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吠える島  作者: 宮本あおば
第一章
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第八話・シリアル・キラーズ

〈これまでのあらすじ〉

北本祐司が働くホノルルのホテルを訪ねて日本から来た友人、河野由樹の妻、広美が惨殺死体で見つかった。浜辺で河野の遺留品が見つかった事から、警察は無理心中と判断する。直後に別件が起き、ホノルル警察のクリストファー・サトーは、隣人の話から被害者の同居人で、ヒイアカと名乗るポリネシアン女性を重要参考人として手配する。

 事件の衝撃から立ち直れない祐司の元に、再び警察が急行し、前日の殺人事件現場と早朝の別な事件現場から河野の指紋が発見されたと告げる。日本人観光客夫妻が惨殺された現場は、捜査陣に前日の事件を彷彿とさせた。


 耳鳴りがするのを必死で堪えながら、祐司は「まさか、冗談でしょう」を繰り返し、その都度、警部は「残念ですが」と短く言った。

「現在のところ、我々は何故、ヨシキ・コーノがカリヒにいたのかも分からないし、ポリネシア系の女性との関係も分からない。目撃者の話では親しげであったというだけです。日本にも順次問い合わせをしますが、ホノルル在住の彼の知人はあなただけだ。協力して下さい」

「あの、被害者のご夫婦というのは……」

 頭の中でもう一人の自分が、そんな事を聞いてどうするのだと言っている。警部が手帳を捲る。

「ミスター・シゲル・エトー、四十七歳とミセス・マリコ・エトー、四十四歳。パスポートの発行はオーサカですね。何か心当たりは?」

 口を噤んだまま、祐司は記憶を掘り起こそうと懸命になった。メールでやり取りした内容。河野がホノルルに到着してから言った言葉。

 しかし一方で、お前は警察が言ったら、それで河野が殺人犯だと決め付けるのかと、また頭の中で声がする。

「ありません。ご存知だと思いますが、彼の町と大阪はとても遠い。知人がいたという話は聞いたことがありません」

 そうですか、と警部は手帳を閉じた。祐司の言葉を予期していたようだ。

「こういうことは考えられませんか。彼には、他に知り合いがハワイにいて、あなたには言わずに連絡を取っていた。つまり、あなたの全く知らない人間関係があった」

 どうです、と瞳を探る警部に、祐司は黙っていた。

仮にそうだとしても、自分が知らされなかった事にどんな意見を言えというのだ。河野の事はよく知っているつもりでいたけれど、そうではなかったのは、もう充分に分かった。

「最後に、彼の宗教は何ですか」

 祐司は驚いて顔を上げた。質問の意図が読み取れない。

「どういう質問ですか。確か、仏教と神道と。その、一般的な日本人ですよ」

「彼が何か別の、カルト的な宗教に入信していたという事は?」

「ない、と思います」

 語尾が消え入りそうになった。河野に関して、自信を持って答えられる事がない。あると思っていたつながりが、消えてしまったような気がする。

「どうも。その点については、ご家族にでも問い合わせましょう」

 いつでも連絡は取れるようにしておいて下さいと念を押して、二人の警察官は帰って行き、祐司はよろめく足取りでホテルのエントランスに戻った。


「祐司、何て顔だよ。何があったんだ。警察の旦那方は、あんたが何かしたわけじゃないって言ってたが」

 ロイが待ちかねたように駆け寄った。隠しても仕方がない。祐司は警部から聞いた話を簡単にした。

 丁度、入ってくる車もなく、ジュニアともう一人の同僚、マークも聞いていた。

「マジかよ。お前、そいつがそんなにやべぇ奴だって知らなかったのか」

 祐司と年が近い割には、落ち着きのないマークが頓狂な声を上げる。ジュニアが大きな目を剥くと、「あ、悪い」と大人しくなった。マークはいつでも悪気はない。

「どうする、祐司? 帰りたきゃ帰ってもいいぞ」

 驚きは隠さなかったものの、ロイは祐司を気遣ってくれた。いつもは弱気な所があって、明らかに客が悪いと思われる悶着が起こっても、頭を下げてしまうロイだが、裏を返せば優しいという事だ。

 少し迷って、祐司は首を振った。

「帰らないよ。仕事もちゃんとやる」

 祐司の給料は時給とチップからなっている。

 アメリカ本土はどうなのか知らないが、ハワイでは、時給制の仕事が実に多い。無論、病欠手当てや有給休暇はあるが、それはこれから起こる事に取っておくべきだ。今、収入を減らしたって何もならないし、家に帰ったって何が出来るわけでもない。

 やがて入って来た車をさばきながら、祐司は何度も警部の話を頭の中で反芻した。

 ハワイアンやフィリピン系の男を殺す河野、血塗れで。人を殺した後に、ポリネシア系の女性と肩を並べる河野。想像も付かない。

 広美さんを殺したのは河野だと告げられてからも、祐司の頭はそれを認めていない。

 河野と殺人という行為は、どうしたって結び付かない。ましてや、その後四人もの人間を手に掛けるなんて、河野じゃない。

 あの時日本で、家族さえも祐司を信じていなかった事件で、たった一人河野が自分を信じてくれた。今度は自分の番なのだろうか、それとも殺人を犯した彼を受け入れなければならないのだろうか。


 夕食のために、ホテルから外出する客が、パーキングのチケットを祐司に手渡す。広美さんと同じ年恰好の日本人女性だ。

「悪いけど急いで。予約の時間に遅れそうなの」

 二つ返事で祐司は柱の後ろのキイ・ボックスから、チケットの番号の鍵を取り出した。鍵と一緒に付けてある半券に、駐車した場所を示す番号も書いてある。

「すぐですよ」と客に声をかけ、駐車場目指して祐司は駆け出した。

 あの年頃の日本人女性を見ると、心がひりひりする。いずれハワイアンやフィリピン系の中年男性、日本人の中年夫婦を見てもこんな思いに駆られるようになるのだろうか。

 客のレンタカーは、ポピュラーなドッジのネオンだった。車寄せにぴったり付けると、座席の位置を直し外に出る。助手席に乗る人間があれば、慇懃にドアを開けるのも、祐司達ヴァレーの仕事だ。

「お気を付けて」

 いつも日本人の客にはする挨拶だが、今は、殊更感情が入った。手に握らされた一ドル札は三枚。きっと旅慣れた人なんだろう。ヴァレーの一般的な相場は二ドルだが、急げと言い、祐司がその通りにしたから一ドル増し。

 慎重な運転でホテルを後にする客は、一昨日からの滞在らしい。連れは同年代の女性。気の置けない友達同士の旅行だろうか。つつがなく楽しい時間を過ごして日本に帰ってくれるといいな、と祐司は思った。

 事故に遭わずに、殺されたりしないで。

 ゴールデン・ウィークを前にして、ホテルの予約率も普段より高い。夕食にやって来る客と外出する客の応対に追われている内に、今度は夕食を食べ終わった客と、ホテルに帰って来る客の対応に追われた。この際、忙しいのは有難かった。

 十時少し前に、祐司は持ち場を離れた。ロイには予め断ってある。従業員控え室で地方版のニュースを見るつもりだった。

 控え室には他の数人に混じって、コックのジェイがいた。軽く挨拶して横に腰を下ろす。間もなく聴きなれた音楽と共に、ニュースが始まった。冒頭でヘッドラインの紹介がある。

「ホノルルに大変な連続殺人犯(シリアル・キラーズ)が現れました」

 その一言で、祐司は頭を殴られたような気がした。やがてニュースは本篇に入り、HPDがヒロミ・コーノ殺害、トーマス・マホエ、ロナルド・マラナ及びシゲル・エトー、マリコ・エトー殺害の犯人を同一と認めたと、アナウンサーが深刻な顔で告げた。

 心臓が跳ねている。

 ついにアナウンサーは、ヨシキ・コーノという名前を口にした。

 すぐに映像が切り替わった。警察の制服を着たハワイアンの男性が、苦渋に満ちた顔でマイクに向かっている。警察署長の記者会見だ。

 彼はハスキーな声で、現在全力を挙げて捜査にあたっていると述べ、市民の協力を求めた。

 画面に女性の似顔絵が映し出される。張り出した額としっかりした顎が印象的だ。目尻が上がっていて、唇が厚い。アナウンサーが読み上げる身長を頭の中で素早く計算すると、大体百七十センチ前後らしい。

「これがヒイアカというポリネシア系の女性です」

 アナウンサーの声は、あくまで冷静だ。そして祐司が一番見たくなかったものが画面に現れた。

 河野の顔だった。

 パスポートか運転免許証の写真は、生真面目にブラウン管を通して祐司を見ている。日本人にしては彫りの深い顔立ちを、懐かしいとは思えなかった。

 アナウンサーが特徴を読み上げ終わる前に、祐司は控え室を飛び出した。

 とても見ていられなかった。


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