第二章 凪裸坂塊子 その2
2 『凪裸坂 塊子のターン』
ボクの能力を百パーセント発揮させるためには、あらゆる地勢を知らなくてはならない。地の利を得なければとんでもないことになるからだ。という訳で、ボクと鏡菜のふたりで月葉家の敷地内を散策することになった。敷地内といってもあまりにも広大で一日では無理だし、他の三人からの襲撃にも気をつけなければならない。
屋敷を出て北上する。うっそうと生い茂る木々をものともせず、鏡菜はまるで舗装された道を行くようだった。ついて行くのでやっと。これだから都会っ子は、と言われたくないのでがんばる。
「どこへ向かっているの?」
ボクの前を行く鏡菜の背にそう訊ねた。散策の動きではなく、一直線に突き進んでいるので目的地ははっきりしているのだろう。
「とりあえず蜜神家の敷地を出る」
それを聞いて思い出した。ルールとかなんとか言っていた。
「でも、けっきょく襲われたんだし、くわしく調べようよ」
「その必要はない。陽以外はルールを守るはずだ」
歩く速度を落とさない鏡菜にボクは続ける。
「陽と塊子ともうひとり、えっと……」「まひるだ」「そうそう、その三人に、鏡菜は勝てるの? 恐れているようには感じないんだけど」「陽とまひるは、問題ない」歩きながら続ける。「じゃあ、塊子はむずかしいってこと」「風太郎、おぬしはひとつ忘れている。我々には、おぬしのようにパートナーがついている。連係次第で個々の能力は二倍にも三倍にも強くなるのだ。先日の陽がいい例だ。彼女は姿を消す能力など持っていない。それが虎乃新の力で変わった。おぬしがいなければワタシは四人の中で、ある意味、一番、弱いだろう。だからおぬしには期待しているぞ」
言われなくてももちろん必死でやりますよ、とは言わなくて違うことを質問する。
「三人の能力を教えてくれる?」
「ふふ。やっとやる気が出てきたな」
そりゃあ負けたくはないですから。
「陽は体内から不思議な刀を発生させる。ただしその刀は、物質を切ることは出来ない」
なるほど、そういうことか。マングウは足を切られたと思わされたのだ。しかし、本人が切られたと信じれば、実際に切られたときと同じ効果を得る。自己暗示、と似たようなものかもしれない。恐ろしい能力だ。
「びびるな、風太郎。陽は切る部分をコントロール出来ない。マングウの場合は足だったが、運次第で小指だけだった可能性もある。髪の毛だけを切られる可能性もある。ふん、不完全な能力よ」
でも運が悪ければ生きているという心を切られるかもしれない。そうなったらポックリと逝ってしまうだろう。切って切って切りまくれば、いずれそこへたどり着くかもしれない。確かに不完全な能力ではあるが、心羅 陽はとても強いと思う。そこでふと気づく。
「ボクたちがパートナーとしてつけられたのは、サポートも目的のひとつなのかな」
「そうだ。例えばワタシは、能力を発動している間、完全に無防備になる。自分の魂を相手の精神内に送るのだ。そのときのワタシの肉体は死人同様だ」
「マングウさんに使ったときは一瞬だった気がするけど」
「彼の精神構造はもう把握している。何度も潜っているからな。他の人はそうはいかない。複雑な迷宮だよ、人間の精神というのは」
マングウはいい実験台になっているのね、かわいそうに。いや、彼は自ら身を差し出しているのだろう。従順なのね。さすが執事。
「じゃあ、陽も何か弱点があるの?」
「そのとおり。あやつは刀を出していられる時間が限られている。三十分。それを過ぎると刀は消え、全身を襲う激痛にのたうちまわる。その間は、無防備となる。能力は便利なだけではない、その代償を払わなければならないのだ」
ボクたちの存在意義が見えてきた。
「つまり月葉家の真の目的は、君たち元嫁候補の能力を高めつつ、さらに、婿候補たちを跡取りにふさわしいまでに育てることが目的か。これって……ボクたちの育成に失敗しても、君たちで補完する、という意味もあるのかな」
「おそらくな。戦郁の件があるから保険をかけるようにしているのだろう。おぬしたちがダメなら、ワタシたちを仕込み直す。この試験には、ワタシたちの能力の向上も含まれているのだろう」
「えげつないやり方だね」
えげつない……①人情味や同情心に欠けている ②あくどい ③露骨でいやらしい ④えげつない人間にはならないようにしましょう
「何を今さら。それが月葉家のやり方だ。もう、終わらせようじゃないか」
「もうひとついい? もしも戦郁が無事でボクたちがいなくて、今まで通り君たち嫁候補が競いあい、ひとりが選ばれたときのメリットは?」
「未来を保障される。デメリットは……それは次に話すとしよう。着いたぞ」
やっとのことで森の中から解放された。水のせせらぎが顔を出し、陽光が元気を取り戻した。そして、巨大な城、月葉の屋敷が眼前にそびえ立っていた。小川の水は、鏡菜が言っていた丘陵から流れているのだろう。飲んだら病気やケガが治ったりするのだろうか、わからないけれど小魚や昆虫の糞が混ざっていそうで飲む気にはならない。病気にかかってもいないしケガもしていないから別にいいや。
「このお城って、まるで戦国時代からそのまま持ってきたみたいだね。でもなんというか、見栄や威厳を誇示しているように感じる。実際に住んでいるのに、生活感がまるでないからだろうか。あえて消しているのかな。まあいいや。ところで、他のふたり、塊子とまひるはどんな能力を持っているの?」
とにかく情報を得なくてはならない。そうしなければ対策も立てられないし無様に惨敗を喫することになる。
「あれを見てみろ」そう指された場所は西の白虎の方角。工場のような建物。煙は上がっていないが煙突のような塔が木々の頭上に伸びている。近づけばオイルのねっとりとした香りが漂ってきそうな、黒光りしている建物だった。
「あの建物から連想できるように、まひるの能力は機械を使う。ナノマシンという言葉を聞いたことはあるか?」
「ちっちゃい、としか……」
鏡菜は視線を移し、月葉の屋敷をいまいましそうに眺めながら続けた。
「ナノとは十億分の一を表す単位だ。しかもただ小さいだけではない。テクノロジーの結晶で、あのサイズなのに、個々に人工知能まで搭載されている。そのナノマシンがまひるの体内に巣食っているのだ」
「でもちっちゃいんでしょ。問題はないんじゃない」
「ふふ。わかってないな。数百億、の単位で身体中にいるんだ」
うげ。それは気持ち悪い。じゃあ、指とかを切ったらそこから血ではなくてナノマシンがぞろぞろと流れ出るのか。想像しただけで吐き気をもよおす。でも小さな機械を使ってどういうことをするのだろうか。
「攻撃方法は?」
ここで鏡菜は視線をボクに向けた。その眼は、ボクの心の内を探るようなまなざしだった。
「聞いたら、きっとおぬしは戦意を喪失するぞ」
ボクは口をへの字に曲げて反論した。
「ただの人間ならそうだったかもしれない。だけどボクは違う。ぜ~んぜん怖くないよ」
「ならば教えてやろう。まひるは他人の体内に大量のナノマシンを送りこみ、その者を操り人形にしてしまう。傷口から投入する訳ではない。毛孔、鼻孔、鼓膜を通ってナノマシンは侵入する。決して、抗うことは出来ない」
えっと、まひるは問題ないとか言っていたけどかなり恐ろしいんですけど、鏡菜は本当に大丈夫だと思っているの? それともただの強がり? もし仮にまひるが脅威ではないのならば、警戒している塊子ってどんな能力を持っているの?
「塊子の能力は、説明ではなく、身を持って知ることになる。さっそく、お出ましだ」
鏡菜はボクを見ていなかった。月葉家を迂回して、山の頂から流れてくる小川の上流付近、太い木の幹あたりに視線を向けている。その先には、大きな眼鏡をかけたツインテールの小柄な少女が立っていた。ペンギンのぬいぐるみを大事そうに胸元で抱いている。
「あの子が、塊子」
塊子には里晶がついているはずだ。しかし彼の姿はない。どこに隠れている? 塊子が眼帯をつけているということは、里晶はもうパートナーと化している。間違いなく、近くにいるはずだ。
里晶の能力は相手の感情を感知すること。それも香りで、だ。変な能力だけど、こっちが殺意を抱いたり怖気づいたりするとすぐ見破られるかもしれない。戦意喪失、絶望なども察知するだろう。サポートとしては、なかなか便利で優秀な能力だ。
「最初に殺すのが鏡菜ちゃんか。残念だったね。でもね、塊子は憎くて鏡菜ちゃんを殺すんじゃないのよ。それだけは勘違いしないでね。だから、ね、ゆるしてちょうだい」
ボクは前方から眼をそらさずに隣にいる鏡菜に聞いた。
「やるの。それとも逃げる?」
逃げ足には自信がある。
「冗談じゃない。実戦経験だ、やるぞ」
「彼女の能力は?」
そのとき、足元の土がモゴモゴと動いた気がした。見下ろす。うわお! と一歩退く。血の気のない腕が飛び出していたからだ。気づいた。そこら中の土が盛り上がっている。
「凪裸坂 塊子はネクロマンサー。死者を生き返らせることが出来る」
すてきな能力だ。世の中に不幸はなくなる。死別の悲しみはこの世から消滅するじゃないか。おお教祖さま。定命さようなら~。などと妄想をふくらませていたら次々と顔色の悪い人たちが土の中から生まれてきてウオオウオオと産声を上げながらダッシュしてくる。走る系のゾンビだ。
定命……①一定している寿命 ②最長は八万四千歳、最短は十歳 ③その人は生れたときから寿命は定められている、とも言われる ④未来も果たしてそうなのか、はなはだあやしいこと
正直、戦意なんてものはとっくに喪失している。恐ろしい。ゾンビ映画の登場人物がゾンビを恐れるのも納得。それに映画のように銃はないしバールはないしチェーンソーもない。その辺に落ちている木の枝を手にして殴っても頭部を破壊することなんて不可能。そもそも死者の復活イコールゾンビではないので対処方法もそれで正しいのかわからない。
ボクの選択は、距離を置く、だった。
「鏡菜、つかまって!」
腕を横に出す。何も言わず彼女がボクの手をつかんだ瞬間、飛ぶ。まばたきの間に、ボクたちは塊子の眼の前に移動していた。そう、ボク《たち》。
眼鏡の奥の大きな眼を見開く塊子。まわりにゾンビはいない。塊子とボクと鏡菜の三人のみ。
「よくやった風太郎」鏡菜の口端がいびつに曲がる。「ワタシがおぬしに求めていたのはまさにこの流れだ」
「正直、成功するとは思っていなかったよ」
鏡菜が腕を前に出す。塊子の顔に触れる、まさにその瞬間だった。
「塊子はね、風太郎ちゃんの能力を知っているの。知っていて、こうやって姿を見せたの。それがどういう意味か、わかる?」
鏡菜の動きが止まった。
「あなたたちは、アナフィラキシー・ショックで死ぬわ」
そう言って塊子は背後に立つ巨木を叩いた。そのあとすぐ、空気を小刻みに振動させる音が響き渡った。
なんだ? と見上げる。黒と黄のまだら模様の昆虫がうじゃうじゃと舞っている。そう、オオスズメバチだ。年間、数十人の死者が出ているキラー・ビー、だけど、意外と少ない? 余裕余裕となめてかかっていたら鏡菜が叫ぶ。
「蜂の中にゾンビも混ざっている。ここはいったん引くぞ!」
そんなまさか、と疑ったけど、眼の前に迫ってきた蜂の何体かは触覚が片方もげているし足も数本ないし複眼もつぶれている。生きているはずがない。
すかさず、飛ぶ。焦っていたので視界に入っている場所にしか飛べなかった。月葉家の屋根。瓦の上に降り立った。滑り落ちないようすぐに手をつく。
壮大な眺めが眼下に広がっている。やっほー、と叫んで心の動揺を追い払いたいけどガマンする。
「塊子についているのは里晶とか言ったな。どんな能力を持っているのだ」
「え、知らないの? 里晶は他人の思い、感情を、においで嗅ぎ分けるんだ」
それを聞いて鏡菜は眉根を寄せた。
「だから、蜂が追いかけてきているのか。嗅ぎわけたのは、おぬしの焦りかな」
余計なことを、里晶。一瞬にしてハチの群れがやってきていた。
もう一度、飛んだ。鏡菜の家に戻ろうと思ったけど彼女がやるというからには逃げる訳にも行かず先ほどの塊子と対峙した場所の近くへ戻る。この能力、慣れないと使いにくい。瞬時に移動先の風景を脳裏に浮かべなければならない。日常では問題ないのだが、非常時にはそうもいかない。浮かぶのは戦っている相手の顔だし、助かりたいという想いだけなのだ。
突然姿を現したボクたちに驚きの表情を見せた塊子だったけどそれもすぐに消え、手のひらを口に当ててわざとらしくおどけて見せた。
「まあすばらしい能力ですわ。里晶ちゃんじゃなくてあなたを選べばよかった」
今まで姿を隠していた里晶が茂みの中から出てきた。
「冷たいこと言わないでくださいよ。がんばりますから」
そう反論した里晶だったが、眼鏡の奥の眼はどこか楽しそうだった。講堂では中立的な立場にいるようだったが、どうやらボクの勘違いみたいだ。完全に敵。要地と同じ。説得はあきらめたほうがよさそうだ。
「さて」と、ぞろぞろ集まってくるゾンビたちを見回す鏡菜。「全員、出そろったところで、決着をつけるとするか」
「待って……」
ボクは里晶の姿を見て、ある作戦を閃いた。それと同時に、勝利も確信した。実行するためすぐに行動を起こす。里晶の背後に瞬間移動し、彼の肩に触れ、飛ばす。移動先は不動明王像が見下ろす例の落ちつかないトラウマ講堂。
「ゾンビどもはボクが相手をする。鏡菜、君は塊子を!」
そう勝ちどきを上げたとき、足首に激痛が走った。見下ろす。地面をはいずり、ボクの足首に噛みついているのは六、七歳の女の子。青白い顔をしているけれど大きな眼がくりくりしていてかわいらしい。
ネクロマンサーが生き返らせた死体というのは映画などのゾンビと同じく噛んだ相手をゾンビ化させるのだろうか。映画などのゾンビというのは未知のウィルスやら呪が感染してゾンビ化するのだけど塊子はどうやって死者を復活させているのか。傷口から何か得体の知れない毒のようなものが上昇してくる感覚は今のところない。ただ痛いだけ。女の子はまるでジャーキーでも噛むかのようにガジガジ顎を動かしている。
ボクの足を美味しそうに食べている女の子から眼をそらす。そして、鏡菜と塊子、ふたりの表情を見て、ボクに待ち受けている未来を、知った。
つづく