ゴールズワージー鉱山
「ねぇ、アレクシア。 ……辛かったら横になる?」
「……いえ、大丈夫。こうしていれば平気だから」
座席にもたれながら額から目元にかけて
冷たいタオルをあてていたリコシェは、
次のゴールズワージー鉱山駅で、
あの危険な男が登山電車を降りて行ったのを、
脳裏に浮かぶPCFの地図上で確認した。
リコシェとはモンフォール第2王女、
アレクシア姫の愛称である。
以前、怪しい男達の尾行に気付いたリコシェは
必死に逃げるも執拗に追われ、
危ないところを運命的にアシュリーに救われて
事なきを得たのだった。
その時、アシュリーのオリーブの木の隠れ家で、
リコシェはその男達を
PCFのブラックリスト特別枠に設定していた。
タオルを僅かにずらして目で後姿を追うが、
すぐに姿は遠ざかり見えなくなった。
「……ここって鉱山駅よね?
鉱山のほかに何があるのかしら。知ってる?」
「え? ここはゴールズワージー鉱山と
関連施設しかないはずだよ。
だから、ここで降りる人は鉱山の関係者か
用事があってきた人か、どっちかだと思う。
そういえば、さっき一人降りていったね」
「そう……。関係者か用事がある人なのね……」
これは絶対アシュリーに知らせないと。
リコシェはタオルを下ろすとレイモンドに微笑んだ。
「たぶん、もう大丈夫。
ちょっと暖房でのぼせたみたい。
駅でドアが開いてちょっと冷たい空気が入って
スーッとしたらすっきりしてきたわ。
タオル、ありがとう」
レイモンドはホッとして
リコシェからタオルを受け取った。
「そうか、それはよかった。
高山病だったら上に登るより
やっぱり下りたほうが身体には良いからね。
雪の手前でお預けなんて、
せっかくここまで来たのに残念すぎるし。
……ああ、冬まで待てば少しだけど
街でも雪は降るから、
その頃にまた来てくれたら歓迎するし、
それでも良かったけど」
また会えたら嬉しい、とは、
口に出せないレイモンドであった。
ゴールズワージー鉱山駅に降りた男は
少々頭を捻っていた。
ルベに見知った奴はそうそういないはずだが……。
何か引っかかる。
さっきの電車の乗客だろうか……。
高山病になった女を介抱していたようだが
聞こえてきた名前はアレクシア……、
うーんダメだ、名前に覚えがない。
なんだったんだ……。
男はイラつきながら鉱山管理棟へ向かって
緩やかに上る坂道を歩いていた。
……くそっ、おもしろくねぇ。
こんな気分の時はろくでもねぇことが起きやがるんだ。
男は歩きながら小さな機械を取り出すと、
数字の書かれたボタンを順番にいくつか押した。
その機械を耳にあててしばらく待つと、反応があった。
「おう、俺だ。駅から歩いてる。
もう直ぐ着くから開けてくれ。
……ぁあ?!
何の用だとは、そりゃご挨拶だな。
てめぇが四の五の言いやがるから
直にナシつけにきてやったんじゃねぇか。
俺が入り口に着いて開いてなかったら
ドア蹴破るからな。
わかったらとっとと動きやがれっ!」
男はペッとツバを吐くと、
小さな機械を胸ポケットに入れた。
鉱山管理棟に着くと、男がドアの前に立つより早く
サッとドアが開いた。
「ふん。やりゃあできるじゃねぇか。
最初っからそう素直にでてりゃあ、
穏やかに済むってもんだ」
男が鉱山管理棟に入るとドアが閉まった。
しばらく停車した後、登山電車は再び発車した。
電車の床は斜面に合わせるように階段状になっていて、
先刻リコシェは初めて見て驚き感心したものだったが、
例の男の出現でそれどころではなくなり、
あっさりと過ぎてしまったのが
思い返せばちょっともったいなくもあった。
何せ階段床の電車など初めて乗ったのだ。
もうちょっとはしゃいでも良かった気がするけど、
と思ったところで
隣に座っているのが18歳の男の子だったと思い至って、
少し思い直した。
私のほうが年上なんだから落ち着いてないと、
やっぱり恥ずかしいかも……。
そういえば、
ゴールズワージー鉱山駅のプラットフォームも
階段状になっていた!
やっぱり凄いわ、ルベって。
平らに拘らないのね!
ルベの人って発想が柔軟なのかもしれないわ。
リコシェの母国はマリレのモンフォールである。
ここはグランヴィル、マリレと連星の関係にある星
ルベにある4つの国のうちの1国であった。
マリレは海の多い星であるが、
ルベは水そのものの形としての水はほとんどない星で、
水は万年雪の形で高い山々が頂いていた。
一方のマリレには高い山がほとんど無く
比較的平均気温も高めなので
リコシェはずっと雪を触ったことが無かった。
対してルベは水深150m足らずの塩湖が
最大の水域であり海はない。
標高の高い山脈がたくさんあり、
乾燥傾向で砂漠も広く分布している。
日中砂漠では高温になるが、
日が落ちた途端の冷え込みが厳しく、
平均気温は低めだった。
水の星出身のリコシェには
水の見えない星のあれこれがとても珍しく
興味深く新鮮だった。
男がいなくなって
リコシェに周りを見る余裕が戻ってきた。
だが、鉱山駅からしばらく進むと
山の傾斜が一段と厳しくなるので
トンネルを進む事になる。
車内の明かりが灯ると窓ガラスに車内の様子が映りこみ、
窓の外は延々暗いだけになってしまう。
何メートルか置きにポツンと灯るオレンジ色の灯りが
規則正しく後ろに流れて行き、いくつか数えたところで
チラッと目を離した隙に数えそびれてしまった。
「そうだ! 先に言っておくけど、
上の駅に着いたら雪があると思うけど
絶対走っちゃダメだよ。
走ったら最後、3歩で間違いなく高山病になるからね。
行動はあくまでもゆーっくり、
できたらそろーっと歩いてね。
……これはね、冗談でも何でも無くて、
大真面目に本当だからね」
レイモンドがあまりに真面目くさって言うので、
リコシェはかえって冗談かと思い、
軽い調子で気をつけると請合った。
「ゆっくり落ち着いて普通にしてれば大丈夫だからね。
って、……もしかしてアレクシア、
本気にしてないでしょう」
「え? 冗談なんでしょ? ……違うの?!
たった3歩でいくらなんでも……」
「やっぱり……。
仕方がない、内緒にしておこうと思ったんだけど
頭痛になったら可哀そうだから、
話すことにするよ……。
僕が初めてこの山にきた時やっぱり夏で、
幼かった僕は久しぶりの雪が嬉しくて
きっかり3歩走ったんだよね。
そしたら、いきなりガンガン頭痛が始まって
山を降りてからも数日頭痛が消えなくて……。
あれは本当に、
今思い出しても酷いめにあったと思うくらいの
思いっきりキツイ頭痛だった」
「まぁ!
まさかレイモンドの体験だったとは思わなかったわ。
……ごめんなさい。
絶対走らないと約束するわ。ありがとう」
レイモンドは、リコシェの反応が今度こそ
満足できるものだったのでとても嬉しそうに頷いた。
その頃、アシュリーの乗った飛行機は
ノーリッシュ山脈足元のラドナム空港へ
着陸態勢を取っていた。
まだ夏季ダイヤなので登山電車は30分に1本ある。
遅くても次の次の電車には乗れるだろう。
「む?」
アシュリーのPCFがリコシェからのメールを受信した。
“アシュリー、オリーブの隠れ家で助けてもらった時に
ブラックリストに入れた男が、
登山電車で乗り合わせたの。
その男、さっき鉱山駅で降りて行ったわ。
多分、私には気付いてないと思うんだけど、
とにかく早く知らせておいたほうがいいと思って。
思考対応で書いてるから
ちゃんと書けてるかちょっと心配だけど、
大丈夫と信じて見直し無しで送るわね”
急いで返信する。
“わかった。ありがとう。
くれぐれも言っておくが、
自分で調べに行こうとは絶対考えない事。
護衛官に話して警戒してもらうといい。
そうそう、雪を見ても走らないように。
後で必ず行くから”
思いがけず直ぐのタイミングで返事が来たので、
リコシェは驚きつつも頬が綻ぶのを止められなかった。
レイモンドが怪訝な表情をしたので、
ちょっと思い出したことがあってとごまかした。
私って、雪を見たら駆け出すタイプに見えてるのね……。
みんなに同じこと言われるって
ちょっと考えないといけないかもだわ。
ブロワ伯あたりにお説教されそう。
……後で必ず行くからって、
この後何か省略されてるわよね。
んー、おとなしくしてなさい、とか?
……違う違う。それじゃまるで保護者じゃない。
やっぱり、待ってて欲しい、とか……かな。
「ちょっと、アレクシア。
さっきから顔が何だか、……えーっと、いろいろだよ?
何を思い出してるのか判らないけど、よっぽどだね」
「え? そ、そう?」
リコシェは頬に両手を当てて顔を押さえ込んだ。
「きっと、聞いても教えてくれないと思うけど、
何がそんなに……」
「たぶん、話してもレイモンドにはまだ判らないわよ」
「え?! それは心外だなぁ。
聞いてもいないのにダメ出しされるなんて、
達人に触る前に床に転がされる
初心者扱いじゃないか……」
「まぁ、そのようなものね」
「ひどい! ……あんまりだ。僕だってそれなりに」
「ふふふ。はいはい」
アレクシアがまともに相手にしてくれないので、
レイモンドは内心少々おもしろくなかったが、
こんなふうに軽くあしらわれるのも逆に新鮮で、
この人にいつかきっと
一人の男として見てもらえるようになってやる、と
密かに決意したのであった。
さて、
危険な男が入りこんだゴールズワージー鉱山管理棟では、
意外に穏やかに時間が流れていた。
特級鉱山技官のケネス・ヴィヴァースは
モシャモシャの髪に無精ヒゲも剃らぬままで
目の下に濃いクマを定着させていて、
一頃とはすっかり人相が変わってしまっていた。
「それじゃあ、全部これまでどおりで変わりねぇな。
……この頃ごちゃごちゃ
七面倒臭い御託並べ立てていやがったが、
あれはいったいなんだったんだ。
……てめぇ、舐めてんじゃねぇぞ」
「いやいや、舐めるなんてとんでもない。
それよりも、今日は良い時に来てくれた。
実はまた、新しい鉱脈が見つかったところでね」
「ほお」
「おや、あまり驚かないな」
「そりゃあな。
鉱山には鉱脈があるから鉱山なんだろ。
新しいのが見つかったって、
おや、そうかい、ってなもんよ」
「あー、なるほど。
でも、今度見つかった鉱脈はこ
れまでのとは物が違うんだな、全く。
とびっきりもとびっきり、
こんなのがここで見つかってもいいのか!
って、やつだ」
男の目付きが変わった。
舌なめずりしそうな雰囲気で
全身から欲のオーラが全開になった。
「もったいぶってねぇで、とっととぶっちゃけろ。
何が見つかったってんだ」
「……実はルビーの鉱脈が見つかったんだよ。
それもただのルビーじゃない。
……ピジョンブラッド、知ってるかい?
最高級ルビーの代名詞だよ。
そのピジョンブラッドの鉱脈が見つかったんだ」
「ほほう、そりゃすげぇ……」
男はヨダレを流さんばかりに目を輝かせている。
「新しい保管場所を準備してなかったので、
坑道の奥に掘り出した原石が
ゴロゴロ転がしたままになってるんだが、
今日わざわざ来てくれたことだし内緒で一つ、
好きなのをあげよう」
「おおっ!? マジか。……そりゃ、ありがてぇ」
「それでは、お茶でも一杯飲んでそれから……」
「そんなもんいらねぇ。今すぐ案内しやがれっ!」
「おや、そうかい……。それなら仕方が無い。
今すぐ行くとするか」
ヴィヴァースは先に立って歩いていく。
が、今すぐと言った割には歩調がゆっくりで、
男は欲で心が急くのに先に進めず
イライラが加速度的に溜まり始めた。
灯りが照らす坑道に入って幾つも分岐を過ぎ
どちらを向いているかも判らなくなった頃、
今にも切れそうに点滅して
一段薄暗い灯りの横穴があった。
穴を覗き込むと奥の方からは遠く明かりが漏れている。
「ああ、ここだ。ここなんだけど、
明かりが切れそうになってるねぇ。
これは直ぐに交換しないといけないな。
……ああ、ピジョンブラッドの鉱脈はこの奥だけど、
私はひとっ走り交換用の灯りを取りに行って来るから、
ここで待っててくれるかい?」
点滅する灯りの中で男は吠えた。
「俺はさっきからイライラしてんだよっ!
てめぇは勝手に行って来い。俺はお宝探しだ」
「そうか……。
ちょっと薄暗いけど奥のほうは明るいから
気をつけて行ってくれ。
走らないほうがいいよ、危ないから。
原石はこの坑道の一番奥だ」
男はヴィヴァースの言葉も終わらないうちに
灯りの点滅する坑道に飛び込んでいった。
足音がどんどん遠ざかり、……………………やがて、
遠くから怒鳴り声が響いてきた。
「おい、こらっ。てめぇ!
何もねぇじゃねぇかよっ!
一杯食わせやがったなっ!
今からすぐそこに戻ってボコボコにしてやっから
覚悟しとけ!」
「はいはい、無事に戻って来れたらなぁぁぁ」
ヴィヴァースは点滅する灯りの陰にある
スイッチを切った。
途端に男の入った坑道の明かりが消えた。
「うわっ! くそっ! 何も見えねぇ……」
奥の方から何かが激しくぶつかる音が何度か聞こえた。
「ぐわっ!
………………てめぇ、生かしちゃおかねぇ……」
「さっき、ちゃあんと気をつけてと言ったのにぃぃぃ。
走ると危ないんだってぇぇぇ……。
ひっひっひっ……」
ヴィヴァースの目が点滅する灯りに照らされて
異様な光を放っている。
「それじゃ、そろそろ仕上げだよぉぉぉ。
あんたとはこれで二度と会う事もないだろうなぁぁぁぁ。
……それじゃ、さよならぁぁぁぁ」
ヴィヴァースが小さなリモコンスイッチを取り出すと、
おもむろにボタンを押した。
すると、男の入った坑道の半ばあたりで
小さな鈍い音がした、と思うまもなく
その坑道奥から粉塵が噴き出して来る。
紅いランプが光って人工音声の坑内放送が入った。
『発破作業終了。該当坑道は完全封鎖、
以後の作業範囲から削除されました。
坑内強制換気システム稼動します。所要時間15分。
坑内作業員は防塵マスク着用の上
一時退避を推奨します』
「はいはい、防塵マスクで退避しますよぉぉぉぉ。
……こんなところにルビーの鉱脈があると
思うなんてぇぇぇ、ふっ、愚か過ぎてもうちょっとで
吹きだすところだったよぉぉぉぉ。くくく……」
ゴールズワージー鉱山の管理責任者、
特級鉱山技官のケネス・ヴィヴァースは、
防塵マスクを装着すると
スキップで坑道から退避していった。
「さーて、今夜のディナーは何にしようかなぁぁぁ。
……うふ、うふふ、ふふっふふふふふっ……」
ストレスに晒され続けた特級鉱山技官は、
最初は身を守るために鉱山に小さな仕掛けを一つ作った。
作ってみるととても安心できたので、
次は襲ってきた相手を撃退するための罠を作った。
出来上がると更に安心できたので、
次から次へと新しい工夫を凝らして仕掛けを作り、
いざという時に生き延びるためにと、
掘り尽くした古い鉱脈の一帯を非常に危険な、いわば、
モンスターのいないダンジョンと化してしまった。
作ると今度はその効果を試したくなる……。
ケネス・ヴィヴァースは後戻りできない一歩を
踏み出してしまっていた。
誰もいなくなった坑道に、微かに音が響いている……
……ブーンブーンブーン……ブーンブーンブーン……
いつまでも鳴り止まず、
長く長く微かな音が響き続けている……
……ブーンブーンブーン……ブーンブーンブーン……
……ブーンブーンブーン……ブーンブーンブーン……
し……ん、と、静まり返った人気の無い坑内に、
微かな音がいつまでも……
……ブーンブーンブーン……ブーンブーンブーン……
……ブーンブーンブッ
唐突に音が止んだ。
坑道から戻ってどのくらい経ったのか、
食卓で酒瓶を抱えて
うたた寝していたケネス・ヴィヴァースは、
叫び声を上げて飛び起きた。
身体中、汗ぐっしょりになっている。
「……鉱山のずっと地下深くまで電波が届くわけがない。
そ、そんな事あるわけない……。
それにあの量の発破であの坑道なら、
私の計算では間違いなく全て下敷きに……。
たとえ小さな機械でも無事に残っている筈が……。
お、落ち着け、私……。ただの夢だ、ただの……」
抱えていた酒瓶の首を掴むと、
直接口をつけてグイグイ流し込むように飲んだ。
……むせて激しく咳き込む。
口元に垂れた酒を袖で拭って呟く。
「……私は悪くない。悪くないんだ……」
それから、呪文のように
自分は悪くないと何度も何度も繰り返し、
その度に酒を煽って
とうとうテーブルに突っ伏して大イビキをかき始めた。
先刻、無事ラドナム空港に到着したアシュリーは、
これよりしばらく前、
ケネス・ヴィヴァースがうたた寝している間に
既に鉱山管理棟に潜入していた。
国の施設なので内部がどうなっているか把握できているし
内部の監視カメラに自身の映像を残さず
且つ監視記録に欠けを作らないために、
セキュリティに多少の細工は必要だったが、
特段困難な作業ではなかった。
1時間後に細工の痕跡を消して
元通りに復旧させるようにセットし、
脳内イメージ上にカウントダウンタイマーを置いた。
現在、鉱山管理棟内にはケネス・ヴィヴァースただ一人だ。
PCFで脳内地図の人型に
ピンポイントで集音指示を出しておく。
どうやら、イスに座ったまま寝ているようだ。
静かに鉱山管理棟のシステム管理室に移動した。
採掘記録と鉱石の移動記録そして出納簿を読み出す。
記録上では採掘された鉱石の量と出荷した量、
それに対しての概算で出した入金額は
多少相場で変動はあるだろうが
出納簿の記入額とほぼ一致している。
出荷先はどこも実績のある取引先だ。
……これはおかしい。
少なくともアデルモ島に流出していた分がどこにもない。
ということは、ここにある記録以外の
裏の記録と裏出納簿がどこかにあるはずだ。
精査した結果
システムから読み出せるところにはない事がわかった。
さて、どこだ……。
突然、ケネス・ヴィヴァースの叫び声が聞こえた。
動きを止めて耳に集中する。
…………?! ……下敷きと言ったな。
これは坑道で発破して、生き埋めにしたということか!
……十中八九、リコシェの言っていた男だろうな。
ケネス・ヴィヴァース、いったいどうしたんだ。
人物評価は至極真っ当なもので、
真面目によく努力する熱心な男だったはず。
……いや。それよりも今はまず、探し物だ。
アシュリーは、ヴィヴァースの私室に入った。
PCFで、極めて古いタイプのものから最新のものまで
ありとあらゆる種類の記憶媒体の有無を探査指示すると、
パッケージと違う中身が入っている環境動画、
付属のケースに入ったハードカバーの本の
小口の窪みに納まっているメモリ、
雑誌に挟まっているCDが7枚、
びっしり書き込まれたノート34冊が見つかった。
一つずつ急いで検討する。
環境動画のパッケージに入っていたのは、
とても個人的な趣味の極めてプライベートな動画だった。
これはまぁ、
堂々と表に出して飾っておける代物ではないな……。
ノートは、特級鉱山技官の資格のための勉強ノートだった。
ふむ……。努力の成果が形として見えるもの、か。
使い道は無いだろうが手放せなかったんだろう。
雑誌に挟まっているCDは付録だな。
念のために調べるが、ただの付録で問題なかった。
さて、メモリだが、これが一番それらしい。
不用意に中を覗こうとすると全消去する仕掛けがあったが、
アシュリーのPCFはあっさり解除してしまった。
中身はというと、淡々と書かれた日記だった。
しばらく見ていくと、ある日の記述に
“今日はネズミが騒いでチーズを3個持って行った”
とある。これは?!
他には無いかと見れば、
“暴れるゴリラがバナナを5本も食べた”
それから、
“明日吸血コウモリが飛び回って血を吸いに来る。
ワインを10本とは無茶過ぎるが何とかしなければ”
その翌日は
“コウモリが来た。7で済んだ。助かった”
とある。他にも相当数見つけた。
登場する動物はネズミとゴリラと吸血コウモリだ。
鉱山に出入りしていた人物は3人だろうか。
ネズミには決まってチーズ、ゴリラにはバナナ、
コウモリにはワインなので、
動物に合わせて物を変えているが
これが鉱石を表しているのではないかと推測する。
単位はトンだろうか。
表に出ている採掘量と採掘機械の稼働時間を
つき合わせてみる必要があるな。
ほぼ、これが裏の覚書になっていると見てよさそうだ。
裏の出納簿にあたるものが無いが、
隠し口座のようなものがあるかもしれない。
そのあたりは調査に手をまわしていただくか……。
不意に、大イビキが止んだ。
脳内地図の人型はゆっくり動き始めている。
急いで元通りに戻す。
ノート、環境動画のパッケージ、本、雑誌……
順番は元通りのはず。
どうやら手洗いに行くようだ。
そろそろ退散しなければここへ戻ってくる可能性が高い。
使われていたのは全部同じ種類のノートだった。
たまにパラパラ見返す
ヴィヴァースのお気に入りが一冊あって
それが左から3冊目だったのだが
急いで重ねた時に4冊目に入れ替わっていた。
それをアシュリーは気付かなかった。
アシュリーがドアの外をうかがうと、
廊下へ出たヴィヴァースは酩酊状態でよろよろしており、
なんと壁にふらっと寄りかかってぶつぶつ呟いていた。
ヴィヴァースの私室で結構時間を使ってしまったので、
痕跡無く退散できるタイムリミットが
目に見えて迫ってきている。
これ以上はジッとしていられない。
廊下へ飛び出そうとした時、ヴィヴァースが動き始めた。
千鳥足で何とか手洗いのドアに辿り着き、中に入った。
部屋から出てそっとドアを閉める。
更に待つことになってしまったのでますます時間がない。
足音を殺しながら走る。
あと数秒。間に合わないのか。
その時、目に付いたのは鉱山内部へ通じているドアだ。
咄嗟にそのドアに飛び込んだ。
カウントダウンには間に合ったものの
鉱山内部に入った途端、アシュリーのPCFが警告を発した。
なんと、爆発物だらけの一帯が感知されている。
地上にいて地下は感知できないが、ここは鉱山内部だ。
地上ほどの広さは無理だが同一空間と認識できる範囲でなら
それなりに感知可能らしい。
システム復旧には間一髪間に合ったが
とんでもない所に入り込んだようだ。
なるほど、下敷きの件はあの一帯のどこかなのだな……。
長居は無用、さっさと退散しよう。
鉱山のメイン入り口に向かう通路は2本あった。
最短の通路を早足ですすむ。
と、通路のほぼ半ば辺りに差し掛かった所で
唐突に足が空を踏んだと思った。
「!」
咄嗟に手を伸ばしたが
指先は空を切って僅かに穴の縁に届かず、
アシュリーはほんの少し傾斜のある暗い縦穴を
奈落に向かって滑り落ちていった。
次の瞬間には、穴に垂れた四角い通路の一部が
カコンと元の場所に上がり、
アシュリーを飲み込んだ穴が塞がった。
オレンジの光が所々灯る薄暗い坑道内は
何事もなかったかのように静まり返っていた。
一方、リコシェは一つ上の駅を出たところで
初めての雪体験をした。
氷河の上に積もった雪は一面真っ白で
遠目には焼き菓子の飾りに使う甘い砂糖衣のように
ふんわり見えるのだが、
そーっとゆっくり歩いて近くに寄ると
想像していたのとは違って氷のように硬く固まっていた。
「……雪って見た目と違って、ずいぶん硬いものなのね」
「いや、この雪は降ってからここに積もって
結構長い時間経ってるんだ。その間に日差しも浴びるし
多少気温が上がる日もある。
そうやってちょっと融けかけて
水分になったものがまた冷えて凍るのを繰り返すうちに
柔らかかった雪が硬い氷に変わって行くんだよ。
雪の結晶は見たことある?」
「図鑑で見たわ。雪の結晶はとっても綺麗ね。
あの形が自然にできたものだって信じられなかったもの」
「ホントに自然に降ってくるんだよ。
だけど、すごく繊細な物だから
降ってくる間に他の雪にくっついたりもするし、
地面に落ちて積もっていけば
下になった雪は重さでつぶれたりもする。
気温が高ければ繊細な造形の尖っている部分が融けて
角がとれてしまったりね。雪の美しさは儚いよ」
「まぁ、そうだったのね……。
じゃあ、今回は無理ね。
ふわふわの雪の中で思いっきり、……あ!」
リコシェが慌てて口を押さえると、
レイモンドがさらっと先を続けた。
「……転げまわりたい、とか、かな?」
「! ど、どうして判ったの?!」
言って、また慌てて口を押さえると
リコシェは真っ赤になった。
「え?! ホントに? 当たった、の?
……そ、そうか、そうだね。
雪は初めてなんだもんね」
真っ赤になったまま、
リコシェはとにかく何か話そうと口を開いた。
「……その、ふわっふわの雪はいつ頃どこに行けば?」
「そうだなぁ、冬になってから山だなぁ、やっぱり。
こんな上まで登ってこなくても
もうちょっと下のほうにスキー場もあるし、
そのそばの林のあたりなんかいいんじゃないかな」
「そうなのね、ありがとう!
……えーっと、あのね、それでね。
……さっきの事なんだけど、
できたら内緒にしてもらえると嬉しいかなって。
……お願いっ!」
レイモンドは不思議そうに尋ねた。
「え?! なぜ?」
「なぜって、
そんなの恥ずかしいからに決まってるじゃない。
もうっ、言わせないでよ」
「何も恥ずかしい事なんてないのに……」
「小さい子供ならね、
恥ずかしくなんて無いでしょうけど、
私はもうすっかり大人だもの。
雪にはしゃいでいい年頃はとうに通り過ぎたわ」
レイモンドは顔をしかめながら
拳を自分のアゴに押し付けた。
「……まぁ、アレクシアがそう言うなら内緒にするけどさ、
僕は父上と叔父上には秘密は持たないと決めてるんだ。
だから、他の人については約束できるけど、
父上と叔父上にもし尋ねられたら話すからね。
……たぶん、そんな事は無いと思うけど」
「それは仕方ないわね。……わかったわ」
リコシェは渋々承諾した。しゃがんで足元の雪をつつく。
指で押したくらいでは跡もつけられなかった。
「……カチンコチンね、ここ。ビクともしないわ。
雪でいろんな形が作れるって聞いたことあるけど、
この氷になってる雪じゃ無理ね。
切り出したら彫刻できそうなくらいだわ」
「……そろそろ行こうか。
冷え切る前に温かい飲み物を何かとらないと
風邪を引くよ」
「そうね。そうしましょうか」
滑って転ばないように
そーっと気をつけながらゆっくり歩いて、
駅の側にあるホテルに落ち着いた。
一行全体で3室なので、
リコシェは女性護衛官と二人で一部屋である。
「アレクシア様、
役目とはいえあまりに畏れ多いのですが、
夏場の山は混み合いまして
思うようにご用意できませんでした。
ご不便をおかけいたします事をご容赦下さい」
リコシェの足元に片膝をついているのは、
とても生真面目な護衛官でシャノン・ヤングという。
リコシェよりいくつか年上の細身な女性だ。
「夏場の雪山ですもの、混み合うのは分かります。
気にしないでくださいね。それと」
リコシェはシャノン・ヤングの手を取って立たせた。
「プライベートな旅行だし、こういうのはやめましょ?
私の事はアレクシアと呼んでくださいね」
リコシェに手を取られてシャノンは硬直した。
「わた、わ、わた、わたしはっ、
シャノンと、お、お呼び捨てくださいっ!」
小さめのラウンジは混雑していたので
それぞれ部屋で寛ぐことにしたのだった。
リコシェは備え付けのポットでお湯を沸かし、
お茶の支度を始めた。
「ア、アレクシア様、私がやります!」
「そう? じゃあ、せっかくだから
シャノンにお願いしようかしら。
これでも留学先では一人だから、
全部自分でやってるのよ」
「え?! 護衛も側仕えも無しで、ですか?」
「ええ。周りの人には申し訳ないんだけど、
素性は隠させてもらってるの。
それと私のPCFが頑張ってくれてて
先にいろいろ警告してくれたりするから、
普通に学生生活ができてるわ。
だけど、PCFは直接守ってくれたりする機能は無いから、
くれぐれも慎重に気をつけてとそれはもう、
何度も何度も注意してもらってて」
リコシェはブロワ伯の心配顔を思い出し、微笑んだ。
「いつまでも幼い子供のように思って心配してくれるのよ。
以前はね、
子ども扱いしないで欲しいと思ったこともあったけど、
今はもう、大切に思ってもらえて
本当にありがたいと感謝してるわ」
「そうなんですねぇ。
ウチもいまだに子ども扱いしてくるので、
うるさくなってついつい
知らん顔したりもしてしまいます。
……アレクシア様、お茶が入りました。
お口に合うと良いのですが……」
「どうもありがとう。……ああ、美味しいわ。
ふぅ……とても温まるわね」
ノックの音がした。
シャノンが素早く立ってドア脇に身を寄せて声をかける。
「……はい。どなた?」
「僕だ」
シャノンがリコシェに頷いて鍵を開けると、
それを見たリコシェはドアに向かって声をかけた。
「どうぞ」
ドアが開いてレイモンドが顔をのぞかせた。
ドア横のシャノンが緊張を解く。
「お茶が入ったところかな?
ちょうど良かった。クッキーを預かってきたよ」
「まぁ、嬉しい。レイモンドも一緒にいかが?」
「そうしたいところだけど、
向こうの部屋でもお茶をいれててね、
僕が帰らないと
そのまま冷めても待っていそうだから、
またの機会に誘って」
「じゃあ、そうするわね。
どなたからかしら、クッキーのお礼を伝えてね」
「侍従のキースが持ってきてくれてたんだよ」
「キースさんにありがとうと。レイモンドもね」
「僕はついでかぁ。……ああ、わかった。伝えておくよ」
レイモンドは笑いながら部屋を後にした。
その夜、リコシェは首を長くして待っていたのだが、
夜更けになってもアシュリーは姿を見せなかった。
リコシェはずいぶん迷った末にメールを送ってみたが、
それにも何の反応もなかった。
ベッドに入っても眠れず、
目を閉じれば嫌な想像しか浮かばない。
……鉱山へ行かなくちゃ!
とうとうリコシェは真夜中にそっと起き出すと
静かに身支度を始めた。
モコモコのセーターを着込み毛糸の帽子や
フワフワの耳あてを着けた。
スノーウェアの上下を着込んでブーツを履き、
足元の始末をするとちょっとふっくらした
ミント色の雪ウサギ風になった。
最後に手袋をはめて、そっとドアを開けて廊下に出た。
音を立てないように気をつけて廊下を歩く。
こんなに遠かったかなと思いはじめた頃
ようやくホテルの玄関に辿り着いた。
ホテルの正面ドアの鍵を開け、
ドアを開けようと体重をかけて押そうとした時、
背中から声をかけられてリコシェは飛び上がった。
「……アレクシア様、どちらへ?」
慌てて振り向いたリコシェの前に、
身支度をきちんと整えたシャノン・ヤングが立っていた。
リコシェは咄嗟に
一人で鉱山へ行こうと思ったことを隠した。
「あの……、それは……その……
眠れなかったのでちょっとお散歩してこようかと」
「そうですか。では、お供します」
「そ、そう。ありがとう」
リコシェは考えながら
マリレの照らす夜明け前の氷河の上を歩きまわった。
シャノンはただ黙って
リコシェの後を数歩離れて静かについて来る。
こうしている間にも、
もしアシュリーが危険な目にあっていて
命に関わる大ケガをして
身動き一つできなくなっていたらどうしよう……。
あの男に捕まって次から次に
酷い目に合わされていたらどうしよう……。
どこかに閉じ込められてでられなくて
助けを待っていたらどうしよう……。
考えれば考えるほど悪い想像が際限なく湧いてきて、
どんどん膨れ上がってきてしまう。
すごくすごく心配だけど、
でもあのメールからまだ数時間……。
しばらく連絡が取れなかったからって大騒ぎして、
どうということもなかったのだったら、
それこそものすごい迷惑をかけてしまうし……。
ああ、アシュリー、私はどうしたらいいの?
ふと空のマリレが目に入った。母さま……。
居ても立ってもいられなくなって、
こんな時間にでてきてしまったけど、
鉱山は電車で一駅下だし、まだ動いてない。
歩いていったらたぶん朝になってしまうわね。
母さまならきっと、落ち着きなさいっておっしゃるわ。
……ああ、ダメダメ。こんなに浮き足立ってちゃ。
アシュリーの傍にいるってことは、
こんなことがずっと続くってことよ。
考えたくはないけど、
アシュリーが戻ってこない事だって
絶対無いとは言い切れないもの。
私にできる事はなんだろ……。
私に出来る事なんてほとんどない。
アシュリーが危ないから捜してって騒ぎ立てても
どこを捜せばいい?
鉱山にいるって証拠もなしに
そんな事言っても誰が本気にするというの。
アシュリーの陰の仕事を晒したなら
人を動かせるかもしれないけど、
そんな事私がしていいはずがないじゃない。
……私がしてもいい事は、
心配してウロウロ氷河の上を歩きまわる事くらい。
だったら、私がすべき事は、
黙って部屋に戻ってアシュリーを信じて待つ事。
母さま、あの人を信じて待つわ。
リコシェは立ち止まると、
白んできた空に淡く輝くマリレを見上げて心を決めた。
振り返ってシャノンを見る。
「シャノン、付き合ってくれてありがとう。
部屋に戻るわ」
「はい」
部屋に戻ると、
シャノンはどこからか牛乳と蜂蜜を調達してきて
牛乳を温めるとホットミルクをいれてくれた。
「アレクシア様、今はゆっくりお休みください」
「どうもありがとう、シャノン」
冷えた心身にシャノン心づくしのホットミルクが温かく、
心配で凍りつきそうだったリコシェの内側をほんわり溶かし
リコシェはいつのまにか眠りに落ちていた。
「……コシェ、リコシェ」
「ん、……あ、アシュリー! 無事だったのね?
よかった……」
リコシェが呼び声に目覚めると、
ベッドの足元にアシュリーが腰掛けていた。
「心配かけたね。……待たせて悪かった」
アシュリーの手が伸びて
顔にかかっているリコシェの前髪をそっと横に流した。
そのままアシュリーがリコシェの額に口付けしたので、
リコシェはアシュリーの首に腕を回して
抱きしめたと思った。
気付くとアシュリーの姿はない。
リコシェは飛び起きて室内を見回す。
「アレクシア様、どうなさいました?」
「……今ここに、あ……あの、誰かいなかった?」
「いえ、どなたも」
リコシェは一つ小さな溜め息をついた。
「ごめんなさい、変な事を聞いて。
……夢を、見たみたい。気にしないでね」
雪をゆっくり楽しむという目的から
しばらく滞在することになっている山のホテルで。
リコシェの二日目はほとんど一日中
レイモンドや巻き込まれた侍従達と一緒に
氷河の雪の上で過ごした。
ミント色の雪ウサギ風スノーウェアは
リコシェに良く似合っていてとても楽しげに見えるので、
姿を見かけたホテルの他の滞在客や
駅にやってきた観光客は自然に笑顔になっていた。
ただ一人、昨夜のリコシェを知っているシャノンは、
内心とても心配しハラハラしつつ、それでも黙ったまま
楽しげに振舞うリコシェを見守っていた。
≪続く≫