐ坑道に入ってくるので、
ほぼ休むことなく瓦礫を運び出す作業ができた。
何度か運搬車が交替した後で、
ヴィヴァースのブザーが鳴った。
「おや? 何かトラブルが起きたようです。
途中でひっかかったかな?
……すみません、ちょっと見てきますから、
気にしないで作業しててください」
「いや、俺も行く。
ちょっと休憩がてら付き合ってやるよ」
ビドゥは実のところ、ヴィヴァースを疑っていた。
一人で穴に入る事も残る事も絶対に避ける。
相棒は落盤事故にあったとヴィヴァースが言っていたが、
それが本当だという保証はない。
ダァトを取り戻したら、
奴を締め上げて本当のことを聞き出してやる。
とりあえず、それまでは調子をあわせておいてやるが。
気を抜くな。ここは奴の領分だ。
「え? そ、そんな……。大丈夫ですからどうぞ続きを」
「気にすんなって」
「……そうですか?
じゃあ、一緒に行きましょう」
坑道の分岐をいくつか過ぎたところで
瓦礫を満載した自動運搬車が停止していた。
小刻みにガタついて止まり
ガタついて止まりを繰り返している。
ヴィヴァースは自動運搬車のあちこちを点検して
頭を捻る。
「おやあ? これはおかしいですね。
特に具合の悪い所はなさそうですが……。
何か足元に咬んでいるのかもしれない。
ちょっと押してみますね」
ヴィヴァースがへっぴり腰で押すがビクともしない。
「ふぎゅーーーーっ! ひょおあぇぇぇぇーーーーっ!」
妙な声を上げて更に押すが、ぜんぜんダメだ。
イラついてきたビドゥは声をかけた。
「……ちっ、しょうがねぇな。
俺が押してやるから、ちょっとどいてろ」
「え? そうですかぁ? じゃあ、よろしくお願いします」
ヴィヴァースがどいた後にビドゥが手をかける。
瓦礫満載の自動運搬車だ。
ビドゥはグッと腰を入れると、
体重をかけて力いっぱい押した。
ずっしりとした重さに更に力を込めた時、
いきなり抵抗がなくなったと思った途端
目の前から自動運搬車が消え、
ビドゥは勢い余って前のめりに倒れ込んだ。
そして倒れ込んだ場所には地面がなかった!
「くそっ! しくじった」
ガラガラと派手な音をたてる瓦礫と
自動運搬車を追うように穴を落ちて行くビドゥは、
穴の縁からニタリと笑んで見下ろしている
ヴィヴァースに向かって叫んだ。
「てめぇ、もう許さねぇっ!
ぶち殺してやるから首洗って待っとけっ!!」
「嫌だねぇぇぇぇ。
あんたには二度と会いたくないんだよぉぉぉ。
さよならぁぁぁ……」
穴に垂れた四角い通路の一部が
カコンと元の場所に上がり、
何事もなかったかのように穴が塞がった。
ヴィヴァースは鼻歌を歌いながら
スキップして鉱山管理棟に戻った。
嫌な奴がやってきたら始末してしまえばいいんだ。
恐くてこれまでは言うなりになってきたが、
ゴリラもやっつけたしネズミも始末できた。
まだコウモリの奴が残っているが、
あいつだって片付けてやる。
私は優秀なんだ。
その気になればなんだって出来る。
鉱山管理棟のドアを開けると、
そこには物々しい制服を着た集団が待ち構えていた。
思わずクルッと向きを変えて鉱山に戻ろうとすると、
ガシッと肩を掴まれた。
向きを変えて鉱山管理棟に連れ込まれ、
鉱山へのドアは閉じられた。
「ゴールズワージー鉱山管理責任者で
特級鉱山技官のケネス・ヴィヴァースだな?
職務上の権限を利用し
国家に多大なる損害を与えた背任行為にて
告発を受けている。
只今をもって職務を停止することとし
身柄は国家によって拘束の上
取調べを受けることになる。
更に、殺人容疑もかかっている。
せめて潔く罪を認めて捜査に協力するように」
「そ、そんな……」
これはきっと何かの間違いだ……。
足に力が入らなくなって
へたり込みそうになったヴィヴァースは、
両側からがっちり支えられ
無理やり立った姿勢を保持させられた。
そして、引きずられるように連行されていった。
その日、捜査の過程で
自動運搬車の落ちたダストシュートが開かれると、
一羽のコウモリが飛び出した。
捜査官の中に一人、極端に虫嫌いな女性がいた。
いつでもすぐ使えるようにと
瞬間冷凍スプレーを携行していた。
異名を、早撃ちスノーレディ、という。
素早く動く黒いものに対する反応は
国内一との呼び声も高く、
競技会があれば優勝間違い無しの逸材だった。
早撃ちスノーレディは、
いきなり飛んだ黒い姿に瞬時に反応し、
美しいフォームで瞬間冷凍スプレーを的確に噴霧した。
百発百中、造作も無く打ち落として
片目でそっと確認する。
「なんだ、コウモリじゃないの。
ゴキブリかと思った……。
PCFの反応はないわね。タダのコウモリか……。
もしかして貴重な種類かもしれないから
生態観察用のタグスタンプを
押しておいたほうがいいかな。
とりあえず、踏まれないようにしとかないとね。
一応報告書にも書いて、…………これでよし」
コウモリはまだ凍っている。翼の端をつまんで、ぽいっと
もう一台の自動運搬車の瓦礫の上に放り投げた。
その後、地下空洞に捜査の手が入った。
ダストシュートの穴の下で、壊れた自動運搬車と
服が一揃い見つかったが何処にも死体は無かった。
だが、服からは前世紀で既にほとんど使われなくなった
携帯電話が壊れた状態で見つかった。
捜査官も初めて見る機械で
始めそれが何なのか判らなかった。
骨董品かと思われたが、
驚いた事に現役で使われていた事が判明し
捜査官らは色めき立った。
PCFがあれば携帯電話の出る幕はない。
ならば、例の団体にからむ事件なのかもしれず、
なかなか捜査の手が届かなかった闇に
何らかの手がかりが得られるかもしれない。
回収された携帯電話は厳重な警備の下で
捜査機関直属の研究所に運ばれ、
内部データの解析が行われる事になった。
数時間後、早撃ちスノーレディと呼ばれる捜査官は
コウモリを捕まえておけば良かったと
歯噛みする事になる。
自然解凍されたコウモリは
いつまでも同じところにジッとしてはいないのだ。
これに懲りた早撃ちスノーレディは
以後凍らせた獲物は全て収集袋に集めるようになる。
大嫌いだった虫がどっさり入った袋を
平気でぶら下げて歩く猛者に生まれ変わるのだった。
さて、リコシェ達はと言えば。
三日目ともなると流石に侍従たちは
霜焼けができたり関節が微妙に痛んだりで
氷河の上にはでられなくなっていて、
リコシェについているのはレイモンドと
女性護衛官のシャノン・ヤングで、
レイモンドの護衛官は少し離れた位置から
全体を見守っていた。
突然、リコシェが動きを止めて固まった。
リコシェとはアレクシア姫の愛称である。
「アレクシア、どうかした?」
レイモンドが怪訝な面持ちで尋ねると、
リコシェは唇に人差し指をあてる。
「……ほら、聞こえなかった?」
リコシェはくるくるっと辺りを見回して
何かを見つけると、喜色を浮かべて走り出した。
「うわっ! アレクシア、走っちゃダメだって!」
リコシェにはレイモンドの声は耳に入らなかった。
リコシェに聞こえたのはずっと待っていた、
ただ一人の声で。
「アシュリー!」
リコシェはにこやかに手を振るアシュリーに
全力で飛びついた。
「うわっ!」
リコシェを抱きとめたアシュリーだったが、
残念ながら足元はしっかり固まった雪の氷で、
滑らない底のブーツを履いてはいたが
全力のリコシェの勢いに勝てるほどの
氷面を掴む力はなかったらしい。
二人見事にひっくり返った。
それでもアシュリーは
下からしっかり受け止めて抱きしめる。
「ああ、アシュリー。無事でよかった……」
「遅くなってすまない。待たせたね……。
でも今は、ここまでかな?」
人目に触れる状況だった事など
皆吹っ飛んでしまっていたリコシェは
多少落ち着いてきてようやくそれに気がついた。
あまりの事に呆けていたレイモンドは、
我に返って数歩駆け寄ろうとした。
が、リコシェの飛びついた相手に気付いて足を止める。
「……まさか、叔父上?!」
リコシェが慌てて脇にどいたので、
アシュリーはさっと立ち上がって
リコシェに手を貸して立たせた。
「……ごめんなさい」
アシュリーは恥ずかしそうに俯いたリコシェの頭を
朗らかに笑いながらポンポンと軽く叩く。
「タックルを受けてまともに倒されたのは久しぶりだな」
そう言って少し屈むとリコシェの耳元で囁いた。
「失敗したと思わないで欲しい。
どれほどの想いで待ってくれていたか
良く伝わった。ありがとう」
リコシェは頬を染めてアシュリーを見た。
アシュリーがリコシェに微笑む。
ちょっと離れて立っていたレイモンドが
おずおずと声をかけた。
「……あの、叔父上。どうしてこちらに?」
「ああ、私は陛下のお使いだ。
アレクシア姫にお渡しするものがあってね」
「そうでしたか! それでは一旦ホテルへ戻りましょう」
レイモンドがリコシェに声をかけようと見ると、
さっきアシュリーはリコシェを立たせる時に
腕を支えていたが、
今は貸した手がそのまま繋がれている。
二人が寄り添って歩き始めて、
レイモンドははっきり理解した。
そういうことだったのか……。子ども扱いされるはずだ。
端から勝負にもならなかったな。
レイモンドは目立たないように、そっと空を見上げた。
その頃グランヴィル王城では、アレクシア姫のもとへ
アシュリーを使いに出した事に対して
王妃が数日に渡ってあれこれ言い募るので、
王はついに王妃を叱った。
「恋はあくまでも二人のものであって
傍の思惑でどうこうするものではないし
してよいものでもない。
数度の同行程度は目をつぶるが、
度を越す介入は私が許さぬ」
「……はい」
王妃が目に見えて落胆したので言葉を足した。
「いずれにしても、親の援助がなければ
己の恋もままならぬような不甲斐なさなら、
恋の相手としては端から相手にもされぬであろうよ」
「でも、あの子は……」
「己が身に置き換えてみれば良く判る。
私と出会った時、
私が親の手助けが無ければ何も出来ぬ男だったら
果たして恋に落ちたかどうかと」
王妃はしばらく考えていたが、
小さく息をついてこう言った。
「良く判りました。私が浅はかでした」
王は王妃の肩を抱いた。
「我が子を信じて見守るのも、
人の親としての役目であろうよ」
王妃は王の肩にそっと頭をもたせかけると小さく頷いた。
≪続く≫