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吠える島  作者: 宮本あおば
第二章
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第三十一話・別れのあと

〈これまでのあらすじ〉

(第一章の詳しいあらすじは、第二章一話をご覧下さい)

 ホノルルを震撼させた連続殺人犯、河野由樹とヒイアカが壮絶な最期を遂げた後、警察の担当官だったジャスティン・ナカノに異変が起きる。

 河野とヒイアカの霊が悪霊になり、自分に憑いていた事を知ったジャスティンは追跡を開始する。悪霊は移動を続け、二人の市民に傷害事件を起こさせた後、立て篭もり事件を引き起こして多くの犠牲者を出し、さらに河野の友人、祐司のルームメイト、ケビンに乗り移る。

 祐司の同僚、ジュニアによって弟、ヴァアの身体に移された悪霊は、自身の言葉で秘密と共犯者について語る。神官でも出来なかった悪霊を祓う為、火山の力を借りようと祐司達はハワイ島へ移動し、ジュニアはヴァアもろとも噴火した火口に飛び込んだ。


 ホノルルへ帰り着いたのは翌日だ。

 ビジターセンターへ辿りついた三人は、突然の噴火に巻き込まれた被害者としてあつかわれた。

 祐司は英語があまり得意ではない、アリシアはショックが大きくて話せない、という理由をジャスティンが作り上げ、パークレンジャー、警察、マスコミとの対応は全て引き受けてくれた。

 仲のいい友人同士が気分転換もかねて、小旅行を思い立った。ついてはその中の一人が障害者の弟にも火山を見せてやりたいと同行させ、ちょうど噴火の時に誤って火口に落ちてしまった。

 ジャスティンはそう説明した。ホノルルでの連続殺人事件に触れないようにしてくれたのは、有難かった。マスコミでは祐司たちの名前は出なかった。

 活動を休止していた筈のヒイアカ・クレーターが突如噴火したことについて、火山学者達は大分驚きもし、様々な学説を唱えたようだけれども祐司は興味がなかった。

 ケビンはひどいショックを受け、大酒を飲んで泣き喚き、傷を悪化させた。


 話を聞き終えたクリストファーは、深い溜息を吐いた。

「全く、常識では計り知れないことが、起きるものだな」

 いつかジャスティンがクリストファーに殴りかかった会議室には、明るい陽の光が射し込んでいる。自分の体験を、言葉通りに信じてくれた上司にジャスティンは感謝した。

 ハワイ島から帰って来て、四日が経っていた。

 本当ならすぐにでもクリストファーには報告したかったが、彼は急な出張でクワンティコへ行っていた。

 ハワイ島へ行く前、何かが起こるだろうとは予測していた。

 カレオ・カマカは病院でジャスティンに耳打ちした。ジュニアがどこで何をしても、その際に何が起こっても動じてはいけない。臨機応変に出来る限りの人数を助けなさい、と。

「あなたは以前より強くなったはずだ。彼らにはあなたが必要です」

 カフナに言われるまでもなく、「悪いもの」の始末には最後まで付き合うつもりだった。しかし、ジュニアとヴァアを失うとまでは思ってもみなかった。

 電話で報告すると、カマカは電話口で「私の命をやりたかった」と泣いた。しかし、最後には泣き止んで、これから一層の修行をすると強い口調で言った。

「第二、第三の『悪いもの』が出て来た時のためにね。誰も命を投げずに済むよう、きっと強いカフナになります」

 あなたも、もっと優秀な警官を目指して下さいね、と続けたカフナにジャスティンは「必ず」と答えた。そのカレオには、今日これからホテル・キングダムで会うことになっている。

「あれから、祐司ともアリシアとも電話で連絡を取りましたが、彼らの中に『悪いもの』がいる心配はなさそうです。やはり私たちが見た青い煙は、『悪いもの』でもあり、ジュニアとヴァアでもあったんでしょうね」

「そうなんだろう。しかし……、若い人が亡くなる話は胸が痛いよ」

 クリストファーが目頭を押さえる。

 今でもジャスティンの手からヴァアを奪い取ったジュニアの腕の感覚が、ついさっきの事のように甦る。止めなくてはと、思った。しかし、ジュニアが噴火口に身を躍らせた瞬間、撃たれたように分かった。

 あの男は、自分がしなくてはならない事を忠実に実行した。

 いつか自分が同じ立場になった時には、きっと潔く身を投げ出す。ジュニアにそう伝えたかった。

 その後、白煙の向こうに現れた人型はジャスティンも見た。

 パークレンジャー達に事情を聞かれる合間を縫って、祐司が同じものを見たという話も聞いた。あれは火山の女神、ペレだったのだろうとジャスティンは思っている。

 彼女の土地に現れた悪霊を、浄化して空に放ってくれたのだろう。

「悪いもの」の記録はHPDには残されない。あるのはコーノとヒイアカの記録だけだ。

 キングダムで事件が起こってから、まだ一ヶ月と少しだ。その間に多くの人間が、死んだり傷付いたりした。

 一警官という自分の立場は変わっていないけれど、内側は変わったと思う。強くなった自覚はないが、どういう自分でありたいのか、少しだけ分かった。

「私は今までよりもこの仕事が好きになりましたよ。いや、この仕事をしてる自分が好きなんでしょう」

 唐突に言ったジャスティンに、クリストファーが顔を上げた。

「そうか……」

「給料は安いし、時間帯も不規則だし、でも私は好きでやってるんですよ」

 ゆっくりとクリストファーの顔に微笑が広がる。

「そうだな、私もだよ」


 食欲のない胃に適当に食事を流し込んだ後、祐司はエントランスの脇で煙草に火を点けた。

 今日もいい天気だ。これから、カレオ・カマカが来る事になっている。ホテルの前のビーチで、ジュニアとヴァアへの祈りを捧げてくれると言った。

 ハワイ島から帰って来た翌日には、仕事に復帰した。

 ジュニアが事故死したことで、彼がどれほどホテルの従業員達から好かれていたか、よく分かった。ホテルの敷地内ではないにしても、カフナの申し出を快く受け、出席したい者は自由にと、ホテルの上部が言ったのは、ジュニアを悼む人間が多かったからだ。一方で、誰も祐司を責めなかった事が却って辛かった。

 煙を吐き出しながら、祐司は一昨日の事を思い出した。

 あれほど好かれてはいたものの、誰もジュニアのサモアの家族への連絡先は知らなかった。ホテルの人事課には、緊急時の連絡先として近所の知人宅が記されていた為、サモアの連絡先を、祐司はジュニアとヴァアのアパートで見付けた。

 アパートの近所に住む大家の立会いの下、祐司は初めてジュニアのアパートへ入ったのだ。スーパーバイザーのロイが同行した。

 古い三階建てのアパートの二階が彼らの住まいだった。隣の小母さんはやはりサモアンで、赤い目をして、祐司のことをジュニアから聞いた事があると挨拶してくれた。

 入ってみて驚いた。家具らしい家具がほとんどなかった。

 ベッドと、ベッドの側にある椅子だけが唯一の家具だった。台所に一通りの食器と調理器具があった事が、わずかに祐司を慰めた。それと本だ。サモア語で書かれた子供向きの本が何冊か、作り付けのキッチンカウンターの上に並んでいた。

 その本の脇に、缶詰で重石をして封筒があった。宛名は「ホテル・キングダムのユージ・キタモトか、HPDのジャスティン・ナカノへ」とあった。

 ジュニアはヴァアの体に「悪いもの」を取り込む前から、何が起こるか予想していた。

 中の便箋には簡潔に、この手紙が読まれてるという事は、自分はきっと死んだのだろう。しかし、あまり悲しまないようにという事と、サモアの家族の連絡先が書いてあった。

 その場で携帯電話からかけた電話は、電波のせいか雑音が混じるようなものだったし、電話に出た老人らしい人のサモア語訛の英語と、祐司の日本語訛の英語の会話はスムーズとは言い難かった。

 それでも何とか彼らの死を伝えると、老人は泣いたような笑ったような声で言った。

「知ってやった、知ってやったよ。いい子たちだったんだ。本当にいい子たちだった」

 そして彼らの兄をハワイへ送るから、事務的な心配はしなくていいと、何とか祐司の理解出来る英語で結んだ。

 ジュニアの兄が来るのなら、会ってみたいような気もしたし、会う必要はない気もした。俺らはいつでも会える、とジュニアは言っていたではないか。


 昨日、ケビンが教えてくれた。

 ジュニアが火口に呼びかけた「マフイエ」とはサモアの神で、地底に棲んで人間に火をもたらした存在だそうだ。地震を司る神だとも言われている。

 同名でスペルの違う「マフイエ」は、マウイ島の神話にも登場するそうだが、そちらではないだろうとケビンはコメントした。

 ジャスティンも見たという人型は、ペレだったのか、マフイエだったのか。それともジュニア自身だったのかもしれない。ジュニアがペレやマフイエのような神々と同化したのだとすれば、ポリネシアを守る存在になったという事だ。

「いつでも会える」とはそういう意味ではないのか。その考えは、少しだけ祐司を楽にした。

「自分がそう考えたいだけかもしれないけど」と言いながらケビンに話すと、彼は微笑んで断言した。「俺はそう考える」

 怪我は良くなってはきたものの、惨事のあった店は再開の目処が立たない。

 時間があるのを利用して、ケビンが祐司から聞いた言葉の意味を探したのは、「そういう考えに辿りつきたかったからだ」と、晴れやかな顔をした。

「それから、俺、病院でお前の顔を見たとき、本当に嬉しかった。ユニフォームのままだっただろ。あの時『悪いもの』はもう俺の中にいたんだろうけど、お前が着替えもしないで駆けつけてくれたんだ、と思って嬉しかったのは、俺だよ。まだ礼を言ってなかったよな」

 インターネットで探した資料と、本とを膝に載せたまま、ケビンは「お前とルームメイトになって良かった」と言ってくれた。


 何となく祐司は空を仰いだ。

 貿易風が心地よく吹いて、薄い雲を吹き流して行く。椰子の葉の向こうに見える空が青い。目を転じてカピオラニ公園を見れば、シャワーツリーの花が零れんばかりに咲き誇って、アイアンウッドの大木が涼しい陰を作っている。

 何も変わらない。河野もジュニアもいないということ以外は。

 それでも、今にもジュニアの「あんまり吸いすぎやるなよ」という声がかかりそうな気がする。大好きな友達だった。

 眠たくなるような午後だ。ふいにカラカウア・アベニューから見慣れたホンダが入って来た。煙草を灰皿に投げ込んで近寄ると、アリシアが何か持って車から降りて来た。

 助手席からはケビンが降りて来る。来る途中でケビンを拾って来たらしい。アリシアが持っているのは花束と紙袋だ。いかにも木の枝をへし折って来た、と分かる花の名前は知らない。薄紫で薄い花弁が印象的だ。

「カフナはもう来た? ちょっと早かったかしら」

 ハワイ島から帰ってからは、電話でしか話さなかったアリシアはまた少し痩せたようだった。花を見つめている祐司に、アリシアが苦笑した。

「もっといい花を持って来たかったけど、売ってる花なんて、ジュニアは嫌かと思って」

 こうして手向けられる花を見ると、いかにもジュニアはもういないと告げられているような気がして鼻の奥が痛くなる。

 車を駐車場に運ばなければならない。運転席に乗り込もうとした祐司に、アリシアは茶色の紙袋を突き付けた。

「これはあんたに。ジュニアが作ったのとは、きっと味は違うけど……、バナナブレッド」

 受け取ろうとした紙袋の輪郭が滲んだ。

 たまらなくなって、アリシアの細い肩を両手で掴むと、祐司は声を上げて泣いた。    


長篇にお付き合い頂きまして、ありがとうございました。

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