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波紋

異能のラヴァニーノさんとレスターの小さな交流は

なんと心の声で、なのです。とても不思議なのに

それにほとんど違和感のなかったレスターを、

心に大きな傷を抱えるラヴァニーノさんは

少しずつ……。


リコシェとはアレクシア姫の愛称です。

学校の門脇に建つ小屋を住まいとしている

フランコ・ラヴァニーノはその夜、お気に入りの

肘掛け椅子に濃い目に入れたハーブティーの

カップを持ってゆったり座りながら、

見えてしまったイメージ画の

不思議な雰囲気に思いを巡らせていた。


普段は基本的に閉ざしている。

心的に接触したとしても

ごく表面的なところまでだ。

薄皮一枚、それで少しでも抵抗を感じれば

即止めてしまう。ところが、昼間の少年は

あまりにもすんなり受け入れたので、

少々こちらも調子に乗った。


幻聴を利用して直接言葉を送り込んでいたのだが。

思考に返事がある事をこれほど違和感なく

受け入れられたのはほぼ初めてだった。

それでこの少年、レスター個人にほんの少し

興味が湧いた。


興味が湧いたと言っても、

ふと気を向けた程度だったのだが、

その時にスルッと見えてしまったのが

(くだん)のイメージ画だった。


陽だまりを思わせる黄系の色調で描かれた人物画で

描かれているのはおそらく女性だ。


おそらくというのは、曖昧で

全てが確定されていないままになっているように

思えたからであり、一瞬を切り取って

固定して表現すれば確定するのに

それがされていない。

描かれているのが一瞬ではなく、

どれくらいかは判らないが

まとまった時間なのではないかとふと思った。


……それにしても、

どうやったらこんな絵が描けるんだろう。

表情がいくつも同時に存在しているのだ。




……表情がいくつも同時に、か。




厳重に重しをかけて沈めて置いた記憶が

呼び覚まされる。


懐かしい女性(ひと)だ。

たくさんの温かな想いが次々戻ってきて

無上の幸福感に満たされる。

つい、その甘やかな記憶に取り巻かれて油断した。

唐突に思い出す痛みの記憶。


ああ、しまった。……もう遅い。

蓋を開けてしまった……。




人の心が解ってしまうこの私が愛した人。

心の底から愛してくれた人……。


この世で二人といない相手に巡り合えたと

舞い上がった。

この幸せがずっと続くと信じていた。


が、ある日

彼女が私の変身した姿を見たいと言い出した。

あなたの全てをちゃんと知って

その上で受け入れたい、と。


もちろん断った。

断り続けた。


彼女の思いは純粋で、

とても醜いから見せたくないと断っても、

それでも全て受け入れるからと引き下がらない。

そのうち、私が変身した姿を見せないのは

彼女の愛を信じていないのではないかと

苦しみ始めたのだ。


私は何としても彼女を説得して

納得させるべきだった。

どれだけ時間がかかろうとそうすべきだったのだ。


私は根負けした。

それと、もしかしたら私の変身した姿をも

ありのまま受け入れてくれるかもしれないと、

とても楽観的に期待してしまった。



そして、悲劇は起こった。


私は醜い。

人の世で想像できる醜さを超越した醜さなのだ。

彼女の思う醜さの範囲を振り切った人外の醜さ、

化け物レベルをも超えた醜さ、人の想像の

及ばない程の醜さというものがあるなら、

私がそれだ。


この世のものではないおぞましい姿を

目の当たりにして彼女は壊れてしまった。

心を固く閉ざしたままそれから長い事寝込んだ。


私のおぞましい姿をみた記憶さえ

消してしまえればといろいろ試みてみたが、

私には人の心をどうこうできる程の力は

無かったのだ。


そして、ようやく自分で立てるようになって

ホッとしたその日、彼女は自ら命を絶った。




ああ、ああ、後悔なら山ほどある。


この世でただ一人の

本当にかけがえのない人を失って、

消えてしまいたいと思った。

だが、それも果たせず星を渡って今ここにいる。

失ってもなお、この胸に残る温かな記憶が

私には光だ。

癒されることのない胸を(えぐ)る痛みは、

普段は数段深い場所に

厳重にしまい込んではいるが。


……今夜はもう、涙枯れるまで

記憶の中のあの人と向き合おう。



あの子の持っていたイメージ画には、

自分の変身した姿に通ずる気配が

ほんの少し有ったために

記憶が引っ張られてしまったのだと思う。


私のようなおぞましいものではなくて、

温かくて優しくて、

きっと大事な人の記憶なのだろう。

……あの子に良い夢が訪れますよう……に。



この夜、小屋の灯りは

朝まで消えることはなかった。




早朝、学校が動き始めるまでに

もうひと眠りできそうな時間に、

校門へ向かって歩いてきた人影が一つ。

校門手前で脇に逸れ小屋の裏手に立つ。

しばらくその場に佇むと、

そのまま再び学校に向かって歩き去った。




始業時間前、職員室では定時に朝礼が始まり

通常の連絡事項の伝達が行われた。


「……えー、それと……。

 今日は業後、皆さんで検討していただきたい

 事案が一つあります。

 変身すると飛ぶ機能を持つものには

 飛行訓練をすべきではないか、

 というものなのですが。


 これまでは希少種が変身した姿を見せる事の

 重大な危険性を第一に考えて変身する事自体を

 可能な限り避けるべきと指導してきました。

 でも、万一切羽詰まった状況に陥った時

 意味のあるスピードで飛ぶことができるなら、

 その能力が状況を好転せしめ

 身を守ることに繋がるかもしれない、

 というのが提案理由ですね。


 この件については、

 じっくり検討していきたいと思いますので

 各自意見をまとめておいて下さい。

 ……ええー、それでは、

 これで本日の朝礼を終わります」


普段はほぼ静かなまま淡々と過ぎる

朝の職員室がどよめいた。

囁き合う声がいくつも重なり、

個々の声も次第に音量が上がって

それぞれの主張で大揉めになった。

そして、この日の授業はみな

どこか浮ついて

締まりのないものになってしまった。



先生たちの思惑に関係なく、

昼食後レスターはまた

ラヴァニーノさんの手伝いに行った。


フィルとグンターが付いてきて

何やかやとまとわりつく。

ラヴァニーノさんは最初に昨日の続きを頼むよ、と

一声かけて学校の裏手に向かって行ってしまった。


……何だかすごく疲れてたみたいだった。

どうしたんだろ……。

ラヴァニーノさんの力のない背中を見送る。


昨日はとても元気だったし

若いおじさんって感じだったのに、

今日は今にも倒れそうだし

一晩ですごく歳をとったみたい。

……もしかして何か病気かもしれない。



フィルとグンターは駆け回って遊び始めた。

ラヴァニーノさんの事も全然気づいてないし。

ボール持ってくれば良かったなー、と暢気だ。

ラヴァニーノさんのことが気になったが、

とりあえず

やらないといけない事はやらないとね。

また枝葉を抱えて運び始める。



「レスターも一緒に遊ぼうよ。

 見てる人もいないしさぁ」


「んー、レスターは混じらないと思うぞ。

 こういうのはきっちりやりたい方だからね」


へぇ、フィルのやつ、分かってるじゃん。


「うん、僕はパス。

 ラヴァニーノさんも今日はいないし、

 みんなは教室戻っててもいいけどー」


「そうだなぁ……。

 あ?! 甲虫見つけた」


「え?! どこどこ?

 ……わ、いいなぁ。僕も捕まえるー」



二人はあっという間に虫に夢中になった。

腐葉土をあちこちほじくり返している。

たぶん、一人きりになるよりは賑やかでいいかも。


レスターは騒ぐ二人を横目に

黙々と枝葉運びを続けた。

そのうちフィルとグンターは

それぞれ両手に甲虫を持って

飼育ケースを出してもらうんだと言って

学校へ走り戻って行った。



目に付く枝葉は粗方集めてしまったので

今日はもういいかなと一瞬思った。

きっとまた別のところを

刈り込んだりするんだろうけどね。

……でも、まだちょっと時間が残ってるかぁ。



レスターはちょっと迷ったが、学校の裏手に

ラヴァニーノさんを探しに行くことにした。

学校に沿って敷地を奥に進んでいく。

普段は専ら学校内の中庭で過ごすようにと

言われていたので外周がどうなっているか

ほとんど知らなかった。


敷地内の背の高い樹が

ずっと上の位置で枝を広げて被さっている。

下のほうの枝は

すっきり刈り込まれているので、

閉塞感などは全くなく

木漏れ日の落ちる気持ちの良い

森の散歩道のようだ。


ふと、この状態を保つのは

結構大変なんだろうな、と思った。



校舎の端まで歩いて角を曲がると、

樹々の下に細い枝がパラパラと

落ちているのに気付いた。

上の方で音がするので見上げると、

小型の機械が樹に登っていて

幹の下の方に新しく伸びてきた

細い胴吹き枝を切り落としているようだ。



「おや? レスター、どうした」


あ! ラヴァニーノさんだ。

……よかった。大丈夫そう。


「あっちが片付いたし、

 まだ少し時間があったから」


「お前さんは律儀だねぇ……。

 切り上げてもらっても良かったんだが、

 どうやら心配かけたらしい。ありがとな」


いっぺんに20歳くらい歳とったみたいに見えたし

ひどい病気に罹ったのかと思ったけど、

違ってたみたい。


「おいおい、それはあんまりだ。

 ちょっと眠れなくてな、寝不足なだけだぞ。

 疲れが抜けて無いから多少

 げっそりしてたかもしれんが。

 ……そんな酷い様子だったのか。

 それはまいったな」


……あれ? ラヴァニーノさん、

まいったなって言いながら

楽しそうなんだけど……?


「……よしっ!

 それじゃ特別に、こいつを使わせてやろう。

 高いとこの要らない枝を落とすのに

 便利な機械だ。こいつはなぁ、

 こっちの指示通りの仕事をしてくれる。

 さっき丁度一台仕事が終わって

 降りてきてたやつがあるんだ。

 ……ほら、こいつだ」


見れば樹の根元に

小型の機械がうずくまっている。

機械がうずくまるってちょっと変だと思うけど、

うずくまってるんだよ。

パッと見た感じカニっぽい。

で、足の先が何か変わった形だなぁと思ったら、

ああ、これ、ヤモリだ!

ヤモリの足先にそっくり。

ちょっと指の数が少ないけどね。


ラヴァニーノさんは

ひょいっとその機械を持ち上げると、

別の樹の根元に置いた。


「指示してやるとその通りに仕事してくれる。

 背中にほんのり光ってる所あるだろ。

 そこをじっと見て指示してやると、

 視線感知して指示者の声として

 認定するんだな」


へぇ、すごいや。


「樹に登れ」


カニっぽい機械が樹を上り始めた。


「止まれ」


目の前くらいの高さでぴったり止まった。


《こんな感じだな》


あれ? ラヴァニーノさんの声が

ちょっと違って聞こえた。


《ああ、さすがに機械相手じゃ

 声を出さないと通じないからなぁ》


ああ、そっか。そうだよね。……僕もできるかな?


「降りてこい」


カニっぽい機械は、ちゃんと地面に降りた。


《それじゃ、お前さんもやってみろ》


「はいっ!」


カニっぽい機械の

背中の柔らかな光をじっと見つめる。


「えーっと、……それじゃ、

 樹に登ってくれるかな?」


《おいおい、そんなんじゃ機械の方に迷惑だ。

 人相手ならまだしも……おや?!》


なかなか動きださなかったカニっぽい機械が

樹に上り始めた。

レスターの遠慮含みの指示を

多少時間がかかってはいるが

ちゃんと処理している。


《ほお!

 こいつは意外に高性能だったみたいだな》



それから幾らも経たないうちに、

レスターはカニっぽい機械を使って、

ちゃんと胴吹き枝を切り落としていた。

樹一本を処理して降りてきた

カニっぽい機械を抱えてレスターは言った。


「ラヴァニーノさん。

 こいつに名前を付けてもいいですか?

 何だか可愛くなっちゃった」


《ああ、構わんよ。

 そうか、こいつが気に入ったか》


「すっごく!」


満面の笑みで

機械を撫でながら見上げてくるレスターに

目を細める。


《お?! しまった、そろそろ時間だ。

 急がないと授業に遅れそうだぞ》


レスターは大慌てで挨拶すると走り去っていった。

その懸命に走る後姿をにこやかに見送って、

フランコ・ラヴァニーノは一瞬はっとして

表情を失くした。

ぎしぎしと軋むように

片頬にぎこちない笑みを浮かべて

レスターのお気に入りを見やると、

どんな名前になるか楽しみだな、と声をかけた。




レスターが息()き切って教室に戻ると

室内は妙にのんびりした空気になっていて、

席について汗をぬぐっていると

フィルが声を掛けてきた。


「うわ、汗びっしょり!」


「うん。必死で走って来た。

 先生まだみたいで助かった……」


「頑張ったのに残念、自習だってさ。

 課題が出てるから時間内にやって

 提出するんだって」


「えー、なんだぁ。そうなんだ……。

 それが分かってたらこんなに走らなかったのに」


「そんな暢気なこと言ってられないわよ。

 自分の課題見てごらんなさい。

 みんな結構厳しいの貰ってるから。

 ヘタすると時間内に

 終わらせられないかもしれないわ」


オリガがそう言うならと急いでPCFを確かめると

自分にも課題が出ていた。


【希少種が飛ぶ事について思うことを書きなさい】

これだけだった。


……なんだこれ?!


気持ち良かったです。とか、

僕は飛ぶのが大好きです。とか書いて

終わりにしたらきっと

全然足りないんだろうなぁ……。

希少種が、ってわざわざ書いてあるし。



レスターはしばらく考えて書き始めた。


自分はほとんど飛ぶ経験がなかったこと。

月明かりの無い暗い夜に家出して

飛びながら練習したこと。

変身した姿を他人に見られないように

陽が上る前に地上に降りて人型に戻ったこと。

思い返せば、自在に飛べるようになるまで

かなりの距離と高さが必要だったこと。

ここまで一気に書いてまとめに入った。


飛ぶ機能のある希少種に変身したなら

飛ぶこと自体は何とかなると思えるけれど、

きちんと飛ぶためにはやはり

練習が必要だと思うこと。


もし練習するなら、安全な練習場所が絶対必要。

練習していた時には特に不安は感じなかったけど

今落ち着いて考えれば

絶対誰かに見られていないと

安心してしまうことはできないと思う。

明るいよりはマシだけど

闇夜というだけでは足りない気がする。


それともう一つ、希少種自身に

飛びたい気持ちがあるかどうかも重要。

空を飛ぶという事自体に危険もある事だから。


ここまで書いて読み返してみた。


……これだけじゃ、何だか足りないよ。

人に見られちゃまずいから、

いつでも気楽に飛ぶことなんてできないけど、

それでも僕はやっぱり、

飛べるようになって本当に良かったと思ってるし

飛ぶことも大好きだ!ってさ。

これも絶対書いておかないとね。


それから幾らかの集中した時間の後、

何とか書き上げて小さく息をつくと、

背後から掛かったオリガの声で

彼女がPCF画面を覗き込んでいるのに気付いた。


「ふーん、なるほどねぇ……」


「わ! なんだよ、見るなよー」


レスターが焦って隠そうとすると、

もう読んじゃったわ、と笑った。


「私も飛ぶ能力があったらよかったのに。

 そしたら絶対何が何でも

 飛ぶ練習するんだけどな。

 ……ケット・シーはね、

 とても気に入ってるんだけど、

 これだけが足りなかったわ」


そんなに飛びたかったのか……。だったら!


「もしそんな機会があったらだけど、

 僕が乗せて飛んでやるよ」


オリガはすごくびっくりした顔をした。

そして、すごく可愛く笑った。


「ありがと。

 レスターってとっても優しいのね」


今度は僕がびっくりした!

顔がいっぺんに熱くなって

オタオタしちゃったじゃないか。


「や、優しいとかじゃなくてー」


「乗せてもらうのもステキかもしれないけど、

 私はね、自分で空を飛んでみたいの」


ああ、そうか、と思った。

思いのまま自由に空を駆けるあの気持ち良さは、

やっぱり自分で飛んでこそかもしれない。

慰めるほうがいいのかな、とか考えている間に、

提出するのを忘れないようにしなさいよーと、

一言置いてさっさと去って行った。


そんな事、分かってるってば!

……んもう、オリガはいっつも一言多いんだ。



オリガに言われたからじゃなくて、

自分からちゃんと提出した。

ちょっとホッとして見回すと

フィルもグンターもまだ終わってないみたいで

ガリガリやってるようだった。

オリガはコニーのところに行っている。


暇になったPCF画面を前に置いたまま、ふと

ラヴァニーノさんは今どの辺りだろうと思った。

枝落としはずいぶん進んじゃったかなぁ……。


すると、

PCF画面がふいに地図に変わって驚いた。


どこの地図だろうと思ってよく見ると、

なんとここの!

この学校の地図だったんだよ!!


地図上に点滅している光があって、

どこかと思えば敷地内の校舎裏だ。

これってラヴァニーノさんなのかな?

名前が付いてると判りやすいのに、と

思った途端、その点滅する光の上に

細かい文字でフランコ・ラヴァニーノと出た。


うわぁ、うわぁ、スゴイスゴイ!

PCFってこんな事もできるんだ。

これまで検索とか勉強に使ってきただけだったから

すっごい驚いた。

さっきのカニっぽい機械には直接

声で指示しないといけなかったけど

PCFは思うだけでいいんだ!



PCFは音声と思考の両方に対応する。

リコシェやアシュリーは切り替えて使っていたが、

この頃では敢えて余人に聞かせる場合に音声で、

通常は思考対応でと使い分けているようだ。

一般にPCFは音声対応に慣れてそれから

思考対応へと進むのだが、どうやら

レスターには思考対応に適性があったようである。



ラヴァニーノさん、だいぶ進んでるなぁ。

また明日手伝いに行った時

まだ残ってるといいけど……。


《おや、誰かと思ったらお前さんか。レスター》


ラヴァニーノさんっ! なんでっ?!


《見られた感じがしたからなぁ、

 ちょっと広げてみたらお前さんだった。

 心配しないでも樹はまだまだ

 いっぱい生えてるさ。

 明日も頼むな》


はいっ!


《それから、自習らしいが

 まだ授業時間中なんだからダメだぞ、

 要らん事してちゃ》


あ、ごめんなさい。授業時間中はもうしません。


《よし、約束だぞ。これで閉じるからな》


はい。


………………ああ、ビックリした。

ラヴァニーノさんってホントにすごい。




業後の予定だったのだが

昼食時の雑談風話し合いから紛糾し、

とうとう午後の一コマをつぶす事になってしまった

職員会議中に、ランプリング先生は

レスターの課題が提出されたのに気付いた。


【希少種が飛ぶ事について思うことを書きなさい】

家出中に巧みに飛べるようになって戻って来た

レスターはこの課題にどう答えてきたのだろう。


11歳だが当事者の意見は参考になるだろうと、

皆で共有できるようにして紹介した。


煮詰まり気味になっていたので

早速皆が読むこととなり、結果

熱く主張し合っていた2派、すなわち、

危険な目に遭わないため変身すら避けるように

指導してきているのに飛ぶ練習などとんでもない

という現状維持派と、


危険な目に遭う機会を減らすためとはいえ

持って生まれた個性を無為に封じてしまうのは

如何なものかという飛行肯定派の対立は、

ガスが抜けたかのように収まって

会議の流れがガラリと変わってしまった。




この共有のおかげで、思いがけなく

アシュリーもレスターの文章を読むことができた。


「飛ぶことが大好きか。

 まぁ、あの宙返りは好きじゃないと

 できんだろうな。

 学校でもしっかりやっているようで何よりだ」


アシュリーは朗らかに笑いながら、

一直線に飛んで襲い掛かって来た

グリフォンの爪を思い出した。


何て素直な太刀筋ならぬ爪筋だったろう。

きちんと鍛えてやればどんなにか……。


いや、考えまい。

こちらから引き寄せるような事をしてはいけない。

あの子の人生はあの子の選択の先に続いている。


……ひたすら身の安全を守る事を考えて

これまでの保護があったのだが。

……この分じゃすぐにでも練習場所をどうするか

考えないといけなくなりそうだ。


何だか協議会から丸投げされそうな予感がする。

どこか良い練習場所はないだろうか。



アシュリーは頭を抱えた。


コールドブレスを練習するのには、

巨大結晶体の調査を名目にして

ゴールズワージー鉱山の地下空間を使った。

絶対人目に触れないという点では完璧だが

飛ぶ練習には高さが絶対的に足りない。

ドッド砂漠はどうかとふと思ったが、

王都フラムスティードに近いため

意外に人が入り込んだりしているのだ。



「アシュリー? 何かとても楽しそうな

 笑い声が聞こえたのだけれど、……あら!

 眉間に縦ジワが寄ってるわ」


開け放ってある書斎の扉の横に立って

リコシェが声を掛けてきた。


「ああ、リコシェ。

 ちょっと相談に乗って欲しいんだが、

 いいかな?」


「ええ、構わないわよ。いったいどうしたの?」


そう言いながら

リコシェがアシュリーの書斎に入って来た。

リコシェは古いマホガニー製の大きな執務机を

回り込むと、机に向かって座っている

アシュリーの傍に立った。

目に付いたアシュリーの眉間の縦ジワを

撫でながら首を傾げる。

これ、消えるかしら……。


「ん?! どうした?」


「ちょっと縦ジワがね……。

 そっと撫でてると消えるんじゃないかと思って」


アシュリーは慌てて眉間を押さえた。


「ああ、気付かなかった。……目立つかな?」


「まだそれ程でもないわ。

 こういうのって表情の癖からでしょ?

 考え事したりする時に、額に余計な緊張を

 集めているのかもしれないわね。


 ……ああ、そうだ! 卓上鏡を置くのがいいわ。

 それで、ここぞという時に

 どんな顔をしてるかチェックしてみるのよ。

 そうやって気を付けていればきっと

 それ以上深くならないと思うわ。

 その縦ジワも毎晩マッサージしてあげるから

 そのうち消えるわよきっと」


アシュリーはお手上げポーズをした。

こういうのはよく判らない。


「それでは、この件については

 全面的にリコシェに任せることにするよ。

 先に一人だけ老け込むのは

 嬉しくないからなぁ。


 ……ああ、そうそう。さっき

 相談に乗って欲しいと言ってたことなんだが。


 絶対人目につかないで

 飛ぶ練習をしたい人がいるとして、

 最適な場所をどこか思いつかないかな?」


「あら、あなたがなぜ

 考え込んでいるのか解らないわ。

 だって私達、

 そこから帰って来たばかりじゃないの」


アシュリーは目から鱗が落ちた気分を味わった。

私としたことが……。


「あああ、そうだよっ! その通りだ」


アシュリーは椅子から飛び立つように立ち上がると

リコシェを抱きしめてキスした。


対処法はいくらでもある。

やり過ぎると却って目立つから

加減が難しいだろうけれど。

早速、協議会に(はか)ってみようか……。

いや、学校からの打診を待つべきかな。


アシュリーは上機嫌でリコシェの腰を捉えると

クルクル回りだした。


「え? ワルツ?!」


「いや。てきとうに、何かだ」


「あらまぁ……」


アシュリーの上機嫌に巻き込まれた形のリコシェは

少々頭を捻りながらのスタートだったが、

二人は後追いでPCFが奏で始めたワルツに乗って

暫し楽しい時間を過ごした。





≪続く≫


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