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吠える島  作者: 宮本あおば
第二章
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第二十九話・ヒイアカ・クレーター

<これまでのあらすじ>

(第一章の詳しいあらすじは、第二章一話をご覧下さい)

 ホノルルを震撼させた連続殺人犯、河野由樹とヒイアカが壮絶な最期を遂げた後、警察の担当官だったジャスティン・ナカノに異変が起きる。

 河野とヒイアカの霊が悪霊になり、自分に憑いていた事を知ったジャスティンは追跡を開始する。悪霊は移動を続け、二人の市民に傷害事件を起こさせた後、立て篭もり事件を引き起こして多くの犠牲者を出し、さらに河野の友人、祐司のルームメイト、ケビンに乗り移る。

 祐司の同僚、ジュニアによって弟、ヴァアの身体に移された悪霊は、自身の言葉で秘密と共犯者について語り、その成り立ちを神官が説明する。悪霊は神官には祓われなかった為、ジュニアが火山の力を借りるとして、祐司達はハワイ島へ飛び、活火山の力を実感する。


 ヴァアの口を借りた悪霊の叫びが、噴火口にこだまする。

 祐司達たち立っている場所はハイキング用のトレールの一部らしく、コンクリートが敷かれて、左右に火口の縁を歩く細い道が続いている。右手からやって来た白人の若いカップルが仰天した顔でこっちを見ていた。

 彼らにジュニアの声が届かなかった事を祈りつつ、祐司はジュニアに向かって「車へ戻ろう」と声をかけた。

「そうよ、この子の薬を車に置いて来ちゃったわ」

 喚き続けるヴァアの声も掻き消さんばかりの勢いで、機転を利かせたアリシアが叫ぶ。言うが早いかジュニアの背に回って、ヴァアの背中を押した。

 石段を上がり、ロビーを小走りに抜ける。大声を上げるヴァアに振り向いた従業員や客は、一人や二人ではなかった。ジャスティンが彼らに「病人なんですけど、発作を起こしちゃって」と歩きながら言い訳をしていた。

「奴らが気付いたって言ったよな」

 車が走り出してすぐに、祐司はジュニアに尋ねた。

 ジュニアは今、助手席の後ろに座っている。ホテルの駐車場で車に辿りついた時、ジュニアはヴァアを後ろの席に横にすると、自分はアリシアの隣に座ったからだ。

「ああ、自分らが消される火が近いのが、分かりやるんだ」

「それで、どこに行けばいいんだ」

 ハンドルを握るジャスティンが会話に飛び込んだ。ホテルの駐車場から車を出して、どことも知れない道をただ走っているのだ。

「今どこを走っていやるの?」

「クレーター・リム・ドライブっていう、キラウエア噴火口を一周する道だ」

 少し考える風にしてから、ジュニアはジャスティンに注文を出した。ヴァアがまだ大声を出しているために、自然と二人とも声が大きくなっている。

「ほかの噴火口の近くを通る道はありやる? それともトレールだけ?」

「ある。チェーン・オブ・クレーターズ・ロードだ。そこに行きゃいいんだな」

 ジュニアがうん、と言うのと同時にジャスティンはスピードを上げた。

 噴火口の周囲を走っている道路と言っても、はっきりと見える縁に沿っているわけではない。灰色に覆われた火口の姿は見えない緑の林の中を、ワンボックスカーは疾走した。上り下りもありカーブも多い道だが、道幅は狭くない。

 オアフ島内の山と違うのは、背の高い大木がないことだ。長い年月の間にたび重なる噴火があって、大木が育つ間がなかったのだろう。

「ジャスティン、あんまりスピードを上げ過ぎないで下さい。ヴァアが舌を噛んじゃう」

 何度目かのカーブをタイヤを鳴らして曲がった時に、アリシアが悲鳴にも似た声で注意した。確かに国立公園内を走るスピードではないだろう。

 ごめん、と謝りながらジャスティンがスピードを落とし、付け加えた。

「もうすぐチェーン・オブ・クレーターズ・ロードに入るぞ」

「入ったら、ゆっくり走りやって」

 いくらか強張ったジュニアの声がした。いよいよ彼らを葬る時が近いのを思って、祐司は身震いが出た。河野を送る事に躊躇はない。いまだにはっきりとは素性も知れないヒイアカや、敵を殺す事を夢見ながら殺された、ハワイアンの魂については言うまでもない。

 無事に済んでくれればいい。ヴァアの体に良い事が起これば、もっといい。

 何気なく隣を見ると、ジャスティンが掌をズボンに擦り付けていた。緊張しているのは自分だけではないらしい。

 河野たちはかつて、この人の中にいた事もあるのだ。だから、ジャスティンにとって彼らを送ることは他人事ではない。ヒロの街で彼が言った「落とし前」を付ける事になる。

 ストップ・サインで停止した後、車は左に折れた。

 それまでとは打って変わって、ジャスティンは慎重に車を進めて行く。後部座席を伺うと、ジュニアは窓を一杯に開けて左右に目をやっていた。時々口の中で独り言を言っている。

 チェーン・オブ・クレーターズ、噴火口の連なり、とでも訳せば分かりやすいのだろう。文字通り、道の左右に小さい噴火口がいくつもあるらしく、標示が立っている。

 噴火口を示す標識が近付く度にジュニアが車を停めるように言い、降りて外に出ては首を振りながら戻って来る。それを数回くり返した。

「火に当てるって、活動中の噴火口を探しているわけじゃないだろう」

 戻って来たジュニアにジャスティンが声をかけた。

「噴火中の火口になんか近づけないよ。今は、この道路の突き当りから歩いて、流れてる溶岩を見ることは出来るはずだけどね」

「危なくないんですか?」

 口をはさんだのはアリシアだ。

「歩くのは冷えて固まった溶岩の上だけど、下のほうは完全に固まってないから靴なんか少しは溶けるらしいし、薄い場所を踏み抜いて死んだ人もいるんだ」

 愉快な話ではないけれども、もしもジュニアがそこへ行くというならば行かなくてはならない。祐司が勝手に力んでいると、ジュニアがあっさりと否定した。

「いやいや、溶岩の上なんか歩きやらん。ちゃんとここがそうだって噴火口がありやるはずだから」

 再び車は坂を下り出した。

 やがて道が二股に分かれた場所に出たが、ジュニアは迷わず、「左」と指示を出した。それを過ぎて最初に噴火口の標示が見えた時だった。ヴァアが一際大きな声で叫んだ。

「そこだと思いやる」

 対照的に冷静に言ったジュニアに、ジャスティンは頷いて対向車がない事を確認し、車を左折させる。道路の左右には古い溶岩が固まって見えた。

 標示には、ヒイアカ・クレーターとあった。

 ごくごく小さな駐車場に車を停めた。駐車場の向こうにはキラウエア噴火口よりは遥かに小振りだけれど、生々しい感じのする噴火口が口を開けている。

 小振りと言っても深さは四十メートル程度ありそうだし、幅はおそらく百メートル近いだろう。

 口から泡を吹いて声を上げるヴァアをジュニアが抱えて車から降ろす。手を貸そうとした祐司を、ジュニアは柔らかく首を振って断った。

 ヴァアを横抱きにしてジュニアは、地面が舗装されていない場所まで歩く。ゆっくりと地面に下ろすと、ヴァアの叫び声がぴたりと止まった。

 逆に祐司の心臓は音を立てた。

「アリシア、さっき買ったあれ、持って来てくれやる?」

 穏やかな調子で声をかけられたアリシアが、ぎくしゃくと車からスーパーの袋を持って来てジュニアに手渡した。アリシアの顔も強張っている。ジュニアが袋から取り出したのはミネラルウォーターのペットボトルだった。

 地面に正座して、ヴァアの頭を膝に乗せてやってから、栓を捻ってヴァアの口元にあてがう。あっと言う間に大き目のボトルが半分ほどになった。

 残りをジュニアはゆっくりとヴァアの顔にかけた。ヴァアの飲み残した分だけでなく、別のボトルを袋から出しそれもかける。ジュニアの意図がつかめず、あとの三人はただ見守っていた。

 ヴァアの髪もジュニアのズボンもすっかり濡れてしまってから、ジュニアは着ていたTシャツを脱いでヴァアの顔を拭った。優しい兄の顔だ。

「運動させるんだ」と、ヴァアを注意深く海に入れていた時と全く変わらない。Tシャツをヴァアの頭の下に置き、彼を地面に横たわらせてから立ち上がったジュニアを見て、祐司の心臓はもう一度跳ねた。

 こんなに大きな男だったか。

 祐司の戸惑いなど意に介しない風のジュニアは、大股で近付いた。

「ヒイアカって女は、自分の名前の意味だの、よく分からんで、付けられたままに名乗りやったと思うけど、ちゃんと手掛かりになってやる」

「どういう意味だ。ヒイアカってのは女神の名前じゃないのか?」

 聞いたジャスティンの声も、明らかに緊張を帯びている。

「女神の名前を名乗ったつもりが()らまってやる。ここんちの噴火はいつ?」

 そんな事分かるか、と言いそうになった祐司を制してアリシアが答えた。

「六十八年よ。その後、七十三年にも噴火してるわ」

 ジュニアの行動に気を取られて気が付かなかったが、噴火口の脇には簡単な説明を書いたプレートが建てられていた。ジュニアは満足そうに頷いた。

「多分、ヒイアカって女はその頃生まれやったんだろ。七十三年」

 背中が寒くなったのは、風のせいではない。

「ちょっと待ってくれ。まさか、その噴火の時からこれが……、彼らが犯罪を重ねた上で死んで、魂になって、それでここで消されることまで決まってたって言うのか」

 自分は運命論者であった事など、ただの一度もない。空港へ向かう車の中で、「決まっていたかもしれない」と言ったジュニアを言下に否定したのは自分だ。

 しかし今、ここでジュニアがそうだと断言したら、納得してしまいそうだ。

 噴火口からの風が、背後の木々を揺さぶった。

「そんなわけない」

 肩を竦めたジュニアは短く、けれどもきっぱりと言い切ってから続けた。

「彼女が生まれやった年に、ここんちが噴火しやったのは偶然。けど、ポリネシアのどっかから来やった彼女が、ヒイアカって名乗りやったことで意味が出て来やる。祐司、誰でも自分の言ったりやったりしたことに()らまることがありやるよ」

「じゃあ、ヨシキのことも?」

「偶然が重なりやることはありやるだろ? カフナも、凄い偶然って言ってやったろ。そういうのがどうにもひどくなりやった時に、ヴァアみたいな子供が必要になりやる。俺はカフナみたいに上手く説明出来んけど。まあ、いいや」

 言いながらジュニアはヴァアの脇に跪き、両手の包帯を外してしまった。

 包帯の下のガーゼも取り去ると、痛むはずの両手を地面に突き、お辞儀をするように自分の額をヴァアの頭に当てる。

 何かの儀式には違いない。低い声で何事か言っているが、それは語りかけるというより唱えると言った方がいい節回しだった。声は小さいのだが、低く太い声が地の底から響いてくるようだ。

 カフナがした行為と同じだ。緊張感が全身を走り抜けた。

 体を起こしたジュニアが祐司を呼ぶまでにどれ位の時間が経ったのか、よく分からなかった。手招きに応じて近付くと、ジュニアは息を弾ませている。

「友達にサヨナラを言いやって」


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