序章 滅亡の始まり
序章、ちょっと長くなってしまいました。すみません;;
伝えたいこと、伏線、それらを詰め込んだらこうなっちゃいました。次の章からはテンポよく進むので、どうか、最後までお付き合いくださるとうれしいです。
序章 滅亡の始まり
『東浦 加奈美のターン』
その泣き声を一声聞いただけで、四年間の苦悩はよろこび一色に塗りかえられた。
不仲だった夫婦生活も回復し、私は、心の底から天――いや、赤ちゃんに感謝した。
六年前、社内恋愛のすえ結婚し、楽しく暮らしていたが、いつしかそれにもかげりがさしてきた。
子が出来ないから――。
夫は私に責任があると罵倒した。連日、夫に責められ、最初のころこそ反発していたものの、いつしか自分で自分を罵るようになっていた。
通院の日々が続いた。それに比例して、夫婦間の会話も減って行った。
ある日のこと、夫から香水の香りが漂うようになった。私が持っていない香水のにおいだった。夫を問いつめると会社の誰かから移ったと言う。電車で移ったと言う。証拠がないのでそれ以上は追求しなかった。
しばらくして夫は、仕事が忙しくなったと、家に帰らない日が多くなった。
精神的にも苦しかった。日々が、イヤになった。人生が、苦痛だった。救いが、欲しかった。
だから私は、夫が久しぶりに帰宅したとき、発狂寸前で、我慢することが出来なかった。
「私の機嫌を取るような行動は必要ない。もう帰って来なくていいわよ。荷物をまとめて出て行って!」
夫の眼は、冷めていた。無言のまま自分の部屋へ消える。
言いすぎた、と反省した。においは仕事場からついてきて、忙しくて帰れないというのも本当かもしれない。夫を止めようと思い駆け出した瞬間、胃の中の物が逆流し、彼の部屋ではなくバスルームへ駆け込んだ。
しばらくして夫が入ってきた。顔を上げると、夫は、昔の優しい笑顔を取り戻していた。
親友たちや家族が入れ替わり立ち替わり病室に訪問し、休む暇がなくて疲労が蓄積されて行ったけれど、我が子をひとめ見るだけでそれも瞬時に吹き飛んだ。看護師たちの雰囲気、対応も良かった。
新生児室から個室へ移動し、お乳をあげているとき、仕事帰りの夫がやって来た。
赤ちゃんは、もう夫を父親と認識しているのか、彼を見るときゃっきゃと笑う。
夫は、黄色い歯を見せて笑う。だけど私は気づく。生まれて間もない子が、笑うはずがないのだ。だけど無邪気な夫を見ていると、我が子は特別なのだと思うことにした。
部屋中に、優しさが充満した。
こんなに幸せでいいのだろうか、ふいに、そう不安をおぼえたが、その考えは一瞬で、まばゆい光の中に……熱い爆風の中に……消滅した。
『宮文 勝男のターン』
勝男の妻は出産のあと、感染症のため他界した。勝男の周りは、妻が息子の命を救ってくれたんだ、と言った。そうですね、きっとその通りだと思います、と返すが、それらはすべて建て前でしかなかった。
勝男が勤めに出ている間は、実の両親と妻方の両親のどちらかに息子の面倒を見てもらった。夜は親子ふたりきり。最愛の妻の忘れ形見、普通なら、愛情いっぱいに育てるだろう。
しかし勝男は違った。
最初に異変に気づいたのは、勝男の実母だった。
孫の身体に浮かぶ薄い打撲痕。裂傷。おかしい、と思う決定打になったのが、孫の、人を見るときの『眼』。怯えを含んだその眼だった。
「勝男。まさか、息子に暴力をふるっているんじゃないだろうね?」
「そんなバカな」
「身体中の痣はなんだい?」
「育児に慣れていないだけだよ。まだ一歳だろ、いろいろと大変なのは母さんがよく知っているはずだ」
その日の夜、勝男は息子の首を絞めた。
息子が妻を殺した。憎いはずなのに、許せないはずなのに、勝男の眼に熱いものがあふれてくる。うぐ、ひん、う、うう。勝男の口から嗚咽がもれる。しかし力が緩むことはない。それどころか、ぐいぐいと強くなる。
息子の顔全体が、二倍に膨れ上がっていた。舌がでろりと口端から飛び出て、もう人間の顔には見えなかった。
『やめて!』
突然、脳髄に叫び声がこだました。それは妻の声のようにも、自分の良心の呵責の声のようにも響いた。別にその声に従った訳ではない、だが、無意識のうちに腕から力が抜けていく。こわばった指が、かきかきと音を立てて、開く。
大きく咳きこむ息子を、勝男は半ば放心状態のまま見つめた。
数分の後、息子は落ちつきを取り戻し、眼を見開き、勝男を見上げながら、「ぱぱ」と、つぶやいた。
その刹那、勝男の顔色が、失せた。
くつも履かずに外へ飛び出す。全力で走り、やがて、近くにある橋の中央付近で足を止めた。
ぜえぜえとあえぎながら、川面を見下ろす。街灯に照らされ明滅する水面、心地よい川のせせらぎが、現実へと勝男を戻す。犯してしまった過ちの重さが肩にのしかかる。後悔してもしきれない重責。
両手で顔を覆い、声を出して、泣いた。そして、心の中で妻に謝った。
しばらくして勝男は顔を上げた。それから頭を横に振った。
「謝らなくてはならない相手は、妻じゃない。息子だ」
罪を償わなければ。自分の虐待がトラウマとなって、息子に一生つきまとうかもしれない。それでも、持てるすべての力で、愛し抜こう、そう誓った。
急いで帰り息子を病院へ連れて行かなければ。そう決意し、踵を返そうとしたそのとき、妙なものが視界に入った。それはぷかぷかと水面を漂っている。眼をこらす。街灯のたよりない明かりが見えているものをゆがませているのではないのか、と勝男は最初、自分が見ている物を信じられなかった。
流れている物体、それは、赤ん坊だった。奥からこちらの橋の下へと流れてくる。大変だ、助けなくては、と考えたとき、さらに二体、三体、と続いてきた。
恐る恐る、顔を上げる。
川上から、水面を埋め尽くす赤ん坊が嵐の後の流木のように押し寄せてきたのだ。
言葉を失い、恐怖をおぼえ、家へと走る。いったい何が起こっているのか。いや、何が起こるのか。とにかく、息子の元へ。無事を確かめに、走る。
マンションの下までついたとき、勝男は肩で息をしていた。両ひざに体重をあずけ、呼吸をととのえる。落ちついたところである違和感に気づく。息子はまだ一歳なのだ。しゃべれるはずがない。しかし確かに言った。《ぱぱ》と……。
蒼白になって勝男は見上げる。その瞬間、マンションが、爆発した。
『野原 美鈴のターン』
集合団地の四階。美鈴はドアの前に立ち、チャイムを叩くように押した、何度も何度も。
はい、という返事のあと、三十代前半であろう中年女性が扉を開けた。美鈴の顔を見て、女性の顔色が変わる。あきらかに警戒していた。しかし、次には、どうぞ、と言った。
中に入ると美鈴はすぐに玄関脇にある写真立てを見つけた。それを手に取り、じっと見つめる。中年女性は何も言わず、ただ、時が動き出すのを待った。
「娘さん? 今はいくつ」
美鈴が写真を見つめたまま訊ねた。
「六歳になります」
「小学校一年かな……さぞかしかわいらしいでしょうね」
「わがままで大変です」
美鈴はそっと写真立てを戻した。その行動を見て、中年女性は深い息を吐いた。
ふたりはリビングへ移動した。テーブルの前に腰を下ろす。編み物用の道具が乱雑に置かれ、かたわらに靴下になりかけの塊がある。
「冷たいものでもお飲みになります?」
「いいえ、けっこう。これは娘さんに?」そう言って、靴下もどきを手にする。
「不器用なのでなかなか進まなくて。ついでに園児たちの分も、と思ったのですが、完成するのにどれくらいかかるか……」
「娘さんは? 日曜の朝だからまだ寝ているかしら」
「呼んできますね。そろそろ起こさないといけない時間ですので」
中年女性が姿を消すと、美鈴は立ち上がり、窓を開けて外を眺めた。
赤みを増してきた木々。ひっそりとたたずむ寂しそうな電信柱。坊主の子供たちが駆け回る路上。雲がわずかしかない静かな空。湿度の低いやさしい風。
美鈴は大きく深呼吸した、と、ここで中年女性が戻ってきた。
「お待たせしました。こちらが、娘のサクラです」中年女性は、「さ、ごあいさつしなさい」と肩に手をのせる。
「ねえねえ、この人、誰?」
美鈴はにっこりとして見せて、サクラの前でかがんだ。眼線が並ぶ。優しく髪をなでる。中年女性が小さく震えているのが視界に入る。サクラから視線をそらさず、美鈴が言った。
「私はね、サクラちゃんのお母さんに、娘を殺されたの」
その刹那、美鈴がサクラの髪の毛をガシッとわしづかみにした。悲鳴を上げるサクラ。少女を窓際へ引きずって行く。中年女性が我を取り戻し、追いかける。しかし、遅かった。小柄な少女が宙を舞う。大きく弧を描き外へと消えて行った。中年女性は膝から力が抜け、ベランダまで到達できなかった。
「それが、子を殺される親の気持ちよ!」
「勝手に爆発したのよ!」
「勝手に? 人間が爆発する訳ないじゃない。もしも本当なら――」美鈴はベランダの手すりに足をかけ、「地球は、終わりよ」
そう言い残して、身を乗り出した。
☆
人々の暴走は常軌を逸し、友人、家族間でさえ、殺し合った。
怨み。怨恨。仇。私怨。遺恨。妄執。これらが、地球上に渦巻いていた。誰にも止めることのできない殺しの連鎖。
私怨……①個人的なうらみ ②言葉にしても「しえん?」と返されることが多い
親が子を殺し、子が親を殺す。隣人の子を隣人が殺し、その親が隣人を殺す。親族が立ち上がり、殺した親族へと報復する。親友たちが動き、仲間たちが徒党を組み、復讐は波紋のように広がった。
怪事件が人為的なものなのか、自然現象なのか、他国の生物兵器なのか、人々はその原因を見つける余裕もなく、世界中の空に、陽子と中性子を利用した兵器が飛び交った。その結果、地球は、闇につつまれた。
生存者ゼロ。
人類、滅亡。
『月葉 鉄心のターン』
鉄心は、飛び起きてからしばらくの間、呼吸が出来なかった。
あたりを見回し、夢と現の区別をはっきりさせる。見なれた竃、穴のあいた襖、ヒノキの香りを漂わせる桶、年期の入った神棚、壁にかけられた行灯。それらを確認して、奇妙な衣服を着た人間どもが崩壊する映像を意識から遠のけ、息を整えた。隣で小さないびきをかいている妻の姿を見て、なんだか腹が立ってきたので鉄心は腰を上げた。
夜風にあたるために外へ出る。深呼吸をし、空を見上げる。多くの星々が煌々(こうこう)と輝いていた。静かな、夜だった。そのとき、フウウウ、という音が聞こえてきて、視線を向けると、建物の陰に、眼を光らせるネコが一匹、毛を逆なでていた。鉄心はひざを曲げて、ネコにむかって手招きした。それを無視して、ネコは駈け出して行った。
星のおかげで闇ではなかった。ちょうちんも必要なかった。周りの家々を視認できた。左右に伸びる夜道はシンと静まり返り、昼間のにぎわいがうそのようだった。
斜向かいに評判の蕎麦屋がある。すりおろした山芋を乗せた蕎麦は、旅人たちの間で評判になり、はるか京の都から足を運ぶ者もいるくらいだ。鉄心も好きだった。週に二度は蕎麦屋に顔を出す。
しかし、しばらくは店を閉めるだろう。鉄心の心は痛んだ。蕎麦屋のひとり息子である譲吉が病に倒れたのだ。まだ九つだ。吐血し、嘔吐し、高熱が続いている。蕎麦屋から出てきた医者に病状をたずねたら、一週間もてばいいでしょう、と答えた。まわりを笑顔に変えるあの笑顔がもう見られないのか、と思うと苦しかった。
そろそろ家に戻ろう、そう思ったとき、先ほどのネコが戻ってきた。
「どうした、腹が減ったのか? そうだ、残ったアジの干物がある。もってくるからそこで待っていなさい」
ネコがすすすと近づいてきた。何かをくわえているのが見えた。丸くて光る物体。それを鉄心の足元に置いた。星明かりを反射する奇麗な小石だった。そのあと音もなくネコは闇の中に消えて行った。
残ったのは鉄心と小石のみ。
不思議な石だった。月の光が表面をなぞり、石それ自体が、まるで流動しているかのように見えた。視線を強制的に吸いつけられる。一瞬たりとも眼を離せなかった。この石には、一種の魔力が宿っているのでは、と鉄心は心を強くもち、じりじりと後ずさる。
そのときだった、「どうしたのですか?」妻が起きてきたのだ。
背後から声をかけられ、鉄心は飛びあがり、尻もちをついた。その拍子に石に触れた。
突然、水墨画に水を垂らしたように、世界のすべてが、にじんだ。
大地がその役目を放棄し、鉄心の身体が、沈む。深く深く、沈んで行く。漆黒の闇。一切を呑み込む完全なる闇だった。仰向けで落ちて行く。身を翻そうともがくが、どうにもならない。空に浮かぶ光る穴が、どんどん小さくなって行く。あそこから落ちたのか? 上昇しようと腕を動かすが、空を切るように抵抗感がない。だから鉄心は、抗うことを、やめた。
不思議と、息苦しくはなかった。だが、何者かが下から迫ってくる気配があり、それが、冷静さを奪う。首をひねるが、見ることができない。だから、迫ってくる者の姿を確認できない。そのもどかしさがさらに不安感をあおる。
上空の穴が消滅した瞬間だった。背中に何かが当たった。小さな物体が二十、四十、いや、数千個。激痛を伴い、ずぶずぶとそれらが体内に這入りこんでくる。自分の身体の各部位が、自分の意思とは関係なしに動き出す。鉄心は、自分で自分の首を絞めた。そのとき、空間が、切断された。大気の刃が接近してくる。致命傷だけは避けようと、まだ自由である腕を前に出した。赤い旋律。赤い刀だった。日本刀? そう確認できた瞬間、鉄心の首が、肉体を見捨てた――ように感じたが、首はつながったままだった。確かに切られた。何故だ。不思議に思っていると、もう自分は首を絞めていないということに気づいた。代わりに、心臓を握っていた。自分の胸を見る。空洞がある。その刹那、ひいいいい、という情けない声がもれる。「ちょうだい。それをわたしにおくれ」背後からの女性の声。首を左に九十度まげる。左目だけに女性の姿が映る。白髪。深いしわ。落ちくぼんだ大きな眼。知っている。この女性を知っている。鉄心は震える声で問う。「ばあ様?」「そうだよ、だから、ね? それを……お前の心臓をわたしにおくれよ」「ばあ様、あなたは死んだはずです」「この後、じい様もそのまたじい様もやってくる。でもその心臓はわたしのもの。誰にも渡しはしない」祖母が腕を伸ばす。鉄心は心臓を奪われまいと、腕を払った。肘に、ぐちょり、という感触が走る。攻撃の反動で身体が百八十度反転した。底を見下ろす形になった。「肉親を手にかけるとは! おのれ、おのれ!」祖母はつぶれた顔を鉄心に向けながら、闇の底へと消えて行った。闇の中から入れ替わりに、祖父と曾祖父がゆっくりと浮かんできた。物欲しそうに両手を上空に漂わせている。彼らをしっかりと見据え、鉄心は臨戦態勢を取った。しかし、祖父たちがたどり着く前に、鉄心の内の何かがはじけた。体内の物質的なものではない。もっと曖昧なもの……そう、精神だった。嫉妬心、恐怖心、そういったものが消滅した。鉄心は身の上に降りかかっている状況を認識することも出来なくなった。
祖父たちはいつの間にか消えていた。それからは何事もなく落下して行く。
どれくらい経過しただろうか。自分の身がどうなっているのかさえ忘れかけたころ、変化は、突然やってきた。
闇の底に小さな光の穴ができ、見る間に広がった。
光の中に、空……いや、地上が見える。
穴に吸い寄せられる。じわじわと近づき、やがて、白い闇に呑み込まれた。
遥か雲の上。穴を越えたあと、うつぶせのまま落ちて行く、ゆっくり、ゆっくり。
見たこともない鉄や石で出来た建造物の数々。高い塔。鉄の橋。走る箱。細長い箱。空飛ぶ鉄の塊。芝が敷きつめられた広い空間。海。山。城。
それらが、破裂した。爆発した。至るところから悲鳴が上がる。怒号が、響きわたる。陽が沈み、また昇る。その流れは速度を増す。日の移り変わりが、二十四時間から、数分になる。
爆発は止まらない。
地形が変わって行く。
建物、動く箱、それらが減って行き、動かなくなる。
あちこちから響いていた叫び声が、徐々に減っていることに鉄心は気づいた。それと同時に、この世界に何が起こっているのかを、悟った。
これはいつか見た夢。そうか。人間たちの服装といい、これは未来だ。自分が今この眼で目撃している映像、それは、人類滅亡、まさにその瞬間なのだ。
落下速度が増した。足元を見下ろすと、山の上に建つ大きく真っ白な城があった。建物のそばに祠がある。どうやらそこへ落ちるようだ、と見つめていると、地面に激突する寸前、落下が止まった。
数瞬後、鉄心の身体は真横に移動する。そのまま祠の中へ入って行く。楕円状の空間を右へ左へ曲がりながら奥へと進む。すぐに開けた場所に出た。眼の前にそびえ立つ小型の社。鉄心は見た。
《月葉鉄心 ここに眠る》
社の前に立っている柱に書かれていた文字。
「月葉さま、どうかされましたか?」
背後の声に振り返る。すると眼の前に少年が立っていた。長髪の端整な顔立ち。一瞬、少女かと思ったが、眼の鋭さからすぐに少年だとわかった。二十代前半くらいだろうか。細身で長身。美しい、少年だった。
その少年が振り返り、先ほどの声に答える。彼の背後に中年男性が立っていた。
「大丈夫だ。心配ない」
そう言い、美しい少年は顔を元に戻した。
しかしその眼は自分を捉えていない。鉄心は少年が見つめているであろう背後を振り返る。注がれる場所は奥の社。
少年が一歩足を進めた瞬間、鉄心の身体が再び移動した。社の内部へ飛んで行く。奥に質素な部屋があった。大事そうにまつられている物体。それは、ネコが運んできた、例の、小石だった。
鉄心の身体はそのまま石の中に吸い込まれて行った。
「鉄心さま……鉄心さま、大丈夫でございますか?」
う、うう、ああ、とうめきながら眼を開けると、妻が心配そうに見下ろしていた。
「どうやら、気を、失っていたようだ」
「まあ大変、お水を持ってまいります」
妻が消えたあと、手元を見る。キラキラと輝く、あやかしの石が大事そうに握られていた。
鉄心は慄き、石を放り投げ、ずりずりと後ずさった。するとその視界に、闇の中から二条の黄色い光が放出された。つつつ、と接近する光。その正体はネコだった。
「お、おのれ化け猫め!」
鉄心がそう叫ぶと、ネコの口がぐにぐにと動いた。
「未来を見てきたか? 未来がどうだったかは、お前の狼狽ぶりを見ればわかる。運命を回避したければ、お前の能力をその石に宿し、子子孫孫に伝え、運命の日を変えさせるのだ」
「俺の、能力?」
「お前は、なにをしてきたのだ? なにを見てきたのだ? 普通の人間が出来ることか?」
「し、しかし……」
「未来を変えられるのは、お前の能力だけだ。ゆめゆめ忘れるな。邪魔ものを排除できるほどの権力を得よ。絶対的な地位を手に入れろ。それを決して、衰退させるでない!」
鉄心は無我夢中で駆けだし、家の中に入り、後ろ手に戸を閉めた。
ぽかんとする妻を無視して、鉄心は、腕に握られていた石を、じっと見つめた。
鉄心が消えたあと、ネコはがたがたと身体を震わせ、次の瞬間、音もなく、破裂した。
つづく