Ⅱ「はじまり」
照明が落とされた薄暗い部屋を、テレビの青白い光が照らしている。画面の中では、スポーツカーが道路を疾走している。車を操っているのは、画面を食い入るように見つめコントローラーを握りしめている二人の高校生。
ゴール直前、赤い車が青の車を抜いて首位に躍り出た。そのままゴールを突っ切ると、
「やったーっ!」
歓声を上げたのは、長い髪をツインテールにした童顔の女子高生だ。もう一人の男子高校生はがっくりと肩を落とした。
「今回もあたしの勝ちね、拓未くん」
「ったく、なんでカーレースだけは強いんだよ。これだけだぜ、僕が梓に勝てないのって!」
拓未はくそっと悪態をついてコントローラーを放り投げた。いまどき珍しい生のコントローラーは、ごんっと音をたててフローリングの床に転がった。
梓はふふんと得意そうに笑った。
ちらりと拓未が視線を投げかけた掛け時計が、深夜十一時五十分を示していた。
「…………どうなると思う」
小さく梓がつぶやいた。拓未の視線に気づいたようだった。
「どうなるって――」
「わかってるでしょ。十二時になったら、あたし、どうなるんだと思う? いきなり記憶をなくして、どっかに行っちゃうなんて、そんなの……」
「……もしかして、怖いから?」
「あら、他に何があるっていうのよ」
拓未は苦笑した。
しんとしたこの家にはいま、幼なじみである梓と拓未の二人しかいない。親はいない。梓を捨てたのだ。人とは違う梓を。
「怖いのよ」
小さくつぶやいた。見ると、かすかに体が震えている。十二時が、十八歳の誕生日が、刻々と近づいてくる。
「梓ちゃん……」
ぎこちない手つきで、拓未はそっと梓を抱きしめた。どうすることもできない自分をもどかしく思い、そしてこんなばかげた政策を取った政府を憎く思った。こんな政策さえなければ、梓も自分も、おびえずにすんだのに。
時計は、十一時五十八分を示していた。その時は、もう目の前に迫っている。
梓は拓未から離れると、静かに言った。
「ねえ、拓未。あたしは信じてるわ」
「……何を?」
「あなたは世界を変えられる」
「…………は?」
拓未は首をかしげた。
「僕が、世界を変える? ……冗談だろ?」
「冗談じゃないわ。拓未は世界を変えられる。あなたは現代の『アスキ』になれる。それだけの力が、あなたにはあるの」
「ないよ、そんな力」
「あるの! ねえ、信じてよ」
「そんなこと言われても……」
拓未は口ごもる。長針が五十九分を示す。
「あたしはどこか遠い場所へ行く。時間はない。でもあなたにはある。だから」
梓はいったん言葉を切った。そして拓未をまっすぐに見つめ、言い放った。
「だから、世界を変えて。ばかげた政策もない、あたしたちが安心して暮らせる世界を作って」
拓未は梓を見つめた。
何か言おうと口を開いた、そのときだった。
掛け時計が鳴った。ハッと時計を見ると、――十二時だった。ついにそのときがやってきたのだ。
「梓ちゃんっ」
慌てて隣を見ると、梓は虚ろな目をして、時計を見上げていた。そしてゆっくり立ち上がると、床に投げ出されたメガネ・コンピューターもそのままに、歩き出した。玄関に向かって。
「梓ちゃん……」
こうなることは分かっていた。だが実際目の当たりにしてみると、言葉も出なかった。
目の前にいる梓は、自分の知っている梓ではない。虚ろな目をした、見知らぬ女子高生……。
梓は靴も履かず、夜の街に足を踏み出した。
そして、彼女が帰ってくることはなかった。
彼女は、見知らぬ土地へと向かった。




