【習作】奇跡の価値は
大体三人称(のはず
まだまだ書かねば・・・
珱坂康太は死ぬには少し若すぎたらしい。
否、正確には死んではいなかった。
脳死、という言葉がある。これ自体は死を意味する単語ではない、がこの国の植物状態、脳死の基準は50年前、2020年に変わったのだ。
植物状態に伏して最高の治療を行ってから48時間。
それ以内に意識が戻らなければ第一次植物状態。
そこから24時間で第二次植物状態。
さらに32時間で意識が戻らなければ第三次、実質の脳死と判断される。
深刻なドナー不足に陥っていたこの国では中・高校生で二回に分けて仮に自分が植物状態以上になった場合の臓器提供意志の有無を問われる。
不足していることもあって康太は意志『あり』を選択した者だった。そうなるとは限らないがもし人の役に立てるなら、と。
しかし不幸なことに「その時」がきてしまった。
通学中の接触事故、唯々不幸な結末にある者たちは涙を流し、またある者は不謹慎だが自分でなくてよかったと、そう安堵した。
医学の進歩は目覚しく、2070年には全臓器の移植が可能となっていた。無論、「脳」もだ。
全臓器の移植、それが意味するのはつまり、遺体は全て空っぽになるということ。いや、遺体すら遺らないかもしれない。
つまり、葬儀を行おうとしても、その棺桶の中は空っぽなのだ。
享年18歳、あまりにも早い死に家族は涙を流した。
◇◆◇◆◇◆◇
珱坂家の面々は病室ともとれなそうな白い部屋に居た。
皆一様に涙を流して目の前の箱を見つめていた。
ストレッチャーに乗せられているソレは今しがた臓器を取り出されたばかりの息子、或いは兄だった。
どうしてこんなことに?
なぜ何もしていない息子がこんな目に合わなければならなかったのか。
けして悪い兄ではなかった。
一度だけ、一度だけ兄であることに対して不満を漏らしたことがあったが、それ以降はそんな素振りは見せずに兄で在ろうとしてくれていたように思う。
祖父母より先に逝ってしまうとは・・・
年に会う機会はそれほどなかったが、あった時は会話を広げようと努力してくれたし、仕事に興味を持ってくれたのは素直に嬉しかった。
家族は総じてこう言った。
もったいないくらいにできの良い家族だった、と。
一人の家族の死を悼んだあと、両親だけが担当医に呼び出された。
「この度はお気の毒でした」
形式ばった言葉など聞きたくはなかった。
「お話しした通り全臓器を移植しました。もちろん、脳も」
勘弁してくれと思うが、その考えも次の言葉で打ち消される。
「・・・ある国の症例報告に、脳の移植をした患者にドナー側の記憶があるという記録があります」
「それは・・・つまり?」
「本来、移植先の患者を教えることはできませんが、もし試したいというのであれば、と思いまして」
「それは、皆記憶がでるものなんでしょうか?」
「いえ、可能性は極めて低いです」
即座の否定に知らず、息を呑む。
思わず考えてしまった。もしも記憶が戻ることがあれば、うまくいけばまた自分たちの家族として接してくれるかもしれない。
そう考えてしまうと、もう駄目だった。希望に縋りついてしまった。
もちろん、移植先の患者の親などに了解はとる。その時点でダメなら諦める。
二人でそう決めあい、取次を頼んだ。
返事はすぐにきた。相手方も思うところがあるのだろう。
一度だけ、という条件で目が覚めたら会わせてくれることになった。
複雑な気持ちで、二人は祈る。
もしも奇跡があるのなら、どうか起きてくれ。と
◇◆◇◆◇◆◇
間宮亮太が目を覚ますと、こちらを覗き込んでいる家族の顔が目に入った。
ああ、目を瞑る前と変わらない家族の顔だ。
戻ってこれたのか、と亮太は安堵した。家族の顔も安堵しているように見える。
掛けられているカレンダーを見るに、どうやら自分が眠ってからさほど日は経っていないらしい。
移植のドナーが思いのほか早く見つかったようだ。自身の幸運と誰とも知れぬドナーに感謝の念を送りながら、体を起こす。
「・・・ぁ、あ、あー」
少し擦れているが、声も問題なく出せる。そのことにまた安堵したのか今度は家族が涙を流し始めた。
照れくさく感じた亮太が軽く周囲を見まわしたころ、病室内に控えめなノックの音が聞こえた。
若干の間のあと、扉がゆっくりと開き、夫婦と思われる二人組が姿を現した。
「団欒を邪魔して申し訳ない」
家族を掻き分けてこちらへ来る男女に亮太は困惑を隠せなかった。
亮太は家族に退出を願い、やけにゆっくりに感じられる二人の歩みを待った。
やがて、すぐ傍まで来て男性は言った。
「私のことが・・・わかりますか?」
それはとても控えめな声で、ともすれば聞き返してしまいそうなほどになるほどだった。
亮太はしばし、悩むような、困ったような表情を浮かべ、やがてはっきりと言った。
「・・・いえ、どこかでお会いしましたか?」
その瞬間の二人の表情を、亮太は忘れられないだろう。
僅かに見ていた、見えていた希望がへし折られて一瞬で絶望の中に叩き落とされたような顔を。
自分がどれほど残酷なことをしてしまったか、亮太は理解した。否、理解していた。
「ッ!・・・いえ、初対面です。ほんとうに、申し訳ない」
言葉に詰まり、諦めたような目をした二人は壊れてしまいそうな背中を見せながら、来た時と同じようにゆっくりと出ていった。
それを見送る亮太の目には、涙が溢れていた。
◇◆◇◆◇◆◇
間宮亮太は目が覚めた時は間宮亮太だった。
だが、扉を開けて入ってきた男女の姿を見た瞬間に思い出した。思い出してしまった。
珱坂康太の存在を、自分がどうなったのかを。
また、困惑した。なぜ自分が生きているのか理由が分からなかった。
そして目を覚ました時の状況を思い出して気付いた。
ああ、自分の周りは違うのだ、と。自分はもうこの人たちの息子ではないのだ、と。
だからこそ、嬉しかった。わかるか?と問われた時は、ただ嬉しかった。
同時に考えた。確かにここでわかると、覚えていると答えればまた一緒にとはいかないまでも楽しい生活を送れるかもしれない。
でも、でもだ。もうこの体は間宮亮太のものなのだ。これから先の人生は間宮亮太として生きていかなければならない。
それに、自分は一度死んだ身なのだ。なんの偶然か二つの記憶があるが、本来なら自分は居らず、間宮亮太の生還だけが起こり得るのだ。
一度死んだ者は本来蘇らない。蘇ってはいけない。
だから、もうこの先二度と会うことの無いようにと、二人の言葉を、希望を否定した。
理解していた。
おそらく両親は奇跡を信じてやってきたのだろう、と。
理解したうえでその希望を叩き潰した。
奇跡とは、本来起こらないものなのだ。
起こらないからこそ、願われるからこそ奇跡は奇跡たり得る。
しかし、なんの因果か奇跡が起こってしまった。
もしも、自分が生きているとわかれば、反応してしまえば亮太の。
間宮亮太のこれまでとこれからを壊してしまう。
それはできない。それだけはしてはいけない。
半分、亮太を殺したようなものなのだ。
生きている。生きてしまえている。なら、これ以上を望んではいけないだろう。
あぁ、なぜ、なんて残酷な奇跡が起こってしまったのだろう・・・
こんな奇跡なら、人を苦しませるような奇跡なら。
起こる価値はあるのだろうか
涙を伝わせながら最愛の両親だった二人に別れを告げ、寂しそうな小さく見える背中を見送る。
珱坂康太の物語は、こうして幕を閉じた。