第一章 蜜神鏡菜 その2
2 『風祭 風太郎のターン2』
床の上でうずくまっていた要地がスーツ男に抱えられて椅子に座らされた。それからまた手足を縛られる。それを見てボクはおかしいだろ、と思った。要地はもう自力では動けない。それなのにどうしてまた拘束するのだろう。彼の様子をみると逃げる体力もたてつく気力もなさそうだ。眼光こそキノコに注がれているが、気合だけではどうすることも出来ないダメージを受けている。それほど弱っているのに何故また動けなくする必要があるのだろうか。ひとつ、思い当たることがある。しかしそれを受け入れることは出来ない。あまりにも恐ろしいからだ。
「お待ちしておりました」
キノコが入り口に向かって慇懃に頭を下げた。彼女が口調をあらためるということは、相応の身分の持ち主だろう、と気構えたが、入ってきたのは高校生くらいの四人の少女たちだった。
ひとりは肩にかかる程度の赤い髪をした女。何も描かれていないキャンバスのように無表情だった。
ひとりは短く刈り上げた黒髪の女。持って生まれた自信なのだろうか、自然な微笑が浮かんでいる。
ひとりは大きな赤ぶち眼鏡をかけたツインテールの小柄な女。その手には白いペンギンのぬいぐるみが抱かれている。ある方面には絶大な人気をほこるだろう。
最後のひとりは胸まであるカールした白髪の少女。落ちつきなく視線を左右に走らせている。クラスにひとりかふたりはこういう落ちつきのない子いるな、とボクは思った。
四人がキノコの横にずらりと並んだ。
これから何が起こるのか、要地の状況を見て不安がさらに増大する。
やっぱり拷問か! いや、まさかそこまではしないだろう、お願いします考えが間違っていますように、と祈ったところでキノコが声を高らかに言う。
「我々、月葉一族が信仰する大日如来の御遣いであられる不動明王をお守りする四門。朱雀門、玄武門、青竜門、白虎門。くぼちのある朱雀、丘陵のある玄武、流水のある青竜、大道のある白虎をもって死門を封ずる。四神相応、これすなわちこの地のみならず、地球を守る地相なり。我々、月葉一族は四人相応を持って平和を維持するものなり」
えっと、意味がわかりません。このおばあちゃんはイヨイヨ頭がおかしくなっているのでしょう。だけどボクは怖いので黙って聞いていた。
「彼女らは、それぞれの四門を守る当主であられる」
「オレたちを拉致したということは、なにか、異変が起こっているのか? そうか、オレたちの能力を利用しようとしているんだな」
虎乃新ががまんしきれずに質問する。キノコの怒りにふれませんように、と心の中でボクは祈る。
「ふむ。おぬしはなかなか感がよろしい。まあ、その答えはおいおい知ることになるだろう」
「もういいかなキノコ」と短髪で黒髪の少女が一歩前に出た。「私さまは暇ではないしもう決めた。この男をもらう」
移動したのは虎乃新の前。彼女は一度、振り返る。
「どうぞ、陽ちゃんの好きにしたら?」とペンギン人形ちっちゃい少女が退屈そうに言う。
「はん、あんたらが否定しても譲らなかったよ」
もらう? 逃がさないために拘束しているの? これからどうするの?
ボクは隣にいる里晶に眼をやる。
「彼女たちのにおいもない。どうしてだろう。こんなことは初めてです」
ボクの意向をくみ取ってそう答えるけど……だめだ、この男つかえない。
陽と呼ばれた少女が右腕を上げた。虎乃新の顔がこわばる。逃げようともがくが、椅子がギギシシと鳴るだけでどうにもならない。
「私さまの名は心羅 陽。北の玄武門を守る者。お前の名は?」
「真戒虎乃新だ」
観念したのか素直に答える。
「これから私さまといっしょに婿修行だ。覚悟はいいか?」
婿修行? なにを覚悟するの? と考えていると驚くべき光景を見た。いや、驚いたなんて簡単には言い表せられない。驚愕だ。
うがああああああと虎乃新が叫ぶ。当たり前だ。びくびくと痙攣もしている。当然だ。
眼球をえぐり取られているのだから。
隣でガタンと音がした。顔を向けると里晶が失神していた。それもそうだろう。ボクたちも拘束されているということは、虎乃新のように恥ずかしい叫び声を上げて身体を震わせることになるはずだ。ボクも気を失おうかと思ったけど意識的に意識を刈ることなんて出来ないので里晶のことをうらやましいと思うだけで視線をまた戻す。
虎乃新の目玉は顔から離れ、ちょいいいんと変な細いのでつながっていたけどそれも陽にちぎり取られる。
反対側からも悲鳴が上がった。今度は要地だった。四人の中で一番おとなしそうだった白髪の少女が少しも躊躇することなく眼窩に指をつっこんでいる。
ボクの前にも少女が移動してきた。赤い髪の無表情女だ。
「ワタシの名は蜜神 鏡菜。朱雀門の守護者」などと儀式的なことを言っている。無駄だと思いつつもボクは一応言ってみる。
「見逃してくれない?」
「すまぬな。こんなことに巻き込まれて、哀れだとは思う」
それを聞いて解放するつもりはないと知る。
鏡菜の腕が伸びる。細くて白くてかよわい腕。ひんやりとした感触がボクのまぶたを刺激する。かなり痛そうだけど他の連中みたいに叫び声だけは上げない。ひいひい言う姿を見られたくないのだ。ボクは男だ。がんばる、と眼を閉じる。歯を食いしばる。
ふと、鏡菜が手を離した。指の圧迫がなくなった。
恐る恐る眼を開けてみるとさらに驚いた。
外?
ひゅうひゅうと熱い風がふいている。でっかいお城が山の中腹にそびえ立っている。江戸時代の武将が住んでいそうなお城。その真下にある二階建ての洋館。今までどこにいたのかな? と考えながらあたりを見回す。そこで、おおう、とまた驚く。椅子から解放されていたのだ。久し振りの伸び。きしきしとあちこちの関節が歓声を上げる。うはあとため息をついて観察を続ける。
眼の前の巨大屋敷を囲むようにして、離れた位置に四つの建物がある。洋館風の建物、技術の結晶のような機械的な建物、古き良き合掌造りの日本家屋、窓ひとつない円柱形の白い建物。頭上を見上げると斜め四十五度くらいにいよいよ本気を出そうとしている太陽が浮かんでいる。位置を確認してすぐにわかった。四つの建物はちょうど東西南北に建てられている。なるほど、四門だ。するとボクを選んだ鏡菜の屋敷は……げんなり、円柱形のいかにも人なんて住めなさそうな建物だった。研究所、うん、なんだか人体実験を行っている様相だ。中央の屋敷から少し下ったところに木々に隠れてひっそりと建っている。まだお城を見下ろす位置にある日本家屋のほうがよかった。おごそかに暮らせそうだ。しかし、あそこは北、陽という女の屋敷だろう。彼女は『婿修行をする』と言っていた。それから連想されることは、おそらくボクは鏡菜とともに修行をするはず。どんな修行かはわからないけれど、目ん玉をえぐるような連中なのだ、まともな修行ではないだろう。はっきり言ってイヤだ。そこでボクは、おや、と気づく。
どうやってボクは、屋外に出たのだ?
キノコの言葉を思い出すとどうやらボクには瞬間移動能力があるらしい。でも、自覚はない。自覚はないけれど実際にボクは外にいる。瞬間移動で? いや、無我夢中でキノコを蹴散らして三道という傷のある男もチョチョイとひねってこうやって外にいるのだけど逃げる途中頭のどこかをやられて一時的に記憶を失っているのだ。
決して逃げられないようなことをキノコおばあちゃんは言っていたけど、ボクは外にいる。
よし逃げよう。
駆けだそうとしたとき、ボクはある一点に視線を固定させられた。
それは洞窟のようだった。
南西の方角に小高い丘がある。その麓にぼっかりと開いた穴。防空壕のような横穴で、別にこれといって特徴はない。なのに何故、眼をそらせないのだろう。とても不思議だ。
ちょっとだけ、中を覗いてみようかな、と考えたとき、声をかけられた。
「答えは、YESよ」
驚きのあまりビヨンと飛び跳ねる。振り返るとそこには少女が立っていた。腰まである長い黒髪。鏡菜とは違い、こちらはさらに病的な肌の白さを持っていた。細い杖を前方に伸ばし、左右にゆらゆら揺らしながら近づいてくる。顔を見ると、眼をつぶっていた。
「見えないの?」
ぶしつけな質問だったけど、頭が真っ白になっていたので思わずそう言っていた。しかし彼女はイヤな顔をせず、口元に優しい微笑を浮かべながら、ええ、と答えた。
手をかそうと一歩前に踏み出した。その瞬間、ボクは見た。
盲目の少女の影から妙な液体が飛び出し、ぐにぐにと動いたかと思うと、あっという間に黒スーツの女へと変貌したのだ。スレンダーな女性で眼にはサングラス、長いであろう髪の毛は後ろで縛られている。大人の魅力を持った女性だなあ素顔を見てみたいなあなどと考えている余裕はなくて女性はボクに手刀を繰り出す。
手刀……①空手の技のひとつ。四指を密着させ、親指を曲げて手のひらにつけて、小指側で攻撃、または防御を行うもの ②漢字にするとすぐ伝わるが、言葉だけだと、『お酒のおつまみ?』などと返される可能性もあること
「大丈夫、心配ないわ」と少女の言葉で手刀は空中でぴたりと止まる。もしもそのまま振り下ろされていたらボクはどうなっていたんだろう、と考えているとスーツ女はすすすと少女の背後にまわる。一難去ったところでボクは言う。
「さっきの、YESの意味は?」
「うふふ。そのうちわかるわ」
「で、君は?」
「月葉 栄。これからよろしくね、風祭さん」
ボクの名前を知っていることにボクは驚かなかった。ここでは常識は通用しないのだ。そんなことより彼女の笑顔に魅了された。繊細という言葉は彼女のために作られた言葉ではないのか、と思うほど繊細さが自然とにじみ出ていた。男なら誰でも守ってあげたい、と思うだろう。可憐、そうだ、可憐という言葉のほうがしっくりくる。盲目で、弱々しくて、それでいて可憐、恋愛感情とかはぬきにしても、ほっとけないでしょ。だからといって心から信用はできない。何故なら、ボクたちを拉致してあげくの果て目玉をくりぬくような連中の仲間なのだ。しかも月葉と名乗った。警戒だけは怠ってはならない。
とりあえず今一番気になることを口にする。
「あの洞窟は? なんでだろう、すごく気になる」
「御魂石が眠る祠」
「御魂石?」
「月葉家が代々守り続けている大切なもの」
「見てもいい?」
「やめたほうがいいわ、今はまだ」
「不思議なことを言うね、君は。じゃあ、その時が来たら、連れて行ってくれる?」
「もっとゆっくり話していたいけれど、どうやら時間が来たようです。最後にこれだけは伝えておくわ。あなたは警戒心が少なすぎます。いいえ、恐怖心が薄い、と言ったほうがいいでしょう。あなたの能力が、そういう性格にしてしまったのでしょうが、気をつけてください。これから先、近い未来、命をおびやかすほどの危機に見舞われます。あなたの能力を持ってしても、回避できない危機に――。どうか気を引き締めていてください。それではまた会いましょう、風祭さん」
ええ? もう少しいいんじゃない、未来に何が起こるの? それをくわしく教えてほしいんだけど、と会話を続けて情報を引き出そうとしたけど、ゴチンと音を立てた後頭部が、ボクの意識を刈り取ってしまった。
つづく