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それぞれの準備

リコシェもいよいよルベに渡り、

行儀見習いという形で

グランヴィルのフラムスティード城に入って

準備を始めています。

あの二人にも大きな変化が……。


リコシェはアレクシア姫の愛称です。

マリレで起きた海底火山の噴火は、

8ヶ月を過ぎて当初より落ち着いた感があり

観測される微細な地震こそ数多いものの

目立つ噴火はこのところ収まっているようであった。


マリレ三国のうちの一国、海底火山に最も近い

ファルネーゼに火山活動監視機関が設けられ、

一人で持ち運びできるサイズの

無人小型高速観測機が連日定期的に周回し

データを蓄積していた。


翼に小型のプロペラがズラッと並んで付いている

あまり見ないタイプの飛行機形体で

外洋の強風を物ともせず長距離を超高速で飛行し、

現場に着くと翼の向きを90度変えて

ホバーリングしつつ丁寧に観測するのだ。



ドラゴンの姿を見たという噂は

すっかり影を潜めたが、

どこからか集まってきていた船は

だいぶ数を減らしたとはいえ、

いまだに10艘を超える船が遠巻きにして

火口付近を望遠レンズで狙っていた。


欲に取り付かれた命知らずの船は

ファルネーゼの退避勧告を無視し続けていたので

とうとう、噴火に巻き込まれたりなど

万一の事態が起きても救助捜索一切無しの

通告を受けるまでになっていた。


そして、更に1ヵ月が過ぎても

火口付近に船が何艘もとどまり続けたので、

とても気の長いファルネーゼ王も

流石に堪忍袋の緒を切らせてしまった。


「危険ゆえ離れるようにと再三声をかけてやっても

 全て無視した挙句、

 それならばと突き放してみても

 全く行いを改めんとは何たる不遜!

 もう容赦はせん。全船拿捕して

 乗員には特大のお灸をすえてやらねばならん。

 わしの鼻の先で傍若無人のあの振る舞い、

 放っておいたとあっては

 国民に対し示しがつかんわ」


情報がどこから伝わったか、

ファルネーゼから王命を帯びた沿岸警備隊の

武装船団が現場に到着した時には既に、

一艘残らず姿をくらましてしまっていた。


しかしながら、

その報告を受けたファルネーゼ王は、

危険域に居座って目障り極まりなかった船が

一艘残らずいなくなったと喜び、

以後火口周囲5km圏内海域に立ち入った船は

拿捕すると発令した。


「これでもう近寄っては来んじゃろう。

 ……ふ、すっきりじゃ。ほっほっほっ……」





さて同じ頃、こちらはグランヴィルの王都

フラムスティードの王城である。

リコシェはしばらく前にルベに渡り、

行儀見習いという名目で既に王城にあった。


今朝はその奥まった一室で、

たくさんの侍女に取り囲まれて

頭の先から爪先まで徹底的にお手入れされていた。


「アレクシア様、

 また長く庭園でお過ごしになられましたね?

 ルベはマリレよりもとても乾燥した星ですから、

 植物に囲まれた場所であっても

 こちらの気候に馴染んでしまわれるまでは

 気をつけて頂かないと。

 特にお肌はデリケートですし

 お式当日には完璧な状態でいて頂かねば」


御髪(おぐし)もそうでございますよ」


「ああ、ごめんなさい。

 昨日、家系図を覚えようと思って

 バラの小部屋にしばらく座ってたのよ。

 香りと一緒に覚えると、思い出す時に

 バラの香りがするような気がするの」


「なんと、そうでいらっしゃいましたか。

 ……それならば、

 アレクシア様がバラのお庭に留まられる時には

 遠巻きにミストをお手配いたしましょう」


「まぁ! ありがとう。嬉しいわ」


リコシェがそう言って微笑むと、

リコシェの周りでせっせと手を動かしている

侍女たちにも笑顔が広がった。



しばらくして、自分たちの仕事の出来ばえに

満足した侍女たちから解放されたリコシェは

ソファに浅く腰掛けると、

午前中の予定が他になかったので

再び家系図を取り出して広げた。


古びた羊皮紙に

装飾的な手書きのインク文字のそれは、

湿気や乾燥にほとんど影響を受けない加工を

施された精巧なレプリカで、本物は国立博物館に

納められているという事だった。


「午後はローレンシア様のお部屋に

 伺うことになってるから、

 お約束の時間に絶対遅れないようにしなくちゃ」


PCFを展開する。ローレンシア様とは、

近々義姉となるこの国の王妃である。


「30分前に報せてね。

 それと、ローレンシア様のお部屋までの

 最短ルートを出しておいてくれるかしら」


すぐ通路が表示された。


『このルートの他に、別途条件を満たす場合に限り

 通常の通路使用より6分短縮可能な

 特殊ルートがあります』


「まぁ!

 何となくどういう傾向のルートか

 解る気がするけど……。

 とりあえず、その条件というのは

 どういう事かしら?」


『運動するのに準じた服装でヒールは不可。

 衝撃吸収機能を持つ運動靴推奨です』


「やっぱり……。試してみたいところだけど、

 行く先がローレンシア様のお部屋だし……。

 ドレスコードなんて無いけど

 有るようなものでしょ?

 ちょっと元気一杯運動してきましたって格好では

 伺えないわ。

 だから、その短縮ルートは不採用ね。ふふっ」


そこに声がした。


「ずいぶん楽しそうな話をしてるじゃないか」


入り口に立って、

開け放ってある扉をノックしながら

声をかけたのはアシュリーだ。


「ああ、アシュリー。

 あなたの所が行く先だったなら

 試してみても良かったんだけど」


義姉上(あねうえ)なら面白がって下さるとは思うが、

 今の立場から考えると

 避けておくほうが無難だろうなぁ。

 ……それにしても、君のPCFの育ち方は

 とても興味深いものがある。

 一度じっくり調べてみたいものだ」


そのうちね、とリコシェは笑った。


「どうぞ、入ってらして」


「ああ、お邪魔するよ」



王城内であることもあり安全面の心配はほぼ無い。

それよりも結婚前に

要らぬ憶測や勘繰りを避けるため、

リコシェはこちらにやってきてから

普段ドアは開け放ったままにしていた。


誰がどうという事ではないのだが、

強いて言えばたぶんマナーだ。

そのあたり、知ってか知らずか

アシュリーもドアには敢えて触らない。


リコシェに歩み寄ると頬にキスした。


「おや? ……今日は何だか、

 何と言うかいつもより……その、

 少しばかり瑞々しい気がするが……」


リコシェは自分の頬に手を当ててみた。

それから片手を伸ばして

指先からすぅっと肘の辺りまで撫でた。


「あら、ホントね。

 昨日バラの庭にしばらく居たって話したら、

 それはもう、とても念入りに

 お手入れしてくれたのよ。

 式当日には完璧でないとって。

 ……こちらはね、やっぱり

 マリレより乾燥しているから

 よっぽど気をつけないといけないって」


リコシェは手でソファを示しながら微笑んで、

傍らに立つアシュリーを見上げた。

アシュリーは頷いて腰を下ろしながら

言葉をつないだ。


「ああ、それでか。

 しばらくマリレに居てこっちに戻ってくると

 やっぱり乾燥してると感じるよ。

 ヒリつくこともあるくらいだからね。

 だけど、こちらで育っているからか

 すぐ馴染んで結構平気になってしまうのだが、

 君は水の星の人だからね……」


「しっかり見ていたから

 自分でできる所は自分でするようにするわ。

 みんな忙しいのに

 すっかり手を取らせてしまって」


「んー。たぶん、誰も

 そんなふうには思ってないんじゃないかな。

 どちらかと言うと君に直接関われる事については

 喜んでいそうな気がするよ。

 ……ほら、時の人だし」


リコシェはイタズラっぽい笑みを浮かべた。


「それを言うならあなたもでしょ?アシュリー」


「それはそうなんだが、

 私には取り立てて何もないな。

 有り体に言えば、放っておかれている。

 まぁ、男なんてものはそんなものだろう」


アシュリーは朗らかに笑いながら、

リコシェが広げていた羊皮紙に目をやった。


「……これはまた、大層な物を広げているなぁ。

 子供の頃に覚えさせられたものだが、

 私の時は普通の紙の家系図を使ってたな。

 この余白の長さを見ると、

 これを書き残そうとしたご先祖様の

 祈りを感じるよ」


「本物は博物館だそうね。

 グランヴィルの末永い繁栄を願って

 未来を信じていらしたんでしょうね、きっと。

 これに書き加えて頂けるのは光栄だわ。

 名を連ねるに相応しい存在でいなければ……。

 他にもたくさん

 知っていないといけない事があるから、

 早く覚えてしまわないとね」


リコシェが大真面目にそう言ったので

アシュリーは笑顔を引っ込めて

まっすぐリコシェを見つめた。


「努力するのは素晴らしいことだと思う。

 だけど、無理はしないで欲しい。

 最初から完璧でなくてもいいんだ。

 知識を得るのに健康を損なってしまっては

 元も子もない」


アシュリーが真剣なのでリコシェはしっかり頷いた。


「解ったわ。

 でも、できる努力をしないのはイヤなの。

 だから……」


リコシェはアシュリーの手にその手を重ねた。


「ねぇ、アシュリー。私を見ていて?

 それでダメだと思ったら

 ブレーキをかけてちょうだい。

 そしたら私はあなたが良いって言うまで

 しっかり休むわ」


「ああ、解った。そうしよう」


アシュリーはリコシェの手をとると

その指先にキスした。

抱きしめたい所だが、と見つめるアシュリーに

開け放っている扉の意図が

確かに伝わっているのを感じて

リコシェはとても嬉しかった。


それからしばらく他愛も無い会話を楽しんだ後、

アシュリーは席を立った。


リコシェに見送られて、数歩

廊下を歩き出したアシュリーは、

ああ、そうだ、とふと足をとめて

ひょいっと振り返った。

そして、これは言うまでも無く他言無用だが、と

前置いて一言囁いたのは思いがけない事だった。


「あの噂は陽動だった」


……あの噂って?

それって海底火山のドラゴンの?!

咄嗟に、背を向けて歩き去っていくアシュリーを

呼び止めようとしたが思い直した。


今、焦る事は何も無い。

アシュリーはここにいるのだ。

廊下で騒ぎ立ててはいけない。

まずは午後の予定をきちんとこなそう。

学ぶ事はとても多いのだから。

リコシェはそう自分を納得させて気持ちを切り替えた。




午後になって

王妃の部屋に向かう通路を辿りながら、

ついつい考えてしまう。


それにしても、あの人は……。

話すタイミングはたくさんあったはずなのに

なぜあんな、忘れそうになってたメッセージを、

思い出したから渡しておこうか、

みたいな言い方したのかしら。


およそあの人らしくないと思うのよ。

……そうよ、全然イメージじゃないわ。



陽動っていうなら囮でしょ?

ドラゴンの噂で引きつけられるって言ったら、

お金のために

希少種の人の命を蔑ろにする連中って事だし。

……ってことは、

どこかあの火山とは全然別の場所で

ドラゴンが見つかったって事かしら。


ああ、ドラゴンとは限らないわね。

ドラゴンといえば希少種の中でもとても目立って

注目を集める対象だから囮ならきっと

とても強力な誘引剤になりそう。

……もし、どこかで他の希少種が見つかって

救いの手をのばすためだったとしたら、それは……



リコシェが考えに耽りながら歩いていると

突然PCFが展開した。


『ローレンシア様のお部屋を7分前に通過しました。

 今から急いで戻れば

 約束の時間にちょうど間に合います』


「……ええっ?!

 あっ、大変っ!! 教えてくれてありがとう。

 ……でも、できたら

 扉の前で息を整える余裕も欲しいところだわ」


『了解しました。

 次回より余裕の時間40秒込みでお知らせします』


「ええ、次はぜひそうしてちょうだい。

 って、その前に!

 できたら10m行き過ぎた辺りで一度

 報せてもらえると

 私としてはとても嬉しいんだけれど」


『目的地が有る場合は、

 思索の妨げは考慮せず

 10m過ぎた地点で報知すると設定しました』


「ええ、それでお願いね」



リコシェは猛然と、ただし走らずに

一見普通に歩いていると見える

ギリギリのスピードで速歩した。


微笑を保ったまま、

ドレスのスカートの裾が翻らないよう、

ルートを間違えないよう……。


この状況で立ち話には時間を割けないわ。

どうか、誰にも会いませんように……。

足元が見えなくて本当に良かった。



『通路前方右折後4mにレイモンド様です』


「わかったわ。最善を尽くすわ!」


廊下突き当りを右に曲がると、

レイモンドが分厚い本を広げて読み耽りながら

歩いてくるところで。


「まぁ、レイモンド。ごきげんよう。

 ……今日は読書日和ね。優しい風が心地良いわ。

 きっと良い読書の時間が過ごせるでしょうね。

 それではまた……」


リコシェは微笑を浮かべたまま

本に向いているレイモンドの顔から目を逸らさず、

少々足を緩めて無礼にならない程度に進みつつ

言葉を置いて通り過ぎ、一気に加速した。

レイモンドがリコシェの声に

本から顔を上げた時には既にリコシェの姿はなく、

思わず辺りを見回して

遥か彼方にその後姿を見つけた。


「あれ?! ……うそだろ。

 アレクシア、もうあんな所に……。

 物凄く急いでるのは良く解ったよ。

 ……それと、僕のほうは良い読書というよりは

 がっちり勉強しないといけなくてね。

 さすがに負けていられないからさ」


レイモンドは

どんどん小さくなるリコシェの背中に微笑み、

さて、と一声かけて本に戻ると歩き出した。



リコシェは約束の時間33秒前に扉の前に辿り着き、

数度の深呼吸でしっかり息を整えた。

更に身だしなみに乱れはないか素早く点検して、

なんとか時間きっかりに目的の扉を

ノックする事に成功した。


「ローレンシア様、アレクシアが参りました」


「どうぞ。お入りなさい」


扉が開いてリコシェが室内に入ると、

王妃がソファから立ち上がって

リコシェに微笑みかけた。


「いらっしゃい。

 今回も楽しく過ごしましょうね。

 いつも時間丁度にいらっしゃる。

 とても素晴らしい事ね。

 グランヴィルは国民の一人ひとりにいたるまで

 約束の時間を厳守する事を

 とても大切に思っているのですよ。

 

 さぁ、こちらにお掛けになって。

 ……そうね、では、今日はこの国での

 時間に関するお話をいたしましょうか」


「はい、ぜひ」


リコシェはソファに腰掛けて背筋を伸ばした。

リコシェの祖国モンフォールでは

約束の時間より少し遅れることがマナーである。

国によって習慣や何を大切にするか等、

本当に様々なのだ。


新しい場所に根を移すためには、植物ならば

土に手を加えて適した土に調整するのだが、

人の場合は場所に馴染むように

自分を変えるしかない。

形だけのマナーやルールに従うのではなく、

百年前からその土地に暮らしてきたと

胸を張って言えるくらいになりたいと

リコシェは内心思っていた。



リコシェが程よく話に相槌を打って、

話の腰を折らないタイミングで

小さな質問を挟んだり感心したりするので、

王妃はとても気持ちよく話をしていた。


小休止のお茶のタイミングで王妃は思った。

若いのにこの方はとても聞き上手でいらっしゃる。

向上心もあって、この方を

レイモンド妃として迎えるのだったなら

どれほど良かったか……。


いえ、いけないわ。まだこれを思ってしまう。


王妃は浮かんでしまった考えを振り払おうと

小さく頭を振ったのだが、

リコシェが微かに小首を傾げたので、

それににっこり微笑んで頷いた。


「さぁ、もう一杯お茶はいかが?」






それから数時間の後、夕日が空を茜色に染める頃、

捜査官室長の机の前に神妙な顔をした

マックス・ターナー捜査官と

スノーレディことバーバラ・デンゼル捜査官が

並んで立った。


「ん?!

 なんだ? いったい、どうした?

 何かとんでもないことでもしでかしたか?」


「室長! ……じ、実は……」


ガチガチのターナー捜査官の顔が見る間に紅潮し

更には脂汗を額に浮かべるに至って、

普段物に動じない室長も

これはただ事ではないと身構えた。


「よしっ!

 何でもドンと受け止めてやる。

 遠慮しないで言え。……さぁ、来いっ!!」


「……実はっ!」


「おう」


ターナー捜査官が深呼吸した。

胸いっぱいに空気を吸い込む。


「実はこの度っ! 私マックス・ターナーはっ!

 こちらのスノーレディとっ!

 ……けっ、結婚する事に致しましたっ!」


室長はもの凄い勢いで立ち上がると

座っていた椅子を後ろに弾き飛ばした。

椅子は背後の壁に激突し、

モノの見事にひっくり返って派手な音を立てた。


「そうかぁぁぁぁ!

 お前たち、いつの間に……。

 いやぁ、めでたい。

 おめでとう、ターナー!

 おめでとう、スノーレディ!」


「ありがとうございます!」


「ありがとうございます。

 ……はぁぁぁ、緊張した。もう二度とやらん」


それを聞いて室長が真顔で言った。


「そりゃそうだ。二度は受け付けん。

 そんなもん当たり前だろうが」


「あっ!しまった……。

 二度は絶対ありませんっ!」


ターナー捜査官がそう叫んで直立不動になったので

室内に爆笑が広がった。


「……んとにもう」


スノーレディに肘でつつかれたのを

目の前で見た室長が、もう尻に敷かれてるのかと

感心しながらよく通る声で呟いたので、

更に祝福と囃し立てる声で溢れかえった。


とりあえず、大きな事件もなく本格的に王弟殿下の

結婚式の警備体制にかかる準備が始まる前の

僅かな落ち着いたタイミングを

二人で見計らったこともあって、

その日はみんなでお祝いの名目で

急遽飲み会が催されることになった。


室長の音頭での乾杯から始まったのだが、

名うての捜査官ばかりなので取り調べはお手の物、

馴れ初めから全て

白状させられてしまう事態となってしまった。


「へぇ、そうかぁ。

 あのコウモリ追跡がきっかけかぁ……」


「あの人選は俺だからな、

 お前ら俺に感謝しろよぉ?」


「はい、それはもう。

 室長には足を向けて寝られませんです」


「うんうん、そうだろうそうだろう」


「それにしても、スノーレディ。

 お前、この前新卒採用で

 配属されてきたばっかりじゃなかったか?」


「はい、2年目になります」


感嘆と何か解らない呻きや不穏な何かが重なった

どよめきが起きた。


「……おい、マックス!

 お前いったい、いくつだよ?

 確か30は超えてたよな?」


「……俺は、34だ」


おおおおお、と再びどよめきが起きた。

……まじか、10も年下って有り得るのか?!

いや、あったからああなってるんだろうが。

それはそうだけどよ、

……そんなんあっていいのかよ?!

あううう、ずっこいっ!


ワイワイと楽しく取り調べられて、

大盛り上がりの宴会だ。

そして、目ざとい捜査官ばかりなので

更に秘密は暴かれた。


「……おい、スノーレディ。

 お前うまく誤魔化してるつもりだろうが

 乾杯の時も形だけで

 さっきから全然呑んでないぞ。

 ……さては、おめでただな?

 そうだろう! 吐いちまえ」


「う! ……さすがです。2ヶ月半になりました」


一瞬の沈黙の後、大歓声が上がって

ターナー捜査官は背中をバンバン叩かれまくり

握手攻めになり酒を注がれまくった。

もちろん祝福の意味なのだが、

そこにやっかみ気分が混じってないかといえば

そうでもない。

いろんな思いを乗せたほぼ全力の平手打ちは

相当な威力を秘めていたのだが、

盛り上がっている時には痛みはどこかに飛んでいた。


「スノーレディ、無理するなよ?

 明日すぐ妊婦対応担当の

 職務コーディネーターを呼ぶからな。

 体調面を客観的にみて

 無理なくできる仕事に回される。

 出産まで細かく対処してもらえるから

 安心してていい。

 

 それから、産後も心配要らんぞ。

 出産後の現場復帰プログラムも託児施設も完備、

 育児相談もPCFで離乳食の作り方から

 夜泣き対処法から夫婦問題まで

 何でも広く受け付けてくれて親切丁寧だからな、

 困った時には遠慮なく泣きつくといいぞ。


 親身になってくれて本当にありがたい所だ。

 俺も何やかや世話になった口だから

 よく解ってる。そこら太鼓判だぞ」


「はい。よく覚えておきます。

 本当にありがとうございます。

 お手数おかけしますが」


「何言ってんだ、子供は宝だ。

 しっかり可愛がって、自分の頭で物を考えられる

 ちゃんとした人間に育てあげてくれ。

 もう一つ大仕事を抱えるんだ、

 みんなで応援しないでどうするよ」


「はい!

 使命を立派に果たせるよう

 精一杯頑張りますっ!!」


「おう」



ありがたい配慮の下に

まだシャンとしているうちに

飲み会から開放されたターナー捜査官は

スノーレディと共に自宅に戻った。


「身体は大丈夫か?」


「平気よ」


「……仕事仲間はありがたいな。

 ぁあっと、しばらくそこで休んでてくれ。

 俺はその間にサッとシャワー浴びてくるから」


温かいがかなり手荒かった祝福を思い出し、

ついつい浮かんできてしまう微笑みを

押さえようとしながら入ったバスルームだったが、

ターナー捜査官は間もなく

小さな叫び声をあげることになってしまった。


「うわっ! 何だこれ……」


「どうしたの?! マックス」


バスルームのドアを開けて

覗き込んだスノーレディの目に映ったのは、

ターナー捜査官の背中に散った

真っ赤な手形のいくつもの重なりで。


「……すっごい痛そう」


「くっそぉ!あいつら……。

 手加減無しで思いっ切り叩きやがったな」


「早く出てきて。湿布貼ってあげるから。

 あんまりお湯はかけないほうがいいと思うわよ。

 それから、そっとしておかないと痛いから

 ゴシゴシこすったりすると……」


「うわっ! あいてててっ!!」


「だから、刺激しないようにそっと」


「…………痛い」


「すぐ貼ってあげるから、ちょっと待って」


バスタオルを腰に巻いて頭からタオルを被った姿で

バスルームから現れたマックスの髪から

水滴がポタポタ落ちているので、

スノーレディは彼を

ダイニングテーブルの椅子に座らせ、

後ろに回ってタオルで一気に拭き上げた。


大判の湿布を何枚も取り出すと

手形がすっかり隠れてしまうように宛がいながら

見当をつけて、大判の湿布2枚と

カットした半分を組み合わせて貼り付けた。


「はい、できた! これで大丈夫だと思うわよ」


「……まだ痛い」


「すぐ効いてくるから」


「…………うう」


しょうがないわねと言いながらスノーレディは

湿った髪のマックスの頭を抱えると

頭の天辺にキスした。

それであっさり機嫌の治ったマックスは、

床の水滴を拭いておいてねと言われて

身軽に立っていくとバスタオル姿のまま

ササッと床に散っている水滴を拭き取った。


「……この部屋じゃ

 お前の早撃ちの腕も錆び付くかもしれんなぁ」


「かもね。……だけど、その為に

 元のあの部屋に戻りたいとは絶対思わないわ」


「お前が戻ると言っても、俺が行かせない」


「ええ、マックス。私の居場所はもう

 あなたの隣って決めたってば。

 ……ほら、そんな格好じゃ風邪を引くわよ。

 って、マックス!……あ、ダメよ。……んもう、

 風邪を引くって……言ってるのに…………」



結婚式は王弟殿下の式の後、

ゆっくり挙げようと決めている。

まもなく王都フラムスディールから

犯罪を一掃する勢いでの一斉検挙が始まる。

警備する側は完璧でなければならないのだ。

どんな小さな穴も無くすように

威信をかけての総力戦だ。


だから、そのシフトが組まれる前に

スノーレディの妊娠が判って

本当に良かったと思う。


手厚くフォローされるし

皆そういうものだと思っている。

それについて不満を言う者は無いのだが、

それでもやっぱり抜けた分のシワ寄せはある。

シフトが組まれて回り始めてから抜けるのと、

最初から外れているのではやはり、

かける負担の度合いが違うと思うのだ。


子供を産んできちんと育て上げる事を、

もう一つの大仕事と捉えてくれる社会でよかった。

できる事を精一杯体調の許す範囲でこなす。

そして元気な子供を育て上げる事で返すのだ。


マックスはスノーレディのお腹に耳を当ててみる。

まだ何も聞こえないはずだが、

ここに我が子が育っていると思うと胸が熱くなる。


……ぐるぐるぐるきゅうぅぅぅ……


「え?!」


「ああもう、やだわ」


「そうか、ゆっくり食べてもいられなかったよな。

 ……よし、俺が何か軽いもの作ってやるよ。

 そのまま休んどけ」


「わ、ありがとっ。

 ……あ、じゃあその間にシャワー浴びてくるわ」


「はいはい。転ぶなよー」


玉ねぎを刻んでバターで炒める。

簡単にチーズオムレツでも作ってやろう。

手を動かしながら考える。


仕事柄いつ何が起きて予定が潰れるとも限らないし、

きっちりした大掛かりな式はやっぱり

避けておいたほうがいいだろうなぁ……。


どこか気の利いた小さな店を借り切って

パーティってのはどうだろう。

呼ぶのはまず室長だろ?

あと同僚と友達と付き合いのある親戚くらいか?


急に何かあった時はどうしたらいいんだ?

店に迷惑はかけられないし、こんな時用に

保険でもあるといいんだが……。


いろいろ考えておかないといけない事は

本当に山のようにある。

とりあえず、じっくり二人で考えよう。


……こうやっていろいろ考え始めると

王弟殿下の式の準備ってのは

俺達には想像できないほど

物凄く大変なんだろうなぁ……。




アシュリーは突然鼻がムズムズして、

一つクシャミをした。つられてリコシェも一つ。


「あら、風邪かしら。気をつけないと」


「いや、そうじゃないと思うが……」


何だかこの頃突然クシャミが出るようになったが、

何かのアレルギー反応だろうか……。

心当たりの無いアシュリーは首を捻った。


もちろん一般の結婚式準備のような事は

それぞれ役割を持った担当者や部署があって

抜かりなく着々と段取りを進めているので

同じ苦労といったものは無いのだが、

立場に伴って背負うものの大きさと重さに

押し潰されないよう、微笑みながら

一見軽々と抱えているかに歩めるよう、

できる努力で己をしかと支えるしかないのだ。


結婚準備で苦労したことのある国民は、

それぞれに自分に置き換えて、

きっと大変な苦労をしているであろう王城の

王弟殿下とその婚約者であるマリレの姫を

それとなく労っていた。

小さな思いの積み重ねは届くのだ、たぶん。





≪続く≫


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