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第八章 ナノマシン その6

     6 『月葉 戦郁のターン3』

透明(とうめい)》――それは視界には入らないが、存在は見える。いや、見えないことが見えるのだ。

 地球では遠くに映る何らかの景色で《透明》が終わる。空、雲、山、建物などなど。他の何かに遮断される。《透明》は光などの電磁波はとおすが、他は無理なので仕方がない。


 もしも障害物がなければ、《透明》はどうなるのだろうか。しかも平面で。


 ボクはそれを目の当たりにしている。


 何と言うことだ。上下も左右も何もない。どこまでも広がる空間。不安の底に落ちそうだ。宙に浮くボクの身体が、《透明》の一部になってしまいそうだ。肉体が溶け、色をなくし、この世界の一部に、そう、自分が透明になりそうだった。

 脳が、透明を受け入れきれない。


 お~い! 叫んでみる。そうしなければ狂ってしまいそうだった。音が、はるかな空間に吸い込まれて消えた。


 能力を発動させてみる。能力だけが瞬間移動した感じがしてこの身は動かない。

 気力も希望も霧散(むさん)し、残るのは恐怖心のみ。

 そしてひとつの答えが見えてきた。

 ここは、あの世なのだ、と……。


 ボクたちは大爆発に巻き込まれた。ボクという存在はボクという肉体から強制的に排除されたのだ。おそらく、鏡菜たちも同じ状況かもしれない。

 時間の経過がわからない。包囲する赤ん坊たちが宙に浮いて破裂してからどれくらい経ったのだろうか。

 時間の影響を受けるのは肉体のみ。精神と魂だけの存在になったボクには、もう、なにもわからない。


 死とは孤独。なるほど、死の謎が解けた。

 ならばこのまま待ち受ける運命に身をゆだねようと思った。思考を働かせていたら、気が、狂う。シャットアウト。それがボクには必要だった。

 しかし眼を閉じる瞬間、ボクは見た。カッと眼を大きく見開き、こちらへ向かってくる影を凝視する。


「君の能力を少しの間だけ封印している」


 男だった。ボクの目の前に来てとまる。さらさらの髪が眼を半分だけ隠し、色の白い奇麗な男。ボクはこの人を知っている。見たことがある。

 月葉戦郁だ!

「ずっと待っていたよ、風太郎くん」

「ああ、やっぱりボクは死んでしまったんですね。だって、こうやってあなたと出会っているんだから」

「はははは」ボクの死に笑っている? なんだこの男。「いや、君は死んではいない。《狭間(はざま)》に迷い込んでいるだけだよ」

「狭間?」

「そう」戦郁が両手を広げ少しだけ上昇した。「風太郎くん、君の推理はもう少しのところまで迫っていた。だけどね、時間という概念を信じている以上、とうていたどり着けるものじゃない。かといって、光、つまり、光子(フォトン)やら超光速粒子タキオンの謎を看破したとしても、ここにはたどり着けなかった」

「看破どころか、なにを言っているのかさっぱりですが……」

 戦郁がボクを見下ろし、今度は遠ざかった。

「ミンコフスキー空間、チェレンコフ光、それらに捕らわれていては無理なのだ。何故ならすべては人間が考えたこと。真理から遠ざかるのが道理。元からある本質を見つけなければならない。君は、君だけは、無意識のうちに近づくことが出来た」

「それが、扉の間?」

「そうだ」戦郁がボクの前に移動し、始めの位置に戻ってきた。「物質には確かに時間という言葉が関係してくる。しかしだ、風太郎くん、精神体には、時間が、影響を及ぼさない」


 ボクが瞬間移動の能力を持っていなければ、とうてい信じられる話ではない。戦郁を頭のおかしいやつ、もしくはボクの頭が狂ってしまったと思っていただろう。

「みんなは私の能力を勘違いしていた。予知ではなく、《狭間》に身を寄せることができたんだ」

「それがどうして予知とつながるんですか?」とは言ったものの、ボクも薄々気づいてきた。この空間が持つ本当の意味、そして、利用方法を。


「言ったはずだよ。時間という言葉は存在しない。わかりやすく説明しよう。《今》は、存在しない」


「こうして、戦郁さんと会話をしているのが、今、じゃないんですか?」

 戦郁が微笑を浮かべた。その顔……少し栄さんと似ているな、と思った。

「今の会話、もう、過去に流れているじゃないか」

 確かに……だけど、会話をしているというこの場が、今じゃないのか?


「風太郎くん。君の言いたいことはわかる。だけどね、こうやって私と出会い、語り合っている時間を大まかにくくっているだけなんだよ、君が勝手にね。本来の時間というのは、君がくくった《私との会話》とは関係ない。例えば、私と出会ったときがAとしよう。私と別れるときがBだとする。そこで君はA~Bの区間を《今、会話をしている》と言う。時間の本質とは、そうじゃないんだ」


 ボクは黙って聞いている。反論はしない。なんとなく、彼の言っていることをつかんできたからだ。


「例えば、風太郎くん自身が時間という存在だとする。じゃあ、赤の他人がシャワーを浴びている間を、勉強している間を、映画をみている間を、彼らは《今、シャワーを浴びている》《今、勉強をしている》《今、映画をみている》と言うが、君からすればそんなのは他人が行動を起こしている間のことを勝手に《今》と言っているだけのこと。本来の時間とは未来か過去しかないんだ」


 彼の言っていることはわかる。そして、あることに気づく。

「ボクの能力って……もしかして」あたりを見渡す。どこまでもつづく透明。顔がぐるりと回り、戦郁と眼が交差した。彼が頷く。


「そのとおりだ。君の能力とは空間を飛ぶのではなく、時間を飛び越えるのだ」


 空間ではなく時間。地点ではなく時間。場所ではなく、時間。そういうことだったのか、と感心したところで思いつく。

 過去か未来しかないのだとしたら、ボクの能力を使って試したいことがある。


 ベイビー・ドライブの根絶。


 そもそものきっかけとなった場所……まひるが豹変した瞬間へ飛び、回避させればいい。なかったことにすればいい。

 ここで戦郁が眼を細めた。ボクの心を見透かしているようだった。

「私の思考もそこに帰結したからわかる。しかしだ、風太郎くん。ベイビー・ドライブの発生を止めることは不可能だった。姿を変え、形を変え、かならず、起こる。私の能力は《視る》こと。さまざまな過去、無数の未来を視てきたが、一番いい解決策が、これだったんだ」

「ボクは実際にその場に《行く》ことが出来る。ボクなら変えられる」

「君の姿をいろんな時代で何度も何度も目撃した。未来を変えようと必死だった。だけど、無理だった。無事にとは言わないけれど、最善の未来にするには、君を月葉家に招き、こうやってこの場所で回合(かいごう)することが、どうしても必要だった。自殺劇は、すべてがここにつながっている。つらい道を歩ませてしまって申し訳ない。仕方がなかったんだ」

「自分が死んでまでも、未来を変えたかった気持ちには感心しています。でも、ハンコさんと妹には、真相を知らせておくべきだった。あのふたりが、どれほど哀しんだことか……」

「ハンコは、ボクの意思を汲み取ってくれたよ。彼女が私の後を追って死ぬことも知っていた。死ぬ直前、笑顔を浮かべたはずだ」


 確かに、そうだった。陽に殺される瞬間のことを思い出す。


「ハンコという存在を、君は必要以上に意識するようになった。そのことがどうしても必要だった。名探偵は、虎乃新でも要地でも里晶でもいけなかった。君でなくてはならなかったんだ。しかし、唯一の悩みが、栄だ。彼女が生き地獄を味わうと、私は知っていたから」戦郁が大きく息を吐いた。「だけど、どうしても、知らせることは出来なかった。理想の未来が変わってしまうからだ。そこでだ、風太郎くん。無理を承知でお願いしたい。栄を、選んでくれないか?」


 ボクは首を横に振った。悩まなかったことにボク自身おどろいた。


「ボクが鏡菜さんを選ぶと、知っていたはずです。それもそうですよね。だって、鏡菜さんたち四人は、男……戦郁さんに好かれるように、選ばれるように、教育されてきた。自分に惚れさせるために、性格付けされた。彼女と身近に接して、好きにならない訳がない。好きにならない男は存在しない。そういうふうに育てられたのだから。不思議に思っていたんです。あの虎乃新が、要地が、こうもパートナーに惹かれるなんて。ボクも例外ではなかった。しかしそれも、あなたは知っていたはずです」


「知っていたよ」戦郁が優しい微笑を浮かべた。「だからこうして、私たちは出会っているんじゃないか」

「あなたは、生きているんですか?」

「肉体的には生きてはいない。死の真理についてここで論じる時間はない。君は今……ここではあえて《今》と表現しよう。今、爆発に呑み込まれているはずだ。鏡菜たちを救えるのは、君しかいない。それも全員だ。どういう意味か、わかるかな?」

 ボクにはもう、すべてわかっている。自分の能力のすべてが。

 空間にいくつもの扉を出現させた。それらを一瞥し、ボクは戦郁に向きなおった。

「最後にひとつだけ質問があります。鏡菜さんに渡した指輪の裏に書かれていたイニシャル、M・Kって、ひょっとして……」

「答える必要はない。もうわかっているはずだ。それよりも最後にひとつだけ伝えなくてはならないことがある。それは、まひるが語っている私の名前だ。それは、ウソではない。間違いではない。真実なのだ。その理由を考えろ」

 新たな謎が浮上した。だけどその謎は謎にすら値しない。


 三道とまひるの言葉を考えればわかること。


 すぐに解けた。


つづく

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