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花の香り

ムンムエア‐ジッグラト寄宿学校を一人飛び出した

変身型グリフォンの少年レスターの小さな冒険の

二日目は、何が起きるのでしょうか。


リコシェはアレクシア姫の愛称です。


レスターは身体が痛くて目が覚めた。

リュックを抱え込んで

樹の幹に寄り掛かったままの姿勢で寝ていたので、

身体のあちこちがギシギシする。


「……あ、あれ? なんだこれ。いたたた……」


リュックを横に転がすと、

丸まっていた背中をとりあえず真っ直ぐにした。

伸ばしていた膝を曲げてみる。

何だか身体中錆びついたような気がする。


痛みを振り払うように無理やり立ち上がると、

学校で教わったストレッチをやってみた。

ちょっとずつ身体がほぐれていくようで、

ホッとした。


「あー、びっくりした!

 樹になっちゃうのかと思った……」


辺りはすでに薄暗いが

樹々の隙間から空を見上げれば、

まだそれほど暗くもなっていないようだ。

なんとなくホッとしたら、いきなりお腹が鳴った。

転がしたリュックを拾うと急いで中を開けてみる。

お菓子がいっぱいだ。


大きな樹の根元に座ると、

リュックを抱え込んだまま手を突っ込んで

手当たり次第に食べ始めた。

パリパリもしゃもしゃ、どんどん食べる。

食べ始めるととてもお腹が空いていたことに

改めて気付いた。

いっぱい飛んだし、また今日もたくさん飛ぶし。

そして、気付くとリュックがすっかり痩せていた。


眠る前に飲んだボトルの水の残りを

グイグイ飲んだのでとうとう空になった。

空き袋を一つ選んでゴミを詰める。

空のボトルは何かの役に立つかもしれないと、

きちんとキャップを閉めてリュックに戻した。

ゴミは散らばらないように

まとめてリュックに入れた。


「こんなところに置いていったら

 誰も片づける人はいないし

 ずっとこのまんまかもしれないもんね。

 僕の捨てたごみが何百年も

 ここに落ちてるなんて、そんなのイヤすぎる」



服をきちんと畳んで全てリュックに詰め、

忘れ物がないか周りを確かめた。

防寒着もしっかり丸めてベルトで留めたし、

靴紐をしっかり結んでリュックのベルトに通した。

リュックを背負って変身すると

今度も翼の間辺りに収まったが、

何だか(かさ)が減って頼りない。


けど、きっと今夜は何か見つかるはず。

そう思って気にしないことにした。

それよりも、空だ。

どんなふうに飛ぼう。

見上げるとまだ明るさが残っている。

……まだ、かな。もうちょっと我慢しないと。





一方、ようやく決めたポイントに到着した

アシュリーとリコシェはキャンプの支度を始めた。

テントは形状記憶フレームで簡単に立ち上がる。

手間は四隅を専用の杭で固定するだけだ。


雨は滅多に降らない土地柄だし

森の中なので強風の心配も要らない。

雨対策も風向きを気にする事も必要なかった。

おまけに、柔らかな腐葉土の地面はフカフカだ。


気を付けなければならないのは火の扱いである。

大切に保護されている森林地帯なので、

地面に直接火を置いて

焦がしてしまう訳にはいかない。


防炎シートを敷いて焚火台を置く。

炭や薪を置く器にしっかりした脚が付いていて

焚火そのものを地面より数10cm上に保つ器具だ。

上部の網で直接食べ物を焼く事も出来るし

鍋等を置いて煮炊きもできる。


ただ絶対に火事を起こしてはならないので

何よりも火の位置には気を付けた。

PCFで直径数メートルの空間を取り込み

火の粉が飛んだ場合の軌跡をシミュレーションさせ

周りの木々の枝に最も影響の少ない場所を選んだ。


一応、パチパチと火の粉が()ぜて

何処かに飛び火させてしまわないように、

火の粉の飛びにくい多少硬めの炭を

用意してきてもいた。


「そろそろ火を起こそうか。夜はすぐそこだ」


ランタンに明かりを灯すと、森の中一足先に

夜の闇に移り変わろうとしていた薄暗さを

瞬く間に遠ざけ、柔らかなオレンジ色の明かりが

温かく周囲を包む。


「こういう手の中の小さな炎はいいな」


「そうね。

 とても優しくて懐かしい感じがするわ」


ランタンスタンドを立てランタンを吊り下げた。

次いでアシュリーは焚火台の上、中央に

着火材を置くとその周りを炭で囲うように並べた。


小さな炭のカマクラの中の着火剤は

雨の中でも炭を熾せるという強力なもので、

ノズルの長いライターで炭の奥の着火剤に

火を点けると後はしばらく待つだけでいい。



焚火台からほんの少し離した位置に

簡易テーブルを設置してホイルでカバーをした。

保冷箱から下ごしらえしてある肉や野菜を入れた

密閉袋を取り出す。肉や野菜を

金串に順番に刺してトレイに並べていく。


アシュリーが器用にティースプーンで

底を残してリンゴの芯をくり抜くと、

リコシェはバターとシナモンシュガーを詰め

ホイルで包んだ。


それから、数ミリ幅で蛇腹に切れ目を入れてきた

ジャガイモに薄いチーズとベーコンを

適当に挟み込んでこれもホイルで包む。

蛇腹のサツマイモにはシナモンバターだ。

この他にもいろいろと準備してきた素材を

二人で焼くばかりにセットしていく。


リコシェは何となくだが3人分なのかなと思う。

……本当に誰か来るのかしら。


ちらっとアシュリーを見ると

炭火を気にしている風だった。

視線に気づいたらしく、ふいにこちらを見る。

……ん? と物問いたげな表情に

首を振って微笑む。


「少しずつがいいかしら」


「ああ、その方がいいだろう。

 夜は長いからね」





じりじりしながらレスターは空を見上げる。

森の中はすっかり暗くなってしまった。

ずっと上の樹々の隙間から見える空は

まだほんのり明るく見える。

もう飛びたくて飛びたくて仕方がない。


“もういいかな。……まだ、明るいかな。

 やっぱりもうちょっとかなぁ……”


ずいぶん我慢したと思った。

さっきからもう4回も空を見上げている。

翼がうずうずして我慢ができなくなった。


“そうだ、あの上の枝まで行こう。

 あそこなら空もよく見えるし、

 暗くなったらすぐ飛び立てるよね”


そう思った瞬間にもう羽ばたいていた。

上の方は枝が混み合っていて

やっぱりちょっと狭い。


狙っていた枝を掴んだ。

と、後足がぶら下がる。


“ひゃあ!”


慌てて羽ばたいて身体を持ち上げた。

後足、どこに置いたらいいんだろ。


ジタバタしているうちに片足の爪が

枝に掛かったので何とかもう一方の足も、

と思ったが身体が妙な風に捻っていて

空振りばかりだ。

とうとう掛かっていた爪も

樹皮を剥がしてまたぶら下がってしまった。


“んもうっ! 何だよこれー”


翼を広げたまま前足の鷲の足で逆さに

ぶら下がりながら、レスターは考えた。

何で上手く行かないんだろう。



ぶら下がっている枝が目の前にある。

がっちり掴んでいる鷲の足も目の前だ。

じゃあ、後足は?と考えて気が付いた。

後足はライオンだ。

枝を掴むにはかなり不安がある。

そもそもそんなに器用にはできていないよね、

肉球の足って。


ランプリング先生が言ってたっけ。

道具はちゃんと練習しないと使えないって。

もしかしたら同じような事かもしれないぞ。

自分の足だけど、これまであんまり

使ってこなかったライオンの足だし。



レスターは脳裏に一つのイメージを浮かべた。

とことこ歩いてきた猫が中庭の鉄棒に飛び乗った。

器用にバランスをとって

何とか鉄棒の上に立っている。


……でもこれだと何だか落ち着かないなぁ。

ずっと立ったままバランスとってないと

すぐ落っこちちゃうよね。

イメージの中の猫を動かそうとしたら

一歩踏み出した途端、

あっという間に落ちてしまった。


イメージの猫は器用に身体をひねって

軽やかに足から着地すると

行儀よくきちんと座った。

そのままなぜか暢気に顔を洗い始めてしまった。

レスターはイメージの猫を追い払おうとしたが

居座って動かないので、とりあえず

放っておくことにした。


鉄棒に猫は乗らないけど、もしこれが枝なら

猫だったらひょっとしたら上手く

歩けるかもしれない。


……あ、そうだ! 図鑑で見たヒョウだったら

上手に木の上にいるよ。寝られるくらいだしね。

それに細い枝でも真っ直ぐ歩けるし。


ライオンはそんなに木の上は得意じゃないかも。

それと、鷲の足は両足で鉄棒を掴むみたいなのは

得意っぽいけど、猫やヒョウみたいに

直線上を真っ直ぐ歩くのは……。



前足と後足が違うってちょっと不便だよね。

困ったなぁ、どうしよ……。



レスターはふと、

お行儀よく座っている猫のように、

枝に掴まっている鷲の足の外側に

両方の後足を乗せる事ができたなら、

ちょっとはマシかもしれない、と思いついて

試してみる事にした。


失敗しては何度も試す。そのうち

飛んでいるうちに思い切り背中を丸めて、

前足後足をほぼ同時に着枝させる事を思いついた。


広げたままの翼でバランスを取る。

鷲の足ではがっちり枝を掴み、

後足はそっと枝に乗せる感じで上手く行った。

長いライオンのシッポも使って

懸命にバランスを取った。


思っていたよりもずっと

シッポが役に立つ事が判った。



高い樹の枝に座って姿勢を保つ。

何度もバランスを崩してぶら下がりながらも

徐々に翼を閉じて行き、最終的には

シッポだけでバランスをとるようにしてみた。


何となく枝に居る事にちょっと慣れてきたかな。

いつか枝で眠れるようになれたらいいなと思った。


そしたらフィルに言うんだ。

今日は外の木の枝で寝ようかなって。

そしたら、フィルは目を真ん丸にして驚くぞ。



夢中になって枝にとまる練習をしていた間に、

空はすっかり暗くなっていた。


よぉし、行こう!


レスターは丸めていた背中を思い切り伸ばすと

後足で強く枝を蹴って宙に飛び出す。

同時に広げた翼は強く羽ばたいて

レスターを一気に上空に連れて行った。


高く高く空に昇る。

やっぱり空はいいなぁ、めちゃくちゃ気持ちいい。


飛びながら空中で背伸びをした。

四肢をぐぅんと突っ張って

思いっきり背中を反らした。すると、

そのまま宙返りしそうな気配があったのだが

途中で失速して落ち始めた。


あれ?! 今のは……。



レスターの工夫の虫にスイッチが入った。

まず、再現からやってみる。

どうしたら何が起きたか。

身体を突っ張って背中を反らしたっけ。


再び失速して落ちながらレスターは考えた。

もうちょっとで上向きに回りそうだよね。

だけど、途中で止まっちゃう。

なぜだろ……。


もしかしたら、

突っ張ってる足が邪魔してるかな?

身体の反らしが足りないかな?

スピードが足りないのかもしれない。


一つずつ試してみながら工夫を重ねる。



何度も何度も試した。どうやら前足は

ギュッと縮めて胸に寄せるほうがいい。

後足は逆に縮めようとすると邪魔になるようだ。

真っ直ぐ真後ろに向かって一回転するなら

精一杯の身体の反らしと

スピードが要ると解った。


結構大変だけど宙返りは面白い。

ツバメみたいに軽々できるようになると

カッコいいかもしれない。


そんな事を思いながら、

くるんっと一回転する。

天地が逆さまになってヘソが天を向いた時、

ほわっと香ばしい匂いを嗅いだと思った。


“えっ?!”


片翼を閉じて即座に横に半回転、

身体を通常位置に戻す。

両翼を広げて煽るように羽ばたいて

急ブレーキをかけた。


“……もしかして今の、

 トウモロコシが焼ける匂い?”



一瞬通り過ぎた匂いをもう一度探そうとした。

そのあたりを適当に見当をつけて飛んでみる。

……見つからない。気のせいだったのかな。


……あ、そうだ! 風は……。

風上の方を見る。

相変わらず森は真っ暗で何も……、あれ?



レスターは暗い森のだいぶ先の方に、

空気の揺らぎが見えたような気がした。


近づいてみる。

通りすがりに下をチラッと見ると、

森の中に小さな焚火があった。


人がいるんだ!

心臓がドキッと跳ねた。


慌てて遠ざかる。

人に見つかったら大変だ。

絶対見つかっちゃいけないんだ。

今すぐここから離れないと!


どの位飛んだか、しばらくして

目に付いた枝の隙間からそっと森に降りた。


しばらく身動きしないでじっと身を潜める。

闇に目を凝らし耳を澄ませる。

感覚が捉えるどんな小さな情報も逃すものかと

気を張った。


そのうち、暗い森の中で闇が怖くなった。

どこから人がやってくるか分からないのだ。

小さな物音一つに飛び上がるほど驚いてしまう。

それで、地上にいるよりは、と舞い上がって

ずっと上の高い木の枝にしがみついた。






アシュリーは焚火台の傍に座って

焼きあがった肉をほおばりながら、

今日はやはりダメか、と思った。


読みが当たってPCFの感知範囲に

入ってきてくれたのは良かった。

こちらに気付くまでは明確に

移動を目標にしてはいないのが読み取れた。


飛行の経験が少ないので

飛びながら練習しているのだろうと思っていた。

そして、

明らかに挙動が変わったポイントがあった。



それは突然だった。

一直線にこちらに向かって飛んできて、

ほぼ真上を通過した。

そして次の瞬間、一気にスピードを上げて

遠ざかったのだ。

もう少し離れたら見失うところだったが、

ぎりぎり感知範囲に引っ掛かる位置で停止して、

そのまま動きはない。


流石に慎重だ。まぁ、そうでなければ

わざわざ出張って来るような事態には

なっていないだろう。11歳ならば

自分の置かれた境遇や世間一般における

身の処し方などもう理解していなければ困る

年頃でもある。


厳しい現実を把握していればいるほど

接点を持つのは至難の……。と、

ここまで考えたところでリコシェの

物問たげな表情に気付いた。


「ねぇ、アシュリー? 折角の美味しい肉なのに

 そんな上の空で食べられたら、

 肉としてもきっととても不本意だと思うわよ?

 ちょっとだけ焼き過ぎたかもしれないけど。

 肉の油が炭火に落ちて

 とても美味しい匂いが漂ってるわ。


 あと皮ごと焼いて真っ黒になったトウモロコシも

 剥いたらとても美味しそうだったわね。

 でも、味付けしてから遠火で焙ってたのも

 しばらくそのままだったし、

 ちょっとこれも焼き過ぎ気味ね。


 焼けてる野菜と肉があと少し残ってるから、

 もし食べるなら黒焦げになる前に

 皿に移した方がいいと思うわ。


 ……あ、そうそう。

 焼きリンゴは焼き過ぎると苦くなっちゃうから、

 私、その前に食べたいかな。

 って、あ、もう食べ頃に焼けてると思うから

 食べるわよっ? 食べちゃうわよっ?」


「ああ、ごめん。悪かった。

 焼きリンゴを皿に取ろう」


ありがとう、と焼リンゴの皿を受け取ると

リコシェは火傷しないように慎重に

アルミホイルを開いていく。

湯気の立つ焼リンゴの甘い香りに

自然に顔がほころんで、

一口頬張ると美味しい顔がとろけた。


「ん~~、美味しいっ!」


「……君は本当に美味しそうに食べるなぁ」


「え? 美味しい時はみんなそうでしょ?

 焼リンゴ食べ頃よ。

 とっても美味しく出来てるから

 一緒に食べましょ」


アシュリーはリコシェと向かい合って

熱々の焼リンゴを頬張りながら、

リコシェの食べる様子を嬉しそうに見ていた。


「……リコシェ、君と食事すると

 3倍くらい食べ物が美味しくなる気がする。

 私はひょっとしたら知らないうちに

 何か魔法のアイテムでも

 手に入れたのかもしれないな」


「あら、そのおかげかしら。

 私もあなたと食事すると楽しくて、

 つい食べ過ぎてしまいそうになるわ。

 飛べなくなったら大変だから

 ブレーキ掛けるのが大変なのよ」


リコシェはそういうと満面の笑みで

焼リンゴを更に一口食べた。


「体重をコントロールするのに一番大切なことは

 ストレスを貯めない事だと思うわ。

 美味しいものや好きなものを

 闇雲に我慢するのはダメね。

 だけど食欲を野放しにするのは、

 これもまたダメね。

 ちゃんと手綱をつけて乗りこなさないと」


そう言ってリコシェは最後のひとかけらを口に運び

満足そうに微笑んだ。


「すごくシンプルな焼リンゴだったけど、

 ここ数年で一番美味しかった気がするわ」


そうだね、と答えながら

アシュリーは少々後悔していた。

気を取られる事があったのは仕方がないとしても、

せっかくの二人の時間を

心から楽しんではいなかった。

今からでも遅くはない。取り戻そう。


「今からザッと片づけるから、

 コーヒーでもいれようか」


「一緒に片づけましょ?

 私もキャンプ初心者卒業したいわ。

 だから、もっといろいろ手伝わせてね」





さて、こちらは再びレスターである。

木の枝でひたすらジッと身を竦めていたが、

まだまだバランスを取るために

忙しなくシッポを動かさないといけなくて、

時間が経つにつれてどんどん

台無し感が募っていく。


“なんだよ、これじゃ

 ちっとも潜んでないじゃないか”


イメージは学校で読んだ冒険物語の主人公だ。

無人だと思って潜り込んだ悪者のアジトに誰かが

帰ってきて、咄嗟に身を潜めてやり過ごす場面は

すごくハラハラしたけど見つからずに上手く行って

ちゃんと無事に抜けだせた。


すぐ側まで近づいてきた時は、息を殺したんだよ!

なんかカッコいいよね、息を殺すって。

どうするのかその時は判らなくて、後で調べたら

呼吸の音もさせないくらいジッと静かにしてる事

って分かった。


息を殺す練習はそれからみんなで何度もやった。

はじめは息を止めちゃってたから

しばらくすると苦しくなって、

プハーッて大きな息をすることになるんだけど、

これだと絶対見つかっちゃうから失敗だよね。


息はちゃんとしてないといけないんだ。

だけど音はさせちゃいけない。

できるだけそーっと息をするんだよ。

普通に息してるだけだとホントは静かなのに

気を付けようと思えば思うほど

鼻息が荒くなるって不思議。


だけど、フィルやグンターと

ずいぶん練習したからね。

息を殺すのは上手になったんだよ。それなのに、

こんなにシッポをブンブン動かしてたら

絶対目立つってー。


……おっとっと。もうっ!

動かさないようにするとすぐ

落っこちそうになるしー。



……人がいるって判ってすぐ

すっ飛んで逃げてきたけど、

人がいるところに行かないと

どこにも行けないんだった。

ずっとこの森に隠れてるわけにはいかないし。


……悪い人じゃないかもしれないよね。

気を付けないといけないのは、

変身してるとこを見られない事。

……うーん、気を付けてそっと

見に行ってみようかなぁ。





その頃、焚火台の傍で、アシュリーとリコシェは

二人寄り添ってコーヒーを味わいながら

マリレの隠れ家の二本のオリーブの木の事を

話していた。


「あそこは留守にする事も多いから、

 水や肥料は自動で過不足なくやれるように

 してあるんだ。

 四方ビル陰でどうしても日照不足になるから

 太陽光ライトを……。

 む! リコシェ、動いた。来るかもしれない」


「そう。わかったわ」


あまりにあっさりした返事だった。

アシュリーは当然来るであろう質問が

なかった事を訝った。


「……何も訊かないんだね」


リコシェはアシュリーの肩に頭を持たせ掛けた。


「だって、あなたは警戒していないわ。

 危険な人ではないのがすぐ判るし、

 それにどちらかというと待っている感じだった。

 多めの食材の量から考えると、場合によっては

 一緒に食事する可能性もあるくらいの誰かを」


「なるほど……。じゃあ、その他に

 相手について思い付く事はあるかい?」


「そうねぇ、推測だけど

 その誰かは近くにいるのよ。

 だとすると迎えに行けば早いわね。

 だけどあなたは行かなかった。

 だからたぶん、その誰かに

 自分からここに来て欲しいんだわ」


アシュリーはふぅーっと大きく息をついた。

肩のリコシェの頭に自分の頭を持たせ掛ける。


「正解。質問が出ないわけだ……。

 それじゃ正解のお返しに、

 私の最愛の妻に一つ、とっておきの

 新しい情報をプレゼントしようか」


そう言うとアシュリーは立ち上がって

カップをテーブルに置くと振り返った。


「え? 何かしら」


「待ち人は、11歳の男の子だ」


「まぁ!」


一般に11歳の子供がこんな人里離れた森の中に

一人でいるなどという事はありえない。

あるはずの無い事があるとすれば……。


「……アシュリー。私、どうしたらいい?」


アシュリーはリコシェのカップを受け取って

テーブルに置くと、

ふわっとリコシェを抱きしめた。


「君は君のままで普通にしていてくれればいい。

 ……それが一番良いと思う」


「分かったわ」


目印になる事を期待しつつ焚火の傍で

期待と多少の緊張を内に隠して、

ただ穏やかに待つ。





レスターは始め、人に戻ってこっそり

歩いて近づこうと思ったのだが、

二度も躓いて転んだので

夜の森を方向もわからずに歩いていくのは

絶対無理だと早々に諦めた。

意地を張ると遭難しそうだし。

急いで支度して飛び立った。



……あれ? どこだっけ?!

こっちの方だと思ったんだけどなぁ……。


レスターはまたあの空気の揺らぎを探し回った。

見当たらない。


どこに行ったんだろう、あの焚火……。





「私のPCFの感知範囲には居るんだが、

 どうも動きがおかしい。

 何だか迷ってるみたいだ。

 ……ちょっとまずいな。

 焚火に薪を足して、ああ、そうだ!

 明日にしようかって焼かなかった

 サツマイモのホイル包みがあったな。

 あれを焼こう」


「そうね。

 じゃあトウモロコシも、もう一本焼きましょ」




“……あっ! 焼き芋かな? 香ばしい匂い発見っ!

 ……えーっとぉ………………見つけたっ!!”


レスターは少し離れたところにそっと降りた。

人型に戻ると急いで身支度をする。

方向はしっかり確かめた。

どんな様子か見てみよう。


……暗い森は歩きにくいけど、

音を立てないように何かに躓いて転ばないように

一歩ずつとてもとても気を付けて歩いた。

森の樹々の向こうに焚火の明かりが見えてくると

胸のドキドキが気になり始めた。


こんなにドキドキしてたら、

聞こえちゃうんじゃないかな……。



大きな樹の横をすり抜けようと一歩踏み出した時、

樹々の隙間から向こうの少し開けた場所に

焚火が見えた。


焚火の傍に女の人が座っている。

長い山吹色の髪が焚火の炎に照らされて

黄金色に輝いているようだ。

レスターはその美しい黄金色の輝きから

目が離せなくなった。


なんて綺麗なんだろう……。


どれくらい見惚れていたのかわからないが、

ふいに明るい声が聞こえた。



「あら? こんばんは。

 こんなところで思いがけないお客様だわ。

 どうぞ、こちらにいらっしゃいな。

 もうすぐサツマイモとトウモロコシが焼けるわ」


「あ、こんばんは……」


あまりに普通の調子だったので、

レスターもごく普通に挨拶してしまった。


……え? いいのかな、これ。


レスターが躊躇っているとまた声がかかる。


「遠慮しなくていいのよ。あ、ほら、

 トウモロコシは皮のまま焼いているの。

 皮の中で蒸し焼きになるからとても甘く

 美味しくなるんですって」


トウモロコシはちょっと焦げたくらいが

美味しいんだ。と、レスターは思った。

だけど、もっと焦げたらガジガジの

苦い炭みたいになっちゃうんだ。


……皮つきで焼いたことないなぁ。

今度先生に言ってみんなで試してみるかなぁ……。


「焼けたら皮をむいてちょっと味付けして

 もう一焙りすると出来上がりよ。

 サツマイモの方もだいぶ焼けてきてるみたい。

 ……ふふっ、楽しみね」


トウモロコシの焼ける美味しそうな

香ばしい匂いが漂っている。

サツマイモの匂いはバターの香りも加わって

何だかケーキを焼いているみたいだ。


レスターのお腹が鳴った。

たくさんお菓子を食べたけど

もうお腹が空いたみたい。

なんて食いしん坊なんだ、僕の腹の虫。


「このベンチに座るといいわ。

 焼けたら一緒に食べましょ」


重かった一歩が出てしまうと後は何となく

歩いてしまう。焚火の傍まで行くと、

どうぞ、と促されたのでベンチに座った。


「焼き上がりまでもう少しかかりそうね。

 それまで何かお話していましょうか」


黄金色の髪の女の人はそう言って微笑んだ。

綺麗な水色の瞳だった。

レスターは急に顔に血が上ってどぎまぎした。

ああ、焚火の傍だから暑いんだと思った。


「……そうねぇ、何がいいかしら」


リコシェは考えながらチラッと少年を見た。

亜麻色の髪の少年は緊張しているのか

きちんと揃えた膝に手を乗せて、

背筋を伸ばして真っ直ぐ座っている。


上半分がペタンとしたリュックを

きちんと背負っていて、

そのリュックはよく見ると肩紐を

別布で継ぎ足して伸ばしてあった。

粗い縫い目だが何度も重ねて縫ってあって

丈夫そうだ。自分で縫ったのだろうか。


リコシェは、生真面目な顔をして真っ直ぐ

焚火を見つめている少年を好ましく思った。

根が真面目なやんちゃっ子かしら。

アシュリーもそうだったかも。ふふっ。


長袖のデニムの上着にチャコールグレイの

カーゴパンツ、胸元にのぞくTシャツのイラストは

デフォルメされた海賊で、目つきは一見悪そうだが

可愛いキャラクターだ。

少年の持つ雰囲気にぴったりで良く似合っていた。


最後に目線が顔に行ってひとつ気付いた。


「あら?! 熱があるんじゃない? 顔が赤いわ」


「え?」


気付いた時にはリコシェの手が

少年のおでこに当たっていて。


「……うーん、熱はなさそうよ。良かったわね」


レスターは硬直した。

目の前に、ホントに目の前に

その人の顔があって綺麗なあの水色の瞳が

まっすぐ僕を見つめて微笑んでいる!


微かに花の香りがした。


どれだけ経ったかレスターには分からなかった。

途轍もなく長い時間にもほんの一瞬にも思われたが

突然全身が燃えるように熱くなって

耐えられない、と思った。


それでその人から逃げ出した。

後ろからその人の呼んでいる声が

聞こえたような気がした。

だけど、足は止まらず

振り返ることもできなかった。





≪続く≫


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