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雪の道

コウモリの姿のまま国境を越えて隣国ヴァルドシュタインへ

逃亡したビドゥ。

追跡を開始した早撃ちスノーレディとマックスのコンビ。

雪深い山の村でそれぞれの雪中行が繰り広げられます。


ビドゥがコウモリの姿で潜り込んだ登山電車は

ノーリッシュ山脈の国境を越え、

グランヴィルの北西に位置する

隣国ヴァルドシュタインに入った。


ルベ最高峰のハイデッガーを擁する

ノーリッシュ山脈は、ルベの屋根といわれ

険峻な峰々が威容を誇る大山脈である。

国境を越えて最初のウルシュプルフ村は

ハイデッガーの登山口として知られる村だった。


登山電車がウルシュプルフ駅に到着した時、

ビドゥは登山電車内の暖房ですっかり温まり

眠気と必死に戦っていた。

乗降口のドアが開いた時、外の冷気がどっと入り込み、

ゾクッと身震いして目が覚めた。



おっと、着いたか? 急がねぇと……。

ビドゥは開いている乗降口のドアから飛び出した。


……ううう、寒ぅ。

ずいぶん山を降りたはずだと思ったんだが、

全然変わりやがらねぇ。



ビドゥは誤解していた。電車に潜り込んだ駅は、

グランヴィル側では最も標高の高い駅だったが、

その電車の行き先は山を降りるものでなく

国境を越えてヴァルドシュタイン側にぬけるもので、

標高で言えば更に高所へ向かっていたのである。



すっかり温まっていたビドゥの身体は

いきなり外気に飛び出して寒さに縮み上がった。

急激な気温の変化についていけず、ただフラフラと

どうにか地面に落ちない程度に飛ぶことしか

できなくなっていた。


……まずい。

どこか潜り込める所を探すより今は電車に戻る方がいい、

と、そう思って方向転換した時

電車の扉は閉まり発車していった。



しまった、遅かったか。

……どこか……どこか温かそうなところは……。


目に留まったのは人の出入りする建物で、ホテルか食堂か、

とにかく何でもいいから温かい所にいかなければ、と

駅前のそれほど広くも無い広場を必死に横切った。


もうすぐ入り口のドアだ。

出入りに紛れて何とか潜り込めれば、と、

そこまで考えた時激しい衝撃と痛みが襲い、

次の瞬間目の前に地面が見えていた。

地上に落ちたのではない。


いったい何が起きたんだ?!



眼下に見えるのはフサフサの毛の獣の足で。

くそっ! 猫だ。猫に獲られちまった。


猫の口から逃れるには人型化しさえすればいいんだが、

こんなところで有り得ねぇ。

タイミングが悪すぎるだろうよ、おいっ。



と、いきなりあの独特の唸り声が聴こえた。

一瞬動きを止めた猫は、次の瞬間脱兎の如く走り始めた。

地を蹴るたびに猫の牙が食い込んでくる気がする。


どうやら獲物をとった猫が別の猫に襲われているらしい。

食糧事情は厳しいのだ。

だからと言っておとなしく食われてやるつもりはないが。



猫が跳ね上がった。


もんどりうって着地した途端逆方向にダッシュする。

追っ手の足が速くて振り切れないらしく、

地味に攻撃が効いてきたか、とうとう咥えられていた口から

激しく放り出されて地面に叩きつけられ、

息が詰まって意識を失った。




ふと気付くと妙に生暖かい。

振動の具合から別の猫にまた咥えられて

運ばれているらしいと分かった。


下手に動くと止めを刺されそうだ。

もうこうなったら噛み殺される寸前まで

猫の口で暖を取ってやる。



激しい上下動が何度かあった後、

動きはピタッと止まった。


緊張感が伝わる。


……なんなんだ? ……猫? ……猫に、囲まれた?!



見るところ、敵は3匹か……。

おい、猫。油断するなよ。


とりあえず、

てめぇにゃちっとばかり世話になってるからな、

俺様が直々に応援してやる。ありがたく思えよ。


ってか、それ以上咬むんじゃねぇぞ!



1匹一回り大きい猫が正面か。

あとの2匹は右手に積まれた箱の上と

左の民家の軒下に座っている。


……ふん、こんな時はなぁ、正面の奴に集中だ。

他の2匹は存在でこっちにプレッシャーかけてはいるが、

とりあえずは手出ししてこねぇ。



……派手な声あげてやがるな。目一杯威嚇してっぞ。

おい、釣られんなよ。威嚇合戦は今はやめとけよー。

口開けるとせっかくの獲物を落とすぞー。


……獲物って俺様だけどよ、

俺様を落としたらただじゃおかねぇ。



っと、猫パンチか! へっ、空振ってやがる。

……うおっ!くそっ。


猫、大丈夫か? てめぇ、ちゃんと避けねぇと。

あいつ、本気でやるつもりだ。

目狙って来てるぞ!



んがっ!


取っ組み合いは、取っ組み合いは……、

目が……、目が廻る……あああ、うー。

……ダ、ダメだ…………。



……お?! おい。にらみ合いか……。

た、助かった……。



って……おまえ、分が悪そうだぞ。


隙を見てダッシュって、うぉ!

一発いい猫パンチが入ったと思ったら、

あっちが怯んだ一瞬の隙をうまく活かしたな。


……おまえ、引き際が鮮やかじゃねぇか。

よし、捕まるなよ。


逃げ切れぇぇぇぇ!




追っ手を背負った猫ダッシュは、

雪の積もった石畳の道も細い路地裏も

物の置かれた狭い隙間も物ともせず、

低く保った姿勢のままF1マシン顔負けの超安定走行で

90度の曲がり角の左右の連続も

軽くクリアして突っ走った。


やはり他に比べて足の速い猫だったようで、

追ってきていた猫はいつのまにか遠くに置き去りにされ

諦めたようだった。



しばらくそのまま走り続けていた猫は、

ふと足を止めるとヒョイっと飛び上がって

一軒の家の窓枠に設えられた空の植木鉢用の

細長いスペースに乗った。


猫が前足で窓ガラスを掻くようにすると、

ややあって窓が細く開いた。


「ペペ、お帰り。寒かったろ?」


家の奥から声が飛んでくる。


「ケヴィン、ペペびしょびしょになってるから

 古タオルで拭いてやってー」


「はぁーい!」


軽い足音がパタパタ走り回る。


「ペペ、ヒーターの側においでー」


猫は、目の前にしゃがんだ男の子の前に、

咥えていた獲物を置いた。


獲物ってのは、まぁ、俺様の事だ。

とりあえず、ジッとしておく。

ありがたいことに室内は暖かい。

タオルでガシガシ拭かれた猫は

前足を舐めながら顔を洗い始めた。


「ママ、ペペが何か捕まえてきたよ!」


「……また?

 ネズミだったら外のごみ箱に捨てておいてよー」


「うん、わかったー。……ペペ、ごめんね。

 ネズミは悪いバイ菌がいっぱいだから

 家に置いておけないんだって。

 ………………あれ? これ、ネズミじゃないよ!

 ママッ! 大変!

 ペペが何か変なモノ捕まえてきたよっ!」


「えっ? いったい何だい?」


足音が近づいてきた。


「……おやまぁ、これはコウモリだ。……死んでる?」


おい、つんつんすんじゃねぇ。

まぁ、いいけどよ……。ちょっと身動きしてみる。


「あっ! ママ、動いたよ! コウモリ、生きてる!」


「……生きてるみたいだねぇ。

 見たところ傷も無いみたいだし」


「ねぇねぇ、ママ。このコウモリ、飼ってもいい?」


ちょっと困った風情で母親は言った。


「そうだねぇ……。

 PCFはついてないみたいだし、野生のコウモリか……。

 ペペがコウモリをケヴィンにくれるって言ったらね」


「やったぁ!

 ねぇねぇ、ペペ。このコウモリ、ボクにくれる?」


ペペと呼ばれている猫は、

暖かいヒーターの横で熱心に毛繕いをしながら

機嫌良く長いシッポの先をうねうね動かしている。


「……ねぇ、ペペー! このコウモリ、ボクにちょうだい?」


ペペはお腹の毛を丁寧に舐め始めた。



「んー、ねぇねぇ、ペペったらぁぁぁぁ。

 コウモリ、貰ってもいーいー?」


ペペは身体を大きく捻って背中を舐め始めた。



「ねぇー、ペぇペぇぇぇ。コウモリちょうだーい。

 ボクのおやつのミルク、一口分けてあげるからー」


ペペはチラッとケヴィンを見上げたが知らんふりで

今度は長い尻尾を手繰りこむようにして丁寧に舐めている。



「じゃあじゃあ、ボクのミルク半分あげるからぁ」


そう言った途端、ペペはニャア!と一声鳴くと

ケヴィンの足に寄ってまとわりつくように身体を擦りつけた。


「わ、やった! ママ、ペペがコウモリくれるって!」


「お、おや、そう……。ちゃんと世話するんだよ」



母親は奥の部屋に向かって歩きながら、

コウモリって何を食べるのかね……と頭を捻っていた。


あんまり動かないし弱ってるのかもしれないね。

死んだらかわいそうだけど、

ケヴィンにはそういう経験も必要だし……。



「ケヴィン、コウモリの飼い方をPCFで検索してみたら」


「あ、うん。調べてみるよ」


ケヴィンは床のコウモリをそっと拾い上げた。


「ママ、コウモリ、何だか冷たいよ。

 温めてやったほうがいいよね」


「そうねぇ。……ああ、そうそう!

 使ってない鳥カゴが一つ物置にあったはず。

 探して持っておいで。

 冷たくないように何か敷いて入れてやったら?

 しばらくヒーターの側に置けば温まるでしょ」



どうやら、俺を飼うつもりのようだ。

家の中なら凍える心配もないし服を探すのも簡単だ。

……なんてラッキーなんだ。


しばらくおとなしく飼われてやるか。

餌に変な物が出てきたらかなわねぇが、

まぁ期待しないでおけばそんなもんだ。



「……あ、ママ!

 目がクリッと可愛いコウモリは果物食べるって!

 コイツ、どっちかなぁ。

 目がちっこいコウモリは虫食べるんだってさ。

 虫捕まえるの大変だし、

 どうせなら可愛いのがいいよね」


「とりあえずリンゴがあるねぇ。

 小さく切ってあげるからカゴに入れといてみたら?」


「うんっ!そうするよ」


やった!リンゴならありがてぇ。

虫なんぞ食えるかってんだ。




こうしてビドゥは小さい男の子ケヴィンのペットとして

飼われることになった。

ケヴィンの家はウルシュプルフ村の

駅とは反対方向の村外れにあって、駅を中心に調べると

生態観察用のタグスタンプの検知範囲をかなり外れていた。


本気の猫ダッシュ2匹分+αで

結構な距離を移動していたらしい。




早撃ちスノーレディとマックス・ターナー捜査官が

ウルシュブルフ駅に着いた時、

ビドゥは既にケヴィンの鳥カゴの中に納まっており、

刻んだリンゴと新鮮な水を入れた器とを得て

温かなヒーターの脇でぬくぬくしていた。


服や金品を奪われたり、

服を調達することに結びつくと想定される事件は起きておらず、

気温とコウモリの飛翔スピードから割り出した範囲より更に

かなり広げた範囲で生態観察用タグスタンプの反応を捜したが

見つけられなかった。



「スノーレディ、奴はここの駅で降りずに

 そのまま電車で次に向かったかもしれない」


「じゃあ、次の駅へ移動ですね。

 ……っと、もとい!次の駅へ移動ねっ。だけど、

 後を追っかけてるだけだと切りが無いで……かなっ」


「ああ、その通りだ。

 だが、次の次の駅には手配が間に合って、

 到着直後の電車にタグスタンプの反応がなかったのは

 確認できている。だから……」


「ってことは、次ねっ! 腕が鳴るわ」


「張り切ってるな、おい」




スノーレディとマックスは、

登山電車で次のクルプケ村に移動した。


ここ数年来、何の事件も起きていない長閑なクルプケ村は

小村で人口も少なかったのだが、

村内でクロスカントリーコースがいくつも設けられるほど

とてもとても広かった。

駅でタグスタンプの反応は見つけられなかったので、

村を地図上で細かくブロックに分けて

一つずつ潰していくことにしたのだったが……。



「……駅でスキー借りたのはいいけど、

 こんな坂道だらけなんて聞いてないわよぉぉぉ」


「ふへぇぇぇ、……おまえ、元気だなぁ」


「元気なんかないわよぉぉぉ」


「……とりあえず、そこまで登れば後は下りだろ?

 もうちょっとだ、がんばれぇ……」


「ううう、マックスー。

 あの上まで登ったら魔女の毒リンゴ飴1個ちょうだーい?」


「えーーーーっ?!

 あれ、超貴重品なんだぞ」


「なぁによぉ……、

 この前はアレルギーがあったら取り替えてやるって

 言ったじゃないのぉぉぉ」


「あん時はまぁ、あれだ。

 おまえがガチガチだったからでなぁ」


「今はガチガチじゃなくてクタクタよぉぉぉ」


「……まぁぁぁ、しょうがねぇぇなぁぁぁ。

 1個だけだぞぉ?!」


「うわっ、ホント? やった!!

 そうとなったら、私、頑張るわ!」


「って、いきなりスピード上げやがって。

 現金な奴め……」



苦労して坂を上りきった二人だったが、

そこから向こう側へしばらく下りカーブがあるだけで

その先は再びダラダラの上り坂が延々続いているのが見えて

げっそりした。



「んもう……。

 こんな板、足にくっつけてるからすべって登れないのよっ!

 マックス、飴!」


スノーレディはマックスに手のひらを突きつけた。


「……おまえなぁ、

 もうちっと遠慮みたいなもん表現できんのか」


「そんなもん、この雪の坂道のどこかに

 捨ててきちゃったわよっ!」


マックスが一つ大きな溜め息を落として、

ポケットから貴重な魔女の毒リンゴ飴を1個探り出すと

スノーレディの手のひらに載せた。


「ファン垂涎の超レアアイテムなんだからな?

 心して味わえよ」


が、スノーレディは飴を受け取るとあっさり包装を破り、

ほいっと口に放り込んでしまった。


「……う、うそだろ」



マックスの目にうっすら涙が浮かびそうになった時、

思いがけないセリフが聞こえて一瞬で涙が引っ込んだ。


「私、脱ぐからあっち向いてて!」


「……え? な、なんだってぇぇぇぇ?!

 ちょ、ちょっと待て。お前、こんな所で!」


「反応感知範囲に人は私達以外誰もいないから

 何の問題も無いわ。一刻を争う現状で

 この非効率な移動手段しか無いなんて、

 ガマンの限界よっ!!!」


「だからと言っても、だな。何と言うか……その

 俺たちは取り締まる側の人間であって、だな」


「他に人はいないんだから、

 広大なパーソナルスペースに居るのと同じよ」


「……んー、まぁ、

 そう言って言えないことも無い……か」


スノーレディはまずスキー板を外すと、

スキーと靴、ストックを邪魔にならない道の脇において

宅配の集荷スタンプを押した。


「ああ、マックス。あなたもここに

 レンタルしたスキー道具一式まとめて置いて。

 一緒に持ってって貰えるようにね」


スノーレディはテキパキと

駅のレンタルスキー窓口宛で手配してしまった。



次にバッグから厚手のノートサイズの何かと

透明なビニール袋を取り出した。

モコッと暖かそうなダウンジャケットを

袋にギュウギュウ詰め込んで口を閉じる。

するとキューッと空気が抜けてぺったんこになった。


……ああ、自動排気機能付きの圧縮袋か。

これは知っていた。


が、厚手のノートサイズの物は初めて見る物体だったので

何をするのかと見ていると、スノーレディは

ノートサイズの物体を両手で挟んでポンと叩いた。


すると見る間にムクムク膨らんだかと思うと

何か座面のある幅広のベルトのようなものになった。

両手の掌紋がキーだったらしい。



「……何見てんですか」


スノーレディがジト目になっている。

あれ、まずったかな……?!

と、とりあえず、悪気は無いアピールはしておかねば。


「あ、いや、初めて見る道具だったから、

 何かなぁっと思って」


「ああ、初めて見る人にはよく訊かれるんですよねー。

 それは何って」


スノーレディは笑っている。……よ、よかった。


「これはですね、携帯用の鞍です。付属の背あてマットが

 オプションで収納袋付きのちょっと値の張るタイプで。

 急いで支度しますから、あっち向いててくださいね」


「あ、そう。……そうなんだ、クラかぁ。

 ……………………え?!

 クラって、……く、鞍?!」


「……わかったら、早くあっち向いてっ!」



スノーレディは、結構せっかちなタイプらしいとわかった。

こちらが戸惑っている間にも

サッサと思い切りよく服を脱いで

手早く畳んで収納袋に詰めていく。


下着姿になった時ようやくこれはマズイと頭が理解した。

が、身体の反応がどうも鈍くて、

見たかった訳ではないが、いや、マジで。


……なんていうか、まぁ、現実問題として……その、

見てしまった。チラッとだけ。


慌ててクルッと後ろ向きになったが、

遅かった……よ、なぁ……。

これ、すっごくまずいよなぁ……。


「……後で、魔女の毒リンゴ飴もう1個ね」


「お、おう」



荷物をすべて収納袋におさめ、ベルトをセットする。

自動調節機能付きだから他人に締めてもらう必要が無い。

手綱付きのボールペンより一回り太い棒状の器具を

横にくわえるとスノーレディは変身した。



マックスが目をつぶってジッとしていると

背中をつんつんされた。


振り返るとそこに馬がいた。

タテガミと尾が艶のある長い黒毛で、

濃茶色の体毛に四肢が黒い。



「……乗れって言ってるんだよな、スノーレディ」


ブルルンと鼻を鳴らして何度も首を縦に振る。

どうすんだよ、これ……。俺、馬なんて乗った事ないぞ。


「乗れって言われてもなぁ……」



スノーレディが嘶いて足を踏み鳴らす。

急ぐんだから早くしてー。


「俺、馬に乗った事ないんだけど……」



スノーレディは、鼻面でマックスを押す。

大丈夫、大丈夫。


「わ、わかったって。……乗るよ、乗ってみるよ。

 ……頼むから落とさないでくれよ?」



スノーレディは首を振って手綱を揺らすとマックスに渡した。

スノーレディはマックスがまたがれるか心配したが、

不安げな口ぶりの割には身軽に鞍に収まり、

伊達に捜査官をやっているわけじゃないと思わせる

なかなかの身体能力でちょっと見直した。



「おお、高いなぁ! なかなかいい眺めだぞ」


へぇ、高さを恐がらないのね。だったらぼちぼち行くわよっ!

スノーレディはゆっくり歩き出した。


「うお!」


しばらく歩くと大丈夫そうなので、少しスピードを上げた。

……意外に勘がいいみたい。

へぇ、これならもうちょっとスピード上げても平気そう。


いつしかスノーレディは普通に駈けていた。



実は、マックス・ターナー捜査官の変身型はフクロウだった。


空は飛び慣れているので高所に恐怖はない。

そしてバランス感覚も卓越している。

スピードも空を飛ぶほうが圧倒的に速い。

ただ、地表面に近いので周りが流れていく効果で

スピード感は強く感じるようではあった。


技術で乗っているのではなく、

ただ乗せてもらっているだけ、という感覚だ。

馬を操る必要はないから気楽なものである。



「おーい、スノーレディ。

 そろそろ探査位置だ。停まってくれ」


この人、手綱で止めようとしないのね……。

初めてだわ、こんな人。

直接口にくわえてるから

強く引っ張られれば痛い事もあるんだけど。


「んー、反応はないな……。

 次に行く前に、ちょっと休むか?」


スノーレディは首を横に振った。このくらい全然平気。

……恐い人かと思ってたけど意外に優しい人みたい。



「おまえのお陰で俺はすごい楽になったが、

 おまえは走りっぱなしだしなぁ。

 俺も馬だったら交代できたのにな。

 すまんな」


スノーレディは、ぶんぶん首を横に振って

更にぶんぶん頷いた。


「おまえ、頑張るよなぁ……。

 無理はするなよ? 絶対だぞ」


スノーレディは嘶いた。

……私、走っててとっても楽しいのよねっ。

なぜだかわからないけど、ターナー捜査官だと

誰も乗せていないみたいに楽に走れるし。

すっごい不思議。



「……次のポイントまでしばらく道なりだ。

 そしたら右の横道があるからそっちに曲がるぞ」


スノーレディは鼻を鳴らした。

OK! わかったわ、マックス。


……ずっとこうやって駆けていたい。

あなたは最高の乗り手よ!


スノーレディはほんの一瞬だけ、

このままコウモリが見つからなければいいのに、

と思ってしまった。


ああああ、なんて事!


スノーレディは一瞬目をギュッとつぶって

頭をぶんぶん振った。



「おいっ! 前見ろ! 前ーっ!!」


スノーレディが目を開くと目の前に雪の壁が迫っていた。

ボファッと突っ込んだ先は雪を被った茂みで助かったが、

衝撃で頭上のたくさんの枝に積もっていた雪がドドッと

落ちてきて頭から雪を被って雪まみれになってしまった。


ああ、ごめんなさいー。



「おいおい、どうした?

 目に何か入ったんじゃないか? ちょっと見せてみろ」



マックス・ターナー捜査官は身軽に飛び降りると、

数歩小走りに近づいてスノーレディの瞳を覗き込んだ。

いきなりのアップにスノーレディの心臓がドキンッ!

と、跳ねた。


「……ん? 何も入ってたりはしないなぁ。綺麗な瞳だ」


……き、綺麗な瞳って言われたぁぁぁ!

反対側の瞳も覗きこまれて

スノーレディはドキドキが止まらなくなった。

……ど、ど、ど、どうしよ……。

私、この人が好きみたいっ!



「まぁ、無事でよかった。

 いい機会だからちょっと休憩しよう」


マックスは荷物から断熱シートを2枚出して

1枚を雪の上に敷いた。

外套を脱ぐと大きく広げて目の前にかざした。


「この上に立てば冷たくないぞ。

 人型に戻ってもう1枚のほうの断熱シートに包まってくれ。

 おまえも水分と栄養補給しないとな。

 そのまま座ってしまってもいい」


ガサガサ音がしてスノーレディが変身を解いたのが分かった。



「……も、もうだいぞうぶでっ。

 あ、あいがとーごにゃいまっ!」


マックスは広げて掲げていた外套を着込んだ。

そして自分の荷物を探って何か取り出した。


「ああ、良かった。スポーツドリンク持ってたよ。

 ただの水分よりこっちのほうがいいだろ、きっと。ほれ」


「あ、はひっ! ありあとうごじゃいましゅっ!

 ……ああっ!」


「口が廻らなくなってるな……。

 しっかり休憩しないとまずいか。

 ……無理させてたんだな。俺の責任だ。すまん」


マックスがスノーレディに頭を下げた。

スノーレディは数度深呼吸した。



「違いますっ!

 私、走っててとっても楽しかったんです。

 こんなに気持ちよく駆けた事はないって思いながら。

 ……でもあんまり嬉しくてつい、このまま

 コウモリが見つからなければいいなんて思ってしまって」


「お、おい……。さすがにそれは」


「判ってます!

 捜査官としてあるまじき考えを持ってしまったって思ったら

 もうどうしようもなく恥ずかしくて。

 ギュッと目をつぶってしまい事故を起こしてしまいました。

 申し訳ありませんでしたっ!」



「……そうか。……とりあえず、

 走ってる時に目をつぶるのはやめるように。

 目をつぶりたくなったら先ず止まれ」


「はいっ!

 今度から必ず、止まってから目をつぶりますっ!」


「よし。今回は幸いな事にどこにも被害はない。

 雪の重みに枝を傷めそうにしなっていた木にとってみれば

 重い雪を落としてくれて感謝こそすれ

 苦情が出るとは思われん。


 次に、その雪を被ったのは俺だ。

 俺も特に被害はないので申し立てる事はない。

 ということで、今回の事故は不問だ。


 ……俺としては、おまえにケガがなくて本当に良かったよ。

 おまえに走れなくなるようなケガをさせてたら

 俺は一生かけて責任をとらないといけなかったところだ」


マックスはそう言って笑ったのだが、

スノーレディはそれを聞いてべそをかいた。


「……お、おい。ど、どうした?

 ま、まさかどこか痛めてたのか?!

 どこが痛い? 見せてみろ」


「……ううう、それ言って笑わないでくださいー。

 ……ぐすっ、ぐすっ。私、ケガすれば良かった……」


如何な朴念仁でもさすがにこれは解る。

……落ち着け、俺。



「いや、あの、まぁ、あれだー。

 とりあえず、おまえが無事でよかったぞ。

 あー、その後のセリフはとりあえず引っ込めておくからな。

 だから、その、……泣くな。

 んー、そうだな。

 コウモリを捕まえて国に帰ったら、……付き合ってみるか」


「はい!ぜひお願いしますっ」


スノーレディがパッと顔をあげて間髪居れずそう返事したので

マックス・ターナー捜査官はそろそろ

独身貴族の気楽な生活は終わるんだろうなと、

ふとそう予感した。


……まぁ、それもいいか。



こうしてクルプケ村の捜査は、雪の中、

広い村域を絶好調に駆けるスノーレディの脚に任せて

少しずつ確実に捗っていった。

ウルシュプルフ村でリンゴをかじりながら

ぬくぬくしているビドゥに届くのはそう遠くない。

……たぶん。





その頃、グランヴィルの捜査機関付属研究所内の

収容施設仕様医療ルームに収容されていた

ビドゥの相棒ダァト・カシィは

ようやくその意識を取り戻していた。


いきなり暴れ始める可能性を考えて、鎮静効果のあるガスや

普段は柔らかいサポーターなのだが

一瞬で固定ベッドに張り付いて固まる拘束具など

様々な準備をされていたのだったが、

医療ルームのスタッフは

予想とは全く別の姿を見ることとなった。


意識を取り戻してしばらく

ぼんやり天井を見つめていたダァト・カシィは、

周りを見回すと急に不安そうな顔をして

いきなり泣き始めたのだ。


「……エスゥー、エスゥー。どこー? うわぁーん、エスゥー」


大粒の涙がいくつも溢れて零れ落ちる。

医療ルームのスタッフは顔を見合わせた。


……これは、記憶喪失か?

一時的な記憶退行かもしれない……。

いや、もしかしたら演技の可能性も捨てきれないぞ。



知らせを受けて駆けつけてきた捜査官たちは

取調べを始めようとしたが、

大きな身体の男が大粒の涙を零しながら

子供のように泣き続けるので、

状態が落ち着いてからにと取り調べは先送りにして

捜査官一人を残して戻っていった。



女性スタッフが頭の左横の位置から声をかけた。

襲い掛かられても相手が手を届かせるには

とても不便な位置だ。


「エスはねぇ、みんなで今捜してるから、

 きっとすぐ見つかるわよ」


「……おばちゃん、だれ?」



女性スタッフは大男におばちゃん呼ばわりされて、

引きつって数瞬固まった。何で私が、こんなのに

おばちゃん呼ばわりされないといけないのよっ!


泣き止みかけた大男の目に涙が溜まってきたので、

女性スタッフは気を取り直しておばちゃんを受け容れた。

……しかたないわね。


「……お、おばちゃんはここでお仕事してる人よ」


「エスは、迷子になったの?」


「見つかったらすぐ教えてあげるから、

 それまでちゃんと待ってられるかな?」


「……うん」


「そっか。えらいねぇ。

 じゃあ、おばちゃんに僕の名前おしえてくれる?」


「いいよぉ。ぼくはダァト・カシィ」



離れた位置で見守っていた捜査官は

周囲のスタッフに目配せして頷いた。

携帯電話から判明した持ち主の名前がダァト・カシィ。

本名に間違いなかった。

そして、何の躊躇もなく本名を明かした事から

演技の線はほぼ無いと判断された。


「それじゃ、エスの名前も

 ちゃんと教えてくれるとうれしいな」


「エスはね、えっと、エスゲイ・ビドゥって名前だよ。

 エスゲーって言うとなんか怒るからエスって言ってた。

 ……おばちゃん、お腹すいた。バナナ食べたい」


「バナナあるわよ。だけど、

 よく噛んで食べるって約束しないとあげられないな」


「よく噛んで食べるよ、10回!」


「10回を2度噛んでからごっくんできるならあげるわ」


「うん、わかった!」


機嫌よくバナナを食べ始めたダァト・カシィに

医療スタッフの面々は、記憶が戻るまで

長期戦になるかもしれないと顔を見合わせた。

記憶が戻る保障もない。

細かい変化を見逃さない慎重な対応が必須であった。





≪続く≫


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