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第五章 蜜神彩菜 その6

     6 『蜜神 彩菜のターン3』

 意識のない鏡菜とただの無防備な高校生であるボクのふたりでこの得体の知れない世界から無事に帰ることが出来るのだろうかと弱気になっていると、閉じられたドアの向こうからドドンドドンと地響きが響いてきたので、彩菜の気持ちがボクに乗り移ったのか勇気が湧いてきてやっと脚を進めることが出来た。

 雪の振る森の中や岩穴でもなかった。ただただ一直線に続く、(かす)かに光る、線路。

 鏡菜の肩を抱き、ゆっくりと歩き出す。

「鏡菜、しっかりしろ」

 彼女はうつむき、無意識で脚を動かしているかのようだった。色は戻っていない。灰色のままだ。ボクの声が届いているのだろうか。わからない。それでもボクは声をかけ続けた。


「お母さんが今、君のために戦っているんだ。負けるな」


「月葉家を滅亡させるんだろ、思い出せ」


「ベイビー・ドライブを止めなきゃ」


「鏡菜!」

 反応は、ない……。


『走って!』


 彩菜の声が聞こえた気がした。立ち止まり、振り返るが、彼女の姿はない。気のせいか、と再び歩き出したとき、変化は起こった。


 すりぴたがりこん

 すりぴたがりこん


 いろんな音が混ざった音が、背後から響いてきたのだ。もう一度歩を止め、ゆっくりと振り返る。

 仄暗(ほのぐら)い線路の上を、何者かがやってくる。


 すりぴたがりこん


『そいつ』は、何者とも言えなかった。

 無数の腕、男女大小さまざま。無数の頭部、若い男女、老人、赤ん坊。無数の、長い短い太い細い脚。

 それらがひとつの肉体にぼこぼことくっついている。


 すりぴたがりこん

 すりぴたがりこん


 化け物が腕を伸ばした。老婆の腕だった。爪は大きく伸び弧を描いている。宙をかきむしり、ボクたちを捕えようともがいている。

「走るんだ、鏡菜」

 ボクたちは走った。それと同時に怪物も速度を上げた。


 すりすりぴたぴたがりがりこん


 すぐに追いつかれた。怪物の息も感じられるほどに。どう対処すればいいのか検討もつかない。おばあちゃんの腕は細いくせに筋肉がもりあがり太い血管も浮き出ている。見るからに強そうな腕。人差し指だけで首を切断されそうな感じだった。

 道はまっすぐに伸びる線路のみ。逃げきる、自信はなかった。

 ちょっとだけ、男を見せるか、とボクは鏡菜から離れ、怪物と対峙した。

「時間をかせぐから、鏡菜は先に行ってくれ」

 どさり、と何かが倒れる音が背後から響いてきた。鏡菜は、進むことなくその場に倒れたのだろう。しかしそれも予期していた。自力では走れないだろうなと予想していた。仕方ない、この怪物と最後まで、どちらかが動けなくなるまでやり合うか、そう観念したところで、ボクはあることを思い出した。


 彩菜から受け取ったボール。ボールをどう使えばいいのかわからない。だけど、何かにすがりたかった。きっと何か仕掛けがあるに違いない、そう信じたかった。否、ボクに残されたのは、これだけだったのだ。

 迫る怪物。

 時間をかせぐとは言ったものの、無理だと思った。ごぎごぎときしむ老婆の指、それとは別に、屈強な男の腕も伸びてきた。

 こめかみから汗が垂れる。

 まともにやってはダメだ。手も足も出ないだろう。だからボクは――

 白いボールを上空に放り投げた。


 その刹那、まばゆい光が《すべて》を、覆った。


 怪物が、溶けた。否、怪物だけではなく、この鏡菜の精神世界自体が、溶けた。見えないはずの大気も溶けたとわかる。

 ボクは鏡菜を起こして肩に抱いた。前へ、ひたすらまっすぐ。走りながら、ボールの正体をボクはなんとなく悟った。

 千手(せんじゅ)観世音(かんぜおん)菩薩(ぼさつ)像の持物(じもつ)かもしれない。持物とは千手観音が人々を悩みや苦しみから救うために手にしているアイテムだ。四十以上もある持物のひとつ、日精摩(にっせいま)()だろう。日輪(にちりん)ともいう。闇を照らす効果をもつのだが、このボールはそれだけではないようだ。日輪と対を成すアイテム、月精摩(げっせいま)()(がち)(りん)のちからも合わせ持っているのかもしれない。月輪の効果は、『清らかさが得られる』だ。つまり、線路だけが浮かび上がっているこの場所を《照らし》、邪悪を《清めた》のだ。


 壊れてしまった鏡菜の深層真理。

 他人の精神が混ざった汚れた所。

 だから崩壊し、元の形を取り戻そうとしているのかもしれない。

 ボクは自分の手を見た。皮がめくれている。やはり、と思う。

 つまり、ボクもまた、異物、なのだ。


 走る。背後を振り返らずにただ走る。出口などどこにあるのかわからない。もしかしたら、ないのかもしれない。だけどそんなことは考えず、ひたすら脚を動かし続けた。

 背後が明るくなっているのがわかる。光が、追ってくる。邪を祓う光がこんなに恐ろしいと思ったことはない。生まれて初めての経験。ボクは、暗闇に向かって走り続けた。そして、転んだ。ボクの横をずざざざざと転がる鏡菜の姿が視界に入った。ごめん鏡菜もうダメだ、そうあきらめたとき――


「迷惑をかけたな、風太郎」


 上から目線、年寄り言葉、ボクは、泣きながら笑っていた。

 そのとき、光に全身を包まれた。


「コウタニちゃん、おはよう!」「高谷(たかや)だって、まったく」「ココロちゃんがね、ケガしたんだ。今、タマコちゃんが診てるんだよ。早くおいで、ワタシたちも手伝いましょう。ちょっと大変みたいなの」「うそ! あんたがそんな悠々としているから気づかなかったじゃない。何があったの?」「わからないけど、タマコちゃんの様子から、きっと普通じゃないと思う」「わかった、急ぎましょう、塊子だけじゃ心配だわ」

「ワタシね、コウタニちゃんたちと出会えて、本当によかったと思っているの。みんながいなければ、きっと……」「それは私たちも同じ考えよ。これからも、ずっと、よろしくね」

「うん! ずっといっしょにいましょう」

 研究室だろうか。幼い鏡菜たちの明るい笑顔。

 おそらくこれが、鏡菜にとって、最後の笑顔になったのかもしれない。


 とにかくここは身をま………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………は…もちろん、と答えた。


「ご無事でなによりです。お帰りなさいませ」

 マングウの声で眼を覚ましたボクはベッドの上で天井を眺めていた。

 精神世界から脱出する直前の記憶があいまいなので、自分の置かれた状況を把握するのに少し時間がかかった。鏡菜の顔が脳裏に浮かぶ。そのことによりボクは覚醒した。

「鏡菜、大丈夫か?」

 彼女もまた、ベッドで横になったままだった。

「ワタシは大丈夫だ。それより……」

 その言葉でボクは彩菜を思い出した。ボクを導き、ボクを救い、ボクを頼り、ボクたちを守ってくれた彩菜さん。

 鏡菜が寝ていたベッドを通り過ぎ、彩菜が寝ているベッドの側へ。彼女の手を取ったときマングウが言う。

「彩菜さまは最後のちからをふり絞り、鏡菜さまを助けました。次に潜ったら、精神が持たないと知りつつも、です。彩菜さまは、天寿を、まっとうされました!」

 ボクは怒りを抑えきれずに反論する。

「なんでもう終わりみたいなこと言うんだよ。彩菜さんの精神は鏡菜の(なか)に残っているだけじゃないか。連れ戻そう」


「偉大な……お方でした……」こらえきれず、マングウは涙を流している。

 鏡菜が寄ってきてボクを背中から抱いた。そのままのかっこうで彼女は言う。

「どうやって? ワタシは自分で自分の精神世界に潜ることは出来ない」

「月葉家の使用人は? あれだけ能力者を集めているんだ、ひとりくらい――」

「いない」鏡菜は小刻みに震えていた。背中に、それが伝わる。「それに、母はもうワタシの内にも居ない。汚れた闇とともに、消滅した。感じるのだ。心のどこにも、いないと」

 鏡菜の抱くちからが強くなった。それで、すべてが真実だと、確信した。


 鏡菜の屋敷の裏に木々が切り取られた円形の広場がある。そこで、ボクと鏡菜とマングウの三人によってしめやかに葬儀が執り行われた。

 帰り道、ボクはマングウにそっと耳打ちした。

「あなたとキノコの過去の映像を見て、先ほどの涙で、マングウさん、あなたを信じよう、そう、思いました。実を言うと、あなたを月葉家のスパイじゃないか、と疑っている部分がありました。すみません」

「風太郎さま」マングウは先を行く鏡菜の背を見つめながら言った。「信じる信じないはどうでもいいのです。ただ、私は仕えるだけですので」

 そのとき鏡菜が立ち止まり、振り返った。その眼には決意が宿っていた。

「失うものはなにもない。すべての元凶は月葉だ。いよいよ明日、決行するぞ」


 彩菜は、その短い人生で、ボクらになにを残したのだろう。

 それすらもわからない自分に、情けなさを感じる。


つづく

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