終章 修復の始まり その8
8 『御魂石のターン7』
五武輪の大群が押し寄せてくることを、彼女たちはお互い距離が離れているにもかかわらず同時に知ることができた。大地の震動が伝播し、熱エネルギーが大地のネットワークを通過して情報を与える。新人類は地球という共通フィールドを共有する存在……それは、植物に類似していた。
「どうする? 男たちは猟に出ているし、戻ってくるのにまだ数日はかかるわよ」
「このまま五武輪たちの餌になるのはゴメンよ。迎え撃つしかないじゃない」
「そうよ、村の御神木を守らなきゃ」
「威歩のために!」
「威歩のために!」
「ワタシに作戦があるわ。五武輪たちは連携プレイをするといっても知能はそれほど高くない。だから、囮を使って無地名藻の森へ誘導するの」
「無地名藻ならあいつらを食べてくれる!」
「威歩のために!」
「誰が囮になるの?」
この作戦の発案者である少女が、手を上げた。
彼女たちはここまでのやりとりを、口を動かさずに決めていた。大地を通しての意志の伝達、これが新人類のコミュニケーション。
村長へのあいさつを終えた発案者の少女は、遠巻きに見守る仲間たちに笑顔を送り、村から一歩外へ出た。
緑色の前髪が風にあおられ、不安にあえいでいるかのように揺れる。
紫色の空には雲ひとつない。空気はこれまで以上に澄んでいるが、まばらに群生している小さな森のかたまりから、無数の鳥たちが飛び立つところを見ると、危機は、確実に迫っていることがわかる。
少女は右側に顔を向けた。そこには無地名藻の森が迷い込む獲物を待っているように静かに広がっている。すべてを飲み込む恐るべき植物。五武輪とて、その例外ではない。
少女は覚悟を決める。森に飛び込んだとして、自分が先に食べられてしまうのか、五武輪たちが先か、勝負は五分五分だった。先に見つかったほうが森の意識を集中させ、確実に、腹を満たさせることになる。無地名藻たちの触手はおそろしく素早いのだ。しかし、村を、威歩を守るためには、あきらめる訳にはいかない。
少女は心の準備が出来たことを伝えるために背後を振り返った。ところが、仲間たちはあらぬ方向を凝視している。
少女は仲間が見つめている方向へ顔を向けた。
「久しぶりだね、鏡菜さん。いや、今はキョウナさん……か」
誰だこの異生物は?
人間と似てはいるが、肌の色素が薄く、瞳は黒く、また、身体も柔弱な感じの変わった男の子が、いつの間にか立っていた。言葉に悪意は感じられない、むしろ、その逆だった。しかし、彼に警戒心を抱かないのは、それだけではない。得体の知れない熱いものが、心の中に渦巻いているからだ。
「やっと完成したんだけど、いやはや、変な世界だ」
言っていることも理解できない。
「ここは危険よ。早く村の中に避難して」と、警告する。
「危険って、あれのことかい?」
男が親指を背後に示した瞬間、樹木を押し倒し、四本脚で煙を上げながらやってくる五武輪たちが姿を現した。全身を覆う角が、光を反射して、血を欲しがっているように見えた。
「門を閉めて!」
「心配はいらないよ、キョウナさん」男はそう言って笑顔を浮かべた。
「どういう――」そこで言葉が途切れた。男の姿が、眼前になかったからだ。
男は、瞬時に五武輪たちの前に移動していた。
両手を広げ、迎え討つようだ。アホだ。五武輪の体躯は四メートル強、とてもふんばれるものではない。その辺の巨木ですら、簡単になぎ倒されるのだ。この異生物は無謀だ。だから少女は警告した。
「五武輪たちには無数の仲間たちが命を枯らされている。その中には歴代の戦士も含まれているのよ。バカな考えはやめて、早く逃げて。鋼よりも硬い角に、串刺しにされるわ!」
「硬い角、というのは」そこまで言って顔だけをこちらに向ける男。「これのことかい?」
眼を疑う現象が起こった。
五武輪たちが戦意を失い、また、他を痛めつけるためだけに進化した全身から伸びる角が、四誰夜凪の枝のように萎れてしまったのだ。
とても信じられない光景だった。過去の記憶を探ってみても、全世界でこのような現象は起こったことがない。
キョウナと呼ばれた少女がどうしたらいいのかわからなくて立ちつくしていると、背後から歓声が沸き起こった。
『亜堕夢! 亜堕夢! 亜堕夢!』
キョウナは、キッと眉をよせて声を張り上げた。
「亜堕夢がこんなに軽そうな男ではない。世界の創造主であり、指導者であり、威歩と対となる大いなる存在などでは、決してない!」
「まあ、それは、当たっているよ。ボクは亜堕夢なんかじゃない」
少女は跳び上がった。先ほどまで数十メートル以上離れた場所に立っていたはずの少年が、瞬く間に移動していたからだ。
「キョウナさん」
亜堕夢と連呼されている少年が優しく言う。
「君だけは、思い出してほしい」
少年がふところから小さな石を取り出した。あやしく光を放ち、彼の手を、包み込んでいる。淡い光、キョウナは何故かその石に魅入られてしまった。
「ボクのわがままだということは百も承知だ。でも、これだけは……いや、これだけを、ボクは求めていた」
石の光が強くなる。
「完璧な世界、未来、報われる努力、情熱、そんな道を、やっとボクは、見つけた」
強烈な光が、少女の視界を覆った。
つづく




