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10/25

プロポーズ

兄であるグランヴィル王の命により

明日中にリコシェにプロポーズしなければならなくなったアシュリー。

いずれは、とは思っていたがあまりに急だ。

高山の上で何か準備しようにも不可能な状況で、

さて、アシュリー、君はどうする?!


リコシェとは、モンフォール国の第2王女アレクシア姫の愛称です。

「……プロポーズか。

 こんな山の上では気の利いた店などないし、

 花なんて小道具も無理だ。

 ここで考えられるのは、とりあえず場所かな。

 それなりの雰囲気のある

 一生の思い出にふさわしい所は……」


アシュリーは、一番最初に地下空洞を思い浮かべた。

踏んで歩くと結晶の欠片が更に細かく砕けて

とても美しい音をたてる。

リコシェなら、きっと気に入るに違いない。


だが、行き帰りが大変だ。

かなり上級のロッククライミング技術が要る。

もちろんきちんとした装備も必要だ。

行きはダストシュートからロープで降りる手もあるが、

長い傾斜のある滑らかな穴を安全に降りるのは

未経験者には無理だろう。


地下空洞へのダストシュートは

一ヶ所を除いて塞いでしまおうと考えている。

残した一ヶ所は王家できちんと管理して、

手を加え過ぎない最低ラインで

安全に降りられるように整備し、

地下空洞は鍛錬の場として活用したい。


その後ならまだしも、現状はダストシュートだ。

やはり、地下空洞へリコシェを連れて行くのは無理だ。



「……そうなると、余人の邪魔が入らず、

 なお且つ雰囲気のある場所は……って、

 そんなところあるのか?!」


アシュリーは、ふと山の頂上はどうだろうと考えた。

が、すぐに無茶過ぎると自分で却下した。

ノーリッシュ山脈は鳥も越せないといわれる

高い峰の連なりだ。

そもそも、どうやって頂上まで移動する?

自分も彼女も翼を持つ身ではあるが、

さらに気圧の低い高所での飛行は無理だし

寒さも考えると無謀だ。


「……だったら氷河か?

 天気さえ良ければ美しい場所ではあるが、

 いかんせん人が多い。

 衆人環視の中でというのも有りといえば有りだが……」


アシュリーは腰掛けていたベッドに

そのままボフッと仰向けに上体を倒した。

硬めのベッドが背筋を気持ちよく受け止める。

室内を見回せばとても広いとはいえず、

ほとんど余裕はない。

ふと、ここでドラゴンになるのはちょっと無理だな、

と思った。


……そう言えば、出会った時ドラゴンの姿だった。

あれ以来ドラゴンの姿では会っていないか……。


そうだ。これだ!


とすると、ここでは無理だ。

あの島なら一番だが予約必須だから

思い立ってすぐってわけにはいかないな。


まぁ、そのうち二人で行こう。


だとすると、あそこか。アシュリーは微笑んだ。




翌朝、一同が朝食に顔を合わせると

アシュリーの姿がなかった。

ホテルのフロントに

レイモンドとアレクシア姫それぞれ宛に封書で

書置きが残されていた。


レイモンド宛には、

【急用ができた。先に帰る。

 アレクシア姫が何か言い出したら

 引き止めないように】と。


アレクシア姫宛には、

【リコシェ、緊急事態だ。宙を渡る。

 重大案件だが危険ではない。

 危険ではないが私一人では解決は難しい。

 できるだけの手は打った。

 何とか頑張ってみるよ】とあった。


リコシェもレイモンドも朝食を摂りながら、

アシュリーの書置きに気を取られて

少々上の空ぎみだった。

マナー違反になってはいけないと思いつつ

一言二言話しても、ついつい考え込んでしまう。


レイモンドは自分宛の書置きを脇において

つらつら見ながら考えた。

これは、アレクシアが何か言い出すという事だな。

いったい何を……?

引き止めないようにって、帰ると言い出すってことかな。

アレクシア宛には何て書いてあったんだろう……。


リコシェは忙しく考えを巡らしていた。

危険ではないって、良かった。ちょっと安心ね。

だけど、一人では解決が難しいって……。

緊急で重大って言ってるのにこんな事、

誰かに漏らすかしら……。


アシュリーなら、重大な任務だったら

誰にも話さないと思うわ。たぶん私にも。

……だったら、これは何?


レイモンドが何か言った。慌てて聞き返す。


「ごめんなさい、ちょっと考え事してて。

 ……もう一度お願いできる?」


「……いや、その。

 ……何て書いてあったのかなって思ってさ。

 その……、アレクシア、

 何か僕に言いたいことある?」


「え? ……何? それどういう事?」


「んー、叔父上がねー。

 君が何か言い出したら

 引き止めないようにって書いててね」


リコシェはその言葉を聞いて、

何かがビシッ!という効果音付きで繋がった気がして

思わず立ち上がってしまった。


「……あら、失礼」


リコシェは我に返って急いで座りなおし、

朝食の続きを食べ始めた。

周囲の注目を一身に集めたが、

その事に気付いてもいない様子で

真剣な表情のまま黙々と食べているので、

レイモンドは話の続きを聞く

タイミングが失われたと悟った。

まぁ、いいけどさ……。



リコシェは機械的に食べながら

猛烈な勢いで考えていた。

私を引き止めないようにって事は

私が動くことを予想したってことよね。

……待って!

一人じゃ解決が難しいってことは、二人ならどうなの。

きっと二人なら何とかなるってことじゃない?


……そうよ、きっとそう!

アシュリーは私を呼んでるんだわ。

これは、私に、来て欲しいってメッセージよ!


リコシェは一つ、強く頷いた。

レイモンドが目をパチクリさせながら、

でも、黙ってそれを見ていた。



行くわ、アシュリー。あなたが呼ぶならどこへでも!

……だけど、どこへ行ったらいいのかしら。

ああ、そうだ、確か……宙を渡るって書いてあったっけ。

宙って宇宙よね、やっぱり。

だったら、マリレへ渡るってことね。


朝食を終えてみんなで食堂を出ようとした時、

リコシェはレイモンドに声をかけた。


「あの、レイモンド。

 私、行かないといけない所ができた気がするの。

 だから……」


「きっとそう言い出すんだろうなと思ってたよ。

 山を降りたら近くに空港があるんだ。」


レイモンドはPCF画面を見ながら答えた。


「そこから王都フラムスティードまで直行便が出てる。

 今から急いで支度して次の登山電車に乗れば

 次のフライトに間に合うよ」


「……調べてくれてたの?! ありがとう、レイモンド!」


リコシェは思わずレイモンドの手を両手で握りしめると

満面の笑みでお礼を言った。


「ホントにありがとう! 急いで支度するわね」


リコシェが小走りに部屋に戻っていったのを見送って、

頬を赤らめたレイモンドは小さく溜め息をついた。


「……さぁ、こっちも帰り支度を始めるぞ。

 急がないとアレクシアに置いて行かれる気がする」


そう言うとレイモンドは朗らかに笑った。





慌しく荷物をまとめ、登山電車で山を下る。

電車を乗り継いでゴールズワージー鉱山最寄の

ラドナム空港から王都へ向かう飛行機に乗った。



数時間後には、

グランヴィルの王都フラムスティードの王宮で

リコシェは感謝と別れの挨拶を交わしていた。


「もうしばらくこちらで

 ゆっくりしていらっしゃれたら良かったのに。

 なぜか、ずっとここに

 いてくださるような気がしていたのよ。

 とても寂しいわ……」


「私も……。ぜひモンフォールへもいらして下さいね。

 その時は私が海をたっぷりご案内いたしますから」


「ありがとう。アレクシア姫とはまたすぐ

 お会いできる気がしているの。

 きっとまた、とご挨拶しておきましょうか」


「はい。きっとまた」


微笑みながら王妃と軽く抱き合って頬を寄せ合う。

レイモンドが一歩進み出て言った。


「ごく短い間だったけれど、とても楽しかった。

 わずかな間でこんなに打ち解けられた人は

 初めてだったよ。これからもずっと、

 僕ら友達だと思っていても良いかな?」


「もちろんよ! 私もとても楽しかったわ。

 私たちはこれからもずっと友達ね」


レイモンドが伸ばした手を

リコシェはためらわずに握って力をこめた。

レイモンドがグッと握り返し見つめあう形になったので

リコシェは頷いて微笑み返し

レイモンドは頬に朱を走らせた。


それを見ていた王妃は一瞬両手を握り合わせたが、

もう何も言わなかった。リコシェが去った後で

そっとレイモンドの肩に手を置こうとして思い直し、

ただ見守る事に徹した。


私室に戻る奥の廊下で、小さな溜め息を一つ

そっと落としたが頭を振って顔を上げた。



シャノン・ヤングはリコシェが王都フラムスディールの

ゴーヴ空港で、連星のもう一方の星マリレに渡る

宇宙便に乗り込むまできっちり護衛の任を全うした。

リコシェの乗った機体を潤んだ瞳で見送りつつ、

リコシェがシャノンに置いていった言葉を思い返していた。



「シャノン、あなたにはとても感謝しているわ。

 あんな無茶な抜け出し方をしたのに

 黙ってついてきてくれてありがとう。」


感謝だなんてそんな……。


「あなたがいてくれたから冷静に考える事ができたの。

 そうじゃなかったら、あの夜

 私一人で何をしてしまったか判らないわ。

 ありがとう、シャノン」


リコシェはそういうとシャノンの手をギュッと握って

その瞳をまっすぐ見つめた。


「あなたの事、忘れないわ」


「……アレクシア様」


機影はとうに見えなくなっていたが、

シャノンはしばらくそのまま立ち尽くしていた。





リコシェと入れ替わるように宇宙を渡ってきたのは、

前のゴールズワージー鉱山の管理責任者で特級鉱山技官の

ヴィヴァースを罠にはめて道を誤るきっかけを作った男、

ヴィヴァースの日記にはコウモリとして書かれていた

アリク・テムだった。


テムはすぐに国内便を乗り継いで

ゴールズワージー鉱山最寄のラドナム空港へ

飛びたとうと手続きをした。


少し待ち時間があったので

空港内のカフェで一息ついたのだったが、

その時、通路を挟んで隣のテーブルに座っていた人が

PCF画面を手のひら大に広げてニュースを見ているらしく、

少々音が漏れ聞こえていた。


寝不足ぎみのために熱いブラックコーヒーを啜っていたが

本来甘党なので苦味がきつ過ぎる。

ミルクと砂糖を追加で頼むかどうか迷っていたら、

ふと、聞くともなく聞いていたニュースの音声に

耳がひっかかった気がした。


……ん? 何です?!


耳を澄ませる。


……ああ、ひっかかったのはゴールズワージー鉱山ですか。

……ふむ。…………なんですとおっ!

新しい管理責任者が着任した?!


アリク・テムの脳裏にイメージが浮かんだ。

真っ白なモヤの中にポッと浮かぶ踏切の紅い点滅信号。

連打される警鐘の硬い響き……。


テムは背中にじっとり汗が浮かんだ。

目立たないように気をつけてゆっくり立ち上がる。



飛行機はまずい気がした。

チケットの払い戻し?

……もったいないですけど、この際目をつぶりますですよ。

今は一刻も早くこの場所から立ち去らねば。


テムはブラブラと買い物でもするように歩き出した。

そうだ、お土産でも何か買っていきましょうか。

何がいいですかねー。


ティータイム用に何か気の利いたお菓子があると

良さそうですねー。こめかみにじんわり汗が滲む。

私は買い物するんですよ。お土産買うんですよ……。

どれにしましょうかね……。


迷う風情であちこちのガラスケースに並ぶ菓子を

のぞきこんで廻りながら、

たまたま出口に向かって近づいているだけで……。



突然、ポンと背中を叩かれた。一瞬硬直する。


「……は、はい?」


引きつりながら無理やり振り返る。


「おじさん、これ落としたよ」


見れば10歳くらいの男の子で、

ハンカチを差し出して立っていた。


「おや、ありがとう」


そう言ってハンカチを受け取ると、

男の子はクルッと向きを変えて走っていった。

その動きに合わせるように自分もクルッと向きを変えると、

足早に出口に向かって歩き出す。


ハンカチを見る。

ふむ、これは確かに私のハンカチだが……。


テムは途中のごみ箱に

受け取ったハンカチを無造作に放り込んだ。




『ごみ箱に捨てられました。

 失敗です。回収をお願いします』


『くそっ! 了解』


『背中は機能しています』


『よし。悟られないようにきっちり距離をとって追え。

 逃がすなよ』




テムのイメージの点滅信号はますます激しく

金属的な警報を鳴らし続けている。

……やばいですー。

さっき、ポンと叩かれた背中が

とてもとても気になりますですよー。



商業施設で反応が動かなくなって8分。

怪しまれないようにとかなり距離をとって

尾行していた捜査官が慎重に近寄ると、

テムの姿は既になく店のカウンター内側に

紙袋に入れられて置かれていた

テムのコートを発見した。


尋ねると、店でテムは買い物をしていた。

家族にと買っていったのは

女性用のグレーのロングコートと

子供用のジャンパーで、

自分用にキャメルのハーフコートも買っていた。


紙袋に入っているコートは

裾の糸がほつれたので直して欲しいと頼まれ、

受取日は明後日になっていると店員は話した。


「いやもう、直感的に似合う品がわかるとかで、

 選ぶスピードがそりゃもう速くて感心しましたよ。

 今時珍しい現金払いでねぇ。

 こちらとしてはとても有り難い上客でしたね。

 ニコニコして丁寧に話す

 感じのいいお客さんでしたよ」




『申し訳ありません。逃げられました』


『……そうか。何で気付かれたか見当もつかん。

 くそっ!

 網を張るんだ。交通の要所は一つ残らず、

 主要道路の渋滞監視用モニターも

 手を回して総動員しろ』


『了解しましたっ!』



ヴィヴァースの日記での呼称は、

見た目から受ける印象による、

いわば渾名のようなものだった。

微妙に掠ってはいたが当たってはいない。


アリク・テムの変身型はネズミである。

マリレには嵐に沈む船にネズミはいないという

古い言い伝えがあった。


ネズミに危険を予知して逃げ出してしまう能力がある

というのが真実かどうかは判らないが、

テムに関しては間違いなく

自分に関わる危険にとてもよく勘が働いた。


捜査する側が意気込んで網を張れば張るほど、

テムの勘は絶好調に働くのだ。

テムは捜査の網をすり抜けてルベの大地に消え、

捜査官達を歯噛みさせた。



「……ズワージー鉱山にガサ入れがあって

 例の男もとうの昔に檻の中だそうで、

 私もちょっとばかりこっちで地に潜りますです」


テムは話しながらも五感を総動員して

油断なく全方位に気を配る。


「今のルベは危なくてオチオチ歩く事もできませんですよ。

 しばらく連絡もしないほうが良い気がしますです。

 なので当分こっちの電源は切っておくですよ」


ユルガト様に直接お伝えしたかったですけど、

集会中では仕方がないですねー。


「……いや、定時というわけにはいかないですねー。

 それだけ危険だということなのですから。

 いいですか?

 ユルガト様に必ずお伝えくださいよ。

 移動をお考えでしたら

 早めがいいと思いますですよーと。

 私の勘がそう言ってますですよーと。

 ……頼みますですよ。必ずですよ?」


あの若いのは事務処理能力はピカイチなのですけれど、

それだけなのが危ういですねー。

事の重さの判断ができないのは

致命的かもしれませんです。


私と連絡がつかなくなった事自体を

ユルガト様なら危険が迫っていると判断してくださると

信じることにしますですよ。


こうしてアリク・テムは組織のほうにも連絡を絶って

完全に姿を消してしまった。





さて、グランヴィルを発ったリコシェは

まずモンフォールに飛んだ。


そして、母であるモンフォール女王に帰還の報告をした。

グランヴィル王宮でのあれこれや

ノーリッシュ山脈での氷河や

凍った雪の話を女王は微笑みながら聞いていた。


アシュリーの書置きの話になると

女王は身を乗り出して聞き入り、

リコシェに尋ねた。


「リコシェには

 マリレでどこか心当たりの場所があるのですか?」


「はい、二ヶ所。

 たぶんそのうち一ヶ所は急には絶対無理なところなので

 もう一方のほうだと」


「そう。緊急事態ならば急ぐのでしょう。

 気をつけて行っていらっしゃい」


「はい。行ってまいります。母さま」



リコシェが立ち去ってから側に控えていたブロワ伯が

女王に声をかけた。


「アレクシア様をしばらく

 お手元に置いておかれなくても

 よろしかったのですか?」


「リコシェが瞳をきらめかせて何かに夢中になっている時、

 引き止めて止まるものではないのは

 あなたもよく知っているでしょう?」


「それはそうなのですが……」


「グランヴィルの王弟殿下はとても楽しい方のようですね」


背中を押したのは私だけれど、

こんなに早く話が進む事になるとは……。


やはり、何か縁があったのでしょうね。

できるだけ早めに会っておきたいところだけれど、

さて、どうしましょう……。


「ブロワ伯」


「はい」


「……私、明日、少し風邪を引いて寝込む事にいたします」


「な、なんと!」


「その分、今日の予定に明日の分からできるだけ

 組み込みましょう。割り振りを頼みますね」


「……かしこまりました。急いで調整してまいります」


ブロワ伯は慌しく退出していった。


さて、楽しみなこと。

女王はとても楽しげに微笑んだ。





リコシェが留学先であるアドラータのトレモンティ空港に

降り立ったのは日が落ちてしばらく経った頃だった。

リコシェは

プライベートアイランド専用ターミナルへ移動すると、

そこから街に出て足早に歩き始めた。


念のため華奢な靴は避けて、

スニーカーとまではいかないが

走りやすいものを選んできた。

足に自信はあってもトラブルは避けたい。

更に、リコシェはPCFに

人に出会わないルートを表示させた。



少々回り込んだのと

入り口付近で完全に人がいなくなるのを

横道で待ったりしたので

思いの外時間がかかったが、

何とかアシュリーの

オリーブの木の隠れ家入り口に着いた。


すると、ビルとビルとの間の鉄の仕切りが

音も無く開いたので、リコシェが急いで中に入ると

鉄の仕切りはまた音も無く閉まった。


やっぱりここだった!



逸る気持ちを抑えて、

壁に手を添えて闇に近い通路を抜ける。

以前に来たときは

まだ明るい頃だったから薄暗かったのだが、

そうか、もう夜……。



「……アシュリー?」


中も暗い。


リコシェがおずおずと声をかけると、

オリーブの木がある辺りで何かが動いた気配がした。


「アシュリー? そこにいるの?」



声が聞こえた。


「ゆっくり目を慣らしてごらん」


「わかったわ」



リコシェはホッとした。


「……よかった。アシュリー、そこにいるのね」


「ちゃんとここに辿り着いたね。

 私が思っていたよりも

 少しばかり遅かったから心配した」


「母さまにお会いしてきたもの」


「ああ、そうか……。

 しまったな、その可能性を考慮しなかった」


オリーブの木が

暗い中にシルエットとして判るようになった。

リコシェがオリーブの木に向かって歩き始めた途端、

何か大きな塊が現れた気がした。


「……アシュリー?」



返事は無い。


更に近づいて塊が何か判った。ドラゴンだ!

オリーブの木の下のベンチの横にゆったり座っている。


リコシェは思わず駆け寄った。


「……ねぇ、アシュリー。触れても構わないかしら」


ドラゴンはグッと上げていた頭を

リコシェの手元に下ろしてきた。

リコシェはそっと目立つ大きな角に触った。


「硬いわ……。立派な角ね」


それから、リコシェは大切な宝物に触れるように

ドラゴンの鼻筋や額、頬、大きな牙にそっと触れた。

そして、紅い瞳を覗き込む。


「……あなたの瞳は本当に

 私がこれまで見たどんな宝石よりも綺麗だわ」


リコシェはそう言うと、

一抱えもある大きな頭を抱いて紅い瞳の端にキスした。


一瞬ドラゴンが震えた気がしたが、

気のせいだったかもしれない。


ドラゴンが頭を上げたので

リコシェはドラゴンの首をなでた。

ゴツゴツと固い手触りなのに

手指に引っかかることもなく手を傷めない。

背中側は鋭い突起が並び、

不用意に撫でるとケガをしそうだが、

喉元から腹側にかけては

見た目よりも滑らかなようだった。


リコシェがしばらく首を撫でていると、

ふいにドラゴンが首をグッと曲げて

リコシェをベンチのほうに押しやった。


「……え? ベンチに座るの?

 わかったわ、座るからそんなに押さなくても大丈夫よ」


リコシェがベンチに腰掛けるとすぐ、

後ろからベンチ越しにフワリと抱きしめられた。


耳元で声がする。


「……リコシェ」


「アシュリー?」



アシュリーの腕に手を添える。


「君はドラゴンの私にもキスしてくれるのか……」


「もちろんよ、アシュリー。

 ドラゴンの姿もあなたでしょ」



アシュリーの腕に力がこもった。


「ああ、リコシェ。……はっきり判った。

 私にはもう君のいない人生など考えられない」


リコシェの心臓は飛び上がった。

まるで心臓に翼が生えて

今にも飛び立とうとしているかのように。


「……それって」



「私は時に君に言えない仕事をする」


「知ってるわ」


アシュリーの声が少し翳った。


「今度みたいに帰りが遅くなって

 また君にたくさん心配をかけるかもしれない。

 ……もしかしたら、

 帰って来られなくなることになるかもしれない。

 そうなったら、どれだけ君を悲しませるか……」


アシュリーの声が震える……。


「それもみんな解っていて、それでも私は言う。

 君の側にいたい。

 私の隣にいて欲しい。

 ……リコシェ。君を、愛しているんだ」



リコシェはあの辛い夜が思い出されて

アシュリーの腕の中で身悶えした。

あんな夜がずっと続くのはとても辛い。


だけど、とリコシェは思った。

一人待つのが辛いからと逃げ出して、

アシュリーをすっかり忘れてしまえるのだろうか。


リコシェはアシュリーを忘れて

元の生活に戻った自分を想像してみた。

朝起きて身支度を済ませて朝食、

大学に行って講義を受けて

レポートを書いたり調べ物をしたり、

友人とおしゃべりしたり……。

なんだろう、楽しかったはずの大学での生活に

色味が失われてしまったようなこの感覚。


リコシェは唐突に悟った。

私はアシュリーに会ってしまった。

知らなかった頃にはもう二度と戻れないのだ。


「私もよ、アシュリー。あなたを愛してる」


「ああ、ありがとう。

 ……リコシェ、改めて君に尋ねよう。私と、け……」


「ちょっと待って!」


リコシェがアシュリーの言葉を遮った。

突然のことにアシュリーは動揺した。


「……まさか、リコシェ」


「違う違う。

 その続きはちゃんと

 目を見て言って欲しいと思ったのよ。

 どうして、後ろなの?!」


アシュリーは困った。

後ろにいるのはそれなりにちゃんと

そうでなければならない理由がある。


「……あー、君はその、

 変身から人型に戻った時にどういう姿になっているか

 少々失念しているのではないかと思うのだが……」


アシュリーはさっきまでドラゴンの姿だった!

……と、いうことは……今は…………!!!


「きゃあ! ごめんなさいっ!」


リコシェは両手で目を塞いだ。


「……いや、後ろにいるんだから見えないんだが。

 リコシェ、続きを言ってもいいかな?」


リコシェは目を塞いだまま、コクコクと頷いた。


アシュリーは思った。

ここで服を着てくるとかやると流れが切れてしまう。

台無しだ。


もうこうなったらシンプルに押し切るしかない。

いろいろ考えていた言葉の数々を思う。

ちょっとばかり惜しい気もするが今はもう不要だ。


「リコシェ。私と、結婚してくれないか」


言った! 言ってしまった……。



アシュリーはベンチを回りこみながら

ドラゴンに姿を変えた。

ベンチに座るリコシェの前に首を差し伸べ、頭を垂れた。

目をギュッとつぶってリコシェの返事を待つ。


心臓が胸から飛び出しそうだ。

どんな任務でも平常心でこなしてきたが、

今は何よりもリコシェの返事を聞くのが恐い。


大丈夫とは思う。

リコシェも同じ想いでいてくれていると確信している。


……けれど、万が一が無いと誰が言い切れるのか。




と、ふわっと柔らかい温かな何かが顔を捉えた。

目を開けるとリコシェが目の前にいて

両手でドラゴンのゴツゴツした顔を挟んでいた。


「アシュリー、あなたの申し出を受け容れます」


そう言ってリコシェはそっと目を閉じると

ドラゴンの恐ろしげな牙の並ぶ口にキスをした。

リコシェが柔らかく微笑んで言う。


「嬉しいわ。

 ずっとあなたと一緒にいられるようになるのね」



アシュリーは激しい喜びに身の内が震えた。

込み上げる喜びが止め処なく溢れ、

力の奔流となって体内に溜まる感覚がある。


ああ、こんな嬉しい事はない。


全身に喜びが満ち満ちて今にも吹き零れそうになった。

それで、アシュリーは何となく首を伸ばして

空に向かって喜びを飛ばした。


すると、途端にそれは何か圧力を持って

頭上のオリーブの枝をざわつかせ葉を数枚散らした!



「……アシュリー。今の、何?」


リコシェが落ちたオリーブの葉を拾うと、

それにはうっすら霜がついていたがすぐに消えてしまった。


「葉っぱに……霜がついてたわ。すぐ消えちゃったけど」


リコシェがオリーブの葉を持ったまま振り返ると、

ドラゴンが地面に倒れていた。


「アシュリー!」


リコシェが駆け寄ってドラゴンの身体を揺する。


「アシュリー! アシュリー!! 大丈夫?!

 ……お願い、目を開けて!」



もしや、と思ってドラゴンの口元に頬を寄せる。

……息をしているようだ。

ああ、良かった……。


リコシェはへたり込みそうになったが頑張って耐えた。





≪続く≫


一話の文量が多過ぎるとアドバイス頂いたので少し減らしてみました。

読みやすくなっていたら良いのですが……。

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