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飛翔

いよいよ新章の始まりです。

新しく登場するキャラは希少種グリフォンの男の子。

もちろんリコシェやアシュリーも頑張ってます。


リコシェはアレクシア姫の愛称です。


ムンムエア‐ジッグラト寄宿学校では昼食が済み、

長めの休み時間の半ばを過ぎた頃、

中庭には複数の男の子たちの歓声と

駆け回る足音が響いていた。


花壇の縁に等間隔でズラッと並べたのは

木切れに小枝を打ち付けてこしらえた人形で、

どうやら武器を構えた悪者らしく

顔に描かれた目鼻は

真っ黒の四角いサングラスに歪んだ鼻、

ギザギザの口だ。


男の子たちそれぞれが手に持っているのは

何となく[く]の字に削られた木切れで、

まずは一斉に散らばって隠れ、

悪者人形たちの様子を窺がった。

そして、叫び声が聞こえた次の瞬間。


ガシャッ!


何かが割れる乾いた鈍い音が響き、

細い泣き声が上がった。


「レスター! レスター・バーレイ!

 今すぐ出ていらっしゃい!」


担当のランプリング先生が

金網を張り巡らせた鶏小屋越しに

大声を上げる。


割れた植木鉢の横にペタンと座り込んで

べそをかいているのは、小さいコニーだ。

サッと割れた植木鉢の横にしゃがんで

蕾のついた球根を、土を崩さないように

そっと拾い上げたのはオリガで、

何かとコニーの世話を焼いて

お姉さんらしく振舞っている。

コニーは4歳になったばかり、

オリガは9歳だ。


「大丈夫、折れてないし。

 ちゃんと花が咲くよ」


ランプリング先生は急いで鶏小屋を回り込むと

コニーの傍に膝を着いた。

優しく立たせてケガがないか素早く確かめ、

ホッとした表情で抱きしめた。


「コニー、あなたにケガがなくて良かった。

 割れた植木鉢は元には戻らないけど、

 植木鉢には余裕があるわ。

 ……オリガ、ヘルマン先生に話して

 新しい植木鉢を出してもらうのよ。

 コニーと花をお願いね」


「はい。先生」


ランプリング先生は信頼を込めて

オリガに微笑み、頷いた。

コニーの手を引いてオリガが行ってしまうと

先生は、割れた植木鉢の横に転がっている

不格好に削られた木切れを拾い上げると、

すっくと立って腰に手を当てて声を張った。


「フィル・オースティン!

 グンター・フォルケル!

 あなた達もです。ここにいらっしゃい!」


のろのろと3人が目の前に並んだ。


「元気に遊ぶのはとても良いことです。

 勉強するのと同じくらい大切なことだと

 思っています。

 でもっ! 危険な遊びはいけません。

 こんな板切れを投げるなんて。

 たまたま運良くコニーに当たらなかったから

 ケガをさせずに済んだけれど、

 割れた植木鉢がもしかしたらコニーだったかも

 しれないのよ」


「……板切れじゃない」


レスターがぼそっと呟いた。


「え? 何ですって?」


レスターが俯いて黙り込んでいるので

隣のフィルが答えた。


「ランプリング先生、それ、

 板切れじゃありません。ブーメランです。

 僕たち、本で読んで作ってみたんです」


横からグンターも口を挿んだ。


「ブーメランはね、ホントは投げると

 空中でくるっと回って戻ってくるんだよ」


「あ、ああ……そう。

 ……それで、何回か練習してみたの?

 その、投げるのを」


気まずそうにお互い顔を見合わせて、

結局レスターが口を開いた。


「……練習しなかった。

 絶対戻ってくるって思ってたし」


「道具はね、何でも練習しないと

 きちんと使いこなせないものよ。

 特に、単純な道具になればなるほど難しいの。

 ブーメランもそういう道具ね。それと」


ランプリング先生は一つ咳ばらいをした。


「残念ながら、これはブーメランとは言えません。

 古い資料があるはずだから検索して

 きちんと調べてみましょう。

 どういう形だと戻ってくるのか。

 投げ方も、よりふさわしい型があるはずです。


 ……そうね。

 では、昔の人がどう使っていたか調べて

 戻ってくるブーメランを作るのを

 課題にしましょう。


 大事なことは、人がいるほうに向かって

 決して投げてはいけないという事。それと、

 ぶつかって壊れる物のある方にも投げない事。

 約束ですよ。

 後でコニーにちゃんと謝っておくように」


はい、わかりました。とそれぞれ答えたが、

反応は三者三様だった。

より良い物が作り出せるかもしれないと

目を輝かせる者、興味の対象が課題になった途端

やる気を無くす者、やれと言われたから仕方なく

合わせようと思う者……。



その夜、消灯時間をだいぶ過ぎた深夜、

フィルの部屋にそっとレスターが忍び込んできた。


「……フィル。……フィル、寝ちゃったか?」


「……んー? ……なんだよ、寝てたのに……」


「……オレ、……オレさ。……ここ、

 出ようかと思ってるんだ」


「……ふーん、そっか……。ん……、おやすみ……」


すぐにフィルはまた寝息を立て始めた。


「……なんだよ、おやすみってー。

 ちぇ、つまんないな。

 ……いいよ、もう教えてやんないよ」



レスターはフィルに相談して、

一緒に行けるといいと思っていた。

でも、どうやら同じ思いで

いるわけではないのかもしれないと思い至った。

フィルは温かな柔らかい自分のベッドが

心地良いのだ。少なくとも

ここを出ていけば、そのベッドで眠ることは

無くなってしまうのだから。


レスターはそっと自分の部屋に戻ると

ベッドに潜り込み、目をつぶった。

眠ろうとすると決まって幼い日のことを思い出す。



あれは暑い夏の日だった。

柔らかなニット生地のショートパンツ一枚で、

近所の子供たちが集まって

小さなビニールプールに水を入れてもらって

遊んでいた。


小さな水に浮かぶおもちゃが

いくつもプールに入っていて、

その中に可愛いアヒルがいた。

小さな青い帽子をちょこんと頭にのせている。


そのアヒルを掴もうとしたのだが、

水に浮かぶアヒルは不安定に揺れて

手をすり抜ける。

何度も失敗して今度こそと

思い切って手を伸ばした。


途端、アヒルは勢いの波に揺れて遠ざかり、

伸ばした自分の手に引っ張られたかのように

レスターは頭からプールの水の中に

突っ込んでしまった。


初めて頭が水に沈んでとても驚いたのと、

目にも耳にも鼻にも水が入って

痛くて激しくもがいた。


派手な水しぶきが上がって

やっと立ち上がれたと思った時、

気付くとレスターは変身していた。

大きく広がった翼と

鋭く曲がったクチバシは鷲だ。

周りにいた大人達が歓声を上げる。


「いやあ、おめでとう!

 そうか、レスターは鷲だったか」


口々に祝いの言葉が投げかけられ、

お初祝いをしないとな、と、

とても賑やかだった。

レスターはずぶ濡れの羽根から水を滴らせて

やっとの思いでプールから出ると、

それまで賑やかだった周囲の声が

ピタッと止まった。


「……おい、あれって獣の足じゃないか?!」


「グ、グリフォンだ……」


レスターは鷲ではなかった。

上半身は鷲、下半身はライオンの姿のそれは

希少種グリフォンだったのだ。


悲鳴を噛み殺してレスターの母は

必死にレスターを抱きかかえると家に走った。

人目に晒された希少種の運命がどうなるか

知らない者は無い。


レスターの母はとても愛情深くて優しい人だったが

同時に、

いざという時に肝の座る賢い女性でもあった。

だからこそ息子の命を守るために決断は早かった。


レスターの母は家に駆けこむと

びしょ濡れの息子を抱えたまま

厳重に家中の戸締りをした。

そして、一番奥まった部屋に籠ると

何枚ものバスタオルで息子をくるみながら、

荷造りを始めた。


もう此処にはいられない。

気のいい人たちばかりの良い街だった。

できたらずっと暮らしていたかった。


……でも、噂はあっという間に広がるのだ。

もう、すぐにでもグリフォンの噂を聞きつけて

欲に目を血走らせた非道の者たちが

やってくるかもしれない。


可愛い私の坊や、絶対お前の命は奪わせない!


レスターは、びしょ濡れのまま

バスタオルにくるまれて

蒸し暑かったと覚えている。

母が時折り涙を手の甲で拭いながら

必死に荷造りしているのをぼんやり見ていた。

いつもよりずっと早い時間に

仕事から帰ってきた父に唐突に抱きしめられた。


3人で簡単に夕食を済ませると、

その夜は母に抱かれて眠った。


子守歌のように愛していると、

お前の幸せをいつも祈っていると

何度も何度も囁かれ、

たくさんのキスをうっとおしく思いながら

いつの間にか眠って、

そして起きた時には

にこやかな見知らぬ人々の中にいた。


それ以来一度も父にも母にも直接会っていない。

ただ、PCFを介して話をすることだけはできた。



レスターは寝返りを打った。

希少種が狙われる事は長年かけて

しっかり言い聞かせられて腹に落とし込んだ。

親から辿って居場所を特定される事を避けるために

物のやり取りは一切できないのも

何とか納得している。

それでもやっぱり、親のぬくもりが恋しかった。


ここを抜け出してちょっとだけ

父さんと母さんに会って来よう。

見つからないように気を付けて

またこっそり戻ってくればいい。


持ち物はおやつを少しずつ貯めこんで、

もうそろそろリュック一杯になる。

小さな樹脂製のボトル入りの水も6本貯めた。

みんな持ったら結構重いし、

水を減らそうかな……。


レスター・バーレイ11歳、

ずいぶんと大きくなったと本人が思うより

ずっと、まだまだ子供であった。





リコシェは王城に戻ってから

様々な勉強の傍ら、王妃に伴って少しずつ

公務に出るようになっていた。


相変わらず人気は高く、どんな服装で髪型はどうで、

どこでどんな事があったか等

それが微笑み一つ頷き一つに至るまで、

それはそれは詳細に世界配信されるのである。


実家であるモンフォール王家では、

結婚前よりも消息が詳細に分かるわねと

苦笑しつつも精神的な消耗を

とても心配していたが、

取り立てて口を出さず見守っていた。


アシュリーは相変わらず研究に没頭している事に

なっていたが、わずかだがリコシェと共に

公務にも顔を出すようになった。


表の仕事が増えればきっと

それ以外の仕事は減るに違いないと、

リコシェはアシュリーとの公務には

特に積極的に関わった。




結婚式から数か月経った頃、

リコシェはヒューイット教授の講演を含む

チャリティの催し物を公務のリストに見つけた。

ヒューイット教授と何度も話し合いを持って

やっと一つの形になろうとしているのだ。


「アシュリー、やっと始められるわね」


「ああ、そうだね。

 ……リコシェ、先に言っておくが、

 結果はすぐには付いてこない。

 長い年月をかけて広がりきってしまった

 迷信の類を覆すには、おそらく

 果てしない時間がかかるだろう」


「ええ、焦らずコツコツね」



会場の場所の選定にも時間がかかった。

たくさんの候補地から選ばれたのは、

ここ数年内に希少種が最初の変身で広く

周囲に知られてしまったという地域であった。


調べると、ある暑い夏の日、

子供たちが集まって水遊びしている時に

初変身した幼い息子を抱えた一家は

その夜のうちにひっそりと

素早く引っ越してしまい、

表向き消息がしれなくなっていた。


PCFを装着していると初変身が希少種の場合、

漏れなく直ちに希少種保護機関に連絡が行く。

保護機関は一刻を争って駆け付け、

目の前に迫る危険性と今後の生活について

相談に乗るのだ。


多くの場合、

閉じこもってやり過ごせるのではないかと

考える親や身内に危険性を説き、

人を避けることで我が子を守ろうとした

多くの前例がどうなったか、

その悲惨な実態をありのまま、

何の手加減もなしに告げることによって

事態を動かす。


すると多くの場合、引っ越しを選ぶ。

子供は保護機関に託し、いつか

子供と再び暮らせる日が来ることを信じて

これまでに全く縁のなかった土地で

新生活を始めるのだ。


親の生活が成り立たなくなってしまっては

大問題なので、再就職の斡旋など

生活基盤が整うまで密かに支援の手が

差し伸べられ続ける。


親の側から追跡されてしまっては

元も子もない。

場所を変えてもそれだけでは

大丈夫ではないという事実も、

前例を上げて徹底的に納得してもらう。


古くからの家でどうしてもその場所から

離れられない場合もある。

そういう場合は

将来にわたって子供と暮らすことは

諦めなければならない。

先祖から託されたものを守って

涙を飲んで子供を手放す。


いずれにしても、生木を裂くような

親子の別れにつながるのだ。

理不尽を憤っても現状ではどうにもならない。

子供の無事をひたすらに祈る

親の思いに応えるため、

保護機関のほうでも全力で対応する。



可愛がってきた近隣の幼い子供が

希少種と分かり、

親しく付き合っていた一家がいなくなった。


複雑な思いを抱えて悶々と

気の晴れない人々の周りに、

程なくどこからともなく集まってきた

人相の悪い余所者たちが

一家の消息を知ろうとウロツキまわり、

地域の人々の神経を逆撫でした。


そういう身近な体験をした人々には

きっと伝わるものがあるはずだと

考えたのである。






森に豊かな実りの季節が訪れ、

野生の動物たちが忙しく冬支度に励んでいる頃、

森林地帯の奥深く何ヶ所もの私有地の

門を抜けた先にひっそり建つ

ムンムエア‐ジッグラト寄宿学校では

消灯就寝時間を過ぎてちょうど1時間15分後、

夜間の見回りが静かに各部屋を訪れ

子供たちの寝顔を確かめて行った。


いつものように穏やかに

過ぎていく夜のはずだったのだが、

この日は違っていた。



見回りが立ち去るのを待って

ベッドから滑り出た影が一つ。

服を着たままベッドに潜り込んでいたらしく、

そのまま暗闇の中、冬用の防寒具を筒状に丸めて

ベルトでくくりつけてあるリュックを背負った。


足音がしないように運動靴は

解いた紐を左右で結んで首から下げる。

裸足で走るとピタピタ音が出るのが

分かっていたので靴下のままだ。


慌てると滑る。

滑って転ぶととても派手な音が出る。

誰かに聞きつけられたら捕まって大目玉だ。

それに、とっても痛い。

……転んだ痛みを思い出して、ちょっと

顔をしかめながら気を付けて行こう、と思った。


夜の廊下は、当たり前だがとても暗い。

いつもの場所がちょっとよそよそしい。

……怖くなんかないぞ。


ドアをそっと閉める。

見回りの先生が通り過ぎてしまえば

誰も来ないはず。



階段だ。

さっきの見回りはたぶんヘルマン先生だと思う。

階段を3段ずつ降りていく癖がある。

足音が3つずつ聞こえていたから。


そういえば、先生の趣味が

ワルツを踊ることだって聞いて

みんなで騒いだっけ。

あんまりみんなが似合わないっていうもんだから、

ヘルマン先生は踊ってるところを

動画で撮ったのがあるって言って見せてくれた。


いつものちょっとくたびれたシャツと

ぶかぶかのズボンに洗濯して干しただけの

シワシワ白衣じゃなくて、

黒いツヤッとしたカッコいい服で

綺麗なフワフワドレスの女の人と

クルクル踊ってた。


みんなびっくりして

ポカンと口を開けたまま見てたら、

口の中にカメムシが飛び込むぞって先生が言って、

慌てて口を閉じたっけ。

カメムシって触るとすっごく臭くなるから

好きじゃない。



ヘルマン先生は階段を下りて行ったけど、

僕は上に行く。

ここの戸締りはとても厳重で

夜の間は窓をちょっと開けただけで

先生が駆けつけて来るんだ。


少し前に屋上にノートを忘れたことがあって、

気付いたときはすっかり暗かった。

だけど次の日までの課題があってどうしても

ノートを取りにいかないといけなくてさ。

きっとすごく叱られるかなと思いつつ

ドアを開けて屋上に出た。


急いで走って行って暗い中でノートを探すと、

置き忘れた所にちゃんとあってホッとした。

きっとすぐに誰か先生が駆けつけてきて

叱られるかと思ったんだけど、

誰も来なかったんだよ、ホントに。


叱られずに済んですっごいラッキー。

んで、すっかり忘れてた。


この間からいろいろ計画考えててさ、

外で遊んでる時にこっそり

出ていく事も考えたけど、

それだときっとすぐ追いかけられるんだ。


出て行ったことがちょっとでも

遅く見つかる時って考えるとやっぱり

夜の間かなって思うよね。

それで思い出したのが屋上のドアだよ。


今もまだ前のままなのかどうか確かめたくて

一週間ほど前にわざとノート忘れてきてさ、

暗くなってから取りに行った。

そしたら、いつもじゃないのかもしれないけど、

やっぱり開いててさ、

ちょっと待っても誰も駆けつけて来なくてさ。


だったら、これでやってみようと決めた。

もし見つかったら、

内緒で屋上で星観察しながら寝ようと思ってました

って言い訳も思いついたし。

決行日は暗くないといけないから

星の観察にはぴったりだしね。




ついに、屋上のドアだ。

そっと手を当てて押し開ける。

ドアはすっと開いた。


実はこのドアはごく普通に掌紋認証のドアで

カギが掛かっていなかった訳ではなかったのだが、

認証検知部分がデザイン的に広く取られていて

これといった表示もなく

音声などによるガイドもない、

言わば使用者が最初から内部限定のドアだった。


屋上に出る。

レスターは満天の星がとても近く見える気がした。

少しヒンヤリした風を感じながら、

屋上の真ん中で一気に脱いできちんと畳んだ。


それを一枚残らず丁寧にリュックに詰めて

防寒具を止めなおす。そのベルトに

結び目をもう一度しっかり確かめた運動靴を

通して留めた。


肩紐は忘れずに目一杯長く調節した。

一度試してみてかなり窮屈だったので、

厚い丈夫な布を肩紐の幅に合わせて

縫い合わせて作ったものを

肩紐にしっかり縫い付けて15センチほど

伸ばしておいたので余裕がある。


他に忘れ物はないかと辺りを確認して

リュックを背負う。



ぶるんと一つ身震いして変身すると、

鷲の上半身にライオンの下半身の

その姿はグリフォンだ。


ちょうど背中の翼の間あたりに

リュックが収まっていて具合がいい。

まだ若い個体なので肩紐を延長しただけの

リュックのサイズがぴったりだった。


翼を広げる。大きな翼だ。

濃い黄みがかった明るい茶系の艶のある鷲の羽根は

見ようによっては黄金色にも見える。


数度羽ばたくと両の翼は力強く

全身を持ち上げようとした。


これまであまり飛ぶ機会はなかったので、

いきなり舞い上がりそうになって

レスターは慌てて四肢で踏ん張った。

ガッと力が入って屋上に爪を立ててしまった。


“うわっ! ごめんなさい”


屋上をこれ以上傷めないように慎重に爪を外す。

首を伸ばして前足の鷲の爪をまじまじと見つめる。

屋上を穴だらけにしてしまった爪は太く長く

グイッと曲がって鋭く尖っていて、

こんなので掴まれたら痛いだろうなと思った。


“気を付けないとダメだぞ。

いろんなところを傷だらけにしちゃいそうだ”


レスターは一つ深呼吸した。


“決めたんだから”


部屋に置いてきたノートに書いてきた。

【父さんと母さんに会ってきます。

 心配しないでください。すぐ帰ります】と。

引き返すならまだ間に合う。……けど、決めたんだ!


レスターは数度羽ばたくと思い切って飛んだ。

……と、数メートル先に降りる。


落ちたんじゃないぞ。

降りたんだからね。

ちょっと羽根慣らししただけ。

言い訳を次々思い浮かべながら、

今度こそと羽ばたいた。



レスターは高く舞い上がると辺りを見渡した。

見える限り地上に明かりは無く、

暗い森がどこまでも続いている。


レスターはホンのちょっとだけ驚いた。

高く上がりさえすれば

どこかに明かりが見えるものだと

思い込んでいたから。


……ここ、どこなんだろう。

あ、そうだ。道を辿れば……。


道に街路灯は無く森の樹々が蔽いかぶさって

空から見ると道があることすら判らない。

この時点でまだ学校は見えていた。

今なら戻ればまっすぐベッドだ。

朝までぐっすり眠っていつもの一日が始まる。

……だけど。


せっかくここまで来たんだから、

ちょっとだけ行ってみようと思った。

ぐるっと見渡して、

何となく明るい気がした方向に決めた。


決めてしまうと風を切って飛ぶのは楽しかった。

風に乗るのは気持ち良かった。

とても自由だと思えた。

気まぐれな風にあおられてバランスを崩した時は

墜落するかとヒヤッとしたが、

身体をひねって体勢を立て直し

滑空に移って落ち着いた。


それが面白かった。


それで、もう一回やってみたくて

わざとバランスを崩そうとしたが

これがなかなか難しくて

ジタバタしてしまった。


思いつくと上手く行くまで

拘ってしまうところがあって、とうとう

翼を閉じるという荒業をやってしまった。

石を落としたように一直線に落ちていく。

翼を広げて風を掴むと

瞬間に身体がふわっと浮くが

かなり翼に力がかかる感じだ。


でもっ!

これがもっと面白かった。


高く舞い上がって

初めのうちはただ落ちるだけだったが、

そのうち頭から落ちるようになり、

いつのまにか翼をつかって狙った場所へ

自由自在に行けるようになった。


翼はとても強くて

どんなにスピードをだして急降下しても

ビクともせずに立て直せる。


飛ぶってなんて面白いんだ。



ふと気付くと空が白んで夜明けが近づいていた。

明るくなれば誰かに見られるかもしれないから、

絶対変身していてはいけないと教えられていた。


加えて希少種は見られることがそのまま

命の危険につながるから

変身自体しないほうがいいとも

教えられていたのだったが。


とにかくそれで、すぐ地上に降りて

人型に戻ってしまわなければいけないと思った。



あまり選り好みもしていられないので、

とりあえず生い茂った樹々の

僅かな隙間を見つけて降りた。

細かい枝に引っかかったが気にしていられない。

すぐに変身を解くとリュックを下ろし

服を取り出して素早く身に着けた。


少しホッとして辺りを見回す。

人の気配はない。

道もない。

森の真っただ中、どちらを向いても樹々だ。


樹の他には落ちた枝や下草や藪だらけで、

見上げればずっと上のほうに

樹々の広げた枝々の隙間に僅かな空が見える。

空は、もうずいぶん明るくなったので

すっかり日が昇ってしまったのだろう。



道もない森の中で迷ったら、

うろうろ歩き回らないでジッと待っていましょう、

と言っていたのはランプリング先生だったっけ。

一番いけないのはむやみに歩き回って

体力を消耗することです、って。


さっさと帰り道を見つけて

帰ってくればいいと思ってたけど、

本当に本物の森の中で

周りがさっぱりわからないってのは、

こういう感じなんだろうなぁと思った。


だったら、明るいうちは動かないで

ジッとしていよう。

歩きにくそうな森の中だし、

ちょっとずつ歩くより、

夜になってから変身して飛ぶほうが面白いし。


それに、夜寝なかったからちょっと眠いかも。

リュックからボトルを出すとキャップを開けて

グイグイ飲んだ。


一気に半分くらいになったので

飲んでしまおうかと思ったけど、

何となくキャップを閉めてリュックに入れた。

その時リュックの中に食べ物が見えたが、

今はあんまり食べたくないから

目が覚めてからにしよう、と思った。


リュックにくくり付けてあった

冬用の防寒具は防水機能が万全のもので、

きちんと着れば地面に直接寝ても

身体に冷えや湿気が届かないものだった。

レスターは一本の太い木にもたれかかると

リュックを抱くようにして目を閉じた。




「……動きが止まって30分経ちました。

 心拍数と呼吸数から推測するに、

 どうやらこれは眠ってますね」


「まぁ! 何てことでしょう。

 あの子は天性のサバイバル能力の

 持ち主かもしれないわ」


「いや、たぶん先生の教えをきちんと

 守っているのだと思いますよ。

 ただ、ちょっと厄介なことになりそうです。

 消耗を待って救助という段取りでは

 時間がかかり過ぎる。

 これまでの例ではあり得ない距離を

 すでに移動してしまっていますし、

 体力面を心配して無理に連れ戻してしまっては

 反発が強まるだけです。どうしたものか……」


「そうね。……これはもう上に判断を

 仰ぐしかないと思うわ。そうしましょう」






予定されていたチャリティーの催し物は

ヒューイット教授の講演会も含め

無事に終了した。


アシュリーとリコシェが揃って出席した事で

注目度が跳ね上がりたくさんのメディアから

取材が押し寄せた。


取り上げられたのはリコシェやアシュリーの姿、

すなわち装いや表情、行動などが主だったが、

記事や動画の中でわずかずつではあったが

希少種の真実として

迷信はただの妄想にすぎないという

教授の主張がとりあげられ、

ごく小さいものではあったが

一石を投じることができたように思われた。



ヒューイット教授を労い挨拶して別れた後、

予定ではすぐ王城に帰還し

明後日の晩餐会用の準備として、

招く人々の業績や公になっている目立つ個人情報等

最低限頭に入れておくための時間を

予定していたのだが、

アシュリーが急に森林地帯でキャンプをしたいと

言い出した。

公務がほぼ休む間もなく続いたので、

少し休養を取るようにと

陛下からのご指示があったということだった。


リコシェは喜んでキャンプすることにしたのだが、

今回アシュリーの場所の選び方が変わっていた。

グランヴィルのとても古い有力な家々の

私有地が入り組んだその森林地帯は、

手つかずの自然の残る貴重な地域として

大切に保護されていた。


その森林地帯の地図をPCFで大きく

部屋の壁いっぱい程にまで拡げると、

とても慎重にひとつポイントを決めた。

そこを中心として円を描いたり

その円の中心から直線を引いたり消したりしては

腕組みして考え込んだり唸ったりで、

およそ普段に見られない姿を見せたので

リコシェは邪魔をしないように静かに、

でも興味深く観察して楽しんでいた。


アシュリーはリコシェに訊ねられたことは

答えると決めている。

なので、それを宣言されているリコシェはこの頃、

軽々にはアシュリーに訊ねられなくなっていた。

本当にそれは訊ねるべきことなのか、

訊ねてもいい事なのか、と。

判断に迷う時は待つことにしている。

必要なことならアシュリーはいずれ

話してくれるだろう。


そうして、アシュリーがなぜかとても苦労して

決めた場所でキャンプをすることになり、

浮いたまま進むことのできる小型の乗り物を

調達すると、キャンプ道具とたっぷりの水、

野菜や肉など料理の素材を

たくさん積んで出発した。


「……ねぇ? アシュリー。

 とっても材料が多い気がするのだけど、

 これって間違いではないわよね?」


「ん? ああ、間違いではないよ。

 むしろ足りなくなるのではないかと

 心配なくらいだ」


リコシェは首を傾げた。

もしかしたら、お客様でもあるのかしら。


「私、何だかワクワクしてきたわ」


アシュリーは微笑んでリコシェを抱き寄せた。

乗り物は設定したポイントまで

自動運転で安全にゆっくり進む。

ここはまだ、ようやく森林地帯に入ったところだ。

目標はずいぶん遠い。





≪続く≫


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