再会
王弟殿下誘拐未遂事件は、
グランヴィルの王都フラムスティードを驚愕させた。
代々のグランヴィル王の落ち着いた善政に
国民からの信頼も厚く、永らく王家は敬愛されてきた。
それ故、人々の注目度は非常に高く、
静かに研究に没頭するという王弟殿下の無事を喜ぶと共に、
密かに警護していたという優秀な護衛官について
様々な噂や憶測が飛び交った。
「このフラムスティードに誘拐なんて
物騒な事考える奴等がいたなんてなぁ」
「捕まって良かったよ。ろくでもない」
フラムスティードは大きな事件の少ない
落ち着いた街である。
思っても見なかった犯罪が身近に起こったことで、
狙われた王弟殿下その人に対する興味関心が高まった。
その分捕まった不埒者どもに対する嫌悪感は増し、
眉をひそめつつの吐き捨てるような声に、
あちこちで頷きやら同意の声があがった。
「王弟殿下は、てっきり一人であの変わった乗り物に
乗ってるんだと思ってたけど、違ったんだねぇ」
「そりゃそうだろう、王様の弟だぜ。
確か王位継承順位がレイモンド様の次だったっけか」
「ああ、そうそう。2位だよ、確か」
「アシュリー様っていうんだよね、ぼく知ってるー」
「えらい学者さんなんだよー」
子供の声も聞こえる。普段なら大人の話に
口を挟むんじゃないとたしなめられる所だが、
今日はどうやら大目に見てもらえるようだ。
「へぇ、そうだったんだ。頭いいんだろうなぁ」
「なんでも40人の誘拐団に囲まれたけど、
あっという間にやっつけちまったんだってね」
「40人も?! そんなに強いのか!
アシュリー様、すっごいなぁ……」
「え? アシュリー様じゃないって。
やっつけたのは護衛の人たちだってさ。
アシュリー様は学者だから
そんな危ない事はしないよ」
「ああ、そりゃそうか。
てっきりアシュリー様がやっつけたのかと思ったよ。
はっはっはっ……」
「そんなの、ちょっと考えりゃわかるじゃないの。
ばっかねぇ」
「……だな。はっはっはっ……」
周囲もつられて笑い出し、ますます賑やかになる。
「ぼく、大きくなったらお城の護衛の人になろうかなぁ。
かっこいいよねー」
「あ、おれもー」
「え? ずるいぞー、
ぼくが先に言ったんだからぼくがなるんだ!」
「そうか、お前たちお城で衛兵になるんか。
だったら、ちゃんと勉強もしないとダメだと思うぞ。
なんせ、お城だからなぁ」
「えーー?」
「……へ、平気だい! 勉強だって頑張るもんね!」
「じゃ、じゃ、おれもおれもー!」
「おやまぁ、これは楽しみな事になったねぇ。
……ああ、そうだ。
すっごい強い人になるにはきっとニンジンもピーマンも
モリモリ食べないといけないと思うけど、大丈夫かい?」
「おれ、ニンジン大好きだぞぉ。
ピーマンだって、ちょっと食べれるし」
「……ぼくだって、今日から食べるよっ!
ちょっとだけー」
「そうかそうか、頑張りなね」
「おー!」
「おー!」
王城内でも噂が飛び交っていた。
こちらは護衛の話ではなく
モンフォールへの使者を送った事についてである。
仕事をしながら声を潜めつつの
侍女たちの噂話があちこちで花ざかりだ。
そこに従者や下士官、通りかかった見回りの衛兵やらが
チラッと加わっては通り過ぎていく。
「……ここだけの話、あれって縁談らしいわよ」
「え?! ホントに?」
「使者の相手役にこちらから第2王女様を指名したって」
「まぁ!」
「それがあっさり通ったらしいから、
どうやらモンフォールのほうでも
結構乗り気なんだって!」
「ええっ?!
それじゃもうほとんど決まったようなものじゃない。
きゃああ、素敵ねー!」
「ほおほお、で、どなたの縁談だ?」
「そんなの決まってるじゃない。アシュリー様よ!」
「え?
てっきり私はレイモンド様かと思って聞いてたわ」
「陛下のご結婚も早かったし、レイモンド様だろう」
「アシュリー様がまだなのに、
先にレイモンド様ってあるかしら」
「レイモンド様はまだ早いんじゃない?」
「何となくだが、
アシュリー様は結婚なさらないんじゃないかと
思ってたなぁ」
「で、結局どちらなんだ?」
「……やっぱりレイモンド様じゃない?」
「アシュリー様だと思うわよ」
そして程なく執務室のグランヴィル王は、
忙しい政務途中の短い休憩時間に、
ティースプーンできっかり2杯の砂糖を入れた
ミルクティを味わいながら
お茶請け代わりに城内の噂話を聞くことになった。
「ほほう、そうか。城内にそんな噂が……。
ここでレイモンドの名が
挙がってくるとは思わなんだが、
そろそろ年頃だということであろうな」
「モンフォールへの対応はいかがいたしましょう」
「今度は速やかにこちらがお招きするのが筋であろう。
急な申し出を快く受けて頂いたからな、
こちらが半端な事では恥ずかしい。
準備を怠り無く進めておくように。
……縁談の件だが、
これは具体的な話が出ている訳ではないから
要らぬ気を回して余計な事をしてはならぬ。
よいな」
「かしこまりました」
「そろそろ使者がモンフォールから帰ってくるな。
ヒューイット教授の報告を聞くのが楽しみだ。
なぁ、アシュリー?」
「……はい」
執務室に呼びつけられて
ずっと政務に付き合わされていたアシュリーは、
城内の噂話のくだりで
一瞬苦虫を噛み潰したような顔をした以外は、
ポーカーフェイスを決め込んでいたのだったが。
兄王の朗らかな笑い声に、
まな板の上の鯉の気分とはこういうものかと
妙な感心をしていた。
さて、
こちらは様々な噂話で騒がしい王都から遠く離れた
ノーリッシュ山脈にある
ゴールズワージー鉱山管理棟の一室である。
特級鉱山技官で管理責任者のケネス・ヴィヴァースは
湯気の立っているマグカップを手に、
二重ガラスの窓越しに雪の消え残る山の頂を
ぼんやり眺めながらため息をついた。
室内に目を戻すと、
壁に飾られてある大きめのパネルに目が留まる。
「……プライベートアイランドか」
パネルにはルベには無い豊かな水の風景があった。
明るい光を浴びて輝く青い海と美しい島だ。
白い砂浜に打ち寄せる穏やかな波と
透明な海水に映える色とりどりの魚、
少し沖には
赤と白の帆を張ったヨットが浮かんでいる。
島には小さなコテージが建っていて、
木陰にはゆったり身体を伸ばせる
ビーチチェアと小さなテーブルが置かれていた。
「動画スタート」
すると、パネルの海が動き始める。
寄せては返す波、風にそよぐ草木の葉、
海鳥が飛び交い鳴き声や様々な音が
臨場感を持って立体的に響く。
ヴィヴァースはしばらく画面を眺めていたが、
長い大きな溜め息をついて肩を落とした。
「……畜生っ!」
手に持っていたマグカップを
壁の海に投げつけようとして、思いとどまる。
マグカップをテーブルに置くと、
どさっと椅子に腰を下ろして
また長い大きな溜め息をついた。
突然、音が聞こえ出した。
何かが振動している音だ。
ブーンブーンブーン……
ブーンブーンブーン……
ブーンブッ
「……はい。ああ、私です。……え? また?!
ついこの前渡したばかりだし、
あんまり一度に出すわけには……。
そんなっ!
……ま、待ってくれ! それは困るっ!
……わ、わかった。わかったから、……あ、ああ。
頼むよ……。
それじゃ、いつもどおりに……え?! そんな……。
わ、わかった。言うとおりにするから……」
小さな機械のスイッチを切ると、
ヴィヴァースは何事か叫びながら頭を掻きむしった。
櫛目もくっきりと整えてあった髪が
あっという間にくしゃくしゃになってしまった。
ルベは鉱山が多い。
だが、鉱山は限られた資源である。
種を蒔いて育てるわけにもいかないし
掘りつくしてしまえば終わりだ。
だから、鉱脈が見つかって掘り始める時は、
細かく調査を行って如何に無駄なく
より効率的に採掘をすすめるかを考える。
これ次第でその鉱山の寿命が左右される。
というのが、かつて鉱山技師の
腕の見せ所だった時代の話だ。
限られた資源である事には変わりはないが、
精錬技術の目覚しい進歩により、
かつてのゴミ扱いのボタ山も
資源として利用されるようになり、
採掘自体も探査技術の進歩と
採掘用機械の小型高性能化により、
鉱山資源をほぼ無駄なく活用できるようになった。
加えて、ほぼ自動化されたことによって、
より安全になって久しい。
苦労して登り詰めた鉱山技師としては
最上級の特級鉱山技官だ。
責任者として任された
ゴールズワージー鉱山のシステムは国内最先端のもので
赴任が決まった時は鼻が高かった。
だが、着任して判った事は
ここでの主な仕事が採掘用機械の管理である
ということだった。
優秀な探査能力をも備えた採掘用機械は
効率的に無駄なく且つほぼ漏れなく着実に採掘していく。
能力を磨いてきたのに
思う存分それを奮おうと思った場所には、
もはや自分の出る幕は無い。
自分は何のためにここにいるのか、と思ってしまった。
そんな頃、一人の男が訪ねてきた。
「いやあ、あなたがあの名高い特級鉱山技官の
ケネス・ヴィヴァースさんでございますですね?
はじめましてでございますー。
あなたのような名高い方にお目にかかれるとは、
光栄の至りでございますねー、はい」
「確かに私がケネス・ヴィヴァースですが、
どなたかとお間違いでは……?」
「いえいえ、ゴールズワージー鉱山の
管理責任者である特級鉱山技官のあなたのご高名は
世に鳴り響いておりますですよー」
「え? そ、そうですか? 私など大した事は何も……」
「またまたまたー。
何をおっしゃいますやら、ご謙遜をー。
グランヴィル随一のゴールズワージー鉱山を
取り仕切っておられるその手腕たるや、
ルベ全土に知らぬものはないでございますです、はい」
自分の能力が活かせない仕事だと
不満を募らせていたところに、
おべんちゃらを並べ立てられ、
口先ばかりのお世辞だとは思っていても
悪い気はしなかった。
なので、ついついその男の話を聞くことになり、
いつのまにかマリレのプライベートアイランドに
一緒に行く話になっていた。
「私は一度
マリレの海で泳いでみたいと思っていたんだよ。
プライベートアイランドのホームページはよく見るんだ。
青い空、どこまでも美しく広がる青い海、
白い砂の浜辺に建つコテージ、
……ずっと憧れててね」
「おお、それはそれは。
あなたと一緒に行けるなんて光栄でございますですよ。
予約を取って日程が決まったら
すぐお知らせしますですね。
いやあ、楽しみでございますですねー。
……ああ、そうそう。
一つ思い出しましたです。
私、石のコレクションをしてましてですね、
できたらゴールズワージー鉱山の鉱石を一個だけ、
譲っていただけないかとー。
私もこの鉱山の鉱石にずっと憧れててですねー、
ぜひ手に入れたいものだと
長い事思っていたのでございますですよ」
「ああ、それなら一個と言わず
二個でも三個でも差し上げますよ」
「いえいえいえ、それはいけませんですね。
タダでいただく訳にはいかないのでございますですよ。
一個!
一個でいいですからぜひ私に譲ってくださいませー。
対価としてこれだけお支払い致しますですよ」
黒い革の手帳を開いてペンと共に差し出されたページには、
ページの中程に鉱石一個の値段として
結構いい金額が書かれていた。
なので、一個でいいなら
一緒にプライベートアイランドに行くことだし、
と、手帳を受け取ってタダ同然の値に書き換えて返した。
「これでいいですよ。
気に入る石を選んでもらったほうがいいかな?」
ペンを挟んだ手帳を受け取ると、男はとても喜んだ。
「おお、これは有り難いでございます。
あなたはとても優秀な上に
とてもとても良い人でございますですねー」
男は熱心に鉱石を見て回り、気に入った一個を選ぶと
何度も礼を言って帰って行った。
しばらくして、男と一緒に
マリレのプライベートアイランドに出かけた。
海辺のリゾートを満喫しとても楽しく過ごして帰った。
壁に飾っているパネルの動画は
この時に自分で撮影したものである。
わざわざ隣の星まで付き合って来てくれたのだからと
支払いを固辞され、押し問答にも疲れたので
いくぶん高額ではあったが、それではご好意に甘えて、と
男に支払いを任せ奢ってもらうこととなった。
それから程なく、再び男が訪ねてきた。
石のコレクションをしている友人達に
どうしてもと頼まれたと言って、
またほんの少し鉱石を譲って欲しいと請われた。
最初に譲った値段で何個か渡すと
また何度も礼を言って帰って行った。
これが際限なくエスカレートしていくのに、
さほどの時間はかからなかった。
一度は断ろうとしたのだったが、
黒い革の手帳に書いた自筆の値段が
いつのまにか売買契約書に変わっており、
どういうからくりか判らないが
何かのときに書いたサインがその契約書に記されていた。
更に驚愕したことには、
自分が受け取る報酬までもが書かれていて、
その契約書を見せられた時に
自分が罠にはめられたとやっと気付いたが
後の祭りだった。
それからは男の言うがまま、
国の財産たる重要な鉱石が二束三文の値で
ごっそり持っていかれるのを
黙って見ているしかなくなった。
引き換えに自分の口座に金が降り積もった。
手を引かれて進んだ先にあった底なし沼から
逃げ出す手立ては無かった。
始めわが身の不運を嘆いた。
それがある時ゴールズワージー鉱山に赴任させられたから、
と、すりかわった。
悪事の片棒を担がせられるのは本意ではない。
自分がこうなったのは、
全てこの鉱山に来させた任命者が悪い。
ひいてはグランヴィル国王その人のせいだ、と。
調査に赴きたいと
希望していたアシュリーが動けていない今、
遠いノーリッシュ山脈に不穏な黒雲がかかっている事に
まだ王都で気付く者はいなかった。
アシュリーが兄王の切った期限一ヶ月を
大人しく王城で静養させられている間に
モンフォールへ送った使者が帰還し、
次いでモンフォールからの使者を迎え、
無事に交流が行われた。
そして更に、雪を体験した事が無いという
第2王女が私的に招待される事となり
その当日を迎えていた。
王都フラムスティード近郊のゴーヴ空港に
モンフォールのメルセンヌ空港から
予定通り宇宙便が到着し、
モンフォール第2王女アレクシア姫が降り立った。
出迎えたのはバーナバス・ヒューイット教授。
使者としてモンフォールを訪れていた時、
姫が案内役として行動を共にしていた縁からの
人選であった。
「遠路はるばるよくいらっしゃいました」
「お久しぶりです。
ついこの間のことでしたのにもう何だか懐かしく
感じられるのは不思議ですね」
そう言ってリコシェは微笑んだ。
リコシェというのはアレクシア姫の愛称である。
「こちらに滞在している間に、
希少種についてゆっくりお話を伺える機会が
持てたらと思っているのですが」
「おお、それはそれは!
私の研究所にはご興味がお有りかと思われるものも
いろいろございます。
いつでもご都合の良い折にお立ち寄りください」
「ありがとうございます。
それでは、お言葉に甘えて近いうちにお伺いしますね」
「はい。楽しみにお待ちしております」
ヒューイット教授は笑顔でそう答えた。
王城に着くと丁重に遠来の労をねぎらわれ、
すぐに用意されていた客間に案内された。
晩餐会までゆっくり休養できるよう時間が取られていた。
リコシェは何やかやと大荷物だったので
PCFに荷解きの指示を頼むと、
PCFはクローゼットやチェストなど
あらゆる物入れの容量を瞬時に把握して、
何をどこに入れるかふさわしい置き場と
持ち物の対応リストを作成した。
それからリストに基づいて
てきぱき指示を発し始めたので、
巻き込まれた部屋付きの侍女ビアンカと一緒に
楽しく荷物の整理をした。
侍女の仕事なのでと始めビアンカには固辞されたのだが、
ビアンカから予備に持っていた侍女のエプロンを
借りて身に着け、
リコシェはこれならいいでしょうと
押し切ってしまったのだった。
ビアンカが手を動かしながら笑顔を向けて尋ねた。
「アレクシア様のPCFは、いつもこうなんですか?」
「いいえ、室内の物は全て把握して管理しているから
いつもはもっと静かな感じなのだけど……。
ああ、きっとドレスや小物をたくさん持ってきたから
ちゃんと物を納めたくて張り切っているんだと思うわ」
「まぁ、それはちょっと大変では……」
「え?
幼い頃からだし、物がちゃんと在るべき所に在るのは
気持ちがいい事だから感謝してるの」
「そうなんですねぇ」
ビアンカは先々代あたりから家内を全て取り仕切る
超ベテランの老執事の姿を想像して感心しながら頷いた。
そういう老執事のようなPCFに小さい頃から接していると
きっと自然にきちんとしているのが
当たり前に育っていくのだろう。
『今夜の晩餐会用のドレスに少々シワができています』
「あらまぁ、それは大変。
お任せくださいまし。全部心得ておりますから」
「そう。それではお願いね、ビアンカ」
「はい。かしこまりました」
ビアンカが霧吹きや当て布やスチーマーや
子供の手のひらサイズの小さいアイロンやらの
七つ道具の入った籐のバスケットを抱えて
ドレスのシワに取り組み始めたので、
リコシェは窓から見える
美しく整えられた庭を歩いてみたいと思い、
そう声をかけて部屋を出た。
案内されてきた時を思い出すと
確かこちらのほうに階段があったはず。
……あ、あった!
階段を駆け下りると
小さなホールになっていて庭への扉があった。
庭は、背丈ほどの高さに
真っ直ぐ刈り整えられた木が並び、
まるで緑の壁が続いているようだった。
木は地面すれすれまでびっしり小さな葉が茂っていて
全く根元は見えず、
何本の木がこの緑の壁を作っているのか見当も付かない。
上からも下からも向こう側を覗けない
この壁の向こうへ行くには……。
部屋から見た庭の様子を思い出す。
俯瞰のイメージが浮かんだ。……こっちね。
緑の壁に沿って歩き角を曲がると、
真っ直ぐ連なる緑の壁のちょうど真ん中辺りに
途切れている部分があるのがわかった。
壁面に対して直角に刈り込まれたそこが、
この庭の入り口のようだ。
ワクワクしながら中を見ると、
入り口の幅そのままの
まっすぐな通路が続いているのがわかった。
通路の左右には
膝丈くらいの高さにまっすぐ刈り整えられた緑の茂みで
整然と正方形の枠がいくつも作られていて、
枠の中のスペースは背の高いハーブが奥に茂り
その株元には一段低い高さの可憐な花々が咲いていた。
枠それぞれ別の種類の草花が植えられているのに
全体で広く見ると統一感があって上品に美しい。
「まぁ……、素敵な庭ね」
通路の奥に何か建物が見えている。
浮き立つ気分で通路の奥のアーチをくぐると、
そこはバラに囲まれた丸い場所で、
石柱に支えられた遺跡を模した屋根の無い梁だけの建物と
石造りのベンチが設えられていた。
「ここはまるで、バラの小部屋ね」
リコシェはしばらくベンチに座って
モンフォールの古い歌を口ずさみながら
花の香りを楽しんだ。
「ああ、支度の時間もあるから、そろそろ戻らないと」
アーチをくぐって通路を通り抜け、緑の壁に出た。
ぐるっと回って戻ろうかな。
そう思ってリコシェは右に曲がった。
角を曲がるとずっと緑の壁が続いている。
先の角を曲がるとまた異なった趣の庭になっていた。
噴水を芝生で囲んで中央を広く、
その周囲に高さを考えた花を自然な感じに配置し、
樹高が高くなり過ぎない緑の濃い木々を背景に、
開けた感じに整えられてあった。
「こっちも素敵ね。花の配置が絶妙だわ」
突っ切って戻ろうと噴水の横を通り越すと、
なんと噴水の向こう側に人が倒れているではないか。
リコシェは驚いて駆け寄り、
倒れている人の横に膝を着いて声をかけた。
「……あの、どうしました? 大丈夫ですか?」
肩に手をかけると、むんずと手首を握られた。
リコシェは思わず小さな悲鳴を上げてしまった。
「……ん? 誰?!」
「ああ、よかった。倒れてるのかと思ったわ」
侍女エプロンが目に入ったらしく、
掴んでいた手を離すと
欠伸をかみ殺しながらこう言った。
「ああ……。僕は放っといて構わないよ。
いつものことだからもう誰も気にしないし、
君もこれからは放っといてくれればいいから」
リコシェは驚いた。見れば稽古着で傍らに剣がある。
新兵かな? 若い感じがする。
それにしても、この人は孤立しているのだろうか。
それとも何か事情があって無視されているのか……。
だけど、汗だくで芝生の上で寝るなど、
放っておけるわけが無い。
むざむざ風邪を引きそうになっているのを、
黙って見過ごせと言われて、
はいそうですか、と大人しく引っ込む私ではない!
「ダメよ!」
リコシェは、すっくと立ち上がった。
「こんな所で寝てると風邪を引くわ。
さっさと起きて自分の部屋に戻りなさい。
できたらお風呂に入るのがいいけど、
無理だったらしっかり汗を拭って
下着から全部着替えなさい。
わかった?」
汗だくの新兵らしき少年は、
リコシェの顔を目をまん丸に見開いて
呆然と見つめている。
「わかったなら、返事なさい!」
「……あ、はい」
「よろしい。
じゃあ、今すぐにね。
私はちょっと急いでるからもう行くけど。
って、早く立って!
ぐずぐずしないの」
少年はのろのろ立ち上がった。
「何があったか知らないけれど、
ちゃんと身体に気をつけて
風邪なんか引かずに一生懸命やってれば
きっとうまく行くわ。
諦めないで頑張りなさいね」
リコシェはにっこり微笑んで頷いた。
「じゃあね!」
くるっと向きを変えると、
急がなくっちゃ!と小走りに庭を抜けて駆けて行った。
レイモンドは、山吹色の髪が艶やかに輝くその背中を
呆然と見送った。
姿が見えなくなってもしばらく立ち尽くしていた。
「……名前を聞いておけばよかったかな。
私服にエプロンをしてたから、たぶん、
新しく入ったばかりの侍女だと思うけど、
僕を知らなかったみたいに思えたし。
……って、そんなことあるのか?!
いや、今、現にあったじゃないか!
……ああ、そうだ。後で侍従長に聞いてみようか。
あ、いや。次に会った時に直接尋ねるほうがいいかな」
着替えろって言われたっけ。
レイモンドは素直に自分の部屋に向かって歩き出した。
晩餐会はとても賑やかなものになった。
最初はごく普通にグランヴィル王の一声に始まり、
多少緊張しながら
リコシェは招待に対するお礼を述べたのだったが、
その時、場違いな叫び声が響いて雰囲気が一変し、
段取りがいろいろ飛ばされることになってしまった。
「あぁぁぁぁっ!
君はさっきの侍女エプロンじゃないか!」
「……え?
ああ、あなたはさっきの風邪引き予備軍さん。
どうしてここに?」
「あらあら、レイモンド。アレクシア姫に失礼ですよ。
でも、侍女エプロンってどういうことかしら?」
「どうやら、この場以前に何かあったようだが、
良かったら聞かせてくれるかね?」
国王と王妃のにこやかな問いにリコシェは話し始めた。
荷解きの経緯から
部屋付きの侍女からエプロンを借りたことや
庭の散歩に行ったこと……。
「本当に素敵な庭で感心致しました。
ハーブの配置が立体的で
花をとても可愛く咲かせていますね。
それに、アーチの奥のバラの小部屋も素敵な場所で、
しばらくうっとり座っていましたけれど、
あまり時間もないかなと思い、
戻ろうとして噴水のほうへ曲がった所で
芝生に倒れている人を見つけて」
そこで、レイモンドが話の先を引き取った。
「僕は剣の稽古の後で汗だくになったところで、
少々休憩していたのです。
そしたら、汗をかいたまま芝生で寝ると風邪を引くから、
すぐ部屋に戻って着替えるようにと叱られました。
……侍女のエプロンだったので僕はてっきり
新しく入った侍女の一人だと思っていて」
レイモンドはパッと立ち上がってリコシェに頭を下げた。
「侍女と間違えるなど大変失礼いたしました。
ご無礼をお許しください」
「まぁ! どうぞ頭をお上げください。
私もてっきり新兵の方だと思っていましたから、
お詫びしなければ。
……これはどうやら、痛み分けのようですね」
リコシェはレイモンドに、にっこり微笑んだ。
レイモンドの耳に血が上ったのに気付いたのは
王だけではなかった。
「……まぁ! そうなのですね、レイモンド……」
王妃は密かに我が子の応援をしようと心に決めた。
一方の当事者たるリコシェは全く気付いておらず、
レイモンドの淡い想いは一方通行の気配濃厚である。
様々な人の思いが囲むテーブルにあって、
ふと、リコシェは広いテーブルの一番遠くの端で
静かに背中を丸めて座っている人物に気付いた。
巨大な大広間では無理だが、言葉の無理なく届く範囲に
食事や会話を楽しめていない人がいるならば
話を振ったり声をかけたりするものと思っていたので、
とても気になり始めた。
チラチラ見ると、
なんだかますます背中を丸めて俯いていく。
……あら?
なんだか私、避けられている?!
会話に加わりながらも、
どんどん静かな端の人物に注意が向いていく。
ローブ姿の……学者の方?
あら? あの髪色には覚えがある。
けど、まさか……。
「……ね? アレクシア姫はいかが?」
「え? ……あ、はい」
王妃は満面の笑みで言葉をつないだ。
「それでは、決まりね。
ノーリッシュ山脈の雪を見に出かけられる時は
レイモンドに姫のエスコートをさせましょう」
微笑みを保ちつつも
ローブ姿の人物にすっかり気を取られていたリコシェは、
この話題のほとんどの部分を意識に留めていなかったので
一瞬とても驚いたが、
王妃の次の言葉で内容が理解できたので、
笑顔の王妃には落ち着いて応えられた。
「はい。ご配慮、感謝いたします」
食事が済むと王妃がにこやかに提案した。
「向こうの部屋で一休みいたしましょ?
アレクシア姫にお国のお庭のお話を伺いたいわ。
先ほどのお話から、きっと庭のことも
いろいろお好きだと思ったのだけれど。
アレクシア姫、いかがかしら?」
「ええ、喜んでお話いたしましょう」
「まぁ、嬉しいわ」
部屋を移動する時に、ローブ姿がひとり、
そっと目立たぬように立ち去ろうとしたが
それを王が見咎めた。
「アシュリー、お前も来るのだぞ。
このような機会は二度とないかもしれぬからな」
「……はい」
この声は!
間違いない、あの人だ。
まさかこんな所で再会するとは思わなかったけど、
聞いてみたい事はたくさんある。
まずその中の一番、お名前は判った。
アシュリーとおっしゃるのね。
リコシェは舞い上がった!
だけど、私のことも気付いているはずなのに、
なんだろうこの反応……。
そうだ、オリーブの木の隠れ家を
内緒にしているのだとしたら?
……それにあの時とは全然雰囲気が違う。
もしかしたら、外では別人として
生きているのかもしれない。
だとしたら、私が迂闊なことを言うと
あの人の大事な何かを台無しにしてしまうかも!
リコシェは考えた。
「……変わったお庭といえば、
私アドラータに留学しているのですが、
あの国でとても変わった庭を訪れた事があります。
高い塀に囲まれた敷地の中央に
二本のオリーブの木が寄り添って植えられていて、
その下に座り心地のいい古いベンチが一つ
置かれているのです。
柔らかい光が降り注ぎ木漏れ日が優しくて、
閉ざされた場所なのに
何か懐かしい気分にしてくれる不思議なところでした」
「きっとそういう場所には思いがけないお客が訪れて
庭の主を虜にしてしまうのかもしれませんね」
ドキンっと心臓が跳ねた。
あの人がまっすぐ私を見てそう言った!と、思った。
メガネ越しで、
はっきり瞳が見えないのは残念だけれど……。
「不思議なお庭のオリーブの木なら、
もしかしたら妖精を呼び寄せるかもしれないわね」
王妃はそう言うと自分のロマンチックな思いつきを
とても気に入って微笑んだ。
「そういう所はいつまでも変わらないな」
グランヴィル王が優しい眼で王妃にそう声をかけると、
王妃はほんのり頬を染めて王を見た。
「父上、母上。目のやり場に困ります」
レイモンドが目を泳がせながらそういうと、
両親は笑って答えた。
「まぁ、そう言うな」
「レイモンドったら」
それからまだしばらく談笑して
その夜の集まりはお開きになった。
お休みの挨拶を交わして扉を出て廊下を歩き始めた時、
耳元で小さく声が聞こえた。
「バラの小部屋……」
ハッとして見るともう既に数歩先を行くローブの後姿で、
ほんのり青みをおびた銀色の長い髪が背中に揺れていた。
バラの小部屋って聞こえた……。
どういう意味とか言ってちゃダメよ。
そんなのわかってる。
私はどうしたいの……。
考えながら廊下に立ちつくしていたらしく、
声をかけられた。
「アレクシア姫、どうかなさいましたか?」
「あ、いえ。何でもありません」
レイモンドだった。
「……あの、……良かったら部屋までお送りしましょう」
「あ、あの……、はい。ありがとうございます」
レイモンドに付き添われながら部屋まで歩く。
「……レイモンド様は、
ずいぶんと熱心に剣を稽古なさっているようですね」
「はい。
剣もですが、この頃は体術にも力を入れています。
身近に良い手本がありますので
とても励みになっています。
この前一度相手して頂いたのですが、
こう掴みかかったのに触れることもできずに
気付いたら床の上に転がっていました」
レイモンドは身振りを交えて熱心に話す。
「まぁ、そんなにお強い方が!」
「……あのっ、アレクシア姫。一度……」
リコシェの部屋に着いた。
「あ、ここです。……なんでしょう」
「い、いえ。おやすみなさい」
「おやすみなさい。良い夢を」
レイモンドが立ち去るのを見送ると、
リコシェは足早に階下に降りる階段へ向かった。
階段を静かに降りる。
階下のホールに衛兵が立っているかと思ったのだが
交代のタイミングか姿がない。
扉を少し押し開けて、隙間から庭に滑り出た。
マリレの薄青い光が庭を照らしている。
緑の壁に沿って急ぎ足に進み、
ハーブの庭の通路をまっすぐ通り抜ける。
……アーチだ。
この向こうがバラの小部屋、そう思うと足が止まる。
しばらくためらっていると向こうの方で足音が聞こえた。
その途端、アーチの奥から手が伸びて
リコシェの手を掴んで引っ張り込んだ。
「!」
次の瞬間には大きな手がリコシェの口を塞ぎ、
しっかり抱え込まれていて……。
耳元でささやく声が聞こえる。
「衛兵の見回りだ。
ここまではやってこないが、
大きな声を出せば聞こえてしまう。
手を離すよ」
リコシェが頷くと、すっと手が離れた。
「さっきはありがとう、
私のことを話さないでくれて。ベンチへ」
リコシェをベンチに誘う。
リコシェがわざと真ん中に座ると、
「……お嬢さん、隣に座っても?」
「どうぞ」
リコシェが左側に寄ると彼は空いた所に、
ゆったり座るほどの空きはなかったので
行儀よく腰掛けた。
リコシェは吹きだしそうになって
慌てて口元を押さえた。
「アレクシア姫、あなたにはいろいろと失礼を……」
彼が改まって話し始めたので、
リコシェは手振りで言葉を遮った。
「その先はおっしゃらないで。王城にいるあなたも
オリーブの木の下のベンチのあなたも
同じあなたなのでしょうけれど、
はっきり使い分けていらっしゃるように思えます。
だから一つ提案です。
王城のあなたには私はアレクシア、
オリーブの木のあなたには
私はリコシェとしてふるまいます。
いかが?」
「……今は?」
「私はリコシェ」
「了解した。
それでは改めて名乗っておかねばなるまい。
王城の私は
アシュリー・エリファレット・ヘンリー・グランヴィル。
兄がアシュリーと呼んだのは聞いただろう。
そして隠れ家の私は、中身はアシュリーだが
アッシュと呼ばれることも稀にある。
……分けて考えた事はなかったが、なるほど、
これはおもしろい」
「リコシェというのは……」
リコシェが愛称を説明しようとすると、
アシュリーは微笑んで口を挟んだ。
「跳弾だね、実に君らしい。
アドラータの空を
ホオジロカンムリヅルの姿で飛び回っていた時は
まさに跳弾の名に相応しかった」
「え? 気付いてたの?!」
アッシュは苦笑して顔を夜空に向けた。
「あれで気付かないほうがどうかしている。
おそらく君はホオジロカンムリヅルになって
目立たないで行動しようとしていたのだろうが、
あの美しい姿が人目を引かない訳がない」
「そんな……」
「危なっかしくて仕方がなかったから、
手を回してモンフォールに呼び戻してもらった」
「あなたの仕業だったの!
あまりに急なことで驚いたもの……。
って、でも私、素性は明かしてなかったはずなのに、
どうして?」
「君のPCFのセキュリティ面の
尋常ではない育ち具合を見たことと
ホオジロカンムリヅルだな」
リコシェが小首を傾げる。
なぜそれで判ってしまうんだろう……。
「王族のネットワークがあってね、
国王は王室内の人の構成や変身型くらいは
伝え合うようになってる。
お互いの多少の事情は分かっていた方が
いろいろ都合がいい事が多いからね。
それが国家中枢のごく限られた範囲に
厳重な守秘義務をもって明かされるんだ。
私はそれを兄から聞かされていた」
「そんなネットワークがあったのね。
ぜんぜん知らなかったわ……」
「ホオジロカンムリヅルが
モンフォール第2王女と判っていたから、
少々兄に無理を言った。
君にはまだ聞かされていない情報だから、
この件は聞かなかったことにしてくれると助かる」
「わかったわ。あなたの守秘義務を一緒に守ってあげる」
「それは心強い」
アシュリーが声を殺して笑う。
「……もしあなたにもう一度会えたら
聞いてみたいと思っていたのだけど」
「ん? なんだろう」
「隠れ家を出る時、私を抱きしめたのはなぜ?」
アシュリーは小さく息を吐いて足元に目線を落とす。
「やっぱり聞かれるか……」
アシュリーが目を上げてリコシェを見ると、
まっすぐ見つめる真剣な瞳にぶつかって息を呑んだ。
「ああ、これはごまかせない……。
わかった、白状しよう。
……本当は君を帰したくなかった。
かなり堪えていたのだが、あの時はおそらく
もう二度と会えない人だと思ったから、
気持ちが零れた」
リコシェは真っ赤になって、両手で顔を覆った。
「一度会っただけの行きずりの人なのに、
どうしてそこまで想えるの?」
「……君と話していると本当に楽しい」
「……楽しいって、それだけで?」
リコシェは手をおろして、
頬を上気させたまま彼をまっすぐ見つめた。
「ああ、君には勝てない。
……一度会っただけじゃないからだよ」
リコシェは目を見張った。
人の顔はできるだけ覚えるようにしている。
幼い頃からそう教えられ努力してきた。
……けれど、この人に会ったことは……。
そこまで考えて一つの可能性に気付いた。
夜空に高く昇ったマリレの光が
煌々と地上を照らしている。
「……お願い! 瞳を、あなたの瞳を見せて」
「ああ」
リコシェは座ったまま彼のほうへ少し身体を向けた。
アシュリーも少しリコシェのほうに身体をずらし
顔をまっすぐリコシェに向けた。
リコシェはおずおずと彼のメガネに手を伸ばす。
瞳を隠していた特殊機能のあるメガネだ。
画像取得さえ拒んでしまう。
リコシェが震える手でアシュリーのメガネを外すと、
彼は閉じていた目をそっと開いた。
「……ああ、あなただったの! ドラゴンさん」
リコシェの瞳に大粒の涙が溢れて零れる。
マリレの光を受けて、アシュリーの瞳は
美しく煌くルビーのような紅い輝きを放っていた。
「あの時は命を助けていただいて、
ありがとうございました。
ちゃんとお礼を言いたかったのに
気付いた時にはもう見つけられなくて」
アシュリーは手を伸ばすと指でリコシェの涙をぬぐった。
「命を助けてもらったのは私のほうだよ。
泉に入らなかったら間違いなく死んでいた。
ここにこうしていられるのも君のお陰だ。ありがとう。
……だから、あんなに君に泣かれた時は辛かった。
泣かせるつもりはなかったんだよ」
「……見てたの?」
「……ああ、ごめん。本当にごめん。悪かった……。
だから、オリーブの隠れ家で君を助けた時、
これは運命だと思った。
だけど、君は帰ると言う。
だからあの時あんな……」
アシュリーの瞳に力が篭った。
「改めて尋ねよう。
リコシェ、君を抱きしめてもいいだろうか」
「もちろん」
次の瞬間、リコシェは彼の腕の中にいた。
「あなたを捜していたの。
もう二度と会えないと思って諦めかけた時、
お顔も何もかも知らないけれど、
その方がドラゴンだということを知っているなら
それはその方を知っているのと同じだと
母さまがおっしゃったわ。
希少種とはそういうことだと」
「……そうだったのか。
とんでもなく急な使者も受けて下さったし、
モンフォールの女王陛下には
私が思うよりもっとずっとお世話になっていたようだ。
いずれお目にかかる事もあるだろうが、
その折にはぜひともお礼申し上げねば」
「……あなたを何と呼んだらいい?」
身体を離して見つめ合う。
「アッシュは滅多に使わないが
使う時はとても気を使う時なんだよ。
だから、君にはたぶん
アッシュでいる姿は見せないだろう」
「……それでは、アシュリーに一つ言っておくわね」
リコシェは一つ咳払いして至極真面目にこう言った。
「えーっと、そのぅ、
……キスしたい時は断らなくてもOKよ」
「了解した」
アシュリーは破顔して微笑み、リコシェを抱き寄せた。
≪続く≫