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吠える島  作者: 宮本あおば
第二章
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第二十六話・感情の記憶

〈これまでのあらすじ〉

(第一章の詳しいあらすじは、第二章一話をご覧下さい)

 ホノルルを震撼させた連続殺人犯、河野由樹とヒイアカが壮絶な最期を遂げた後、警察の担当官だったジャスティン・ナカノに異変が起きる。

 河野とヒイアカの霊が悪霊になり、自分に憑いていた事を知ったジャスティンは追跡を開始する。悪霊は移動を続け、二人の市民に傷害事件を起こさせた後、立て篭もり事件を引き起こして多くの犠牲者を出し、さらに河野の友人、祐司のルームメイト、ケビンに乗り移る。

 祐司の同僚、ジュニアが弟、ヴァアに悪霊を移すと、河野が自分の秘密と共犯者について語り、同席した神官が、ポリネシアの歴史と悪霊が生まれた過程について解説した。

 神官(カフナ)の穏やかな声は続く。

――コーノがハワイ好きだったのが、この場合は裏目に出ましたね。ただ好きなのではなく、ハワイ文化への造詣も浅くなかったのかもしれない。同調しやすかったんですよ。

 彼が手にしてしまった骨の持ち主も、おそらくは辛い気持ちで死んだんでしょう。そして、ヒイアカも幼い頃から辛い目にばかり遭ってきた。

 彼女の出自ですが、ポリネシアの島と言っても、本当に数え切れないほどありますよね。中には現在でも、古い信仰や迷信と言っていいものが生きている場所もある。

 ヒイアカは、多分何かの禁忌に触れた子供だったのでしょう。罪人の子供だったとか、あるべきでない関係から産まれたとか、ね。さっきヴァアが気絶する前に口から出たのがヒイアカの声ならば、タヒチ語に近いように思います。

 もっともタヒチと一口に言ったって、島は無数にあって方言も多いですし、断言は出来ません――

 また少しカフナは言葉を止めた。「あるべきでない関係」とカフナが言った時に、不覚にも祐司は両手を握り締めてしまったが、幸い誰も気が付いた様子はない。

 ヒイアカの出生については、カフナの推理力に驚嘆するばかりだ。

「それなら、私の夢はどう思います? 閉じ込められた小屋から出て、人を殺した夢です。土地の記憶というヤツですか」

 不思議そうにジャスティンが尋ねる。カフナが答える前に、長い睫を伏せ気味にしたままジュニアが口を開いた。

「さっき、『悪いもの』がヴァアに移りやった時に、少し俺にも分かりやった。それは多分、殺されやった男が死にながら夢見やったことだ。そいつは敵に殺されやりながら、敵を殺しやることを夢想してやった」

 やはりナー・イヴィではないらしい。カフナは土地の記憶が遺体に染み込んだのかも、と言った。人間の意識についての認識がどんどん変わっていく。

 カウチでケビンが痛ましげな声を上げた。

「俺、分かるよ。すごくよく分かる。あの夜、俺、カラリヒに銃で殴られたんだ。頭に来たよ。洋子やジムが殺されて、自分も怪我して気が遠くなったときに、俺はカラリヒを殺す想像をしたんだ。憎らしかったよ。自分がもっとモンスターみたいに強かったらって思った。だからか……? だから『悪いもの』は俺のところに来たのか」

 食い縛った歯の間から、嗚咽が零れ落ちそうになっていた。アリシアが柔らかくケビンの肩を抱く。

「ケビン、君があの時そう思ったのは当然なんだ。俺もコーノ達とマノア滝で向かい合った時、彼らを憎いと思ったよ……。一つ分からないのは、コーノとヒイアカが起こした事件の最中や、彼らが死んだ時に大勢の人間の声や、気配がしたんです。あれは何だったんでしょうね?」

 同じ境遇にいた者としていたわりの言葉をケビンにかけたジャスティンは、最後にカフナに問いかけた。

「さっき言った部族意識ではないかと思います。同様に殺された無念な魂が一緒になったと。人間の様々な感情の中で、憎悪だけが残っていたんですね。

 一体どれほど前の遺体か分かりませんが、古代ハワイアンのことですから、個人としての意識よりも、共同体意識が強かったのではないかと思います。分かりやすく言うなら、殺された男が同じ部族を呼んで、コーノ達と行動を共にしたと言いましょう。

 心が壊れてしまった男が、憎悪の魂を拾って、さらに自分と同様の女に会ったんです。物凄い偶然だ。タイミングが一つずれていたら、『悪いもの』は形成されなかった。

 祓うのは厄介そうですね。私も、現在ハワイにいるどのカフナも、こんな悪霊に出会ったことはないでしょう」

 温厚そうなカフナの眉間に皺が寄っている。

「出来やる?」

 息を詰めたようなカフナとは反対に、ジュニアは愁眉を開いたような顔で聞く。もしもカフナが来なかったら、ジュニアが「悪いもの」を何とかすると言っていたのだ。自信がなかったのかもしれない。

 祐司は内心、改めてカフナを連れて来てくれたジャスティンに感謝した。

「やってみましょう。私も、力のない方じゃない。少なくともヴァアの特殊な体質のお蔭で、彼らは移動が出来ない。誰かがやらなきゃならないことだ」

 深く息を吸ってから、カフナはきっぱりと言った。物凄い偶然だと彼は言った。

 タイミングがずれてくれなかった運命を、呪うというよりも、悲しく思う。


 室内をさっと見回したカフナは、「西はこっちだね」と独り言のように呟いたかと思うと、ヴァアが横たわっているマットレスを移動させた。慌ててジャスティンが手を貸す。

 祐司の部屋に近い位置にヴァアを置いて、彼は簡単に指示を出した。カウチは限りなくケビンの部屋に近い場所へ。アリシアとケビンはそこに座って、ジュニアと祐司、それにジャスティンはカフナの背後に座る。

 ジュニアが「悪いもの」をヴァアに移動させた時と同様、声を出さないようにと言われた。ヴァアはまだ眠っている。

 もう河野とは会えない。さっきヴァアの口を借りて話したのが最後だ。

 もう何も憎んだりしなくていいよ、と言ってやりたかった。お前の秘密はなかった事にするよ、とも。

 カウチを寄せたとはいえ、カフナの背後に取れる空間はわずかだ。ジュニアやジャスティンと、膝を触れ合わせるようにして祐司は座った。

 キッチンで手を洗ったカフナは、靴下を脱いでから位置に付いた。床に両膝をついて、足の裏を半分だけカーペットに着ける。踵に尻が乗った形だ。そしてヴァアに向かって何か唱え出した。ハワイ語だろう。

「オ・アオ・クエワ」と、何度かくり返して言ったのが聞こえた。

 十分ほど経ったか、カフナの声が熱を帯びて来たと同時に、誰かが何か言った。ヴァアの口から出た言葉に違いない。太いしゃがれた声だ。

 祐司に分かるのはそれが、英語でも日本語でもないという事だけだ。広いカフナの背にさえぎられて、ヴァアの様子は見えない。

 益々声を響かせて、カフナが両手をカーペットにつけた。マットレスの上にヴァアが見える。細い体が痙攣していた。しかしその顔からは憤怒と侮蔑の色がありありと読み取れる。口の端に泡を吹きながら、「悪いもの」が出している言葉は、憎悪のそれだろう。

 もう楽になってくれ、河野、と叫びたかった。

 急にカフナが気合いのような声を出した。ティ・リーフを編んだ時のジュニアと似ているがずっと強い。ヴァアがうっと仰け反る。

 しかし、次の瞬間、「悪いもの」は瞳を見開き、短く何か言った。

 カフナが姿勢を崩して後ろに倒れ込んだ。

 まるで見えない誰かが、思い切り彼の肩を蹴ったかのようだ。真後ろにいた祐司が下敷きになった。ジュニアとジャスティンが跳び上がる。

 無言のままカフナの様子を見るために屈み込んだジャスティンは、恐ろしい勢いでカフナの体を祐司の上からカーペットに下ろした。

「ケビン、911してくれ。カレオが息をしてない」

 叫ぶや否やカフナの顔を後ろに反らせ、鼻をつまんで息を吹き込んだ。二度吹き込んだ後、わずかに間を置いて胸部を探る。両手を使って垂直に何度も押した。動転してはいるらしいが、動作は極めて迅速だ。これが警官と一般市民の差だろう。十回以上押すと、また息を吹き込む。

 今度は、ひゅーっという微かな音がカフナの咽喉から洩れた。ケビンが丁度電話を置いたところだった。アリシアが安堵のため、カウチにどっと腰を下ろした。

 息を吹き返したカフナは、すぐに意識も取り戻したが呼吸は荒かった。

「起きてはいけません、動かないで。今、救急車が来ますから」と言うジャスティンに「大袈裟だな、大丈夫ですよ」と微笑んでから真顔になり、「すまん、力不足でした」と辛そうに言った。

 救急車はすぐにやって来た。

「大丈夫なのに」と言うカフナをジャスティンが説得して、彼は大人しくストレッチャーに乗せられた。救急隊員がヴァアを見て小首を傾げる。今はまた眠りに就いていたが、痩せ方といい、常人にも何か普通でないものを感じさせるのだろう。

 ジュニアが作った笑顔で「弟は病気だから」と告げる。そして、カフナに向かって「俺がやりやるわ」と小さく言った。

「出来ますか、あなたに」

 尋ねたカフナは悲しげだった。


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