奇跡の双子
メイドの少女・エミリア視点。
ダークで始まり、あったかい感じになります。
吸血鬼大好き!
ヘルシンという街には、『吸血鬼がいる』そんな言い伝えがあった。
それはただの言い伝えにしか過ぎず、大人は子供に向けての脅し文句に使っていた。
夜中まで起きていると吸血鬼に襲われて殺されるぞ。
小説や怖い怪談話として吸血鬼は広く知れ渡っていたから、効果は抜群だ。夜遊びをする若い娘や浮気にしに行く夫にまでその殺し文句は使われていた。
そんな街にあたしはいた。
両親はいない。捨てられた孤児だ。だけど幸いなことにヘルシンの大地主であるべスター夫人に拾われた。
養子ではなく、メイドとして立派な屋敷に住ませてもらえた。
ベスター夫人はとても素敵なお方。歳は十八だが、その顔立ちは大人びていた。貴族の家に産まれたわけではなかったが、生まれ持っての美貌で伯爵に見初められた。
美貌を持っていて地位も持っているが、優しいお方。ジャスミン様。
その夫であり、当主であるダルク様も寛大なお方。べスター家にはまだ子供が産まれていなかったため、あたしは可愛がられて育った。
仕事に住む場所まで与えられたあたしは、それ以上の幸せなど望まなかった。べスター家に仕えて、不便なく生きられるだけで十分くらい幸せ─────だったのに。
「だめよ、エミリア。夜中まで起きていたら、吸血鬼に食べられてしまうわよ」
十七歳になっても、ジャスミン様はその脅し文句を使った。
「気を付けます。ジャスミン様もおやすみください、お体に障ります」
ジャスミン様にも漸く子どもができて、身籠ったのだ。大きなお腹を抱えるようにして廊下を歩いていた彼女を部屋まで送る。
「貴女の声を聴くと、この子達はお腹を蹴るのよ」
「本当ですか?」
ジャスミン様はお腹の子供を"この子達"と呼ぶ。医者も双子かもしれないと言っていたので、この子達と呼ぶのだ。
人のお腹の中に、二つの命がある。それが不思議で奇怪で神秘的であたしはじっと彼女の大きく膨らんだ腹を見つめた。
するとジャスミン様はあたしの手を取り、シルクのドレスの上から腹に触らせる。
メイドの分際であるあたしが触れるのは恐れ多いことだが、庶民出身のジャスミン様は気にしない。
「エミリアよ」とお腹の子にジャスミン様は教える。それからあたしに声をかけるように目で言った。
「おやすみなさいませ」
そっと声をかければ、返事をするようにジャスミン様のお腹の向こうから振動がくる。これが赤ん坊が蹴るということか。
本当に不思議で仕方ない。
この中に、赤ん坊が二人もいるのだ。そして返事をしてくる。すごい。
あたしの不思議がっている顔が面白かったらしく、ジャスミン様は上品な笑い声を漏らす。
「おやすみなさい、エミリア」
「おやすみないませ、ジャスミン様」
深々と頭を下げてから、ジャスミン様の部屋の扉を閉める。
それからあたしは屋敷の外を出て、戸締まりの確認をした。
冷たい風が吹く夜の空には欠けた月が屋敷を照らす。
大きすぎて未だに迷ってしまいそうになる屋敷は、暗いせいで不気味にそびえ立つ。
それは見慣れたので、臆せずに門に向かった。
門を閉じて鍵をかけようとしたら、カサカサと門の向こうの森から音が響いた。
「……誰?」
あたしは声をかける。返事はない。
べスター家はほんの少しだけ街から外れていて、周りは森に囲まれている。森だから動物かもしれないが、もしも人間だったら迷っている人かもしれない。
カサカサ。音は離れていく。
やっぱり動物?
あたしは鍵をかけようとした。
カサカサ。
今度は目の前の茂みが揺れた。
森は陰っていて何も見えない。
「誰かいるの?」
あたしはもう一度声をかけた。また返事はない。
不気味なほど辺りは沈黙する。冷たい風がそっと木の歯を揺らす。
あたしは門を出て、左右の道に目を向けた。月明かりの差す砂利道には人の姿も動物の姿もない。
また森の中で音がして震え上がる。
「誰なの!?」
今度は強く声をかけたが、やはり返事はない。
大抵の動物なら人の声を聴いて逃げ出すのに、ソレは近くにいて脅かすようにわざとらしく音を鳴らす。
強盗だろうか?
あたしは念のため、外側から門の鍵をかけた。鍵を握り締めてからあたしは森に近付いて足を踏み入る。
微かに漏れる月光を頼りに、暗い森を進んでいく。あたしが茂みを掻き分ける音以外聴こえない。
十七歳の誕生日にジャスミン様に頂いたエプロンドレスを汚さないようにスカートを握って上げた。
結局、誰にも会わずに森を抜ける。そこにある街にまで続くせせらぎが月の光を反射して輝いていた。
美しい輝きと穏やかな水の音を堪能してから、屋敷に戻ろうと考えた矢先にあの音が背後に響く。
振り返ったとほぼ同時にあたしは突き飛ばされた。
せせらぎの上に落ちる。熊にでも突進されて吹き飛ばされたみたいに、身体中が痛かった。
何がなんだがわからなかったが、危険を感じ取り痛みに呻くより先に起き上がり後退る。
顔を上げたが、そこにはなにもない。いた形跡すらなかった。
じゃああたしは何に突き飛ばされた?
耳をすませて周りを注意深く見張った。なにかがいるはずだ。石の上に落ちた右腕がじわじわと痛みに支配されたが、それよりもあたしはなにに襲われているかを確認しなくちゃいけなかった。
べスター家のすぐ目の前に危険なモノがいる。それを確かめて報告しなくては。べスター家を守らなくては。
ドクドクと恐怖で速まる脈が、ピタリと止まる。
濡れてはり付いたあたしの赤毛を爪の尖った冷たい指先が、顎をなぞって退かす。
息まで止まった。
ソレは後ろにいる。
あたしの背後にいてあたしに触れているのに、未だに気配を感じなかった。
生気なんてない。死人のように冷たい指。姿が見えなかったのは、ソレが目にも見えない速さで動いていたからだ。人間とは思えない怪力で突き飛ばされた。
なにに襲われたか理解して、あたしは凍り付く。ソレはあたしの首にやけに冷たい舌を這わせた。
悲鳴を上げる暇も、助けを求める暇も、ない。
そのままソレはあたしの首に牙を立てた。
ゴクリとあたしの血を飲む音が聴こえてから漸くあたしは抵抗する。牙を突き立てられた首から焼けるような痛みが広がってもがくが、ソレはあたしを羽交い締めにして血を奪い続ける。
視界に映る景色が陽炎に包まれた。
心音が小さくなり、抵抗する力が出なくなるほど血を奪われた頃に、ソレはあたしを放す。
あたしの身体は地面に落とされた。
「うっ……! うあっ!」
炎を突きつけられたかのような痛みが傷口を襲う。言うことを聞かない手で首を押さえても、その痛みは消えていかない。
毒が身体の自由を奪ったみたいにあたしは動けなくなる。それでも痛みはあたしを襲う。
その熱い痛みは喉にまでいき、呼吸もままらなくなった。灼熱の痛みは広がっていく。それを止めるすべもなく、あたしはただ耐えるしかなかった。
視線の先にソレはいる。あたしに興味を失くした真っ黒い背中。
欠けた月の下を歩き、ソレは街に向かって歩いていた。
吸血鬼は唐突に現れて、ヘルシンの街を襲った。
噛まれた人々は同じ吸血鬼になり、家族を友人を襲い、街は恐怖と混乱に陥れられる。
昼も夜も動き、人間の血を求めて襲い掛かった。悪夢だ。
街の中で安全なのはたった一つ。
べスター家の屋敷。
生存者は皆その中に立てこもり、銃を持ち窓から吸血鬼を迎え撃つ。
街中の吸血鬼がべスター家を囲った。数は四十といったところか。目をぎらつかせ生き血に飢えた吸血鬼達は、ぶち壊した門から歩み寄る。
吸血鬼衝撃からもう四日経つ。人間達は限界にきていたが、吸血鬼達は疲労を知らない。
あたしもあの夜に気を失って目を覚ましてから、あたしは眠っていない。
血を求めて疼く喉を咆哮で掻き消す。べスター家の扉を守る。
誰一人通さない。
「エミリア!!」
屋敷の中から苦しみに叫ぶジャスミン様の声。これで何度目かわからない。
あたしは振り向かない。
その隙でダルク様達を含む生存者の命が奪われてしまう。
朝方からジャスミン様は陣痛が始まり、痛みで呻いている。あたしにそばにいてほしいとずっと名前を呼ぶが、あたしは吸血鬼を食い止めなくてはいけない。
こうやって吸血鬼と向き合って戦えるのは、同じ吸血鬼のあたしだけだ。
ジャスミン様の悲鳴にグッと堪えて、手にした斧を振り上げる。中には顔見知りもいたがもう彼らは吸血鬼だ。あたしと違い、猛獣と化している。自我は血を求める欲求に蝕められて、ただあたたかい血を流す家族や友人を襲う。
動きを封じるには首を跳ねるか、心臓をえぐり出すかだ。
一人をはねるとダルク様が合図を出し、発砲し始める。
あたしが吸血鬼の首をはねる間、生存者が他の吸血鬼達を撃ち抜き足止めをした。
太陽が出ている時は動きが鈍くなる。怪談のように燃え上がって灰になるなら、昼は安息の時間になるのだがその安息の時間は与えられない。四日前から悪夢は続いている。
吸血鬼の数を減らすなら、この太陽が出ている間にすべきだ。太陽を嫌い隠れている吸血鬼が出てくる前に、今いる吸血鬼達を殺さなきゃ。
生存者が力尽きる前に。
ジャスミン達の子どもが産まれるんだ。
この悪夢を終わりにしなくちゃ。
「エミリアァアアッ!!」
ジャスミン様の大きな悲鳴に振り返ってしまった。その隙をつかれて押し飛ばされる。
歯を剥き出しに血塗れのドレスを着た娘が扉に向かう。
地面に叩き付けられたあたしは地面を殴って立ち上がり、斧を投げ飛ばした。斧は彼女の首をはねて扉に突き刺さる。
「エミリア!」
ダルク様があたしに別の斧を投げ渡す。それを受け取り、扉を向かおうとした吸血鬼の首をはねる。
あと三十? 咆哮して吸血鬼は邪魔をするあたしに飛び掛かる。首目がけてくる吸血鬼の顎を蹴り上げた。
人間離れした怪力でその吸血鬼は門まで吹き飛ぶ。次の吸血鬼の首をはねて、その勢いを殺さずまた首をはねた。
またジャスミン様の悲鳴が上がるが、今度は振り向かない。
耐えていてください、ジャスミン様。
そう心の中で伝えた。
ショットガンで撃たれても吸血鬼は歩みをやめないで向かってくる。
脚を吹き飛ばすように重点的に狙わせて、足止めをした吸血鬼の首をはねた。
たまに腕に銃弾が掠めるがちょっぴり痛いだけだ。支障はないからそのまま首をはねた。
あと数人だった。
だが数が増えて、十人。
また増えて二十人。
そして三十人になった。
日が暮れる前に、血を飲み損ねた吸血鬼が太陽の下に出てきたのだ。
街のほとんどの生存者が集まったこのべスター家の屋敷に、街の吸血鬼も集まった。
「弾がもう!」
誰かが弾切れを知らせる。
足止めをする弾丸がもうない。
三十の吸血鬼を、あたし一人で食い止めるなんて無理だ。
血に飢えた吸血鬼達は咆哮して牙を向ける。だめだ。絶望的だ。
じりじりと迫りくる手に終えない猛獣。
奴らの後ろにある空は赤く染められている。
あたしはダルク様を見上げた。
希望なんてない。若き当主の顔も絶望に歪んでいる。
だが────…その時。
赤ん坊のうぶ声が聴こえた。
ダルク様が自分の妻を振り返る。
産まれたんだ。
ジャスミン様の子どもが。
あのお腹の中にいた子どもが、今うぶ声を上げている。
なのに目の前には命を奪う吸血鬼が迫っていた。
だめだそんなの。
あたしは腹のそこから咆哮を上げた。
あたしに幸せをくれたお二人が漸く授かった子どもが、産まれた直後にその命を奪われるなんて。
そんなことさせない。
地面を蹴り飛ばし、斧を振り上げた。一度の蹴りで二人の吸血鬼を門に吹き飛ばす。
一人、また一人と首をはねる。
ヒュン。
風を切るそんな音が聴こえたかと思えば、あたしから数歩離れた吸血鬼が呻いて倒れた。その背中に矢が刺さっていて、心臓を貫いている。
また一人、呻いて倒れた。
それに気を取られつつも、腕を振り上げて首を狩り、吸血鬼一匹を投げる。
その先に馬に股がっている男が見えた。脇に何人かいて、ボウガンを手にして吸血鬼を撃ち抜いている。
ヒュン。
風を切って飛んでくる矢が、あたしに向かう。咄嗟に下がるが避けきれず、左胸に突き刺さった。
その衝撃で玄関に倒れる。
「やめてくれ!! 彼女は味方だ!!」
ダルク様の声が響く。
吸血鬼が歩み寄る気配がしない。どうやら助けがきたらしい。
あたしはその場に倒れたまま息をついて、吸血鬼が倒れる音を数えた。
屋敷から階段を駆け降りる音が響く。ガタガタと何かが落ちる音がするのは、扉の向こうにバリケードとしてソファーや椅子が山積みにされているからだ。それを退かしているらしい。
扉が開いた頃には、吸血鬼の倒れる音の代わりにあたしに歩み寄るブーツの足音が聴こえてきた。
目の前に馬に股がっていた男が立ち、あたしにボウガンの先を突き付ける。
「射つな! 彼女は違う! ずっと我々を守ってくれていた!」
ダルク様がそのボウガンを退かしてあたしの顔を覗く。
「いいえ、ダルク様。自分も吸血鬼です。危害を加える存在ならば、始末されるべきです」
あたしはボウガンを掴み、心臓に向けさせる。男は黙ってあたしを見下ろした。
「だめよ! やめて!」
ジャスミン様の声にあたしは振り向く。窶れた顔のジャスミン様は二人の女性に支えられて立っていた。
「エミリアだめよっ……貴女は違うわ。死なないでちょうだい……私の息子達を抱き締めてもいないのに……お願いよ、エミリア」
出産を終えたばかりで辛いはずなのに、歩み寄って涙ながらにジャスミン様は言う。
息子達。そうか。二人とも男の子なのか。
「待望の男の子ですね……ダルク様」
「……ああ、君が守ってくれたんだ。エミリア」
赤ん坊は見えなかったがまだうぶ声が聴こえる。ダルク様があたしの手を握り締めた。
「頼む、エミリア。これからも妻のためにも、息子達のためにも、生きてくれ」
ダルク様もあたしが生きることを望む。ジャスミン様のために、双子の子ども達のためにも。
「彼女を殺さないでくれ。この私が責任を持つ。彼女はあの吸血鬼達とは違う」
ボウガンを持つ男にダルク様は言う。
男はダルク様に目をやってから、またあたしに目を向けた。
「彼女は私の家のメイドだ。四日前に噛まれたが、誰一人殺していない」
ダルク様は説明して、あたしは自我を保っている危害を加えない吸血鬼だと訴える。
目が覚めたあと、屋敷の中に運ばれていた。もう既に吸血鬼と化した住人の殺戮が始まっていた。あたしだけが自我を保っている。
男はしゃがんだ。
「一度も人間の血は飲まなかったのか?」
低い声で男は問う。
「…いいえ、家畜の血を飲みました」とあたしは首を横に振り答えた。
喉が血を求めて酷い渇きに襲われるから、豚の血を抜いてそれを飲んで渇きを押さえた。ダルク様のアイディアだ。そのおかげか、自我が保てている。
男は鼻で笑い、あたしの顎を掴んで引き寄せた。あたしの口の中を嗅ぐとすぐに放す。あたしの頭は支えをなくして煉瓦の上に落とされた。……痛い。
「お前がダルク・べスターか?」
「そうだ」
「このメイドを借りる。街に残りがいないか探させる」
ダルク様に向き合って一方的に話すとあたしの肩を掴んで立たせた。
その男の名前は、ウィル・サルヴァトーレ。吸血鬼ハンターだ。
彼の一族が長年吸血鬼狩りを生業にしていたらしい。
街の中にも幸いにも生存者がいた。ごくわずかな吸血鬼を、あたしはニオイを嗅いで探しだして、ウィルが仕留めていった。
「どんな奴に噛まれた?」
もう夜も更けたが、ウィルは念入りに調べさせる。そのくせあたしを信用せず、ずっとボウガンをあたしに向けている。
「顔は見ていません。黒いコートと黒い髪で……」
「そいつが元凶だ」
「……始末、しましたか?」
「そいつを探してるんだ」
あたしを噛んだ吸血鬼は、まだ見つかっていない。始まりの元凶だ。
元凶から絶たなければ、また同じことが起きる。
あたしは人間の時よりも鋭くなった嗅覚で街中を捜したが、その元凶を見付けることは出来なかった。
「吸血鬼は皆、自我を失うのですか?」
べスター家に戻る道の途中。馬に乗っているウィルに訊いた。
「人間の味を知れば、ただそれだけを求めるようになる。お前はまだ人間を食べていないから保ってられるんだ」
「……人間の血を飲んだら、アウトなんですね」
「そしたらオレが殺してやる」
何の躊躇もなく、ウィルは答える。
「なら、生かしてくださるのですか?」
「便利だからな。犬として協力しろ。人間の血のニオイをプンプンさせたらアウトだ。殺す」
生かす代わりに要求したのは、犬のように吸血鬼をニオイで探しだせとのこと。
「……あたしはべスター家から離れるつもりはありません」
「たまにだ」
べスター家から離れなければ、犬の役でも引き受けよう。
正直、ジャスミン様の子どもを抱けるとは思いもしなかった。守りきれればそれだけでよかったのだ。
吸血鬼に変わってしまっても、ジャスミン様もダルク様もあの家にいることを許してくれた。
あたしにとって特別な人達だ。
「……お子さんはいますか?」
「息子が産まれたばかりだ」
ウィルの左手には結婚指輪があったから、訊いてみた。すんなり答えられるとは驚きだったが「おめでとうございます」と祝いの言葉をかける。
「ダルク様の息子は本日産まれました。本当によかった……」
本当にあたしなんかが抱き締めていいのか。不安に思うが喜びの方が大きく、微笑みが溢れる。
「……先ずは格好をどうにかした方がいいぞ。返り血を浴びたゾンビの格好で抱かれたら大泣きする」
ウィルに言われてあたしは自分の格好を見る。ボロボロになった十七歳の誕生日に貰ったエプロンドレスは、吸血鬼の返り血に染まっていた。
「特に髪が」とウィルが言うのでボサボサになった髪に触れる。
砂埃でパサパサしていたが、血はついていない。
「いえ。髪は地毛です」
夕陽のような赤毛があたしの髪だ。
興味なさげにウィルは「そうか」とだけ返す。
べスター家に集まった生存者達はまだ安堵しきれずにいたから、ダルク様がもう一泊するように促した。
ダルク様にも言われたので身体を洗い、着替えてからジャスミン様の部屋を訪ねた。
ジャスミン様は疲れきった顔でも美しい微笑を浮かべてあたしを迎えてくれる。
「眠ったところなの」
「ジャスミン様も眠った方がよろしいです。安全は自分がお約束いたします」
「抱いてあげて」
この四日ろくに眠れなかっただろうから眠るよう言うが、ジャスミン様はメイド長のハンナに指示して赤子をあたしに渡した。
心の準備が出来ていなかったので戸惑ったが、あたしは小さな身体を落とさないようにそして潰さないように、細心の注意を払って抱く。
小さな心臓の音と、呼吸の音が聴こえる。
眠っている顔は一度も太陽を浴びていない白い肌をしていて、その鼻は母親譲りに見えた。だが微かに生えている髪は黒色で父親譲りみたいだ。
「兄よ。弟も」
もう一人の赤子も持たされた。
吸血鬼のあたしにとって苦ではないが、産まれたばかりの赤子二人を抱えるなんて変な気分だ。
双子だけあって弟も似た顔立ちをしていたが、髪は母親譲りの蜂蜜色。
「……なんて言ったらいいのか……」
産まれた子どもを抱いて、何て言えばいいのかわからなかった。なにか込み上げてくるが、言葉にできずに詰まる。
「貴女のおかげよ、エミリア。この幸福をくれたのは貴女」
ジャスミン様は優しげな笑みで言った。
涙があたしの頬を伝って落ちる。
「いいえ、ジャスミン様。幸福をいただいたのは、このあたしです」
首を振ってからあたしは、そっと起こさないように赤子をジャスミン様のそばに置いた。
「これから、彼らに幸福を与えましょう」
惨劇の中に誕生したこの双子の赤子に、幸せを与えるために──────…吸血鬼でも生きる。
吸血鬼に襲われた四日間のことは、『ヘルシンの死闘』と呼ばれるようになった。
千百五十人いた人口は四百人も減って、そのうち二十人の死体は未だに発見されていない。
ウィルは一週間べスター家に滞在して、死体の埋葬を見守った。心臓を射抜いていない吸血鬼がいないかを確認するためだ。
街を染めた血痕を消し去るまで、三ヶ月かかった。記念碑が立てられ、そこに色鮮やかな花束が置かれている。
被害者達は、表向きには不慮の伝染病で病死したということになった。
吸血鬼に襲われたが街は生きていることを、他の吸血鬼に知られると襲われる危険性があるとウィルに言われたからだ。
吸血鬼に襲われたことは他言してはならない。
吸血鬼を退治した報酬はお金ではなく、あたしのレンタルをウィルは要求した。
ジャスミン様はあたしを犬のように扱うことを拒んだが、あたしから説得する。
「同じ目に遭う人が出ないためにも、この条件を呑んでください。大丈夫です、あたしは丈夫なので」
笑って言い退けた。体が丈夫なのは事実。犬扱いも構わない。人々が同じ目に遭わないように手助けをしたい。
ジャスミン様はお優しいお方。あたしと同じことを思っているから、致し方なくレンタルの許可を出した。
ウィルがヘルシンから出てから四ヶ月経っても、彼があたしをレンタルする日は来なかった。
双子の名前は兄がダーウィンで弟がジャスティンに決まったが、街の人々は『奇跡の双子』と呼ぶ。
そんな『奇跡の双子』である彼らのお気に入りの玩具はあたしの髪。
赤い髪が気に入り、あたしが近付くと毎回二人してあたしの髪を掴んで引っ張った。
丈夫な体であっても髪を引っ張られるのは痛い。
だが掴まれないようにまとめると、ダーウィンとジャスティンは泣き喚く。
母乳を与える時まで二人はあたしの髪を握るため、あたしは母乳が終わるまでジャスミン様の前に中腰で固まっていた。
「人気者ね」
ジャスミン様は笑う。
「生まれる前から貴女を気に入ってたもの」
気に入られているのは髪の毛だけだと思うが、あたしは苦笑だけ返す。
「胸をこの子達に吸い付くされたらどうしましょう……ぺしゃんこなんてみっともないわ」
不安げにいうジャスミン様。
元気な男の子二人に母乳を吸い付くされたら確かに豊かな胸が萎んでしまいそう。
社交界きっての美女のジャスミン様は有名なお方だ。胸が小さくなったら貴族達の話題になってしまう。それが不安なのだ。
「大丈夫ですよ」とあたしは笑った。
するとグイグイとジャスティンに髪を引っ張られる。ジャスティンはやんちゃで小さな腕をブンブン振り回してくるのだ。
「本当に元気な男の子達ですね」
あたしはまた苦笑した。
ダーウィンとジャスティンの瞳の色は、両親と同じ青い色だ。
ダーウィンがあたしの髪をくしゃくしゃと握り締めてから口に加えようとしたので引っこ抜く。
泣く前に握り直させようとしたがダーウィンは泣かなかった。
きょとんとあたしを見上げる。
あたしもきょとんとしたが、笑いかけた。するとダーウィンも真似て笑う。
歯が生えていない口を広げて笑みを作る。可愛らしい笑顔だったが、またあたしの髪を掴み引っ張った。
ジャスティンも引き抜く勢いで引っ張るので綱引き状態。
そんなあたしを見て、ご夫婦は笑った。
「初めて喋る名前はエミリアの名前じゃないかしら」
「そんなおこがましいです……」
「何をいう。こんなにも君を好いているんだ、君の名前を呼んでも怒らないよ」
ジャスミン様の言葉に身を縮めたらダルク様に肩を叩かれる。
『ヘルシンの死闘』から半年経った頃に、ウィルはべスター家に訪れた。
挨拶より先に、顎を掴まれて口臭を確認される。
「血を飲んだばかりだな、何の動物だ?」
「あー……豚です」
答えたら顎を放された。
人間の血は飲んでいない。週に一回のペースで家畜の血を抜いて飲んでいた。その家畜はべスター家の食卓に出されることになる。
「馬には乗れるか? さっさと行くぞ」
当主にすら挨拶せずに吸血鬼ハンターは待たせた馬に乗った。説明されなくても有無言わせないレンタル。
彼に礼儀のないことは半年前に気付いていたので、注意せずにあたしは屋敷の中に引き返す。
ダルク様は呆れ顔だ。
「いってまいります」
「無事に帰ってきてくれ」
「お約束いたします」
ダルク様に挨拶してからあたしは馬を借りて、ウィル率いるハンターと共に街を出た。
街を出るのはこれで五回目。全て他の街でパーティーに顔を出しに行ったジャスミン様の付き添いだ。
目的地は二つ離れた街。辿り着くのに丸二日かかった。
旅はいい雰囲気とは言えない。
あたしが人間の血を飲んでいないと知っていても、ハンターのほとんどは吸血鬼に家族を殺された者ばかり。好友的に話し掛けてくることはなく、ほとんど注意深く見張られた。
あくまであたしは危険な存在。そうゆう扱いをされることは理解しているから、あたしも目をあわせず極力距離を取った。
吸血鬼は街外れの森の中にいた。数は約三人。素早く森を駆け抜ける。馬では到底追い付けない。
「捕まえろ!! 赤毛!」
ウィルが叫ぶ。赤毛はあたしだけ。名前を呼んでくれたっていいじゃないか。
文句を言わずにあたしは馬から飛び降りて駆け出す。馬より速い。
木々を蹴って吸血鬼を追い掛けて、手を伸ばして服を掴む。バランスを崩し二人して倒れたがあたしは、吸血鬼を押し潰して取り押さえた。
若い娘だ。血塗れなドレスは木の枝に引っ掻けたのか、刻まれていた。それを見てあたしも自分のエプロンドレスを見たが、同じく刻まれている。うんざりして項垂れた。
「退け」
追い付いたウィルに言われた通り、吸血鬼の上から退いてもう二人の吸血鬼を追う。
見なくてもウィルがボウガンで撃ち抜いたのが聴こえた。
次の大男でかなり苦労して取り押さえられなかったが足止めが出来て、追い付いたハンターが撃ち抜く最後の吸血鬼に向かう。
全てが終わった頃には、ドレスは滅茶苦茶だった。ドレスで狩りを手伝うのはやめよう、と決めた。
「お前を噛んだ吸血鬼か?」
ウィルが最後に始末した吸血鬼に目をやってあたしに訊いたが、違うので首を振る。
ウィルは舌打ちをした。
「まだ見付かっていないのですが?」
「殺せてたらお前は人間に戻ってる」
「……人間に戻れるのですか?」
人間に戻れる話は初耳だ。
驚いて問い詰める。
「人間を食う前に噛んだ吸血鬼を殺せば、人間に戻れる」
「そうなのですか……」
あたしを噛んだあの吸血鬼を殺せば、人間に戻れるのか。
それならなんとしてでも見付け出して殺さなくてはいけない。
あの吸血鬼のせいで街は死にかけた。野放しにしてはおけない。
自分の馬に乗ってからあたしは訊いてみた。
「誰か噛まれて人間に戻った人がいるのですか?」
先を行くウィルは振り向かないまま答える。
「オレの妻だ」
ボウガンさえしまい、背中を向けているウィル。あたしを信頼してくれたようだ。
「オレがその吸血鬼を殺した」
自分の愛する妻を人間に戻した。吸血鬼ハンター。
現実の吸血鬼の特徴は、噛まれて生かされれば吸血鬼になる。太陽の光は避けたがるが、それほど弱いわけではない。だが動きは夜に比べて鈍くなるので昼は隠れて眠る。
弱点は心臓。撃ち抜くか突き刺すかどれか心臓を傷つければいい。首をはねても生き返るそうだ。
チーターより速く走り、熊より強い怪力を持つ。餌である人間を惹き付けるように容姿は美しいが、肌は心臓があたたかい血を循環させないため冷たい。瞳は硝子玉のように生気がない。
人間の血を飲むと半年はただひたすら人間を襲い、その後は多少自我は戻るが人間の血を求める欲求には敵わないそうだ。
ヘルシンまで送ってもらいウィル達とは街の入り口で別れた。
べスター家に帰ると、ダーウィンとジャスティンの泣く声が聴こえる。
あたしの姿を視認した使用人の一人が報告するといっそう屋敷の中は騒がしくなった。
首を傾げつつも馬小屋に向かおうとしたら、メイド長のハンナが駆け寄ってきてあたしを馬から引きずり下ろしてきた。
「わたしが戻すから早くお坊っちゃま方の元に行きなさい」と急かされたのであたしがサッと人間離れした速さで玄関にはいるとお子さんを抱えたダルク様とジャスミン様が待っていて、泣きじゃくる彼らを必死にあやしている。
「エミリア!! 貴女がいないからずっと泣いてるのよ!」
「えぇ?」
涙目で文句を言うようにジャスミン様は、あたしに向かって声を上げた。腕にはダーウィンがいて、ジャスミン様の蜂蜜色の髪を引っ張りながら泣いている。
「泣き疲れて眠るまでずっと泣き止まないんだ。デルタなんて髪を引き抜かれた」
ダルク様もジャスティンをあやしながら、説明した。
デルタとはべスター家で一番の古株の料理人だ。彼女の白髪混じりのブロンドを引き抜いたのか……どっちが?
疑問に思っている間にお二人はあたしにさっとお子さんを渡した。
ボロボロのままなのに! と言う暇もなく左右から泣き喚かれる。
聴覚が優れている分、キツい。
「ほらほら、ジャスティン、ダーウィン。エミリアだよ」
大地主の威厳はどこへやら、ダルク様は涙であたしが見えない息子をあたしの髪を摘まんで鼻をくすぐる。
それで初めて彼らはあたしに気付く。
がしりと猫パンチの如く二人はあたしの赤毛を掴む。……痛い。
お気に入りを見付けた二人は啜り泣いていたが、まもなくしてあたしの髪を握り締めたまま寝てしまった。
その場に集まっていた使用人達も含めて、安堵で胸を撫で下ろす。あたしの留守中はどうやら壮絶だったようだ。
「んまぁ! なんて格好なの!?」
初めてあたしのボロボロの格好が目に入り声を上げたジャスミン様の声にもあたしの腕の中にいる赤ん坊は起きない。よっぽどなき疲れたようだ。
お気に入りを取り上げられる子どもの癇癪は凄まじい。次の狩りは気を付けようと思った。
お気に入りはすぐに変わると思ったが、いつまで経ってもダーウィンとジャスティンはあたしの赤い髪を掴んだ。
よちよちと這うようになると、あたしを捜し始めるので誰もが注意した。手に終えないやんちゃな二人で、ほんの数秒目を離しただけで消えてしまい、いつの間にあたしの足元に現れてエプロンドレスを掴む。
ある時は食事を運んでいる時に行く手に待ち構えていたので、危うく踏み潰すところだった。
ダーウィンとジャスティンが怪我をしないように、メイド長のハンナにあたしが四六時中見るように言われた。
そうすればダーウィンとジャスティンが屋敷中這い這いしてあたしを捜さないで済む。
ジャスミン様と一緒にずっとお二人の世話をした。相変わらずあたしの髪がお気に入りでずっと握り締められる。代わりに赤い毛の束を渡したがそれは気に入らなかったらしく放り投げられた。
やっぱりあたしの赤毛がいいらしい。
大きくなるにつれてわかったことは、ダーウィンもジャスティンもジャスミン様似の顔立ちをしていた。
最初に話したのはダーウィンで、内容は予想通りあたしの名前。
狩りに出掛けていた間にあたしの名前を呼ぼうとして「エアー」と初めて発したらしい。
それからあたしは彼らに、「エアエア」とずっと呼ばれている。
最初に歩いたのはジャスティンであたしを捕まえるなり、抱っこを要求しては髪を掴む。
ダーウィンは壁にしがみついて立つだけで精一杯で「エアエアエアエアー」と涙ながらにあたしを呼ぶ。
成長するにつれて手間が増えた。
次にウィルがべスター家に訪ねてきたのは、一年後。
走るようになった彼らはバタバタとウィルと向き合うあたしのエプロンドレスに捕まった。
それを見たウィルは珍獣でも見るような目で、ダーウィンとジャスティンを見下ろす。
見知らぬ人を見付けたダーウィンとジャスティンはエプロンドレスに顔を埋めて隠れた。
「でっかくなったな」
「はい。ウィルさんのお子さんもでしょう?」
「まぁな。さっさと行くぞ」
「あの……ウィルさん。今回はどちらに行かれるのですか? 離れるとこの子達が泣きじゃくるのであまり離れられないのですが……」
追い回してくる様子からするとまた泣き喚くだろう。だからあたしは遠出はやんわりと断る。
ウィルは呆れ顔をしてから睨むような目をダーウィンとジャスティンに向けた。ギュウ、と二人があたしの足にしがみつく。
「一日だ。早く行くぞ」
「わかりました」
あたしはサッと二人を抱えてジャスミン様の元に人間離れした速さで向かう。
これをするとダーウィンとジャスティンは喜ぶ。
「一日出掛けていきます」
ジャスミン様は顔を歪ませて髪をまとめるようにメイドに頼み始めた。髪をむしられないためだ。
申し訳ないと思いつつ、ダーウィンとジャスティンに笑みを向ける。ジャスティンは笑い返したが、ダーウィンは感付いたのか浮かない顔をした。
捕まる前にあたしは逃げて、馬に股がりウィル率いるハンター達と共に二回目の狩りに出掛けた。
帰ってこれたのはその翌日の深夜。
思った通りダーウィンとジャスティンは泣き喚いたそうだ。
ジャスティンは泣き疲れて眠ったが、ダーウィンは昨日からずっと起きて泣きじゃくっていたらしい。
あたしを見付けるなりヨロヨロとダーウィンは駆け寄ったので抱き締めた。
「熱があります!」
「やだ、本当?」
肌のぬくもりを覚えていたので、いつもより熱いとあたしはすぐ気付いて知らせる。気付けなかったジャスミン様もハンナも慌てて医者を呼んだ。
こうゆう時、肌が冷たいと便利だ。氷代わりにずっとダーウィンの額に手を当てて看病した。
冬は触ることを拒否されたがちだったが、今回は冷たい肌が役に立てて良かった。
『ヘルシンの死闘』から五年経った年。
ダーウィンとジャスティンは喧嘩が絶えなくなった。
髪色以外はそっくりな二人は何が気に食わないのか、食事中に向き合っているだけで料理ごと食器を投げ合う。
子どもだけあって加減というものを知らないため、容赦なく顔面を狙うからあたしは間一髪部屋の隅から飛んで二人の顔にぶつかる前にキャッチした。
「お見事」
拍手をするダルク様。
いやいや、お叱りください。
と思うが言わずにあたしはダーウィンとジャスティンにすがめた目を向ける。
躾も教育もあたしの仕事なのだ。メイド兼教育係・エミリアです。
「危ないじゃないですか、お坊っちゃま。今度の喧嘩の原因はなんです?」
問い詰めるとダーウィンとジャスティンは口をきつく結んだまま、右手で向かい側の片割れを指差した。
いやこいつが悪い!と言わんばかりにつつくように右手をつき出す。
片方が左手で差せば鏡のようにぴったり動くのに、お二人はひたすら喧嘩を繰り広げた。
同時にあたしに抱き付くと蹴り合いが始まる。間に挟まれたあたしも痛い。
言葉を理解し始めたから、女性の髪を引っ張ってはいけないと教えて以来彼らは引っ張らなくなったが、触る許可を得てから一日一回は触ってくる。
あたしの髪で綱引きされることだけは回避された。
喧嘩の原因が自分だと気付くのにそう時間はかからなかった。
二人を一人で面倒見ているため、一方に気を取られているともう一方がふて腐れてちょっかいを出すのだ。
要はあたしに構ってほしいだけらしい。
次第に片割れを敵視し始めて、喧嘩勃発となるのだ。
「いいですか?ダーウィンお坊っちゃま、ジャスティンお坊っちゃま。お二人はご兄弟です。双子の兄弟なのです。同じ日に産まれた兄弟がいがみ合っては、ダルク様もジャスミン様も悲しまれます」
二人を並んで座らせてあたしは諭した。
「ぼくたちがうまれたひって、どうして『しとうのひ』って呼ばれるの?」
産まれた日に意識が逸れてダーウィンは訊く。彼の質問は尋常じゃないくらいしつこい。
一体誰から『ヘルシンの死闘』の話をしたんだろうと犯人を推測するが、先にダーウィンに答えることにする。
「いいえ。『ヘルシンの死闘』と呼ばれるのはお坊っちゃま方が産まれた日を含む四日間です」
彼らが産まれた日は、祝福祭が行われて『奇跡の双子』である彼らは祭り上げられた。否応にもその話を耳にするだろう。
前々から話す許可を得ていたから、あたしはお二人の手を握った。今の季節は夏だから嫌がられない。
「あたしが吸血鬼だってことは知っていますね?」
「うん」
「エアはきゅーけつき」
「……エミリアです」
染み付いた呼び名はなかなか改善しなかったが、それは後回しだ。
あたしが人間ではないことはもうとっくに話した。
「あたしが吸血鬼に噛まれたのが全ての始まり。『ヘルシンの死闘』の始まりでした。悪い吸血鬼でたくさんの命を奪い去りました。四日間、このべスターの屋敷で生存者は立て籠り吸血鬼と戦ったのです。その最中に、貴方がたが産まれたのですよ、ダーウィンお坊っちゃま、ジャスティンお坊っちゃま。そのあと直ぐに吸血鬼ハンターが救ってくださったのです。だから貴殿方を街中の人々は『奇跡の双子』と呼ぶのですよ。貴方がたのお誕生日に祝福祭をするのは貴殿方が産まれたことで悪夢から解放されたことを喜び祝うために」
怖がり手を握り返すダーウィンとジャスティンが悪い夢に魘されないように、微笑んで優しく語る。
決して彼らが誕生したのが悪い日ではないと理解してもらうために。決して誤解なさらないように、言い聞かせた。
「エアはいいきゅーけつきだよね……?」
不安げに訊くジャスティン。
やっぱり怯えてしまったようだ。
「もっちろんよ! 一番戦ってくれたのはエミリアなのよ? 自分だけ危険な外で大勢の吸血鬼と戦って私達を守ってくれたのだから」
脅かすように唐突に背後から声をかけて、震え上がった自分の息子を抱き締めてジャスミン様はあたしの代わりに答えた。
「あたしは既に吸血鬼だったので……」
危険に変わりはなかったが、守ることしか頭になくあの時は危機感がまるでなかったことを言っても、ジャスミン様はあたしを人間扱いするので無駄だろう。
「お前達のうぶ声を耳にしてエミリアはなんとしても守り抜いて幸せに育ってほしいが為に、一人で諦めずに最後まで戦ったんだ。エミリアがいるから私達も今生きていて、お前達もこうしてここにいられるのだぞ」
書斎にいたはずのダルク様がいつの間にかあたしの後ろにいて肩に手を置いて息子達に告げた。随分大袈裟に美化しているが訂正することはやめてあたしもダーウィンとジャスティンに向き直る。
「自分がこうしてここで幸せに生きられるのは、ダルク様とジャスミン様のおかげなのです。だからこそ、お二人の大事なご子息にも幸せになっていただきたい……このべスター家には幸福に包まれてほしいと、その一心で」
「でもみんな、みんなをまもったんでしょ?」
あまり自分を過大評価される前に、あたしの存在はダルク様とジャスミン様のおかげで成り立っていることを伝えたが、ジャスティンが遮ってきた。
結果的に街の人も助けたことになるが、当時はべスター家のことしかあたしは考えていなかったので答えに苦しんだ。
「どうしてみんな、エアにありがとうっていわないの?」
ダーウィンも続く。
言葉足らずだがダーウィンが言いたいのは、多分何故あたしは讃えられないのかってことだろう。
『奇跡の双子』である自分達より、エミリアを讃えるべきだ。
そう言いたいようだ。
ほとんどの時間一緒にいる彼らは、街の人があたしに感謝を示す行動をしていないことを知っている。祝福祭も祭り上げられるのは彼らの方。
ダーウィンは敏感な子だ。こうゆう質問は言葉を選ぶのに苦労してしまう。
「街の皆様は感謝しております。当時もたくさんお礼をいただきました」
「でもおまつりのときは、いってなかった。どうして?」
「……いい吸血鬼でも、怖いからです」
「どうしてこわいの?」
「吸血鬼だからです」
「いいきゅーけつきなのにどうして?」
「それはあたしが五年前から姿が変わらないからです。五年という月日が過ぎれば少なからずとも姿が変わるものですが、吸血鬼であるあたしは成長が停まっているため変わっていません」
「どうしてかわっていないだけでこわいの?」
「人間ではない異形なものだから怖いのです。いい吸血鬼だとわかっていても、臆することは仕方ないことです」
「おくすることって、なに?」
ダーウィンの質問ループである。
子どもは質問することが好きだが、彼の場合どが過ぎているのだ。知識欲が強大すぎるらしい。
ダルク様は嘘を嫌うお方なので、あたしはしっかり真実を答えるしかたなかった。
五年前からあたしの姿は一ミリも変わらない。髪さえも伸びないため、時が停まったかのようにあたしの姿はあの日から保たれたままだ。
『奇跡の双子』が悪夢から解放された幸福の象徴ならば、あたしは悪夢が始まった象徴。だから街の人は感謝しつつも、あたしを見て『ヘルシンの死闘』を思い出して臆するのだ。だから祝福祭は極力人から遠ざかっていた。
あれ? なんでこんな話になったんだろうか。
本題からも大分遠ざかっていたことに気付いて、慌てて繋ぐ。
ダーウィンとジャスティンの喧嘩を止めさせるために諭していたんだ。
「だからどうか、いがみ合うのはおやめください。ダーウィンお坊っちゃま、ジャスティンお坊っちゃま。いがみ合っては幸せは遠ざかってしまいます。べスター家の皆様には幸せになってほしいですから、どうか」
「エアはしあわせ?」
またもやダーウィンに質問を食らわせられた。
「べスター家の皆様が幸せならば、幸せです」
そう答えるとダーウィンとジャスティンは顔を見合った。鏡を覗くようにじーと見つめあう。
無言の会話をしているようだ。もしかしたら双子でテレパシーをしているのかも。
「エアがしあわせならぼくもしあわせ!」
「ずっとしあわせ!」
子どもの笑顔は天使と表現されることが多いが、本当に彼らは天使のように無邪気で美しい笑みを浮かべた。
そして二人して仲良くしゃがんでいたあたしに抱きつく。
仲良くすると承諾してくれたかと思ったが、すぐに腕がぶつかったと因縁をつけて殴りあいを始める。
抱き締められたままのあたしは、五歳児の猫パンチを食らった。
最後まで読んでいただき、誠にありがとうございました!
お粗末様でした(*´∇`*)