第八章 ナノマシン その1
第八章 ナノマシン
1 『010110011101101のターン』
一度も海を見たことはないが、そうかここが海だ? と思うには十分な理由がある。
流れる水。
無数の微生物。
そして、塩分。
いつから漂流しているのか、記憶にはない。ここは暗黒の世界。ここは流動する世界。ここは温かい世界。静寂に包まれている訳ではない。一定の間隔でなにかを叩く音が響いている。
ドドン、ドドン。
俺はその音に耳を傾けながら、どこまでもどこまでも流されている。
ひとつだけはっきりしていることがある。それは――
腹がへった。
近くを行く微生物を捕まえた。流れついた先で口に入れられそうなものをかたっぱしから食した。水もたらふく飲んだ。
しかし満たされないのだ!
思考も脆弱なものになってきた。朦朧、という言葉を、初めて身にしみて知った。ドドン、ドドンが、遠ざかって行く。いくつもの漂流物に身体を叩きつけられ、岩にぶつかり、満身創痍になっていると、狭い空洞に呑み込まれた。流される速度が増す。いよいよ、俺の人生もおしまいか、とあきらめかけたときだった。
ドドン!
(アンジェリーナハサウェイ)
ドドンにかき消されてなにを言っているのかわからないが、俺は、何者かに助けられたのだ。
ドドン!
(ジョニーピット)
ダメだ。変な名前を言っているようにしか聞こえない。それにしても、遠ざかっていたはずの音が大きくなっている。否、大きいなんてもんじゃない。爆音だ。
この音はなんだ?
ドドン!
(クエンティンクルーズ)
ダメだ。話にならない。俺を助けたこいつの正体、ここはどこなのか、音の正体、知りたいことだらけなのに会話が成り立たない。
しかし早急に対処しなくてはならない現実がある。
のっぴきならない事態。
俺は腹が減っているのだ。
なんでもいい、食べ物を持っているか? ドドン!(マットラドクリフ)餓死寸前なのだ。ドドン! (渡辺忠信)食べ物だ、食べ物! ドドン! ドドン!
ドドン!
もういい。
俺は救世主であるそいつを食った。なんということだ。口に入れた瞬間、全身にチカラがみなぎってくるではないか。身体がこれを求めていた。欲していた。
救世主は真の意味で俺の救世主となった。
命を永らえたとき、ふいに、禍々しい気を放つ物体が流れてきた。俺はこいつを知っている。黒いオーラがこの海に侵入してきた瞬間から、俺は気づいている。しかし出あうことはないだろう。対岸の火事だと思っていた。だからなにもしなかった。ところがどうだ、俺の目の前に現れたではないか。
排除しなければ、と俺の脳が、全神経が叫んでいる、心が訴えている。しかし俺は動かなかった。何故ならば、この恐るべき異物が、ドドンドドンと鳴り響く騒音を、止めたからだ。
しかし、海が汚染されている。もう……手遅れだろう。
まあいい、と腹を満たした俺は冷静になって思う。何故なら、俺はこの海の中から脱出するからだ。閉じ込められたまま、餓死してたまるか。
海なんか嫌いだ。かならず、出てやる。
おや、また、何者かが流れてきた。今度は異物から逃れるように急いでいる。それを見て俺の喉が、ゴクリ、と鳴った。
つづく




