第六章 ベイビー・ドライブ その6
6 『風祭 風太郎のターン4』
ボクは三道を戦郁の部屋に置いて飛ぶことにした。俺も連れて行け、と命令するけどキノコの前では敵になるらしいので承認しない。飛んだ先は月葉家の中でしっかりと記憶している四階。そう、キノコと三道がいた場所。一気に蘭松の部屋へ飛びたいけど間取り図なんかわからないから無理。
マングウが廊下に立っていた。なんでまだこんなところにいるの? と驚いたけれどパリッとしていたスーツがボロボロの穴だらけになっているので言葉を飲み込む。
「マングウさん、無事ですか?」
ご心配おかけしました、と答えたマングウの腕には、ぐったりとうなだれたキノコが抱かれていた。
「鏡菜さまたちは先へ行きました」
「そうですか。では、いっしょに行きましょう」
「申し訳ございません。私はもうしばらくここに……」
「え……」このとき、鏡菜の精神世界でのふたりの関係を思い出し、「そうですね。もう少し、キノコといっしょにいてあげてください」と言った。
涙を流すマングウ。でも、いつまでもマングウにかまっている訳にもいかないので、ボクは先を急ぐことにした。それに彼は今、独りのほうがいいだろう。
崩落している階段を文字通り飛び越え、炎を上げる廊下をすり抜け、ある部屋の前で止まる。扉は崩れ、中が見えていて、そこに鏡菜の姿を発見した。
ボクが一歩室内に足を踏み入れたときだった。
栄を守るように立っていたミミが、破裂したのだ。
「ああ、ミミ、ミミ!」
上半身と下半身が離れたあと、ミミは最後にこう言った。
「未来を、お願いします……」
ボクは言う。「なんだよこれ、おかしいだろ」
続いて鏡菜も言う。「赤ん坊だけ……じゃないのか?」
栄が叫ぶ。泣き叫ぶ。ミミ、ミミと連呼する。
ベイビー・ドライブ。赤ん坊。幼子。子供。小児。五、六歳くらいまでの子が爆発するのではないのか? だからベイビーと呼ばれているんじゃないの?
それらの疑問をまひるが払拭する。
「やっぱりあなたたちはアホね。思い込みが強すぎる。でもまあ、それを利用したんだけどね。実はね、子供だけじゃないのよ、大人も合わせて、全世界十億人ほどの人間にナノマシンを仕込んであるの」
不可能だ、とボクは思った。まひるは生まれてから三、四回しか山を降りていないと聞いた。それ以外はずっと月葉家に、この山にいたのだ。そんな彼女が、世界中の人間にナノマシンを植えつけることは不可能。もしも仮に、夜間だけでも、知られず山から出ていたとしても、そんなわずかな時間では無理だ。しかし、とここでボクは自分の疑問を振り払う。嘘偽りなく、実際にベイビー・ドライブは始まったのだ。説明できるできないじゃなくて、可能性、トリック、仕掛けやからくりを見抜かなければならない。だけどそれらを紐解いていく時間はなかった。怒号、絶叫、悲鳴が偕下から響いてきたからだ。逃げ惑っていた使用人たちがUターンして上にのぼってきている。
子どもたちがついに、ここまでやって来たのだ。
轟く爆音。揺れる城。
月葉家はもう、崩壊する。
「栄さん、ここはもうダメだ。場所を変えよう」
栄を非難させようと近づく――はずだった。ボクは場所を移動していなかった。どうしてだ? と戸惑っていると、まひるが高笑いした。
「驚いた? そう、蘭松の能力を使ったの」
その横で、蘭松が音もなく立ち上がった。
「……おじいさま?」
「違う、あいつはもう……」
歩きだそうとする栄をボクは制した。
「うむ。ナノマシンに支配されておるのだろうな」
とにかくここは時間を稼ごう。そうして、対策を練ろう。
「高谷さん、どうしてこんなことを!」
栄が非難する。
「だから私は戦郁だって、まったく。まあいいわ。蘭松はどうしても手に入れなければならなかったの。彼の能力を得て、改良して、ちからを増す必要があった」
「どういう意味だ?」
鏡菜が興味を示す。
「蘭松ってね、相手の思考、感情を変えて、なかったことにしちゃうでしょ、その仕組みを知っているのは誰もいない。だけどね、私が植えつけていたナノマシンが一部始終を目撃したのよ。驚いたわ。彼はね、実際に過去へ行っていたの。つまり、タイムスリップ。それともうひとつ、言霊。蘭松はふたつの能力を持っていた。つまり、時間をさかのぼり、言霊を使い、過去を書き換えた」
ボクは栄の元へ近づこうとして、それが出来なかったのだからまひるが言っていることは事実だろう。そうすると、もっと恐ろしいことが考えられる。この不安が的中しているならば、最大の敵は、蘭松だ!
「風祭さんは気づいたようね、そう、あなたたちの出産に立ち会い、《産まれた瞬間息を引きとる》という言霊を発動すれば、今のあなたたちの存在自体、消滅するわ」
「待て」今から質問しようとしていることはとても信じ難く、とても、許せないことだ。しかしボクはどうしても、その真実を聞きださなければならない。それが、ベイビー・ドライブの秘密につながるからだ。
「蘭松の能力を使って、どこまで、さかのぼった?」
茫然としている鏡菜たちに代わって、まひるはもう一度笑った。
「やっぱり、アホみたいな顔をしているけど頭がいいわね。教えてあげる。そう、風祭さんの想像通り、江戸時代よ」
ここで鏡菜と栄も気づいたようだ。
まひるは江戸時代に行き、猫を使い、ナノマシンを月葉鉄心に植えつけた。彼と接するものに次々とナノマシンを感染させていき、そうやって、世界中の人々に侵食させて行ったのだ。
「脳をちょっといじってね、能力者を増やしていったの。そうしないと、今の私たちがなくなるでしょ」
ここでボクは、まひるはなんで手の内をこうベラベラと明かしているんだ、と疑問に思った。実はバカ? いや、そんなはずはない。ここにいる誰よりもIQは高いはずだ。何かある。それは何だ?
時間稼ぎ?
そうだ、時間稼ぎしか考えられない。じゃあ、何故、そんな行動を取っているのか。
『独立行動は、一分ほど、と聞いたことがある』
三道の言葉を思い出した。
ミミは簡単に爆破された。だけど、栄、鏡菜、そしてボクはどうだ、無傷じゃないか。まあまひるにとって、栄と鏡菜はそれぞれに情や思い出もあるだろうからわかるけど、ボクには何もないはずだ。邪魔ならミミみたいにすでに吹き飛ばしているはずだ。何故ボクは爆破されていない? 簡単だ。ナノマシンが侵入しておらず爆破できないからだ。
まひるは会話で時間を稼ぎマシンをこちらに向かわせているのだ。
右眼を閉じる。するとどうだ。床を這いまわる銀色の小さな虫たち。マシンがそこらじゅうを埋め尽くしているではないか。うじゃうじゃと、うじゃうじゃと……。
今すぐ逃げようと思ったけれど、無理だと思いだした。すべては蘭松の能力が原因。逃げよう、という感情も消されてしまう。
「鏡菜さん、蘭松を先に倒さないとダメだ」
だからそう提案する。
「うむ。ワタシもそう思うが、先ほど《驚いた? 過去を変えたのよ》という言葉の意味が解けていないのだ。だから迂闊に動けない」
それを聞いてボクは、え? と思った。
鏡菜は、『これから取ろうとしていた行動を改ざんされたことにすら気づいていない』
ここでピコンと閃いた。
左眼だけであたりを見渡す。ナノマシンの群れが迫っているが、まだ、ボクたちに到達していない。しかしすぐ目前だ。残された時間は少ない。猶予はおそらく三十秒。
この三十秒で、蘭松を倒さなくてはならない。
ナノマシンは遠く離れた地でも効力を発揮している。だから赤ん坊たちは秩序ある行動を取っているのだ。つまり、どこかへ蘭松を飛ばしても無意味ということ。その場所から能力を使われる。しかしボクにはある考えがあった。こうしていてもただ死を待つばかり。一か八かだ。消去法だ。これがダメなら次を考えればいい!
ボクは行動を起こした。
蘭松の前に移動する。触れる。その瞬間、彼は消えた。
「無駄よ。蘭松、過去を変えて……蘭松……?」
「成功」表情を曇らせるまひるにボクは明るく言った。「考えていた通りだった」
「何を……したの?」
「ボクの能力は、空間をねじまげて遠く離れた場所への扉を開く。それをくぐりぬけて空間を戻せば瞬間移動する。一枚の紙を折り曲げて反対側に飛び移ってまた紙を開くようなものだ。じゃあ、空間と空間、紙と紙の間、つまり、扉の部分はどういう仕組みになっているのか、答えは《無》。もしかしたらボクの推理は間違っているかも、と懸念していたけど、過去を変えられないというこの事実が、正しかった、と証明してくれた」
しかし、まひるから驚いている様子は感じられない。それもそのはず、蘭松は、数多くいるコマのひとつでしかないのだ。しかも蘭松を手に入れてベイビー・ドライブを引き起こす種を植えつける、という果たさなくてはならない目的は達成されたのだ。過去を変える。その能力は魅力的だ。しかしまひるは、自分の能力はそれ以上だと考えているのだろう。だから持てる自信。ボクは、蘭松が消滅したからといって、危機から脱してはいない、と悟った。
「これは……心羅さん?」
まひるの注意が逸れ、あらぬ方向を見つめながらそう呟いた。その隙をボクは見逃さず、鏡菜と栄を連れて、飛んだ。
☆
まひるは、三人の姿が消えた空間に視線をやった。しかし、追おうとはしない。その前に考えなければならないことがあったからだ。
「風祭風太郎……何故、彼を爆破出来なかったの?」
彼の能力は先天的なもの。危険人物のため、不動明王の前で椅子に縛られているときに、マシンを侵入させた。しかし、いつの間にか、消滅していたのだ。
それはいつだ? 何者かによって消されたのは間違いない。
ナノマシンからの発信が途絶えたときの前後の記憶をたどれ。かならず記録として残っているはずだ。
ああ、あった、あのときか……。
心羅さん、あなたの能力も困ったものね……。
つづく




