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北の国から来た新入生

いろいろと訳アリの新入生が加わりました。

「………森に到着したようです。

 全域のセンサー、感度上げます。


 ……現在、追跡する人及び機械、ありません。

 登録外の人工物、ありません。

 探査用電波等全方位、照射ありません。

 ……引き続き、厳戒態勢を維持します」


まだ夜の名残の色濃く残る早朝、

グランヴィルが国を挙げて大切に保護している

手つかずの自然が残る森林地帯に、

浮いたまま進むことのできる小型の乗り物が

一台静かに分け入って行った。


「了解。無事にすむと良いですね」



しばらくの後、

森に部外者の意識は感じられないと連絡が入り、

PCF未装着者の侵入が無い事が確認されて

ようやく、ランプリング先生はホッと

胸を撫で下ろした。


……申し訳ありませんが

もうしばらく探査をお願いします。


《ああ、当面範囲を拡げて維持しておくよ》


この返事はランプリング先生にしか

伝わってはいない。

相手は校門脇の小屋にいるこの学校の(かなめ)だ。





朝、いつものように着席して待つ。

しばらくすると始業の合図があって

ランプリング先生がやってきた。

みんなで元気に朝の挨拶をする。


「おはようございます。

 今日は皆さんに新入生を紹介します。

 ユーリ、入りなさい」


ランプリング先生が廊下に向かって声を掛けたが

反応がない。教室内はザワザワし始めた。


新入生かぁ、男かな?女かな?

どんな子だろう、大きいかな?小さいかな?

一緒に遊べるといいなぁ……


「……ユーリ?! どうしました?

 入っていらっしゃい」


数拍待って

廊下を見に出て行ったランプリング先生は、

なかなか足の進まない一人の男の子の

背に優しく手を添えながら戻って来た。

ザワザワはピタッと収まって

みんな一斉に新入生に注目する。


「さぁ、ユーリ。自己紹介してくれるかしら」


目を伏せたまま

背中を押されるようにして入って来たのは、

黒い髪に黒い瞳の色白の少年だった。

前髪はちょっと動きを付けた程度に

軽く流した短髪で、

サイドから後ろはすっきり刈り上げていた。


「……私は………………」


沈黙が続いたためか小声でどうしたのかな、

とか、上がっちゃったんじゃないの?とか

呟く声があちこちから聞こえ始めた。


すると、

不安げな眼差しで俯き加減だった顔が

急にキリッと上がり、目に強い光が宿った。

背筋を伸ばし胸を張ると、

良く通る声でこう言った。


「私はっ!ユーリ・イリンスキーという。

 13歳になったばかりだ。

 家ではずっと個人教授の先生についていたので

 学校に来るのは初めてだ。

 もし私が学校の作法に適わない事をしていたら

 遠慮せず指摘してもらうと助かる。

 以上っ!」


思いがけない挨拶の口上に、

呆気に取られて教室は静まり返ってしまった。

子供たちより一瞬早く気を取り直した

ランプリング先生はユーリに頷くと、

向き直って皆に向かって言った。


「ユーリは学校の経験が無いので、

 ユーリ自身も皆さんも

 いろいろ戸惑うことが多いでしょう。

 それぞれ手を差し伸べ合って

 互いの理解を深めるようにしてみましょう。


 学校と寮とは一繋がりの生活ですから、

 分からない事困った事

 どんな小さな事でも遠慮せずに、

 まずは訊いてみるところから始めると

 良いと思います」



ユーリは新しく用意されていた

教室後方の座席を示されて着席した。


「さぁ、では始めましょう。PCFを開いて。

 それぞれ前回の復習と応用の課題を

 出しておきました。

 落ち着いて考えれば必ず解けます。


 いつものように順番に回っていきますから、

 予習してきた事について

 質問があればその時に一緒に考えましょう。

 始めなさい」


ランプリング先生は全体にそう指示を出すと、

ユーリの席にやって来て小声で話しかけた。


「ユーリ、あなたの学力を把握するために

 今日は一日いろいろ課題をやってもらいますね。

 結果によってはすぐにでも

 専門の先生に見ていただく事になります。


 ちょっと大変だと思うけれど頑張って。

 目安の時間が書かれていますが、その時間で

 切り上げなさいと言う意味ではないので

 納得行くまで取り組んでも構いません。

 PCFは当然時間も記録していますからね。


 それと、もし習っていないものが出てきた時は

 そう書いておいてください。

 ……課題は一番下に提出ボタンがあるから

 忘れずに出しておくように。

 提出すると次の課題が開きますからね。」


「はい、解りました。ランプリング先生」



ランプリング先生はユーリに頷くと、

一番小さいコニーのところに歩いて行った。


コニーの場所はカーペット敷に小さなテーブルと

椅子が置かれているコーナーになっていて、

カギ型に配置された2つの低い棚には

いろいろな教具が並べられていた。

コニーは既に自分で教具を選び、席について

熱心に取り組み始めていた。


ランプリング先生はコニーの手元と

集中している様子を見て微笑み、静かに離れると

別の机に向かおうと歩き始めた途端、

バタンっと大きな音が聞こえて

音の方を振り返った。

見れば、フィルが椅子を引き起こしている。


「フィル? どうしました?」


「………………何でも。……何でもありませーん」


「……そう。

 ケガをしないように気を付けてくださいね」


「はーい」



ランプリング先生は、ふと、床にいくつも

転がっている小さな紙を丸めたものに気付いた。

……おや、これは。

早速何か始めたようですね……。

とりあえず、気付かないふりで

見守ることにしましょう。


しばらく別の生徒を指導した後で

移動しながら見ると、

誰かが素早く拾い集めたのだろう。

さっき落ちていた紙粒は

すっかり無くなっていた。



その時間が終わって休憩時間になった。

何となく新入生の周りに人が集まる。

紙粒を持ったフィルもやってきていて、

後でこれ見ておいてと声を掛けながら

それをユーリの机に置いた。


だが、ユーリは手をとめようとはしなかった。

実は、習っていない問題があったので、

そう書いて次に進もうとしたのだが、

見ているうちにふと閃いた事があって

夢中になってしまったのだった。


ついつい周りから掛けられる声に

生返事を返しているうちに

休憩時間が終わってしまった。


「ちぇ。

 なんだよ、こっちの言う事なんて

 どうでもいいってか?!」


そんな聞えよがしに置いて行かれた言葉にも、

ユーリは生返事を返してしまっていた。


「……あぁ、そうだな……」


そして何気なく机の上の紙粒を

パッパッと払い落としてしまった。

ムッとして振り返ったフィルは、

折悪しくその瞬間を見てしまった。


一瞬呆気にとられたフィルだったが

表情は見る見る険しくなり、

授業時間中ずっと口がへの字に曲がったまま

小鼻を膨らませたまま

眉根を寄せたままであった。



そして、その次の休憩時間、

フィルは屋上にユーリを呼び出していた。

小耳に挟んだ野次馬が既にパラパラと

屋上に散ってフィルを遠巻きにしている。


目を怒らせたフィルは

屋上の扉からきっちり20歩の位置で、

扉に向かって腕組みをして

両足を踏ん張って立っていた。

屋上への扉に向かって仁王立ちである。


ユーリが屋上に足を踏み出した瞬間、

フィルは言葉をぶつけた。


「おい、お前っ!

 なんで無視すんだよっ!」


ユーリは一瞬怯んだが、

何気ないふうに一歩前に出た。


「何のことだ?」


「……これのことだよっ!」


フィルはギュッと握りしめていた

右手の拳を開いた。すると

掌から小さく丸めた紙がいくつもいくつも

屋上を渡る風に吹き飛ばされて散った。


「ああ、それか。

 私の国ではゴミは人にぶつける前に

 自分でゴミ箱に捨てるし、そもそも

 ゴミを大事に飾っておく文化はない」


ユーリの言葉を聞いた途端、

フィルはユーリに向かってダッシュした。

ユーリのすぐ後に続いて

屋上に出てきていたレスターは、

血相を変えて猛然と

突っ込んでくるフィルを見て声をあげた。


「フィル!ダメだ」


「うるさいっ!」


フィルはその勢いのままガッと掴みかかると、

ユーリが咄嗟に攻撃を防ごうと

顔の高さに上げた腕を払い除け、

空いた方の手で真っ直ぐ殴った。

派手な音がしてみんな

新入生が殴られたと思ったのだったが、

殴られたのはなぜかレスターだった。


「……痛いなぁ」


「うわ?!何で?」

「……え?!」


レスターは不思議な感覚を思い返して

ぼんやりしていた。

フィルが走り出すところまでは

ごく普通だったのだが、

フィルがユーリに掴みかかったあたりから

スローモーションのように見えていた。


なので、するっと自分を二人の間に割り込ませて

フィルのパンチを左手の掌で受け止めた。

受け止めてほんの少しの時間差で

派手な音が鳴った!と思った。

それから更にほんの僅かな時差をおいて

掌に痛みが来て、感覚が普通に戻った。



「……えーーーっと。

 あ、そうそう、フィル。

 まず殴っちゃう前に

 確かめとく事があると思うんだ」


「何だよ?確かめとく事って……」


レスターはくるっと後ろを振り向くと、

ユーリに向かって訊ねた。


「さっき、あいつが見せた紙の粒だけどさ、

 あれ、ゴミだって言ってたけど

 ホントはゴミじゃなかったんだって言ったら、

 どうする?」


ユーリが目を見張った。


「私にはゴミにしか見えなかったが、

 じゃあ、あれはなんだったんだ?」


「自分で見てみたらいいわ。はい、これ……」


そう言って、オリガが拾った紙粒を一つ、

ユーリの掌に載せた。


「急がないと、また風に飛ばされるわよ」


ユーリは怪訝そうな面持ちで

紙粒を押さえながら少しずつ広げていった。

すると、小さな文字が書いてあるのが分かった。


「……ああ、メッセージが……なるほど。

 これは要するに、授業中に先生に隠れて

 意思疎通を図る密書なのだな」


「密書ぉぉお?!

 って、そんな物凄いものじゃなくてタダの

 ……ああ、そっか。

 全然知らなかったんだな、こういうの……」


フィルは手を腰に当てて天を仰いだ。


「あーーー、うん。僕が悪かったよ。謝る。

 小さく丸めた紙粒なんて、

 知らなければゴミにしか見えないし、

 授業中にいきなり飛んで来たら誰かに

 イタズラされてるとしか思えないよなぁ。


 だけど、直接これ見ておいてって

 机に置いたのを払い飛ばされたのは、

 カチンときた……」


「この人が問題に集中してたのは

 見てたら判ったわよ?

 何かに集中してる時に

 横からアレコレ言われても迷惑だし、

 ちゃんと伝わると思う方が

 どうかしてるわ」


オリガにたしなめられて

フィルはあっさり兜を脱いだ。


「あー、うん。

 いきなり殴りかかって悪かった。ごめん」


そう言ってユーリに頭を下げると、

右手を突き出した。


「……ん。……ん!」


「?……ああ、握手か」


ユーリがフィルの手を握ると、

フィルがニッと笑った。


「僕はフィル。

 来月になったら13歳だから同い年だよ。

 よろしく」


「私はユーリだ。

 こちらも失礼があったようで申し訳なかった。

 以後よろしく頼む……よ」


オリガが口を挿んだ。


「とりあえず、集中してる人に

 横から声を掛けるのはどちらにとっても

 良い事ないわね。気をつけなさい?

 ……それと!

 仲良くなるのはとっても素敵な事なんだけど、

 フィル、あなた大事な事を忘れてるわよ。

 レスターに一言ないの?」


「あ、そっか。……レスター、ごめん。

 ……だけど、何が起きたか

 よく分かんなかったんだけど」


「いいよ、平気。掌で受けたから。

 止めないとって思ったら

 身体が動いちゃったんだ。

 ……なんだかすっごくゆっくり見えた気がした。

 僕もちょっと不思議……」


「へぇぇぇ。こっちはさぁ、

 気付いたらレスターが目の前にいて、

 魔法みたいだったよ」


ユーリも一つ頷いて、

レスターをじっと見つめながらこう言った。


「ああ、まるで

 瞬間移動してきたみたいだった。

 君、スゴイね」



「至近距離で視界の外から素早く

 目の前に入られたからそんなふうに

 思えただけよ。

 そりゃあ、素早い動きだったと思うけどね」


盛り上がって楽しそうに話し始めた

男の子たちを横目に、

オリガがボソッと呟いたが

誰にも届いていない。

オリガは空気を読む子だった。

ただ、レスター自身の感覚については、

細部に亘って詳しい説明を含む

相談を受けるなりすれば別だが、

流石のオリガも現状そこまでは知る由もない。


「……ほら、そろそろ教室に戻らないと、

 遅れちゃうわよ!」


「あ、急がないと!」


賑やかな集団が一斉にダダダダッと

階段を駆け下りて行った。

屋上の重い扉に手を掛けながら

チラッと屋上を見渡した後で、

きちんと扉を閉めたオリガが

小走りにその後を追って

足音を立てずに階段を降りて行った。





昼食後、レスターは手早く片付けると、

誰にともなく、じゃあ行ってくる!と

一声かけてサッと駆け出して行った。

おー、頑張って来いよーと掛かった声に、

遠ざかる足音に乗って

遠くから返事が返って来た。

それを聞いて、ユーリが傍の机に

横向きに腰かけているフィルに尋ねた。


「レスターは何か特別なトレーニングでも

 やっているのか?」


「いや、そんなんじゃなくて。

 んー、話せば長いから一言で言うと、

 あれ罰でさぁ、

 毎日昼にラヴァニーノさんの手伝いに

 行ってるんだ」


罰と聞いてユーリの顔色が変わった。

ここにも罰があるのか!!

青ざめたユーリが硬い表情で呟いた。


「なんで彼は罰を受ける事になったのだろう」


「隠し事じゃないから言うけど、あいつ、

 この前ここから家出したんだ」


ユーリがいきなり立ち上がった。


「脱走したのか!

 ……ここでは、脱走しないと耐えられないような

 そんな酷い扱いをされるのか!?」


「だ、脱走?!」


あまりに思いがけない言葉を聞いてフィルは

この所寝る前に少しずつ読んでいる

小説を思い浮かべた。


それは残酷な描写がある作品で、

密林に潜む危険な武装集団に

密命を受けて戦いを挑む特殊部隊の活躍を

描いたものだった。

フィルがハラハラしながら見守る

特殊部隊員であるその主人公は、

味方を庇って捕らわれ拷問を受けている

ところだった。


子どもが読むこと自体は禁止されてはいないが

読後心理カウンセリングを受ける事を

義務付けられていて、

いわゆるオマケ付きの本であった。

カウンセリングは時間も取られるし

少しばかり面倒と思われていて、

オマケがついている事で

読まない選択をされる事も多かった。


「……何言ってんのよ、ユーリ。

 そんな訳あるはずないでしょ?

 フィル、あなたも話し始めたんだから

 ちゃんと教えてあげないと、

 ユーリが妙な誤解しちゃうじゃないの」


オリガに続いてグンターも口を挿んだ。


「レスターはねー、お菓子をどっさり

 リュックに詰めて家出してー、

 いっぱい飛ぶ練習してー、それですっごい

 上手に飛べるようになってー、

 自分でさっさと帰って来たんだよねー」


オリガが目を見張った。


「簡単に言うとその通りよ。

 うまくまとめたわね、グンター」


グンターは珍しくオリガに褒められて、

嬉しそうに鼻の頭をこすった。

フィルも引っ張られていた小説から気持ちを戻し

グンターに大きく頷いてみせてから話し始めた。


「脱走とかって、全然普通じゃないじゃん。

 ……ああ、そういえばさっきも密書とかって

 言ってたっけ。

 そんなの、いつの時代の軍隊だっていう話だよ。

 ……ここはさぁ、

 普通の学校じゃないけどすっごく普通だぞ?」


「言いたいことは解るけど、あなた、

 とても矛盾したこと事言ってるって

 自覚してる?」


「ぇえ?! いいんだよ、分かれば。

 ……レスターはさ、すぐ帰ってくるつもりで

 ちょっと出かけただけだったんだ。

 で、すっごい反省して、もう絶対しないってさ」


「……あ、ああ、そうなのか。……で、罰を?」


ユーリは取り敢えず落ち着こうと腰を下ろした。

この学校では酷い扱いをされる事はないらしいが

実際のところを確かめてみなければ判らない。


「レスターは罰じゃないって言ってたわ」


「そんなはずあるかよ。

 罰じゃないと可笑しいだろ」


「うん、やっぱ、罰じゃないとおかしいよねぇ……」


オリガは肩を竦めただけでもう何も言わなかった。


「……それで、

 レスターは何をやらされているのだ?」


「この昼の時間だけ一か月、

 庭師のラヴァニーノさんの手伝いだってさ」


「ほう。それは、重労働なのだろうか……」


「昨日一緒に行って見てたけど、

 刈り落とした枝とかせっせと

 拾い集めてたなぁ。

 ラヴァニーノさんいなかったけどねー。

 ……あ、そこで甲虫見つけたんだ!

 そこの飼育箱に入れてあるやつ」


バタバタっと飼育箱に群がって覗き込む。

周りの興味があっという間に甲虫に

移って行ったのだが、ユーリは一人、

席に座ったまま何もない机の板面を

凝視していた。


「……なぜ、それで許される……」


ユーリは自分についていた家庭教師を

思い浮かべた。

足の悪い退役軍人でとても優秀だったが

指導は厳しくキツイ言葉と体罰が常態化していた。

ユーリは、イメージを振り切るように

勢いよく立ち上がった。


「レスターは今どこにいるんだろう」


「ラヴァニーノさんは校門脇にある小屋に

 住んでるんだ。

 あの辺りにいるんじゃないかなぁ」


ありがとう、と一言置いて

ユーリは教室を出て行った。

グンターが一緒に行こうかと後に続いたが、

教室から出てみるともう

ユーリの姿は見えなくなっていた。


「あれ?ユーリ、もういないや」


「え? 今出たとこなのに、そんなはず

 ……ホントだ!」





校舎の裏手にまわったレスターは、

ラヴァニーノさんの手伝いで

カニっぽい機械を操って

胴吹き枝の処理を始めていた。


《……おや?

 レスター、お前さんを探しているようだ。

 校門辺りに来ているな。ほう……》



校門にやってきたユーリが辺りを見回していると

校舎の裏手からレスターが

手を振りながら走ってきた。


「ラヴァニーノさんが教えてくれたから、

 迎えに来たよ! こっちこっち」


そう言うだけ言うとレスターは

くるっと向きを変えて、さっさと

校舎裏手に曲がって走って行ってしまった。


「……お、おい」


そっと様子を眺めるだけのつもりだったのだが。

こうなったら行くしかない、か。


ユーリは気配を探りながら、

ただし警戒を悟られないように普通に

足音を立てて小走りに進んだ。

ふと、自分はここで

何をやっているのだろうと思ったが、

習い性となってしまっているから仕方がない。


校舎の端で建物に身を寄せて

いったん立ち止まる。

聞こえるのは葉擦れの音、小鳥のさえずり、

そして、とても静かな機械の駆動音と

時折聞こえる何かのバサッと落ちる音……。


「もういいよ、トーヴェ。

 降りてきてくれるかな?」


レスターの声が聞こえた。……ん?!

もう一人いるのか?

ユーリは慎重に顔を覗かせた。

レスターは樹の根元に立っていて、

ちょうどカニっぽい小型の機械を

抱き上げたところだった。

持ち上げたのではない、抱き上げた!ように

見えた。


「レスター」


「ユーリ、ほら、可愛いだろ。

 こいつ、トーヴェっていうんだ。

 僕が名前つけたんだよ、いい名前だろ?」


「あ、ああ。そうだな」


レスターは別の樹の根元に

そっと抱いていた機械を下ろした。


「トーヴェ、今度はこの樹だよ。

 落っこちないように気を付けて登ってね」


機械は順調に樹を登り始めた。

ユーリは、レスターがとても楽し気に

機械に声を掛けて作業をさせているのを

しばらく眺めていた。

……どう見てもこれは罰ではない。


奔流のように記憶が溢れ出す。


着席が遅れた時、答えを間違えた時、

倒立していてバランスをくずして倒れた時、

しなる小枝のムチで打たれた。

すると赤い線状の跡が残って

ヒリヒリした痛みが数日間続いた。

口答えした時、杖で(したた)かに殴られて

赤黒い痣ができ、痣が消えても数週間

痛みが取れなかった。

目があった時、目つきが悪いと

平手打ちされた。

あれもこれもみんな、罰だった。


ふいに声が掛かった。


「お前さんもやってみるか?」


目をやると、樹の陰から

レスターのトーヴェと同じ機械を持った

背の高い男が現れた。

光の加減では黒にも見える濃い栗色の

緩く波打った髪を無造作に

首の後ろあたりで結んでいる。

深緑色のスリムタイプのカーゴパンツに、

生成りの厚手の綿シャツの袖を

まくり上げた姿だ。

穏やかな微笑みを浮かべてこっちを見ている。

ユーリが口を開こうとした時、

レスターの声が聞こえた。


「あ、ラヴァニーノさん、この子がユーリ。

 今日入ったばっかりの新入生なんだ。

 んで、ユーリ。こちらがラヴァニーノさん」


「おお、そうか。お前さんがユーリか」


「よ、よろしくお願いします。

 ………………あのっ! ラヴァニーノさん、

 一つ質問があります。……レスターの手伝いは

 全く罰らしくないのですが、

 学校の罰というものはこんなに

 ヌルくていいものなのでしょうか?」


レスターはとても驚いた。


「え?罰?!」


「レスターがやってるのは、罰じゃないなぁ」


ラヴァニーノさんは真面目にそう言って

ユーリを見つめた。


「そんな馬鹿なっ! 学校を脱走するという

 重大な問題行動を起こしたことに対して、

 それなりに重い罰が課されないなら

 どうやって規律が保たれるんだ」


目を怒らせたユーリの白い頬に血が上って、

レスターはふとほんのりピンクに色付いた

白桃のようだと思った。


《おい、レスター。今はやめておいてくれ。

 このタイミングで噴き出すととてもまずい》


あ、ごめんなさい、つい。

……ああ、この言葉は

ユーリには聞こえてないんだっけ。

しばらく静かにしていよう……。



「ユーリ、君は今日学校で過ごしてきて

 規律が保たれていないと感じたかい?」


ユーリが渋々答えた。


「いえ、全く。とても落ち着いていて、

 小さな子も含めみな良く集中して

 取り組んでいると思いました。だけど……」


「だったら規律を保つために必要なものは、

 とりあえずは罰ではないのではないか?」


黙り込んでしまったユーリに、

ラヴァニーノさんは一つ頷いて

ニッと笑った。


「それじゃ、ユーリ。

 お前さんも昼食後の休み時間に

 ここに来て私の手伝いをしてみるか」


硬い表情でユーリが問うた。


「……それは、罰、ですか?」


「いや、違う。

 それが何か解るまで、ということに

 しておくかな」


「はい、分かりました」


「それじゃ明日からよろしくな。

 そろそろ時間だから教室に戻った方がいい。

 ああ、レスター、トーヴェに

 降りるように指示だけしておいてくれ」




二人で教室に向かって走りながら、

しばらく考え込んでいたユーリが

レスターに訊ねた。


「……フィルやグンターは

 罰だと思っているふうだったが、

 実のところレスターはどう思っているんだ?」


「僕は始め、

 ボランティアだと思ったんだけど……」


「あ、すまない。やっぱり、いい。

 今聞くのはやめておく。

 自分で何かを見つけないといけないんだった。

 他人(ひと)に聞いても

 自分の答えにはならないんだろう」


「……うん、わかった。明日からよろしく!」


レスターは妙にうきうきした気分だった。

ああ、宙返りしたいなぁ……。

何だか、明日がとっても楽しみだ。





≪続く≫


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