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吠える島  作者: 宮本あおば
第一章
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第七話・惨劇

〈これまでのあらすじ〉

 北本祐司が働くホノルルのホテルを訪ねて日本から来た友人、河野由樹の妻、広美が惨殺死体で見つかった。警察の聴取を受けた祐司は、彼の無事を期待するが、浜辺で河野の遺留品が見つかり、警察は無理心中と判断する。直後に別件が起き、ホノルル警察のクリストファー・サトーは、隣人の話から被害者の同居人で、ヒイアカと名乗るポリネシアン女性を重要参考人として手配する。

 事件の衝撃から立ち直れない祐司の元に、再び警察が急行し、前日の殺人事件現場と早朝の別な事件現場から河野の指紋が発見されたと告げた。


 同じ日の早朝、クリストファーは携帯電話の音で起こされた。

 カリヒで起きた殺人事件に何か進展でも、と期待して出たクリストファーに、ようやく風邪の治った捜査課課長のジェイソン・ランドが新たな事件だと告げた。

 ワイキキの大型ホテルで、日本人観光客が殺された。第一動は別の班を率いる警部補、レイモンド・マセズがすでに向かい、報告も入っている。

「それがな、刺殺なんだよ」

 ジェイソンは声を潜めた。まるで、ヒロミ・コーノの時と同じようなひどい状態らしい。

 即座にクリストファーは「現場の様子を見に行きます」と伝えた。

 日本人観光客がホテルで刺殺と聞いて、まず「またか」と思った。ヒロミ・コーノの事件は結了しているが、日本から来て家族を刺す事件が続出してはたまらない。

 考えながら着替える際、伝達を思い出して防弾ベストを着込んだ。

 昨日発見されたトーマス・マホエは銃を持っていた。警察に登録してある二丁の拳銃は、カリヒの自宅からは発見されなかった。犯人が銃を持って逃走したと考えられるため、捜査課の人間は、普段は中々徹底されない防弾ベストの着用を、きつく言い渡されている。

 カリヒの事件とこの件が関係しているわけはないが、部下の手前もあるし、着けずに行く事は好ましくないだろう。


 殺人の現場となったワイキキの西端にあるトレジャーアイランド・ホテルズアンドリゾーツは、イギリスの作家、スティーブンスンの名作「宝島(トレジャーアイランド)」から取った名前だ。従業員の一部は海賊を模したユニフォームを着せられている。

 広い敷地には四つのタワーが立ち並び、店舗、レストランも数多く入っている。事件が起きたのは、最も料金の高い翡翠(ジェード)・タワーの二十八階スイートだ。

 叩き起こしたジャスティンとは、ホテルの駐車場で合流した。

 班の他のメンバーまで引っ張り出す必要は感じなかったし、ジャスティン一人を連れて様子を見に行ってもレイモンドは怒るまい。

 腕時計をのぞくと、六時だった。日の出が近い。タワーの入り口にはもう何台もポリス・カーが停まっている。

 タワーの内部では不満顔の宿泊客と、困惑顔の従業員が入り乱れていた。現場付近の部屋の客を移動させているに違いない。

 エレベーターで二十八回まで昇る。

 角部屋にあたるそこへ近付くと、レイモンドが鑑識課の一人と話しているのが目に入った。

「来たのかい、ご苦労さん。全く、とんでもねぇぞ。本土から殺人鬼でも入って来てんじゃねぇか」

 レイモンドの本土嫌いは有名だ。

 若い頃は交通違反を取り締まる保安部にいて、本土から来た観光客に違反チケットを切りまくっていたのも知られている。自分だって白人の癖に、本土の白人が大嫌いなのだからどうかしている。

 階級と役職では一応クリストファーが上司という事になっているが、長い付き合いで、お互い丁寧な口は利かない。

「被害者は日本人だって?」

「ああ、もう、気の毒。家族にも見せらんねぇかも。見とくかい?」

 その前にと、クリストファーは発見の経緯を尋ねた。

 午前三時、ホテルのフロントに隣室から苦情の内線電話がかかった。隣の部屋のテレビがうるさくて眠れないと言う。

 フロントから部屋へかけた電話への応答はなし。仕方なく、アシスタント・マネージャーがセキュリティーを伴って部屋へ向かった。何度呼び鈴を押しても反応がないため、マスターキイを使って中に入ると宿泊客と思われる二人が殺されていた。

「一時くらいからテレビの音はうるさかった、てんだよ。二時間も我慢したわけだ、隣の客は」

 どんな客なんだと聞くと、これも日本からの観光客で老夫婦だという返事が帰って来た。

 クリストファーはレイモンドに断って、部屋の中に入った。

 血の臭いがきつい。さすがに広いスイートは、入るとオーシャン・フロントのリビングになっている。窓を開けたいところだろうが、鑑識課の仕事が終るまでは無理だ。

 簡易キッチンが付いていて、近くにダイニングセットがあり、ベランダに近い方には豪華なソファーセットが置いてある。通報の原因となったテレビは、キッチンの脇の戸棚に設置してあった。

 被害者はベッドルームの、大きな天蓋付きのベッドの上だった。一応、人間の形はしているものの、損傷は凄まじい。

 二人とも両手を頭の上で、一つに括られている事からすると、殺害の現場もベッドの上だろう。口にタオルか何かを巻き付けてあるのが、血塗れの顔からかろうじて見て取れる。

 クリストファーは目を背けた。

 誰かを殺すのにここまでする理由があるものだろうか。怨恨にしてもあまりに病的だ。むしろ、快楽殺人の部類ではないのか。

 目を背けたついでに、部屋の中を見回す。かなりの荒らされようだ。クロゼットから引き出されたと思しき衣類があちこちに散乱しており、スーツケースは二つ、大きく口を開いて床に広がっている。

「本当のとこは、拷問じゃねぇかな」

 レイモンドが低い声で囁いた。なるほど、そういう見方も出来る。犯人は被害者の持っていた物か情報を捜しており、入手するために拷問にかけたというわけだ。

「ジャパニーズ・ヤクザの関連かい?」

「被害者は、大声出さずに犯人を部屋に入れたんだろうよ。テレビは多分その後だ。部屋に入れたのは、銃でもちらつかされたんじゃねぇか? 何にしたって犯人は、被害者がここに泊まってたことを知ってた奴よ。ホテルのフロントは、宿泊客の名前だけじゃ部屋番号は教えねぇからな」

 レイモンドの言う事はもっともだ。二人がそうしてひそひそと話している間、ジャスティンは部屋の中をあちこち覗いたり、先に来ていた警官達に何か聞いたりしていた。

「ジャスティン、現場を荒らすんじゃないぞ」

 レイモンドへの遠慮から、クリストファーはジャスティンに注意を促した。こんな時の自分の声は父親めいていると思う。

 ジャスティンは素直に返事をして、すぐに近くへ寄って来た。

「Uh, It’s so sick.」

 吐き出すように言ったが、犯罪捜査課にやって来たばかりの頃のように、本当に吐いたりしなくなっただけでも進歩だ。

「あの、クリストファー。私は四世ですから、よく知らないんですが、日本では、その、遺体の一部をどうかするって伝統があるんですか。それとも宗教的儀式とか?」

 おずおずと尋ねるジャスティンは何が言いたいのか。クリストファーが聞き返す前に、レイモンドが大声を出した。

「おお、それよ。俺も訊こうと思ってたんだ。被害者の遺体、肉が切り取られてるんだが、見当たらねぇのさ。何かのまじないかね? それとバスルームを見てみなよ」

 絶句したのは、僅かな間だった。

「いや、俺も三世だし、日本にはいっぺんも行ったことがないから、何とも言えんな」

 搾り出すように言うと、ジャスティンはそうですか、とだけ言い、レイモンドは「誰かに訊かなきゃな」と簡単に言ったが、二人共顔色が悪かった。きっと自分と同じ事を考えているに違いない。

 言われた通りにバスルームを覗いて、クリストファーは自分の顔が歪むのが分かった。

 床には血に汚れた衣服が、備え付けのバスタオルと一緒に脱ぎ捨てられていた。洗面台の周囲には若干の血痕も残っている。黒い、長い髪が数本落ちていた。

 犯人は被害者を殺害した後、返り血を拭い、服を着替えたのに違いなかった。はっきりとは分からないがシャワーも使ったかもしれない。

 写真の撮影、指紋の採取、遺留物の収集といった諸々の作業が終了するのに、それから少しかかった。被害者が間違いなく宿泊客であるか確かめる作業は、検死の際、顔の血を拭き取ってから、パスポートの写真と照合すると、レイモンドが言った。

 室内の作業が終る前に、レイモンドは部屋を出た。ホテルの従業員から話を聞くためだ。

 邪魔はしないからと断って、クリストファーも後に続いた。ジャスティンが考えにふけっている顔をして付いてくる。

 タワーの一階には、ワイキキ地区の警官達と、数人のホテルの従業員が緊張した面持ちで何事か話し合っている。その中から一人、ライアン・パークがレイモンドに向かって来た。

 ライアンはレイモンドの相棒(パートナー)だ。韓国系で背が低く、いつも人懐っこい微笑みを絶やさない。自信に溢れたような物言いは時に気に障るが、おおむね気持ちの良い青年だ。年が近いせいか、ジャスティンと仲が良い。

「レイ、ホテル内で不審な車両はなかったそうですよ。ええと、犯行時間はおよそ午前一時から午後三時までの間と考えられますよね。その時間帯にヴァレー・パーキングをやってるのは、本館のサファイア・タワーだけで、外出した車両はナシ。ホテル全体の駐車場から出た車は出入りの業者が主で、宿泊客と見られる人間でも、これと言って怪しい風体の人間はいなかったようです」

 ニュースのアナウンサーのように喋るのも、ライアンの癖だ。

 ライアンの両親は韓国から来た一世で、ライアン曰く「お袋はまだ英語がよく話せません」なので、彼らは息子には完璧な英語を話すようになって欲しかったらしい。

 幼い頃から正しい英語を話すよう言われ続けて来たそうだ。もちろんライアンは「英語がよく話せ」ない母親との会話から韓国語も学んだ、立派なバイリンガルだ。

「ったっておめぇ、ヨットハーバーの駐車場に停めて、歩って来たかもしれねぇ」

 レイモンドがすかさず突っ込む。それはその通りで、ホテルのすぐ西側は、アラ・ワイ・ヨットハーバーになっており、収容台数の多い公営駐車場が隣接している。

 特にこの翡翠タワーからならば、ビーチ沿いに歩いてそれほどかからない。

「でなきゃ、まだホテルの中にいるかもしんねぇな」

 更にレイモンドは付け加える。クリストファーは内心、そうだと呟いた。

「それですが、あちらに不審な人物を見たというホテル・セキュリティーがいます」

 ライアンが示した方角には、赤い上着を着た大柄な白人が立っていた。どうやら海賊の船長を模したコスチュームらしい。腕に大時代な帽子も抱えている。

 ライアンの手招きに応じてやってきた男は、さすがに緊張しているらしかった。これで付け髭や眼帯をしていたら噴飯物だが、それはない。海賊は腰に、ナイフの代わりのトランシーバーをさしている。

「あなたが不審な二人連れを見た時のことを、もう一度話してくれますか」

 若い男は恐縮しながら話し出した。

 時刻は二時過ぎ、巡回中に翡翠タワーの下に差し掛かった時、彼は一組のカップルがタワーの入り口から出て来るのに行き会った。

 男は日本人で薄い色のサングラスをかけていた。身長は五フィート十インチから十一インチ。年齢は二十代か三十代。夜目にも大きすぎるアロハシャツを着て、そのくせズボンの裾はかなり短めだった。

 女はポリネシア系、身長は五フィート八インチ前後。長い髪を解いたままにして、これも短かすぎるムウムウを着ていた。黒いナイロンのバッグを肩からかけて、それが少し重そうだった。

「なんで日本人だと分かったんです?」

 メモを取りながらレイモンドが尋ねる。

「はあ、ズボンの裾が短いのは中国人に多いですから、最初は中国人かとも思いました。でも、つい癖で『グッドイブニング、コンバンハ』って挨拶したら、『コンバンハ』って言いましたからね」

「分かった。でも、別に怪しかねぇでしょう? 日本人とポリネシアンの組み合わせは珍しいけど」

「いや、それがですね」

 レイモンドの誘導に、セキュリティーは大きな声を出した。

「すれ違ったときに、血の臭いがしたんです。かすかでしたけど」

 しかし呼び止めて尋問するわけにはいかない。このホテルの滞在客はわずかな無礼も許さない。セキュリティーはそのまま二人を見送り、二人は実に楽しそうにビーチの方へ歩いて行った。

 黙ってやり取りを聞いていたクリストファーは、次第に息苦しくなった。

 妻を殺した日本人の男の遺体は発見されていない。殺されたハワイアンの同棲相手は行方が知れない。ひどく破損された遺体の肉は、切り取られて見当たらない。バスルームに落ちていた長い髪は何だ。

 この島の狭さを知り抜いているクリストファーの背中は、すでに冷や汗で濡れ始めていた。

「さっきから思っていたんですが、すごく嫌な感じがしませんか」

 背の高いジャスティンが、クリストファーの耳元に口を寄せた。ジャスティンの呼吸も速い。

「万が一ってことがあるな。違っていても損はしない」

「そうです。指紋の照合には、それ程時間はかかりません。凶器の鑑定も」

 呼吸を一つ整えてクリストファーは、セキュリティーを解放したレイモンドに声をかけた。

「レイ、この事件とカリヒの事件の指紋を照合したいんだがな」

 振り向いたレイモンドは、いささか凶悪な顔をしていた。

「おうさ、俺もそう言おうかと思ってたところだ。ったくふざけた奴らだ。許さねぇ」


 日が昇り切った頃、鑑識課から犯罪捜査課に連絡が入った。

 トレジャーアイランドの殺人現場で採取された、犯人のものと判断される指紋は二種類。

 両方共がカリヒの現場で採取されたものと一致し、その内の片方が、ホテル・キングダムの殺人現場のものと一致する。

 トーマス・マホエとロナルド・マラナ殺害に使用された凶器は、マホエが釣りに使用していたナイフではないかとの報告はすでにされていた。釣具を持ち運ぶプラスティックのバッグが開けたままで放置されてあったからだ。

 鑑識課は傷の具合から、今回使用された凶器も同じだろうとの報告も加えた。

 警察の上部は事件を大々的に報道し、市民の協力を仰ぐとともに注意を呼びかける判断を下した。

 ホノルルではめったにある事ではない。メディアからはむしろ口が重すぎると揶揄されるのがHPDの伝統だ。

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