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結婚式

お待たせしました。

遂にリコシェとアシュリーの結婚式です。

幸せ全開でお届けします。


リコシェとはアレクシア姫の愛称です。

ルベ4国のうちの1国ホーエンベルクの

首都ラインホルトは歴史を感じさせる

石作りの建物が立ち並び、

個々の建物はそれぞれ違うが

皆高さが揃って統一感のある

美しい街並みをしていた。


石畳の道は広く、都市計画を成した

歴史の彼方の人物の先見性と

その計画をなしえた当時の繁栄と

財力を誇った国家に思いを馳せる時、

やはり誰もがひとつやふたつ

溜め息をこぼす事になるのである。



少し郊外に足を伸ばすとブドウ畑が広がり、

ブドウ農場を営む家が

自家製のワインを醸造している。


水としてより雪や氷として

高山に水分を抱え込むルベは

全体として乾燥した星であり海はない。


地形の影響で風の強いこの辺りでは、

放射冷却の影響が弱く

あまり冷え込まないため

ブドウ栽培に適していた。


出来たワインを手軽な料理と共に提供する

こじんまりした店があちこちの農家の

庭先に出されて賑わっていた。



そんな店の一軒に、

ツバ広の帽子の下から艶やかな黒髪を垂らし

明るい秋色の服を組み合わせてまとめた

スタイルのほっそりした若い女と、

栗色の長髪をうなじで一つに結んで長く垂らし

モノトーンでまとめた服装の長身の男の

カップルが入ってきた。


観光客がよく通る道から外れているこの店は、

舌の肥えた地元の常連が多く通う

味に定評のある一軒であった。


それでも日が高いうちから混む事は

滅多にないのだが、

今日はいつもより人の出足が早いのは、

宇宙(そら)を渡る結婚式がもうすぐ

配信されると知れ渡っているからであり、

陽気な人々が祝い事に便乗して盛り上がろうと

目論んでいるからであった。


店の地元客は

ふいに現れた見ず知らずの二人を

ちらちら見ていたが、

スッと目立たない隅の席に納まって

穏やかに小声で話し始めたので

注文の相談でも始めたのだろうと

そのうち誰も特に気を向けなくなっていった。


男のほうが立って

ビュッフェ形式のカウンターへ行くと、

農場自家製のハムやベーコン、チーズにピクルス、

他に刻んだトマトやパプリカ、ゆで卵などを

プレートに彩りよく盛り合わせてきた。


テーブルにやってきた農家の家人に

プレートの分の会計と共に注文したのは、

醸造し始めたばかりの、

ブドウジュースからほんの少しだけ

発酵が始まっているもので、

季節限定で飲めるのを知っていたらしい。


それは僅かなアルコール分と

残る果糖の甘みと発泡とでとても爽やかな甘みの

口当たりのいい飲み物だった。

一口口に含んだ女が小さく歓声を上げたのを

横目にみた地元の人々は我が意を得たりと

ニヤリと笑んで頷いた。


「どうだい、お嬢さん。美味いだろ」


「ええ、とても美味しいわ。

 これだったら1樽でも飲めそうね」


爆笑が広がった。

気の良さそうな恰幅のいい客が口をはさんだ。


「さすがにそれは止めといたほうがいい。

 そんなに飲んだらせっかくのスタイルが

 樽になっちまう」


「それはちょっと……。

 それじゃ、2杯くらいで

 ガマンしておくことにするわ。

 それと一つ訂正しておかないと。

 実は私、さっき結婚したの。

 だからもうお嬢さんと呼ばれるのは……」


「おや、それはめでたい」


「なんだい、あんた達も

 宇宙(そら)を渡るロマンスってやつの

 あやかり婚の口かい」


「同じ日に結婚式挙げようってカップルが

 あっちにもこっちにも、わんさといるしなぁ」


「よっしゃ!

 それじゃ、ここで会ったのも何かの縁だ。

 みんなで祝福の乾杯だ」



店中の客がそれぞれのグラスを手に立ち上がると、

どこからか掛かった声に合わせ

盛大にグラスを上げ乾杯した。

祝福の声が降り注ぎ、

手を取り合って立ち上がっていたカップルは

顔を見合わせて微笑んだ。

男が言った。


「皆さん、ありがとう。

 ここはぜひ一杯ずつおごらせてください」


「おお、豪気だねぇ。

 あんたの気風(きっぷ)がいいのはよくわかったが、

 結婚したばかりの若いカップルにゃ、

 こっから先いろいろ物入りだ」


「おうともよ。

 だから、そんなこたぁ気にすんなって」


おう、そうだそうだ。

無理すると後でしんどい思いをするぞ。

その気持ちだけで十分だよ。等々

新婚カップルに優しい言葉が投げかけられ、

二人はお言葉に甘えますと素直に好意を受けた。


「よぉし、ここらで祝い事って言やぁあれだ。

 いっちょやるか!」


「ちょい待ち! パートは揃ってるか?!

 …………ああ、いいようだ。

 それじゃあ、いきなり行くぞ」


その言葉の後、

短距離ランナーがスタートの姿勢を取って

合図を待つ束の間のリラックスした緊張状態に

よく似た静止状態の、半呼吸ほどの短い間。


……そして、鋭く吸った息の微かな音に反応し

一瞬にして息を合わせた人々は、

最初の一音から見事なハーモニーを響かせた。


それは、この国出身の世界的に著名な作曲家の

歌劇の中で歌われる合唱曲だった。


天啓を受けて一人立ち上がった若者が

数多の苦難を乗り越えて勇者となる物語で、

戦いの中で傷付いた若者を

わが身の危険を物ともせず

救い守り通した乙女との愛を祝福する

荘厳な中にも輝かしいこの曲で

舞台は大団円を迎える。


何の伴奏もなしに分厚い音の響きが満ちて、

その豊かな響きは

日よけ替わりに少し高めの棚仕立てに作られている

ブドウの濃い緑の葉陰をすり抜けて

青空に広がっていった。


優れた音楽家を数多く輩出する

この国ホーエンベルクの首都たるラインホルトは

音楽の都と呼ばれ、生活の中に美しい音楽が溢れ

人々は音楽の中に生まれて育つ。


人が集まれば合唱があり、

美しいハーモニーの中に加わることができることに

子供たちは憧れ耳を澄ませる。

そういう土地柄だった。



若いカップルは初めとても驚いていたが、

そのうち身動き一つせずに聴き入った。

しばらくして曲が終わり、余韻に浸る。


数瞬の後、ブラボーの声と共に

力いっぱい拍手を送った。


「……素晴らしい!

 なんて素晴らしい合唱だろう。

 ……皆さん、私たちのために

 本当にありがとうございます」


「おや、奥さん。涙が……」


「……わ、私、何だか……涙が止まらなくて……。

 皆さん、ありがとうございます。

 この舞台は何度か観た事ありますけれど、

 こんなに感動したのは初めて……」


新婚の男がハンカチを取り出して手渡すと、

ありがとうと受け取って涙に濡れた頬を押さえた。

ハンカチを離すとまた涙が溢れて零れる。



「いやぁ、こんなに喜んでもらえると

 こっちも歌った甲斐があるってもんだ」


あちこちから同意の声があがる。


「みんな音楽が好きなんだよ。楽器も好きだし、

 みんなそれぞれ何やかややってるが、

 手元にないと弾けないだろ?

 そこいくと歌はいいよなぁ、身一つで十分だし」


「おうよ、身体が楽器だもんなぁ」


「もしや、皆さんは名のある合唱団の?」


「いやいや、とんでもない!

 ただのここら辺に住んでるおじさんだ」


「ただのおばさんもいるわよ」


ドッと笑い声があがった。

そうこうするうちにそろそろだぞと声が掛かり、

PCFを展開する人がバタバタと増えた。


「世紀の大イベントだからなぁ、

 見逃したら大損だ」


「あんた達もせっかくあやかったんだから、

 しっかり見ておかないとなぁ」


「おっ。おい、始まるぞ」





晴れ渡った青空にタイトルが浮かび

アナウンサーの落ち着いた声が重なる。

グランヴィルの国旗がズラッと飾られた

大通り一杯に詰め掛けた人の群れを

上空から俯瞰で遥か彼方まで捉え、

人出の多さを紹介した。


画面が切り替わると各国から招かれた

参列者がアップで抜かれ次々と紹介されていく。


「お、ルベ4国は元首揃い踏みだな。

 こりゃ凄い」


「マリレからもだろう。

 これは式の後で公式非公式ともに

 いろんな会合がごまんと開かれそうだな」


「普段、めったに会えないトップの方々が

 一堂に会するってんだからなぁ。

 目の色変える奴もいるだろうさ」


「何だか生臭いこと言ってるわねぇ。

 今から結婚式なんだから

 ごく普通にお祝いしたいじゃない。

 そんな雑音ドッド砂漠にでも放り投げといたら?

 きっといい具合に干からびるわよ」


「はっはっは……、そりゃあいい」



次いで映像は、天井の高い荘厳な建物の

内部をなぞるように移動しながら、

画面手前のとても高い位置から

会場全体を眺め下す。


中央に真っ直ぐ長い長い通路が伸び、

深紅の絨毯が最奥の壇まで敷かれていた。

通路の両側はズラリと隙間なく座席が並び、

改まった服装の招待客がびっしりと座っている。


足早に案内されて席に着く人がある。

やはり座席はきちんと決められているようだ。


静かに奏でられていた室内楽団の演奏が終わり、

ややあってファンファーレが鳴った。

グランヴィル王と王妃が入場し、

いよいよ結婚式が始まる。



華やかな前奏から始まった次の曲は

美しい合唱に繋がって

天井の高い建物いっぱいに響き、

天から音が降ってくるかのようだった。


正装のアシュリー殿下が祭壇横手の通路から現れ、

ほぼ同じタイミングで大扉が開くと

父であるモンフォール女王配殿下にエスコートされ

アレクシア姫が長い赤絨毯の通路を歩き始めた。



アシュリー殿下が姿を現した時、

世間に出回る映像はごく幼い頃のものだけで

極端に露出が少なかったため一気に注目された。


ほとんど初めて見たと言ってもよいその姿は、

度の強いごく普通の眼鏡をかけた王家の正装で、

長く背中に垂らした艶やかな銀色の真っ直ぐな髪が

映えて美しく、ほんのり青みがかった銀髪は

何よりもとても人目を引いた。


が、しばらくすると

ほぼ同時に登場したアレクシア姫に

映像が切り替わって当然のように

注目が移っていった。


白い小花の小ぶりのブーケを手にした

アレクシア姫の純白のドレスは、

絹地のベースのドレスに重ねる形の

総レース仕立てで、後ろ裾はおよそ2.5m。

長過ぎず短すぎず、一着のドレスとして

バランスの良い長さだった。


ベースドレスの柔らかなカーブを持ったⅤ型の

胸元に重なるレースは透け感の浅いもので、

デザイン化された草花のモチーフで美しく

配置構成されて胸元に華やかさを加え、

レースのみのハイネックの襟元と

手の甲までの長袖で

ほとんど露出のない上品なデザインだった。


ティアラは女系で知られるモンフォール王家が

代々大切に受け継いできた伝統の逸品なのだと

アナウンサーの紹介があった。


裾にレースをあしらった薄い純白のベール越しに

喜びに光り輝くようなアレクシア姫の表情が

よく見えた。



「ああ、ますます綺麗になられて……」


「確かとても若いお姫様だったはずだけど、

 しゃんと顔を上げて堂々と歩いてるな……。

 俺、長いドレスの裾踏んづけて

 躓かないかって心配してたんだけど」


「何言ってんの。アレクシア姫は

 生まれながらのお姫様なんだからね、

 はいはいする前からドレス着てるわよ。

 そんなの大きなお世話ってもんだわ」


「そうか、そうだよな」


「そんなことより、ほら!

 素敵なドレスねぇ……。

 この頃肩を出すスタイルが流行ってて、

 ちょっとばかり慎ましさが足りない気がしてね。

 ……まぁ、花嫁さん達がそれを着たくて

 母親が文句言わなけりゃ

 そうなっちゃうんだろうけど、

 私なんか意外に古風だから、

 ついつい余計な一言言いたくなるし。

 そこへ持ってきてこれでしょ?

 もう目が洗われるばかりだわよ」


「ホントにそうねぇ。上品なドレスだわぁ」


「俺はさ、むやみやたらと長い裾やらベールやら

 引っ張って歩くドレスはどうかと思ってたんだが

 このドレスは丁度いいって思うな」


「だな。前に見た、えーっと誰だっけ、

 すっごい長いのを引きずってたけど、

 あれは何だか生地の無駄っていうか

 掃除してるみたいっていうか……」


「んもう! 何失礼なこと言ってんのよっ!

 誰のドレスも

 精一杯の乙女心から出てるものなんだから、

 そんな事言ったら花嫁さんが可哀そうよ」


「あ、いや、そんなつもりじゃ。

 ……ああ、悪かったよ」


男って何てデリカシーがないのかしら等々

ブツブツ言われ暫くおとなしくなっていたが、

酒も入っていたため

それもあまり長くは続かなかった。

各々好き勝手にあれこれ言いながら

楽しくグラスを傾ける。


「それにしてもすっごい数の客だな。

 あそこに招かれてるってことは

 それなりに関わり深い人達なんだろうしなぁ」


「そりゃそうだろう。そういう物凄い大人数と

 漏れなくミスなく滞りなく

 ちゃんと付き合えるから

 王族やってられるんだよ」


「うへぇ、俺には絶対無理だぁ」


「そりゃそうだ。

 誰もお前にやってくれなんて頼まないよ」


「違いない」


楽し気な大笑いが響く。

新婚カップルは顔を見合わせて

一瞬真顔で見つめ合い、微笑んで頷き合った。



画面は手を取り合って誓いの言葉を述べる二人を

それぞれの表情のわかる角度で

切り替えながら映し出している。

アレクシア姫のベールの前の部分は既に上げて

背後に垂らされていた。


誓いの後、

アシュリー殿下がアレクシア姫の手を取ると、

その細い指にリングを嵌めた。

アレクシア姫は指のリングを見つめ、

そしてそっとアシュリー殿下を見上げて

微かに恥じらいながら微笑んだ。



なんて可憐なんだ……と、

ため息とどよめきが店に満ちる。

それから粛々と式が進行していったが、

一瞬の表情にハートを鷲掴みにされた多くの人々は

いっぺんに姫のファンになってしまった。


祝賀のゆったりした行進曲と

打ち鳴らされる鐘の音に送られて

聖堂を後にしたパレードは、中継のポイント毎に

人々の熱狂を繋いで王都を巡り王城に収まった。


しばらくして

王城前の広場に溢れんばかりに集まった

人々の歓声に応えグランヴィル王をはじめ

王家の面々がにこやかにバルコニーに姿を現した。

そしてその中央に笑顔で手を振る新婚の二人。


アシュリー殿下が王に耳打ちされて

笑いながら花嫁に言葉をかけると、

アレクシア姫は頬を染めて小さく頷いた。

殿下は恥じらう花嫁をそっと抱き寄せて口付けた。

そして、大歓声の中で配信は終了したのである。



「いやぁ、めでたい」


「いい結婚式だったわぁ」


気分が盛り上がったまま、

それから何度も乾杯が行われた。


「アレクシア姫のあの表情はたまらんなぁ。

 いい歳したおっさんの俺でも

 キュンキュンしちまったよ」


「ああ、俺もだ。

 あんな顔で見つめられたら

 何が起きてもこの人だけは絶対守らねばって

 思っちまうよなぁ」


「何言ってんのよ。

 あれはね、アシュリー殿下が引き出した

 表情なんだからね!」


「そ、そりゃそうだ。そうでなくっちゃな」


「そんなの当り前じゃないか、なぁ。

 ……ああ、あんた達も同じ日に結婚したんだ。

 しっかり幸せにならないと

 あのお二人に申し訳ないことになっちまうぞ」


急に話を振られて

新婚カップルは一瞬目をパチクリさせたが、

素直に頷いた。


「ええ、もちろんそのつもりです」


そう言って微笑んだ二人は席を立った。

改めて歌のお礼を言い別れの挨拶をする。

店中からお幸せにと温かい声を浴びながら

店を立ち去っていった。


居た人がいなくなってほんの少し漂う空虚感に

しばらくぼんやりした後で、ふと誰かが呟いた。


「……今の二人ってさぁ、何となくだけど

 似てたと思わないか?

 髪の色も全然違うし、パッと見、

 丸っきり別人なんだけどさぁ……」


「ん? 誰が誰にって?」


「……あ、うん。……そんなはずないし、

 んーその……まぁ、いいか。

 ……ああ、それよりもさぁ、アレクシア姫の

 ドレスのレースのモチーフが

 オリーブだったんだって。

 どうやら想い出の木らしいって話で……」



陽気な店内は結婚式を肴に、

ここから更に盛り上がるのだろう。

店を出たカップルは手を繋いで道を歩く。


店に入ったときはまだ高い位置にあった陽は、

農家の屋根にかかりもうすぐその姿を没する。

徐々に夜の気配が増し、

そこここに大きく張り出している影が

夜の暗さに溶けてしまうのもそう遠くないだろう。


気付くとカップルの後方に二つの人影があった。

付かず離れず一定の距離感でどこまでもついてくる。



……と、前方に光が一つ浮かんだ。

自転車のような……


「! ナタか」


カップルの男はさりげなく女と位置を変え、

一歩前に出て背後に女をかばう。

後方の人影は火が付いたようにダッシュし、

あっという間にカップルの前に飛び出した。

どんな動きにもすぐ反応できるよう身構えて、

やってくる自転車に備える。



自転車が近づいてくる。

もう数秒後には接触かという時に聞こえてきたのは

あの合唱曲の直前に歌われる長老のアリアだ。

暗くなってきたからか遠慮がちに

ずいぶんと声を押さえて歌っているようだ。


自転車の人物がこちらを見た。

低いよく響く声が届く。


「あんたら観光客だろう。

 日が落ちるとここらはずいぶん寂しくなるから、

 早いとこ街に戻ったほうがいいぞぉ。

 気を付けてなぁ」


すぐに誰かの声が応えた。


「あ、はい。そうします。

 あなたも気をつけて」


「おーぅ」


自転車の男は通り過ぎてヒラヒラと片手を振った。

自転車の荷台には

小ぶりの道具箱が結わえ付けられていて、

おそらく箱に入らなかったのだろうナタが

皮袋に入れられて斜め掛けに背負われていると

見てとれた。


自転車の男が探知範囲から完全に去るまで注視し

緊張を緩めない。


……去った。


探知範囲内に他に人はいない。

危険物その他全く問題ない。

身構えていた二人は一礼して

離れようと背を向ける。



「いつも、ありがとう」


「いえ。それでは配置に戻ります」


「あ、良かったら一緒に……」


「ダメだよ。

 気持ちは分かるが職務の邪魔をしてはいけない」


「私達にはどうぞお気遣いなく」



二人は元の位置関係に戻っていった。


「……ダメね。

 ついつい感情が先に立ってしまうわ」


「警護の仕事は守り通して当り前だ。

 時に自分を盾とする覚悟で現場にいる。

 だから、警護される側も

 何が何でも無事に生き延びる事で

 その覚悟に報いる」


それは分かっているんだけど……と頷いて

そのまま俯いた。


「今の自転車の人はナタを背負っていたんだよ。

 私のPCFは武器を察知する。

 おそらく彼らのPCFもそういう能力を

 育てているはずだ。


 ナタは道具だが武器として扱うことも

 十分可能だからね。

 ナタを感知した時点で攻撃方法を想定する。

 切りかかってくるか投げつけてくるか……。

 そして彼らは盾になろうとした。


 武器を持っているからと言って

 必ずしも襲撃者とは限らないし、

 攻撃の意思を確認してからじゃないと

 仕掛けられない。

 善意の通行人である可能性もあるわけだし、

 実際今の人もそうだった。……それともう一つ」


そう言って手をつなぐ。


「可能な限り警護対象の行動を阻害しない

 というのもある。

 警護第一に考えれば

 ぴったり張り付いて囲むのが一番なんだろうが、

 それをやると一般社会では異質極まりない。

 だから離れてくれているんだ」


手をつないだまま歩き出した。

引かれる形で彼女も歩き始める。



「ずいぶん前から綿密に計画して

 多方面に協力を要請し、

 より安全を期するために

 考えられる事は全てやってきただろう?

 おかげで私達も

 世界中の人たちと同じタイミングで

 自分達の結婚式が楽しく観られた」


「ええ、そうね。とても楽しかったわ。

 思いがけない歌のプレゼントも

 素晴らしかったし」


彼女の気配が和らいだ。

名残の朱が混じる濃紺の空に強い光の一番星だ。

ふと足を止めて星を見上げる。

今はもう微笑んでいることだろう。

ほら、と指差して

二人で星を見上げながら言葉を繋ぐ。


「君のあの表情を別の角度で改めて見たが、

 正直言うとかなり悔しかった」


「え?! どうして?」


リコシェはちらっと

隣に立つアシュリーの顔を見上げた。

星を見上げたままアシュリーが答える。


「なんだろうなぁ、自分にこんな感情があるとは

 思わなかったのだが、

 私はどうやら君のことに関しては

 かなり強欲なのかもしれん……。

 余人に見せるのが惜しくてたまらなくなったよ」


そう、と再び星に目を移す。

強い光が瞬いて何か語り掛けてくるようだ。


「さっきとても恥ずかしくて困ったのだけど、

 他の誰でもなく

 私はあなただけを見ていたのよ? アシュリー」


「ああ、分かってる。

 分かってるんだが、つい、な。

 ……世界配信しておいて見せたくないとは

 我が儘以外の何物でもない」


「ねぇ? アシュリー。考えてみると、

 世界配信で結婚式をしたっていうのは

 世界に向かって

 独占宣言したようなものでしょ?」


「そうだな。

 もう君の隣は堂々と私の場所だと主張できる」


「ええ。私の隣はあなたのものよ」


リコシェのこの言葉の後にはまだ続きがあった。

敢えて聞こえないように

声を出さずにつぶやいたのは‘永遠に’だ。

かつて連絡の取れないアシュリーを待って、

ノーリッシュ山脈の氷河の上を

深夜眠れぬまま歩き回りながら

リコシェは一つ覚悟を決めていた。


隣は私の場所だ、とそう言いながら

目線を星からリコシェに戻したのは偶然だった。

そして、聞こえた言葉の後の

音のないもう一言を見てしまう。


アシュリーは唇が読めた。


「……リコシェ」


「なぁに?」


次の瞬間リコシェはアシュリーの腕の中にいた。

力いっぱい抱きしめられて息が詰まった。

少し驚く。


「……あ。アシュリー、誰かに見られるわ」


「……私達の他に誰もいない。

 狙ってるレンズもない」


リコシェの頬に雫が落ちた。

……雨? いや、星空だ。


「……あなた、泣いてるの?」


「………………いや……泣いてはいないが、まぁ

 少しばかり涙腺が緩んだかもしれない」


いつもの口ぶりにリコシェは安心して

アシュリーの背に腕を回す。

背中を撫でながら訊ねた。


「良かったらその、

 涙腺がちょっと緩んだ原因を教えてくれる?」


「答えていいのかどうか少々迷うが、

 君に訊かれたら答えないわけにはいかない。

 ずいぶん前にそう決めたからね。

 ……私は唇が読めるんだ」


「唇が、読める?! ……あ!」


リコシェは真っ赤になった。


「……え? リコシェ、

 急に体温が上がってきたが、大丈夫か?」


アシュリーは慌てて力を緩め、

両手でリコシェの肩を支えた。

見るとリコシェは顔はもちろん

首筋から胸元まで真っ赤になっていて。


「あ、あのね、アシュリー。

 私が勝手にそう思ってるだけだから

 気にしないで」


「あ、いや、リコシェ、同じだ。

 私も同じだったんだよ。

 命ある限りで区切れないと思った。

 だから声には出さなかったが

 式の時勝手に付け加えていた。

 永久(とわ)に、と」


二人真顔で見つめ合う。

どれくらい経ったかどちらともなく微笑んで

手を繋いだ。


「行こうか」


「ええ」





PCFで自動運転の乗り物を呼び、

ラインホルト市街の中心部に移動した。


郊外だったのとどうやら普段より混んでいたようで

配車に少々時間がかかってしまい、

次の予定までにあまり余裕はない。


ラインホルト国立歌劇場の側の

ホテルの部屋に戻ると

手早くシャワーを浴びた。

ガウン姿で急いで髪を乾かす。

鑑賞のためにドレスコードに従って

着替えなければならない。


鏡の前に座って丁寧にブラッシングする。

後ろの高い位置で一つに結ぶと

髪を同じ方向に何度もひねり

結んだ箇所を中心に巻き付ける。

毛先は下に押し込んで何か所かピンで留めると

簡単にまとまった。

後れ毛をコームで整えヘアスプレーで軽く固める。


イブニングドレスを着ると

アクセサリーを身に着けた。


心地よく飛ぶために

普段から節制しているリコシェは

余分な肉のほとんど無い

しなやかなスリム体形だった。


鏡に映る姿をチェックしていると

支度に時間がかかるからと

シャワーを先にリコシェに譲ったアシュリーが

ガウン姿でやってきて感嘆の声をあげた。


後ろからリコシェの胴に腕を回す。


「素晴らしい!

 リコシェ、君はなんて綺麗なんだ」


リコシェは頬を染めて、はにかみながら

何気ない調子を保とうと頑張った。


「あ、ありがとう……。

 このくらいなら何とか、ね。

 ……だけど、アシュリー?

 何だかあの合唱で私、

 お腹一杯みたいな感じなの」


「……そうか。

 あれは本当に思いがけないプレゼントだった。

 思いがけないってだけではなくて、

 本当に素晴らしい合唱だったよ。

 近所のおじさんおばさんの集まりで

 あのクォリティは普通には有り得ないレベルだし

 音楽に関するホーエンベルクの

 底知れない実力を思い知らされた気がする。


 そうだな……、今夜の歌劇場の公演も

 きっと素晴らしいものだろうが、

 今日の我々には

 あの合唱に勝るものはないかもしれない」


アシュリーはPCFでチケットをキャンセルした。

歌劇場のホームページで席が表示された途端、

良い席だったのであっという間に売れてしまった。


「おお、すごい人気だ。

 これで誰かに楽しんで貰えるな。

 せっかくの公演の席が

 無駄にならずにすんで良かった」


「ごめんなさい、我が儘言って」


「いや、実のところ

 私もあの合唱でお腹一杯だったんだよ。

 でも予定に組んでしまっていたからね。

 ……ん? お腹?

 そういえば、こっちのお腹のほうは何だか……。

 よし、今からルームサービスを頼むか」




二人きりの晩餐会はとても楽しく済んだ。

程なく、

すっかり空になった皿をたくさん積んだワゴンは、

チップを丁寧に受け取ってにこやかな会釈を残した

部屋付きのバトラーによって廊下に引き出され、

静かにドアが閉まった。


「あんまり楽しくて、

 ちょっと食べ過ぎちゃったかもしれないわ」


「そうだな。……それじゃ、ちょっと踊ろうか?」


「え?ここで?! ふふっ、障害物ワルツね」


アシュリーはソファや肘掛け椅子などを

少しずつ中央に寄せ、

居間にドーナツ型のスペースを作り出した。


リコシェの前にきちんと立つと左手を自身の背に

右手を胸にあてて改めて言った。


「踊っていただけますか?」


「ええ、喜んで」



狭いスペースなのでゆったりは組めない。

ぴったり身体を寄せて組むとPCFでワルツを流す。

ナチュラルターンとリバースターンを組み合わせて

くるくる回りながら進行方向を保って踊り続ける。

ステップは単純だ。

他の動きはこのスペースでは無理なので

カットして回り続ける。

逆向きのターンを組み合わせると

回り続けていても目は回らないのだ。


二人とも

足が勝手にステップを踏んでくれるくらいに

身についているので、

リコシェは音楽とアシュリーのリードにまかせて

思う存分踊る。

アシュリーはいわば障害物コースの運転手なので

事故を起こさないよう気を付けて踊る。


アシュリーの目を見つめて踊りながら

リコシェが訊ねた。


「ねぇ、アシュリー。

 そのコンタクト辛くないの?」


「辛いと言うほどではないが、

 まぁ私としてはいつものメガネのほうがいいな。

 だけど、この旅行の間は

 このコンタクトでいるつもりだ」


「良かった。

 メガネは止めてずっと

 コンタクトにするつもりなのかと思ったわ」


「……メガネ無しは、好みじゃないかい?」


「え? そんなことないわ。

 メガネが在っても無くても

 あなたはあなたじゃないの。

 どっちも大好きよ。

 ただ、メガネなら私にも外せるから

 ホンのちょっとあなたに近い気がするの……」


次の瞬間、ワルツに急ブレーキが掛かり

バランスを崩したリコシェは大きくよろめいた。

その拍子に髪が乱れてピンが抜け落ち

(ほど)けた。


転ぶ!咄嗟にそう思って

ギュッと目をつぶって身を固くしたが、

いつまで経っても床に倒れない。

それどころか浮遊感がある。

リコシェが目を開けると、

アシュリーに抱き上げられて運ばれていた。


「アシュリー?」


寝室だ。

天蓋付きのとても大きなベッドに、

リコシェはそっと下ろされた。


「……リコシェ、君は前からそうだった。

 外見じゃなく私そのものを見てくれる」


横たわるリコシェの

顔を挟んで両手をついたアシュリーが、

ついばむようなキスをした。

次いで深いキスをしかかって、ふと止まる。


「ああ、やっぱりコンタクトを外してくる。

 たぶん君はそのほうがいいだろう。

 楽な姿に着替えて待っててくれるか?」


「ありがとう、アシュリー」


20数秒後、コンタクトの始末をし

ナイトガウンに着替えたアシュリーが

戻ってきた時にはリコシェは

イブニングドレスをハンガーに掛け、

髪を梳かしナイトガウンを着て

ベッドに腰かけていた。


「おお、君もそうとう手早いな」


「ふふっ。私のPCFはね、

 なんだか私の能力の上限ぎりぎりを狙って

 鍛えようとしてくれるみたいなところがあって、

 困った事態になっても精一杯頑張れば何とかなる

 みたいな成功体験をたくさんくれたわ。

 おかげで、

 雲をつかむようなことでも諦めなくなったし

 頑張ることを楽しめるようになったし、

 もたもたしてたら間に合わないから

 結構手早くもなってるかもしれないわね」


「ほほぅ。

 ……君のPCFが人間だったら

 ぜひ会ってみたい人物だな。

 私のリコシェをこんなに魅力的に導いた

 厳しくも優秀なコーチだからね」


アシュリーは朗らかに笑った。


「……さて。仕切り直しだ。

 今度はもう止まらない」


リコシェの希望で明かりを落とし暗くした。

帯を解くと、

シルクのガウンはスルッと肩から滑り落ちる。

アシュリーの熱にリコシェは精一杯応えた。



暗いまま、アシュリーの腕の中で話を聞く。

ドッド砂漠の星降る夜の話だ。

いつか二人で翼を並べて星の中飛んでみたいと。

希少種が安全に暮らせる世界になったらいつか……。


「時間はかかるかもしれないけれど、

 地道に啓蒙していけば

 絶対無理じゃないと思うわ。

 最初は国内から。

 グランヴィルができたらここ、

 ホーエンベルクとか近い国から始めて

 ゆくゆくはルベ全体へ、そしてマリレよ。


 グランヴィルに戻ったら

 早速どうしたらいいか考えるわ。

 ため息ついてるだけじゃ

 結局何も変わらないもの。

 とにかく、始めないとね」


「君と話していると本当に

 いつかそんな日が来るかもしれないって

 思えるのが不思議だな」


アシュリーは暗い中手探りで

リコシェの手を見つけると指先にキスした。

賞賛の意味だったのだが、

油断していたリコシェは

思わず小さな声が出てしまった。

アシュリーはそれを聞いて

指先から腕に唇を這わす。


「…………リコシェ、

 もう一度……声が……聞きたい」


「そ、そんな。……あ」


アシュリーは止まらなくなり、

リコシェは恥ずかしくて懸命に堪えたので

却って煽る結果になってしまったようである。


リコシェが痛みにも声にも多少慣れた明け方近く、

リコシェはストンと落ちるように眠ってしまった。

アシュリーはリコシェを大切に抱え

世界と運命に感謝した。


今日の予定は少々手直しが必要になるが

今何より大切なのは彼女の睡眠を守ることだ。

午前中の予約はキャンセルをいれる。

午後はリコシェと考えよう。





≪続く≫


初恋としては一段落なので章機能を使ってみようかと考えています。

今回古いPCのOSサポート終了からの新機種購入やら暑い季節目前のエアコン故障買い替えに伴う付け替え工事のための直下を空ける大規模家具移動やらが重なりとても更新が遅くなってしまいました。忘れ去られていたらと凹んでいるところに最近になってブックマークして頂いた方があり力が湧きました。感謝申し上げます。

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