秘密の宝物
逃げ出してしまったレスターを呼び戻すために
アシュリーがとった策は思いがけないものでした。
リコシェとはアレクシア姫の愛称です。
レスターは走った。
キャンプの温かいオレンジ色の光から抜け出して、
一気に暗い森の中に駆け込む。
数メートルも進まないうちに何かに躓いて
いきなり転んだ。跳ね起きて更に走る。
だけど、なぜ走っているのかよく解らなかった。
キャンプの光も匂いも声も、
気配の感じられないと思う所まで
がむしゃらに進んでへたり込んだ。
心臓が胸から飛び出しそうに跳ねている。
何だよ、何で逃げてるんだよ……。
だって、いきなり触るから……。
あれ、熱があるんじゃないかって
心配してくれたんだろ。
……そんなの、わかってるよ!
わかってるけど、ダメなんだ。
……何で、ダメなの?
何でって、何でって言われても、ううう
……うるさいうるさいうるさぁぁぁーいっ!!!
……そうだ。ここから離れてもっと遠くに行こう。
もっとずっと遠くに。
レスターは急いで支度すると
グリフォンに変身した。
飛び立とうとした瞬間、ふと何か
大きな圧迫感を感じて動きを止めた。
全身の羽根と体毛が一瞬総立ちになるような……。
何だこれ?!
目を閉じて意識を集中すると
その大きな気配の方向が判った。
こっちって、さっきの焚火の方!!
こんな気配、普通じゃない。
……あの人が、あの人が、危ないっ!
レスターは我を忘れて羽ばたいた。
樹々の狭い隙間を無理やり突き抜けて
暗い空に舞い上がると全力で飛んだ。
すぐに焚火の揺らぎを見つけた。
小さな火も見つけた。……あの人がいた。
そして、そのすぐ側に大きな、大きな……
あれは、ドラゴンっ!?
守らないとっ! 守らないとっ!!
あの人を守らないとっ!!!
レスターは鷲の爪をいっぱいに広げて
上空からドラゴンに襲い掛かった。
誰かの悲鳴が聞こえた。
ドラゴンが真っ直ぐこっちを見た。
その紅い瞳が焚火の光を照り返し
ギラッと光ったと思った途端
ドラゴンが大きく口を開いた。
次の瞬間、あっという間に目の前が真っ白になり
冷気が身体を包む。
翼が急に重くなって訳が分からず、
レスターは怯んで咄嗟に煽るように羽ばたいて
急ブレーキをかけると、そのまま
ドラゴンの手前にストンと堕ちてしまった。
レスターは焦った。
ドラゴンはとても強いと感じた。
羽ばたこうとしたが片翼が凍り付いて重く
動きが鈍い。このままでは飛び立てない。
空は諦めてこのまま戦うしかない。
勝てないかもしれないけど、
僕は、あの人を守るんだ!
レスターは大きく翼を広げたまま、
後足で立ち上がった。
武器はクチバシと前足の鷲の爪だ。
負けるもんかっ!
首を曲げてこちらを見るドラゴンの口元から
冷気が零れ落ちている。
さっきのにもう一度当たったら、
きっとやられてしまう。
その前に攻撃するんだ!
レスターが鷲の爪を大きく振りかぶって
ドラゴンに襲い掛かろうとした時、
ドラゴンの前にあの人が飛び込んできて
両手を広げた。
「止めなさい!
いきなり襲い掛かるなんて無茶過ぎるわ!」
危ないっ!
爪は既にドラゴンに向かって
振り下ろされた後だった。一瞬後には間違いなく
あの人は爪に抉られてしまう。
ああ、当たる。
どうしよう、あの人に当たってしまう。
止まれ止まれ止まれぇぇぇ!
あの人を爪が抉ろうとしたその刹那、ドラゴンが
あの人を庇うようにグイッと首を曲げて
自分の頭をすばやく爪の前に割り込ませた。
ドラゴンの紅い瞳は、激しく燃え上がる怒りの
紅蓮の炎ではなく、まるで夜一人になった時に
寄宿学校の自分の部屋から見上げる、
静寂の森に冴え冴えとした光を落とすマリレの
青い姿のように静かだった。
搦め捕られたようにレスターは
その紅い瞳から目を離せなくなり、
同時にその静かな瞳は一瞬で
レスターの内部に激高していた感情の滾りを
鎮めてしまった。
ドラゴンはレスターの爪の動きを見切った。
力任せに振り下ろしてしまった爪を
途中で留められるほどの力量は
まだレスターには無い。
自分ではもうコントロール出来なくなって
凶器と化してしまったその爪を、
ドラゴンは頭部の2本の太い角のうちの1本で
がっちり受け止めていた。
ドラゴンが軽く首を振ると角に掛かった爪が外れ、
レスターは数歩後退りして
地面にペシャンと腹這った。
「……ごめんなさい」
あの人がドラゴンに向かってそう言って項垂れた。
何だか、あの人がドラゴンに叱られているみたい。
……あの人が襲われていたんじゃなかったの?!
しばらくして、
ドラゴンがあの人の側に顔を寄せた。
あの人はそっとドラゴンの鋭い牙の並ぶ顔に
手を添えて頷いた。
ドラゴンの顔に触ってる……。
レスターは心底驚いた。
“……うそっ!
だけど、ホントだ。
……なんで?! わかんないよ……”
あの人がこちらへ向き直った。
あの人の後ろに青みを帯びた岩のような
ドラゴンの大きな姿がある。
「まず最初に謝っておくわね。
私が不用意に飛び込んだから、もう少しで
あなたに人を傷つけさせるところだったわ。
ごめんなさい」
レスターはキョトンとした。
この人は、なんで謝ってるんだろう……。
レスターの気配が伝わったのか、
その人は少し困った顔をした。
が、すぐ微笑みが浮かんだ。
「私の悪い癖なの。
だいぶ収まってきたと思っていたけど、
まだまだだと判ったわ。
冷静な判断力と自制心がもっともっと必要ね。
……とにかく、あなたに大きな心の傷を
作ってしまうような事にならなくて
本当に良かった」
“……心の傷?
ケガをさせかけたのは僕なのに、僕が傷付く?
……僕は誰もケガしなかったから
ホッとしただけなんだけど”
学校を飛び出してきた日の昼間だった。
レスターの投げたブーメランのつもりの木切れが、
もうちょっとでコニーに当たりそうになった。
偶々コニーには当たらず、代わりに
すぐ横の植木鉢を割ってしまったのだったが。
あの時も、もしもコニーに当たって
ケガをさせてしまっていたら、とは
全然考えなかった。
“……もしかして……もしかして本当に、
ケガをさせてたらどうだったんだろ”
今度こそレスターは考えた。
もしも今、目の前で微笑んでいるこの人を
僕のこの爪で撃っていたら、と。
屋上の硬いコンクリートの床がどうなったのかを
思い出して、身体の芯がキューっと冷たくなった。
ふいに黄金の髪が血まみれで地に広がるイメージが
浮かんでレスターは泣きたくなった。
リコシェは11歳の少年だというグリフォンが
目に見えてしょんぼりしたので、思わず
グリフォンの傍に膝を着くと優しく声をかけた。
「大丈夫よ、間に合ったわ。
誰も傷付かなかったの。
……もしも今、辛い思いをしているのなら、
それはあなたの想像力が豊かで
ちゃんと物事を受け止める力が
育っているって事なのよ。
……大丈夫、あなたはこの爪で
誰も傷付けなかった」
そう言ってリコシェはゆっくりとした動作で
グリフォンの前足の鷲の爪に触れた。
グリフォンはその瞬間全身をビクッと震わせたが、
その後はジッと身動きせず
リコシェがそっと撫でるがままに任せていた。
「……太い立派な爪ね。だけど、これを
武器として使うのはまだ早いのかもしれないわ。
もっと多くの経験を積んでいろんな事を学んで、
……そうね、物事を正確に掴むためには
見えている事だけでは足りなくて、
見えている事や知っている事を
みんな合わせて考えて、
見えていない事も解るくらいになっていないと
足りないのよ、たぶん……。
強い力はね、使い方を間違えると
ただの乱暴者に成り下がってしまうの。
あなたが持っているその力を
本当に活かすためには、きっととてもたくさん
自分を磨かないといけないんじゃないかと
思うわ。
……私にはこんな立派な爪や角は無いから
自分に何ができるか、それこそ山ほど
考えないといけないけど、
守ってもらうだけじゃなくて
私も役に立ちたいと思うから」
そう言ってリコシェはドラゴンを見上げて微笑んだ。
「私もまだまだ勉強中なの。頑張らないとね」
ちょっと覗き込むようにしてグリフォンに微笑む。
レスターはパッと頬に血が上ったが
グリフォンの姿では羽毛の下だ。
「そうだわ! お腹空いてない?
さっき焼けたトウモロコシもサツマイモも
今ならまだ食べ頃よ。
……もし着替えるならテントの向こうだったら
見えないかな。
でも、無理に着替えなさいとは言わないわ。
なぜかというとね、ドラゴンさんは、
今日はこのまま着替えないからなんだけど」
リコシェは笑顔を引っ込めて、
とても真面目な顔で言った。
「……希少種の人はみんなとても気を付けていて、
他の人に姿を見せないようにしているのは
あなたも同じよね。
そのままじゃ食べにくいでしょうから、
私たちはしばらく
どこかへ行っていることにしましょうか」
レスターがどう返事したものかと迷っている間に、
リコシェは子供向け世話焼きモードに
突入してしまった。
「……そうね、まだ持つと熱いかもしれないから、
ちょっと触ってみて
火傷しないで持てるかどうか試してみてね。
それから、足りなさそうだったら保冷箱に
まだいろいろ入ってるから焼いて食べてね。
ああ、それだったらもう
焼き始めておく方がいいかしら!
やっぱり肉と野菜とをバランスよく
食べなくちゃね。
黄色とオレンジ色のパプリカを
持ってきているんだけど、これがね、
焼くととても美味しいのよ。
あ、それから、輪切りの玉ねぎは
バラバラにならないように串に刺してるから、
これはこのまま焼いてね」
レスターは、その人が自分のために楽し気に
食べ物の支度をしてくれている様子が
不思議と懐かしく思えて、何故かここに
一人で残されるのはイヤだと思った。
なので、その人を驚かせないように
静かに立ち上がると、タッタッタッと
テントの向こう側に回り込んだ。
翼をバタつかせて氷の融けた雫を払うと、
レスターは変身を解いて人型に戻り
急いで身支度した。
テントの陰から出ようとして数秒ためらったが、
急いでその人のところに戻ると、
おずおずと声をかけた。
「……あ、あの……、僕、レスターと言います。
僕も手伝います」
「まぁ!」
リコシェはとても驚いて、
思わずアシュリーを振り返った。
ずっと静かに様子を見ていたアシュリーは
ドラゴンの頭で微かに横に首を振ってから
一つ頷く。
「ああ、レスター、ごめんなさいね。
私達、名前は言えないの」
「あ、平気です。僕、顔覚えるの得意だし、
あだ名考えるのも好きだから」
リコシェはあまりに思いがけない返事に
目を見張った。
名前が不明なら付けてしまえばいい。
本当にその通りね。何て柔らかな……。
リコシェの顔がほころんだ。
「あら、それは素敵ね。
……良かったら、思い付いた名前を
教えてもらえると嬉しいんだけど」
「えー?! ……じゃあ、カッコいいのを考えます」
「ふふっ、よろしくね」
それから、リコシェはレスターと一緒に支度した。
もうほとんど準備はできていたので
ほぼ並べて焼くだけだ。
大きなスプーン二本をピンセットのように
組み合わせた風な形状で、食材を掴む先の部分が
ギザギザに加工してあるバーベキュー用の
トングを使うと、熱い思いをしないで食材の
焼け具合を見たり、ひっくり返したりできる。
リコシェは最初にトングを使って見せると、
後はレスターに任せるようにしてみた。
すると、しばらくの間はぎこちなかったのだが、
レスターはすぐにトングに慣れて
自分の指のように使いこなすようになった。
「レスターって、とっても器用ねぇ。
もうすっかり使いこなしてる。……すごいわ」
リコシェが感心すると
レスターはパッと赤くなって照れた。
「ランプリング先生が、道具はしっかり
練習しないとちゃんと使えないって
教えてくれたから、どうやったら
ちゃんと使えるのかなって考えただけだよ」
「あら、それってどんなふうに考えたの?」
レスターはトングを親指と人差し指で摘まんで
カチカチさせた。
「これって、真ん中のところが
バネみたいになってて、こんなふうに
ちょっと押さえるだけですぐに
きっちり挟んで持てるんだけど、
ちょっと重い物だと二本の指だけじゃ
グラグラして落っことしそうになるんだ。
だからこんなふうに……」
レスターはトングを親指と残りの4本の指で
握り込んで持った。
「こんなふうに持つと
グラグラしなくなるんだよ。
これでいいかなと思ったんだけど、
何だかこれじゃ細かい動きが
やりにくいかなぁって思って、
何がいけないかなって考えたら……」
リコシェはレスターの説明を
ニコニコしながら聞き、
手を動かして試してみては、
そうねと合いの手を入れている。
「指が塊になってるから動かしにくいんだって
思い付いたの。だけど、重い物を持っても
グラグラしないくらいしっかり
持たないといけないから、役目を二つに
分けてみたらどうかなって思って……」
11歳って聞いたっけ。
成長がとても楽しみね。
……ああ、この子を手元において成長を見守る
機会を奪われてしまった親御さんを思うと
胸が痛いわ……。
「こんなふうに、人差し指だけ別にして残りの
指3本はしっかりトングを握る役目にすると、
とてもいい感じに使えるようになったんだよね」
「なるほどねぇ。レスターの考えが
どう変わっていったかがとてもよく判ったし、
より良く使うためにどうしたらいいか
ちゃんと考えてて、実際とても
しっかり使えるようになったものね。
大したものだわ」
しっかり認められてレスターはとても嬉しそうだ。
レスターは勧められるまま
焼けた物からどんどん食べた。
育ち盛りの健康な食欲は
見ていて気持ちがいいほどで、
リコシェはゆったり座ったドラゴンが目を細めて
少年の食べる様子を見ているのに気付いて
幸せな気持ちになった。
この人はきっと子煩悩な父親になるに違いない。
リコシェはレスターの食事に
コーヒーで付き合いながら会話を楽しんだ。
レスターはお気に入りの冒険物語の話や
友達との楽しい遊びの話をした。
リコシェはかなりの聞き上手だった。
リコシェを相手にすると大抵の人は
とても気持ち良く話をすることができ、
後から思い返してとても楽しく過ごせたと
満足してぐっすり眠れるのだった。
レスターも大人の人にここまでしっかり
相手をしてもらったのは初めてで
とても楽しくて少しばかり舞い上がってもいた。
後片づけをして再び焚火を囲む。
レスターにはよく眠れるように
蜂蜜入りのホットミルクだ。
レスターが一口飲んだタイミングで問いかける。
「……ねぇ、レスター。
レスターはこれからどうするつもりなの?」
レスターは蜂蜜の香りのほんのり甘いミルクを
もう一口飲んで、ほんのちょっと沈んだ顔をした。
「……僕は、父さんと母さんに会ってきますって
置手紙をして飛び出してきちゃったんだけど、
こんなにどこまでも森が続いてるところだとは
思ってなかったんだよ。
高く飛べばすぐ何処かに
余所の家の灯りが見えて、
それで、そっと近づいて、うーん……窓とか
そういう声の聞こえる所で
じっと耳を澄ませてたら、
ここがどこなのかとか他にもいっぱい
いろんな事がわかって、それで
それを手掛かりに大きな街に行って
父さんと母さんをそっと探そうと思ってたんだ」
レスターはふぅっと一つ小さなため息をついた。
「……僕が考えてたよりもずーーーーっと、
世界は広かったみたい」
レスターの口ぶりから、リコシェには
レスターが両親を探すのは諦めた事が判った。
なんと慰めよう……。
「……レスター」
「そんな心配そうな顔をしないでね。
僕はまだまだ世界に比べてちっちゃすぎるって
解ったから。
……飛び出してくるのは早過ぎたんだよね。
だから、僕は
明日学校を探して帰ることにするよ。
……んー、ちょっと残念だけど
いっぱい飛ぶ練習もできたし
木の枝にとまる事もできるようになったし、
Dさんにも会えたし」
そう言ってレスターは
ドラゴン姿のアシュリーを見上げた。
「やっぱり、ドラゴンさんは
ドラゴンさんだなぁって思うんだ。
だけど、ドラゴンさんだったらあんまり
そのまんま過ぎるから頭文字をとって
Dさん。カッコいいでしょー」
レスターは、つと立ち上がると
アシュリーの前に背筋を伸ばしてきちんと立った。
「Dさん、さっきはいきなり
襲い掛かってごめんなさい。
僕はここからちょっと離れた所で変身した時、
ここに大きな何かを感じて
ヒマワリさんを守らないといけないって
思ってしまったんです。
それなのに、もうちょっとでヒマワリさんに
大ケガさせてしまうところでした。
ヒマワリさんを僕の爪から守ってくれて
ありがとうございました」
ドラゴンは目をパチクリさせたが、
大きく一つ頷いて見せた。
レスターはリコシェの方に向きを変えた。
「ヒマワリさん、Dさんが守ってくれなかったら
僕の爪でヒマワリさんに
大ケガさせてしまう所でした。
本当にごめんなさい」
「レスター、あなたの謝罪を受け入れます。
だからもう気にしなくていいのよ。
……それから、Dさん、ヒマワリさんと言うのが
私達のあだ名ね?
ふふっ、とても素敵な名前を考えてくれて
ありがとう。嬉しいわ」
レスターは笑顔全開だ。
「やっとちゃんと謝れた! 良かったぁ。
これで学校に戻ったら、いろんな事を全部
みんなに話してやれるかな。
もう恥ずかしい事は一つも無くなったし」
「ああ、レスター。その事だけど……」
リコシェはとても申し訳なさそうに話し始めた。
それは、ここで出会った事は秘密にして欲しい
という事だった。
親友にも信用できる先生たちやその他
どんな人にも、例えそれが両親であっても
誰にも絶対秘密に、と。
そうしなければならない理由がある。
だけど、その理由も明らかにはできないのだ、と。
唯一の例外がレスター自身であるとすることを
約束して欲しいと頼んだ。
レスターはそれを聞いてとても残念に思った。
心躍るこの出会いを誰にも言う事ができないのか。
黄金の輝きを持つ、
この優しくて楽しい美しい人の事も、
伝説のままにコールドブレスを放つ、
畏怖の対象とされるドラゴンの
意外に静かな紅い瞳の事も。
「わかった。誰にも言わない!
僕の翼にかけて約束するよ。
Dさんとヒマワリさんの事は、
僕だけの秘密の宝物にする」
「レスター、ありがとう!」
「……またいつか会える?」
「……そうね、あなたがしっかり自分を磨いて
ちゃんと大人になったら、もしかしたら
人の姿のDさんにだって会えるかもしれないし
会えないかもしれない。もちろん私だって。
……全ては、あなた次第ね」
レスターの好奇心がムクムクと頭をもたげた。
“会えるかもしれないし会えないかもしれない
って、どういうことだろ?
……落ち着いてよく考えてみよう。
考えなくても一つ分かるのは、
いい加減なことをしてたら
絶対会えないって事かな……。
人の姿のDさんって、どんな人なんだろ。
……よぉーし、きっとまたいつか
Dさんとヒマワリさんに会うんだ。
その時、僕を覚えてますか?って訊いたらきっと
覚えてますって言ってくれると思う……けど”
レスターはどうしても尋ねずにはいられなかった。
「……あの、その時まで僕を覚えててくれる?」
「もちろんよ、レスター。
絶対に!あなたを忘れたりしないわ。
……そうね、一つだけアドバイスするとしたら、
自分を磨くだけじゃなくて
あなたのPCFもしっかり育てなさい」
「え? PCFを?!」
レスターは考え込んだ。
PCFって育てるものだったなんて
全然知らなかった。
何だか、ワクワクしてきたぞ!
その夜、予備の寝袋を借りたレスターは、
ゆったり横たわるドラゴンにくっついて
数時間仮眠した。
リコシェの野宿はアシュリーが許さず、
結局リコシェは一人テントの中だった。
「……レスター、そろそろ時間よ。
夜が明ける前に移動してしまわないとね。
起きて、支度しましょ」
声をかけられて目を覚ますと、
美味しそうな匂いが辺りに漂っていた。
パンケーキが焼けていて
果物とゆで卵が添えてあった。
「途中までDさんが一緒に行ってくれるから、
迷子にならずに戻れるわ」
「え?! Dさんと飛べるって、スゴイっ!」
急いで支度をして慌ただしく朝食を摂った。
「Dさん、ヒマワリさん。
いっぱい、ごちそうさまでした。
とっても美味しかったです。
どうもありがとうございました。
僕が大きくなった時いつかまた
絶対会えるように頑張ってきます。
それまで僕の事覚えててくれたら嬉しいけど、
でも、もし忘れちゃっててもきっとまた
思い出してくださいね」
ヒマワリさんがふわっと抱き締めてくれた。
テントの向こうできちんと服をしまうと
忘れ物がないか周りを見回す。
リュックを背負うとグリフォンに変身した。
ヒマワリさんが僕を見てる。
行かないといけないけど、もう一回だけ。
ほんのちょっとだけ。
レスターは、ヒマワリさんに駆け寄って
頭を寄せる。
ヒマワリさんが頭を撫でてくれた。
もうビクッとなんかしない。
僕はきっとこの人のところに戻ってくるんだ。
Dさんが飛び立った。僕も行かなくちゃ。
リコシェは
アシュリーを追って飛び立ったレスターを
地上から見送った。
……あの子とはまたきっと出会う気がする。
それまで楽しみに待っていましょうか。
夜明けまでにはまだしばらくある。
朝の光を迎える前に身を屈めるように一段暗く
感じられる夜空を、
ブルードラゴンとグリフォンの幼獣が飛ぶ。
世界を駆け巡るニュースになる光景だが
誰も見る者はない。
しばらく飛ぶとドラゴンがスピードを緩めて
空中で停まった。
レスターもスピードを緩めてドラゴンを見ると、
縦に首を振っている。
このまま真っ直ぐ行けって事かな……。
レスターは頷くと強く羽ばたいてスピードを上げ、
そしてクルンと真上にむかって一回転して見せた。
“送ってくれてありがとうございました”
背中にドラゴンの視線を感じつつ、
レスターはそのまま真っ直ぐ飛び続けた。
しばらく進むと学校が見えたので屋上に着陸する。
飛び出した時に穴だらけにした部分はしっかり
補修されてすっかり元どおりになっていた。
ちょっとだけホッとする。
レスターは急いで人型に戻ると手早く身支度した。
……ああ、帰ってきたんだ。
明るくなるまでもうちょっと寝ようっと。
自分の部屋に戻ろうと屋上のドアを開けた。
すると、そこには
ランプリング先生がいてヘルマン先生がいて、
学校中の先生たちもみんないて、
ブーメランの板を分けてくれた庭師のおじさんも
いつもちょっと大盛りにしてくれる
食堂のおばさんも、たくさんの大人の後ろに
コッソリとフィルまでいて。
びっくりして固まったレスターは
たくさんの笑顔の人たちに囲まれた。
そして、駆け寄ったランプリング先生は
ポロポロ涙を零しながらレスターを
ギューッと抱き締めた。
「おかえりなさい、レスター。
疲れたでしょう?
すぐベッドに入ってぐっすり眠りなさい。
全てはあなたが起きてからにしましょう」
「……いっぱい叱られる?」
「さぁ、どうかしら。
とにかく、ゆっくり眠ってからよ。
ほら、部屋に戻りなさい」
「はい、先生」
フィルが大人の間をすり抜けてやってくると、
レスターの手を掴んで引っ張った。
「レスター、お帰り。行こっ?」
「うん!」
子供たちがバタバタと階段を駆け下りて
行ってしまうと、大人達はみなホッとした顔で
三々五々それぞれの持ち場に
ゆっくり戻っていった。
ヘルマン先生が
最後に残ったランプリング先生に声をかける。
「ランプリング先生、良かったですね」
「ええ、ホントに。
これでやっとゆっくり眠れるわ。
……ああ、早速無事に戻った報告を
入れておかなければ。それと、感謝も」
「こんなにすんなり戻ってくれるとは
思いませんでしたよ」
「ええ、本当に。……でも、これで
浮足立っていた校内もだんだんと
落ち着いて行くことでしょう。
なにがあったか詳しく知りたい所だけれど、
おそらくそういう事は上が望まないでしょうから
レスターの答えるままを正式な記録として
残すことになるでしょうね」
「あの子の行動から何か見えるかもしれませんが」
ランプリング先生は、そうかもしれないわねと
数度頷くと階段を降り始めた。
報告を入れているとおそらく今朝はもう
ベッドに入るほど時間はないだろう。
レスターと話すのが楽しみでもある。
その頃、自分のベッドで気持ち良く
手足を伸ばしたレスターは、眠ろうと目を閉じた。
すると浮かんでくるのはやっぱり黄金色の髪の
ヒマワリさんとブルードラゴンのDさんだ。
ああ、写真を撮らせてもらえば良かったなぁ……。
全然そんな事思いもしなかった。
そうだ!
はっきり覚えている今のうちに絵に描いておこう。
明日先生に画用紙貰おうっと。……あれ、
そうしたらみんなに見られる絵になっちゃうな。
秘密なのにダメだよ、見られちゃ。
どうしよう……。
あっ!そうだ。
ベッドに横になったまま、
レスターはPCFを立ち上げた。
絵を描くにはどうしたらいいかな……。
まず、画用紙。
「真っ白の画用紙になれっ!」
あ、やった! 画面が白くなった。
じゃ次は絵の具だよ。
「黄色になれっ!」
わ、画面いっぱい全部黄色になった!
タンポポさんの髪はこんなに平べったい
一色じゃなかったよ。
……もっといっぱい色が要るのかな。
「もうちょっと濃い黄色になれっ!」
画面全部ちょっと濃い黄色になった。
……あれ、さっきの黄色はどこにいったかな?
レスターは立て続けに指示を出して試してみた。
「さっきの黄色!」
「2番目の黄色!」
「一緒に半分ずつ」
「いろんな黄色、ちょっとずついっぱいっ!」
ああ、色はいっぱいあるんだ……。すごいなぁ。
イメージの中のヒマワリさんを
そのまま描きたいなぁ……。
ヒマワリさんの髪は……焚火の光に照らされて
……ふわぁぁ、むにゃむにゃ……んーっと、
金色の長い髪で……水色の綺麗な瞳の……
花みたいな良い匂いで……むにゃむにゃ…………
レスターはヒマワリさんと焚火の傍に
一緒にいる夢をみた。
いつもの時間に枕元の目覚ましが振動した。
目覚めると淡い光が浮かんでいて
そこにヒマワリさんがいた。
……あれぇ、寝ぼけてるかなぁ。
目をこすってもやっぱりヒマワリさんがいて、
レスターはベッドから飛び起きて二度見した。
よく見るとぼんやりして
はっきりしないところもいっぱいだけれど、
僕には判る。
これは間違いなくヒマワリさんの絵だ!
僕は、寝てる間に何をやっちゃったんだろう?!
その画像は[夢の絵1]と名前を付けて
しっかり保存しておいた。
≪続く≫