第三章 高谷まひる その2
2 『蜜神 鏡菜のターン4』
鏡菜の家のリビングへ飛ぶと、狼狽するボクをよそに、マングウと鏡菜の母親は焦ることなく冷静に、淡々と、てきぱきと、行動していた。
若い使用人たちがマングウの呼びかけで本家から集まり、意識を失っている鏡菜をどこかへと運び出す。ついて行こうとするボクを制したのは、鏡菜の母親だった。
促されるままテーブルにつき、大丈夫だから落ちついて、と言われるけど落ちついてなんていられない。あの強気な鏡菜が助けを求めたのだ。それはよほど深刻な問題なのだ。
でも、と食い下がると、彼女に笑顔で返された。
「能力の副作用なの。避けられない、運命」
「副作用? 能力の発動中、意識が肉体から離れる、その無防備な状態が副作用じゃ?」
「月葉家、直系の者たちは、生まれたときから特殊な能力を備え持っている。ところが、私たちはそうじゃないの。まあ、栄さまは特別だけど」
母親はここで、哀しそうな笑顔を浮かべた。
「人工的に発現させられたために負荷がかかっている。鏡菜だけじゃない。他の三人も、副作用に苦しんでいるの。人間には、過ぎた能力だってことね」
「四人とも、症状は違うのですか?」
「まひるちゃんや塊子ちゃん、陽ちゃんたちの副作用をくわしくは知らないのだけど、鏡菜の場合、はっきりしているわ」
彼女の次の言葉を待っていると、ドアがゆっくりと開けられた。顔を向ける。
「心配させたな。もう大丈夫だ。さ、行こうか」
鏡菜だった。顔色がまだ悪い。当たり前だ。
「行こうって、もう少し療養しなよ」
「その必要はない。病気ではないのだから」
あなたからも止めてください、という意味で鏡菜の母親を見る。彼女は眼を伏せている。止めたいのだけど何らかの理由であきらめているみたいだ。
鏡菜がボクの隣に腰を下ろしたとき、マングウが紅茶を運んできた。彼の場合、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。やはり、鏡菜は大丈夫ではないのだ。だからボクは鏡菜をまっすぐ見据えながら言った。
「残りは陽とまひるのふたりだろ? ボクたちが動かなくてもつぶし合うよ。それまでは休んでいよう」
「休めば治るようなものではない」
「風太郎さん、あなたはもう娘の能力を知っているわね」ここで母親が間に入ってきた。「肉体は、精神を外界から守る効果があるの。それを脱ぎ捨て、他人の精神に無防備のまま接触すると、どうなるかわかる?」
「融合?」
「頭がいいわね」出来る我が子を持った母親のように笑った。「鏡菜は能力を発動するたび、自分の精神が他人の精神によって浸食されてしまう。どんなに強い意志を持っていても、それだけは、防ぐことが出来ない」
つまりこうか? 他人の中に入り、他人の精神と接触するたび、鏡菜の精神は、徐々に、不純物を身にまとう。ふたつの絵の具を混ぜると、別の色になるのと同じか。それを続けると、どうなる?
おそらく鏡菜の精神は、解離性障害者のように、壊れる。
鏡菜を見る。紅茶を飲みほしてから、彼女は腰を上げた。
「心が壊れるのは、逃れられない未来。だけどそうなる前に、この月葉家の児戯を終わらせることが出来れば……」
出来れば、心は壊れなくてすむのか? 能力を使わなくてはならない状況を打破すれば、このままでいられるのか?
鏡菜が手を差し伸べる。
「力を貸してくれ」
その手を取るのに躊躇した。もしも鏡菜の精神崩壊が志半ばで訪れれば、努力もすべて無駄になる。それと同時にボクも戦線を離脱し、下手したら殺され、姉が爆死する未来が確実にやってくるだろう。
はたしてこのまま鏡菜の手を取ってもいいのだろうか。
答えは、YESだ。
鏡菜は自分の能力の使用期限を知りつつもボクを助けてくれた。そして何よりも純粋に、ボクに、助けを求めたのだ。断れるはずがない。裏切れる訳がない。
「ボクの能力なら、月葉家のわがまま、すぐに終わらせられるよ」
「ははは。うぬぼれが一番の大敵だぞ」
その返事にボクも笑った。
部屋を出ようとするボクたちに、鏡菜の母親が声をかけてきた。
「鏡菜を、娘を、くれぐれもよろしくお願いします」
そのセリフは、いつか見た過去の映像を思い出させた。
つづく