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諦めない心

謎の組織の一員だった変身型コウモリのビドゥは

懲役319年の刑の代わりに一つの選択をした。

それは[人間である事を捨て動物として生きる]

という事だった……。

「いいですか?

 これは後から気が変ったからといって

 二度と変更はできないんです。

 くどいようですが、念を押して訊きますよ?


 懲役319年の刑期を収監されたままではなく、

 二度と人間に戻らない選択をして

 動物として自由に生きるという選択肢ですが、

 自由と言っても当然社会に迷惑をかける事も

 人間に危害を加える事も許されませんし、

 更に、人間に戻ろうとすれば即死します。


 過去にこの選択をして、

 まさかそこまではないだろうと高を括って

 人間に戻ろうとして即死した人が

 少なからずいます。

 それと、動物として暮らしてみて耐えきれず

 自殺する為に人間に戻った人もいます。


 動物として生きるという事は想像以上に

 厳しい事なんです。……いったん房に戻って

 もう一度考えてみますか?」


男は静かに首を横に振った。


「俺はもう人間はいいんだ。

 ……考え直す必要もねぇ。

 やってくれ。

 ……ああ、そうだ。

 その前に一つあんたに頼みがあるんだが、

 聞いてくれるか?」


頼みと聞いて、透明な分厚い強化樹脂製の

大きな嵌め殺し窓の向こうに対面で

席に着いていた担当官は、

丸め気味になっていた背筋を伸ばした。


「法に触れない範囲で私にできることなら」


「俺を捕まえた捜査官が生きてたら、

 コウモリは新種じゃなかったってあの子に

 ………………あ、いや、いい。

 今のは忘れてくれ」


「……え?! 本当にいいんですか?」


「ああ」


「では、これが最後の質問になります。

 あなたは逮捕されてから今に至るまで

 一貫して協力的にふるまい、

 かなりの貢献をしています。それで、

 解放される場所を選択する事が可能です。

 どこを希望しますか?


 ……宇宙を超えて年中気候の良い

 マリレに渡る事すら可能ですよ。

 ルベはこれからどこも寒いですし

 ……そうですね、マリレだとアドラータ辺りの」


「……ゴールズワージー鉱山へ頼むわ」


「え?! あんな雪山に?

 ……あなた、死ぬつもりですか?!」


「いや、そうじゃねぇ」


こいつぁ、賭けだ。ビドゥは思った。

生まれてからこの方、さんざっぱら悪い事

やり放題やってきた俺だが、もしも

……もしもあの場所に辿り着けたなら、

こんな俺でも生きて行っていいんだって

思ってもいいよな。


「……やってくれ」


そう言うと、ビドゥはコウモリに変身した。

それからビドゥは何を言われても

コウモリのままジッと動かず、

しばらくして、ビドゥの希望通り執行された。




ビドゥが目を覚ましたのは

揺れるケージの中だった。

どうやらノーリッシュ山脈の麓の駅で

登山電車に乗り換え途中のようだ。

見上げればノーリッシュ山脈は雪を頂いていて、

上は間違いなく雪景色だろう。

ケージを提げている担当官は

コウモリが目覚めたのに気付いた。

ケージをグイッと持ち上げて小声で言う。


「高栄養のゼリーを入れてあります。

 食べておいてください。

 寒い中動き回るならエネルギーがたくさん

 必要でしょうから。

 ささやかですが私からの餞別です。

 他の人には内緒にしておいてくださいよ。


 ゴールズワージー鉱山駅に着いたら、

 私はケージを開けたまま鉱山まで行きます。

 好きなタイミングでケージを出てください。

 以降あなたはコウモリとして自由です。


 ……あ、それから人間に戻ろうとすると、

 嘘や冗談や脅しなどではなく

 文字通り頭と胴体が泣き別れです。

 くれぐれも忘れないでください。

 あなたを担当したのも何かの縁でしょう。

 コウモリ生を全うできるよう祈っていますよ」


再びケージを提げると担当官は歩き出した。


ゆったり揺れるケージの中で、

見ればオレンジ色のゼリーがセットしてある。

一舐めしてみた。……美味い!

しばらく身体に何か起きないか

慎重に全神経を尖らせたが、

これが毒や睡眠剤なら雪山に放り出された時点で、

いや、今すぐにでも、か……。

毒を盛るならわざわざこんな所まで

出張って来るまでもない。


苦笑いした。

あっさり舐めてしまった迂闊さと

舐めてしまった後の警戒がどちらも間抜け過ぎる。

……俺ももうタダのコウモリだな。

裏社会でブイブイ言わせてた頃の俺なら、と

ふと考えかけて止めた。

あんな暮らしにゃもう何の未練もねぇ。

……これから俺の全能力を賭けて未来を掴むんだ。

人間の俺には望むべくもなかった穏やかで温かな

安らぎに満ちたあの光を。



食べ納めかもしれない、と一瞬脳裏を(よぎ)ったが、

それよりもこれからの事だ。

高栄養ゼリーか、何よりの餞別だな。

ありがたい……。


美味しいゼリーに取り付いてせっせと食べながら、

ビドゥはその言葉が当たり前のように浮かんだ事に

動きを止めた。

俺の半生にゃトンと縁のねぇ言葉だったが、

こっから先俺は毎日、いや息をする毎にでも

感謝してやるよ。だから……あ、いや、いけねぇ。

自分で見つけ出すんだ。自分で辿り着くんだ。

何かに頼むなんて、誰かに縋るなんて

そんな甘えた事俺に許される訳がねぇ……。

しっかり食べて動ける間に

あの子の家を見つけ出せたなら良し、

そうでなけりゃ、どこかの道端に落ちて

凍死か野良ネコにでも獲られて食われて終いだな。




登山電車がゴールズワージー鉱山駅に着いた。

降りたのはケージを提げた男が一人。

鉱山までの道はきちんと除雪された後にまた

雪が降ったらしく純白に薄く雪が積もっていた。

歩けば黒々と足跡が残る新雪の道を、

鉱山まで足跡が往復した。

駅でケージを確認する。

すっかり空になったゼリーの容器が

残ったケージに、コウモリの姿はなかった。


担当官が駅で一人、

下山の為の登山電車を待ちながら

空のケージを抱えてぼんやり考えていたのは、

ビドゥが言いかけて取り消してしまった

最後の頼みの事だった。



……お前、あれ頼みたかったんじゃないのか。

逮捕した捜査官に伝言だったよな。


こうもりはしんしゅじゃなかった……


コウモリは新種じゃなかったって事か?!

コウモリは自分の事だろうが、

新種じゃなかったってのは何だろう……。

忘れてくれと言ってはいたが、なんかこう

モヤモヤ~っとするのはなぜだ。

この期に及んで遠慮する事もないだろうに……。


キャンセルだったんだ……ああ、だけど

最後の頼みだったはず……要らんお節介をしても

…………んー、だけどなぁ…………。


よし、伝えてやるとするか!

最後に解放を見届けてサインして

提出処理するのが私の役目だ。

書類一式不備なく揃っているから、

逮捕した捜査官ならすぐに……えーっと…………。

ああ、これだ。

マックス・ターナーと……よし、

知らせてやるか。



“……ということでエスゲィ・ビドゥは

 コウモリとして生きる事を選んで先ほど

 ゴールズワージー鉱山で解放されました。

 彼が最後の頼みとして言いかかって

 キャンセルしたのがあなた方への

 伝言だったのです。

 コウモリは新種ではなかったと伝えてくれと。

 私には意味不明ですが

 あなた方なら理解できるのではと、

 とりあえずお伝えしておきます”


こんなところかな……。

彼らに丸投げしたようで多少気が引けるが、

これで心置きなく

書類を提出できるというものだ。


ああ、そうだ。

と、保護官はケージのボタンを押す。

空のゼリーのカップが排出されて

ケージはパタパタっと自動で折りたたまれて

小さなカードケースくらいの大きさに

なってしまった。

それをポケットにしまうと

保護官は満足そうに一つ頷いて

時刻表と時計を見比べた。

下りの登山電車が来るまで、あと1時間47分か。

PCFでマリレのプライベートアイランドの

ページでも見ていよう。次の休暇では無理だが、

次の次のその次辺りならひょっとしたら

行けるかもしれない。

人気のある島は予約が大変らしいが……。

保護官は空のゼリーカップを

ヒョイとつまんでゴミ箱に放り込んだ。






さて、こちらはムンムエア-ジッグラト寄宿学校

ルベ校のレスターである。


飛ぶ練習は先生たちにしっかり

見守られていた事が分かり、

レスターは何となくだがずっと先生たちを

ハラハラさせていたのかな、と思った。


それで、しばらくは飛ぶ練習を

休む事にしたのだったが、

すっかりコニーに懐かれたのと

飛ぶ練習で何度も何度もしっかり跳ねて

足腰がしっかりしたか、或いは一度だけだったが

高く舞い上がって自信を持てたのか、

コニーが活発に動き回るようになり

何やかやと纏わりつくようになっていた。


長い事借りてきたネコのように

じっとしているばかりだったコニーが

別人のようだとオリガも先生達も驚く変化だった。



そして今日も。

レスターの机の横にコニーがやってきて

目を輝かせてレスターを見上げている。


「コニー、今日も一緒にやる?」


レスターが手を伸ばしてポンポンと

頭を柔らかく叩くと、うんっ!と元気に頷いた。

椅子に座ったまま机に組んだ腕と顎を乗せて

平べったくしていたフィルは、

その様子を見ていて笑いながら声を掛けた。


「この頃、レスターはすっかり

 コニーとセットだねぇ」


「うん。なんだか弟ができたみたいだ。

 あー、えっと。それじゃ人形遣い決めよっか」


「……よし!今日もやるぞ」


「ユーリはハマっちゃったよねぇ、すっかり」



飛ぶ練習と入れ替わりに、この頃は

業後すっかり人気(ひとけ)の失せた学校で

みんな居残って遊ぶことが増えていた。


ちょっと変則な鬼ごっこだ。

鬼が上手くやれば追う側がどんどん増殖して

追われる側はあっという間に追い詰められる。

が、そうでなければ鬼は時間切れまで

彷徨い続けるだけになる。


「……じゃあ、今日は私が人形遣いね」


「また最終チャイムが朝でいいかな」

「ハンカチ、忘れずに腰に付けといてよ」

「オリガ、猫足だから気配が判んなくて

 怖いんだよね……」

「怖がらなくてもいいわよ、

 すぐ人形にしてあげるから」

「……!」



追う側は闇の人形遣い、

人の魂を盗って人形のように操る魔物だ。

このところ校内で人気のホラー小説の

ごっこ遊びから始まったもので、

追われる側は人間。

決めた時間[朝]まで一人でも無事なら

人間側の勝ちだ。



オリガが数を数え始めたのでみんな一斉に散って

思い思いの場所に身を潜める。

人形遣いは100数え終えたら動き始めるのだ。


「さて、行くわよ……」


オリガはそう呟くと、ゆったり歩き始めた。

廊下に出て左右を確認する。

しん……と静まりかえって気配はない。

歩き始めると静かな廊下に足音が響く。

聴こえるか聴こえないかの狭間で

微かに口ずさむのは記憶の底の故郷の子守歌……。



すぐ隣の教室に潜り込んで

教卓の中に隠れていた子は、

足音が通り過ぎて遠ざかって行ったので

ホッと安心して気を緩めた。

思わず漏れた溜息が一つ。


すっごいドキドキしながら息を止めてたけど、

これで暫くは安全かなぁ。

しゃがんだままホンの少し身動(みじろ)ぎした。

もう少し隠れてて、それから距離を取って

後ろから付いていくか、それとも……



いきなり、背中をポンと叩かれた。

ハッとして振り向くと、目の前に

しゃがんだオリガがいて。


「見ぃつけた」


全力の悲鳴があがった。

校内に響き渡る絶叫に、隠れ潜む面々は

一人目の犠牲者が出たかと身を縮めた。

オリガが人形遣いをやると

ホラー風味が3割増しになる。


オリガはさっと腰のハンカチを取った。


「ほら、結んであげるから

 こっちに頭出して」


人形遣いに腰に付けたハンカチを取られたら、

そのハンカチを首に巻く。

首にハンカチを巻いたら人形だ。

人形遣いに捕まった人間は人形にされて

人形遣いの手下になってしまう。


捕まえる側が増える一方なのだが、

小説の中の人形はとてもゆっくりしか動けない。

なので、捕まえられて人形にされたら

走るの禁止、肘膝の関節を曲げてはいけない

という事にしている。

これで位置取りをきちんとして

うまく立ち回ればちゃんと逃げられる。


「人形、頑張ってね。走っちゃダメよ。

 じゃ、私は先に行くからゆっくり来てね」


うんうんと頷く間にオリガは素早く走り出した。

足音は全く聞こえない。

しばらくして、廊下のずっと先の方で

オリガのゆっくり歩く足音が聞こえだした。

人形1号は両腕に立った鳥肌を撫で摩りながら、

これにやられちゃうんだよなぁ、と顔をしかめた。

オリガは物音を立てずに動けるのだ。

わざと足音を立てたり気配を消したりして

油断を誘ってくる。それととても気配に敏い。


次やる時は、と思う。

次やる時は一番遠くに隠れよう。

人形1号は手足を突っ張らせながら

ゆっくり歩きだした。


遠くから叫び声が聞こえた。

……また誰か捕まった。2号誕生かぁ。



人形遣いは[朝]になったら動けなくなるので

人間が「朝日!」と叫びながらタッチして

消滅させれば終了だ。

今日は誰か[朝]まで生き残れるかな。

やっぱり厳しいだろうなぁ……。

朝日タッチができたら

ちょっとしたヒーローなんだけど。




その頃、レスターとコニーは上階の

図書室カウンターの陰に隠れていた。

ぎゅっと身を硬くしているコニーに

レスターはそっとこそこそ声で訊ねた。


「怖くない?」


コニーが意外なほどはっきりと元気に

怖くないと答えたので、レスターは焦った。


「しーーー、ダメだよ。

 そんな大きな声出しちゃ。

 ほら、こんなふうに息の声でしゃべるんだ。

 普通にしゃべると声が大きすぎるから、

 すぐ人形遣いに見つかっちゃうよ。

 やってごらん?」


「……こう?」


「そうそう、うまいうまい」


このやり取りの間に図書室の前の廊下を、

気配を消したオリガが通った。

……レスター、一回オマケね。

図書室の二人は全く気付いていない。



「いいかい?一番大事なことは」


一息吸った。

しっかりコニーの目を見て言う。


「諦めない事。

 ……隠れたら空気になるといいよ。

 だけどそれだけじゃなくて、

 目も耳も鼻も全部しっかりつかって

 嫌なものが近づいて来ないか探るんだ。

 すぐ側にいても見つかってないなら、

 じっと我慢して動いちゃダメだよ。

 だけど、見つかったって判ったら、

 全力で逃げるんだ」


遠くから足音が響いてくる。


ペターン…… 

ペターン……

ペターン…… 

ペターン……


「……人形は隠れられそうな所はみんな覗くから、

 ジッとしてたら捕まっちゃうしね。

 この部屋に入ってきたら、隙をみて逃げるよ。

 大丈夫だから落ち着いてね」


うん、と頷いて

コニーはレスターの手をギュッと握った。

足音が図書室の前で止まる。

しばらくの静けさの後、扉がバンっと開いた。


……べタンっ!


人形が入って来た!

ふと見るとコニーがぎゅっと眼を瞑っている。

これじゃ走れない……。

レスターはコニーの頭をわしゃわしゃして

ポンポンした。

コニーが目を開いて怯えた目を向けたので、

レスターは全開の笑顔で頷いた。

そして、声を出さずに、

い・く・よ、と言った。

コニーは目を見張って、うんうんと2度頷いた。


足音はカウンターの向こう側に来た。

レスターはわざと奥の方で物音を立てる。

人形がカウンターの向こう側で

奥の方へ2歩進んだ時、ポンと

コニーの背中を叩いて合図を送り

図書室の外へ向かってダッシュした。


「コニー、こっち!」


すると、意外にもコニーがすばしっこくて、

レスターはちょっと驚いた。

これなら人形が図書室から出て来る前に

どこかに隠れられるかも……。


「……角曲がったら止まるよ。音立てないで」


足音を忍ばせて

曲がり角から二つ目のドアに取りつくと、

音を立てないように慎重に細く開いた。

隙間からコニーを入らせて

自分もするりと入り込むと慎重にドアを閉める。

室内は大きめの机がいくつも整然と配置されていて

隠れる所は多い。


やった。

この部屋なら人形2体でも余裕でかわせる。

……あ、あれ?! フィルもいたのか。


「……なんだ、お前らも来たのかぁ」


「さっき図書室に人形が来たんだ。

 こっち来るかも」


「通った後に潜り込んだから

 当分安心だと思ってたんだけど……あ、足音だ!

 んじゃあ、ここに人形がきたら

 どっかに引っ張ってってやるよ」


コニーもいるしね、と

フィルはウィンクして見せた。

人形は隣の部屋を動き回って

廊下に出てきたようだ。

足音がドアの前に止まった。


ややあって、ドアが開いた。

首にハンカチを巻いた人形が立っていた。

手足を突っ張らせてぎこちなく歩み入って来た。


と、いきなりフィルが立ち上がった。


「ちぇ、入ってこられたら

 逃げるしかないじゃんか。

 うまく隠れたと思ったんだけどなっ!」


そう叫ぶと、素早く人形の手をかいくぐって

廊下に駆け出した。

人形は、くるっと向きを変えると

フィルを追って歩き出し、

部屋を出て行ってしまった。


レスターは立てた人差し指を口に当てて

コニーに頷いた。意外な成り行きに驚いて

口を半開きにしていたコニーは

慌てて両手で自分の口を押えた。

しばらく耳を澄ませていて

足音が何も聞こえないくらい遠ざかった頃、

レスターが息の声で呟いた。


「……フィル、やるなぁ。

 僕たちの為に囮になって

 人形を連れてってくれたんだよ」


「スゴイね。カッコいい……」


「余裕がないと他人(ひと)に優しく出来ないんだ。

 コニーももっと大きくなって

 いろんな事できるようになったら、

 きっと誰かを庇ってあげられるようになるよ」


コニーが目をキラキラさせて頷いたので、

レスターは嬉しくなった。

ふと心を(よぎ)ったのはヒマワリさんの優しい笑顔と

その後ろでゆったり座るDさんの大きな姿で、

僕ももっと大きくなって

いろんな事がちゃんとできるようになったらと、

コニーに言ったのと同じ事を

自分にも思った事に気付いて可笑しくなった。


「さぁ、コニー。僕らもがんばろ!

 ……よーし、オリガの人形遣いに

 朝日タッチ狙うぞ」


「うん。がんばるっ!」


もうすっかり夕焼けの空だが、

最終チャイムまではまだ大分ある。

遠くから立て続けに悲鳴が聞こえてきた。

オリガは絶好調のようだ。






同じ頃、夕焼けの空を見上げて

ビドゥは思案していた。

登山電車に潜り込んで国境を越え、

最初の駅で降りたところまでは順調だった。

道端に寄せられた雪はまだそれほど多くもなくて、

日当たりの良い場所では地面も見えていた。

問題は自分が思っていたよりもずっと

その村の規模が大きかったという事で……。



以前ビドゥはコウモリ姿で逃走中、

この村で猫に獲られた。

猫にくわえられての移動中については

手掛かりになりそうな記憶がほとんどなかった。

猫ルートは人の道とは全く違うのだ。

更にその猫は他の猫に追われて

途中で激しい喧嘩までやっている。


捜査官の提げるケージの中から見た

街の記憶が頼りなのだが、

二度と戻ってこられないと思っていたので

敢えて道を覚えようとはしていなかった。

ただ、体感として

駅までは結構遠いと思ったのは覚えていた。



駅舎から出て辺りを飛び回り、

駅舎に向き合う位置関係になった時ふいに、

右手側から駅舎に入った気がしたのを思い出した。

幸先いいぞ、と勇んで

そちら方面へ向かったのだが

どこまで行っても心当たりはない。


……覚えてないんだから、当り前か。

手あたり次第、家の中を覗いてみたが

屋内は暗くてほとんど見えない。

外が明るいんだから、これも当たり前だ。


……ははっ、八方塞がりってやつだな。



さて、どうするか……。

夜は冷えるぞ。雪の高山だ。

屋外で夜明かししたら明日の朝ちゃんと

生きてられるかどうか自信がねぇ。


……ああ、そうだ。

陽が沈んで暗くなりゃ家の中に明かりを灯すな。

明るい窓から家を覗けば

あの子の家が判るかもしれん。

なんせ俺の知ってるのはあの家の中の様子だけだ。

あんまり余裕はねぇが

明るい窓を覗いて回るしかねぇか。


……よし、なら空が明るいうちに

どこか潜り込める場所を探しておこう。

体力が持つ限り俺は探し続けてやる。

意地でも諦めねぇ。

あの場所は俺にゃ宝だ。


……ああ、そうか。

だったら簡単には辿り着けねぇのが当たり前だな。

……命賭けてダメだった時は、

俺はあの宝を手に入れるには何が何でも

相応しくない奴だったってこった。



見当をつけて良さそうな場所を探し回ったが、

寒冷地の建物には容易く潜り込めるような隙間等は

見つけられなかった。

人の出入りに合わせて紛れ込むしかないのか……。

ぽつぽつと家の窓に明かりが見え始め、

ビドゥは窓の明かりに向かって飛んだ。


期待して覗き込む。

はじめは少なからずガッカリもした。

が、いちいちガッカリしている余裕はないのだ。

いくつもいくつも明かりの窓を覗き込んでは

次の明かりに飛び渡る。

まるで夏の夜の蛾じゃねぇか、と

ビドゥは思った。

焚火に飛び込むと瞬時に焼けて

チッと音を立てる夏の虫を、

なんでわざわざ自分から……と

斜めに見ていたのはマリレのどこでだったか。


……ちっ、二度とあっちには戻らねぇんだから、

マリレの事なんざ忘れちまえよ。




陽が落ちてからどれくらい経ったのか、

ぐんぐん気温が下がっている。

だんだん翼が重くなってきた。

道の向こう側の明かりを見に行かないと……。


まだだ、まだ俺はやれる。

地面に落ちたら二度と飛び立てないだろう。

向こうの窓を、見に……行くんだ……。


その時、凍りかけた雪を踏みしめて

足早に歩いてくる足音が聞こえた。

窓から漏れる明かりを次々と浴びて

夜の闇の中に点滅しているようにみえる人影は

派手な蛍光オレンジのジャケットに大きな荷物を

背負った冬装備の登山者のようだった。

限界が迫っていたビドゥは、咄嗟に

その背中の大きな荷物にしがみついた。


もう今夜は動けねぇ。

これで温かいところに入れればよし、

そうでなけりゃこのまま俺に明日はないな。





ウルシュプルフ村はルベ最高峰である

ハイデッガーへのヴァルドシュタイン側の

登山口にあたる。

早過ぎる出発は事故の危険があるとして

4時15分より早い出発は禁止されていた。

登山者はゆとりを持って前日に村に入り、

宿で一晩休んで早朝出発という日程を組むのが

一般的であった。

オレンジのジャケットの登山者は

ビドゥを荷物に乗せたまま、

村の一番奥の登山者で賑わう宿に入って行った。



翌朝、ビドゥは暗いうちに出発していく

登山者の群れをやり過ごし、

日が昇るのを待った。

朝方の冷え込みは厳しく、

いっぺんに体力を持っていかれては

折角繋がった今日の命が無駄になる。

もう少し暖かくなるのを待とう、と

目立たない隅に潜り込もうとした時、

ふと声が聞こえた気がした。


耳を澄ませる……あれは!


「……ピポ! ピポーっ! どこにいるの?」


必死に飛び立った。

窓に激しくぶつかって大きな音がした。

何度も何度も窓にぶつかる。

……ここを、開けてくれ!

頼むからここを、開けて! 開けて!


騒ぎを聞きつけた宿の人が

長い柄のホウキを持ってやってきた。

ホウキで押さえつけようとするが、

ビドゥは素早くすり抜ける。

そんなもんで捕まるかっ!

何度も何度も窓にぶつかる。


「……あああ、こりゃあ捕まえるのは無理だ。

 窓を開ければ出て行くかもしれん」


「あんた、早く開けないと

 窓を突き破っちゃいそうだよ」


そして、やっと細く開いた隙間から

ビドゥは一気に外に飛び出した。

外の冷気が瞬く間に体力を奪っていく。


……ああ、声が聞こえない。

もうどこかに行ってしまったのか……。

寒さと絶望で気が遠くなりかけたその時。


「……ピポなの?」


ポツンと立つ男の子を見つけた。

あああ、ケヴィン!


残る力を振り絞ってケヴィンの所に飛んで行く。

ケヴィンがこっちに手を伸ばしている。

もうスピードのコントロールする余力はない。

そのままぶつかって服にしがみついた。


「やっぱり、ピポだ! お帰り、ピポ」


ケヴィンは胸のコウモリを

両手で押さえて家に走った。

ドアを開けて家に飛び込む。


「ママっ!

 ホントにピポ帰ってきてたよっ!」


「あらまぁ、ちゃんと覚えてたんだねぇ」


「ちょっと迷子になりそうになってたみたい。

 だって登山口近くのロッジの近くで

 見つけたんだよ。間違えて

 山に登っちゃうところだったかもしれない。

 迎えに行けてよかったぁ」


「昨日、パパのところに

 新種じゃなかったからそちらに戻るかも

 しれませんってメールが来たからね。

 忘れずに知らせてくれるなんて、

 親切なお役人だよ。親切ついでに

 連れてきてくれたらもっと良かったのにねぇ、

 そこまで期待するのはさすがに無理か」


「パパ遅く帰って来たし

 僕もう寝ちゃってたから、

 朝教えてくれてぴったりだった」


入れられたカゴは埃一つ無く

きれいに掃除されていた。


「ピポ、カゴを温かいとこに

 置いてあげるからね」


「ケヴィン、リンゴ切ったから取りにおいで。

 ピポは他の果物も食べるかねぇ」


「きっと食べると思うよ。試してみよっか」


ビドゥはこの世界の全てのものに感謝した。


「……あれぇ? ママ。ピポが泣いてる……」


リンゴをカゴに入れようとしていたケヴィンが

心配そうな声をあげた。


「へぇ、どんな鳴き声だい?」


「違うよ、涙がポロポロって……あれ?

 違ったかな。……ピポ、ほら、リンゴだよ」


ビドゥのコウモリ生はこうして始まった。






≪続く≫


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