第二十五話・島々の歴史
〈これまでのあらすじ〉
(第一章の詳しいあらすじは、第二章一話をご覧下さい)
ホノルルを震撼させた連続殺人犯、河野由樹とヒイアカが壮絶な最期を遂げた後、警察の担当官だったジャスティン・ナカノに異変が起きる。
河野とヒイアカの霊が悪霊になり、自分に憑いていた事を知ったジャスティンは追跡を開始する。悪霊は移動を続け、二人の市民に傷害事件を起こさせた後、立て篭もり事件を引き起こして多くの犠牲者を出し、さらに河野の友人、祐司のルームメイト、ケビンに乗り移る。
祐司の同僚、ジュニアが弟、ヴァアに悪霊を移すと、河野が自分の秘密と共犯者について語り、同席した神官が、悪霊が生まれた過程について解説し始めた。
「全く信じられない事もあるものです。コーノとヒイアカの生前にも霊的な波動を感じてはいましたけれど、ナー・イヴィかもしれない、とはね。今もこの部屋に立ち込めている霊気はすごいですよ」
最後に感想を付け加えたカフナは、落ち着いてはいるものの驚きは隠さない。
入って来る前に彼が「これはすごい」と叫んだのは、霊気の事だったようだ。アリシアが小さい声で、「もっと早く、こちらに相談すれば良かったんじゃないですか?」とジャスティンに囁いた。
広くないリビングルームに大人が五人もいるのだ。誰の耳にも聞こえる。
「いや、私たちも今日会ったばかりですから」
困った顔でカフナは笑った。ジャスティンが「すみません。でも非常事態ってのは本当だったでしょう」と、これまた苦笑する。
昨夜、やっと友人からカフナの名前と電話番号を入手したジャスティンは、今日の昼に一度電話を入れ、夕方になって彼の家を訪れるや否や、拉致するようにここへ連れて来たそうだ。
祐司はジャスティンの行動力に舌を巻いた。
「ミスター・カマカのお兄さんも、高名なカフナなんだ。HPDの署長とお友達なんですよ、ね?」
「カレオでいいですって。署長さんには内緒にしておきますから、心配しないで下さいよ。兄も早い時期から、一連の事件はただの人間だけじゃないだろうと言ってました。私もそうは感じてましたが、とにかく強い波長です。ディテクティブ・ナカノ、いやジャスティンもそうだったようですが、何しろ憑かれた人間には、体に傷痕まで出ている。あなたにはそういう事はありませんでしたか」
質問はケビンに向けられたものだった。
ケビンの視線が一瞬だけ宙に浮き、その間に祐司は昨日見たミミズ腫れを思い出した。
「痒かった覚えはないよ。俺も、着替えた時におかしいと思った」
祐司の指摘に、ケビンは口をへの字に曲げて答える。溜息と共に、カフナは真剣な顔で言った。
「分かりました。今まで例が全くない訳ではありませんが、非常に強い霊であることは間違いないですね。さて、話を戻しましょう。コーノが発見した骨が、ナー・イヴィと決まってはいませんね」
コーヒーテーブルの前に座ったカフナは、姿勢を正した。
「ジュニア、でしたっけ? あなたには分かりますか」
彼の声は低いがよく通る。温かみを含んだ声に、ジュニアは素直な様子で首を傾げた。
「少うしだけ」
ああ、そうですか、とカフナは妙に納得した顔をする。
「もしかすると祐司が思ったみたいに、殺されちゃった人の遺体かもしれないけど」
苦虫を噛み潰した顔でジャスティンが言ったのを、ケビンがさえぎった。
「殺されちゃった遺体には、違いないだろう。俺はナー・イヴィじゃないと思う。だって俺は夢の中で殺されただろ。コーノとヒイアカの記憶が正しいなら、殺された誰かの記憶だってその通りなんじゃないか」
「ねぇ、考えたんだけど、それってカメハメハにやられたオアフのハワイアンじゃない?」
遠慮がちに言ったのはアリシアだ。
再び、祐司だけが首を傾げると、カフナが柔らかく言葉を足し、説明してくれた。
「カラニクプレですか」
カラニクプレとは、かつてのオアフ島の酋長の名だそうだ。マウイ島に拠点を置いたカヘキリ王の息子で、ハワイ島からやって来たカメハメハにマウイで敗れた後、オアフへ移った。
一七九五年、全島統一を目指すカメハメハはオアフ島にも手を伸ばした。
ワイキキとワイアラエから上陸したカメハメハは激闘を重ねて、次第にカラニクプレの軍隊を山側へと追いつめ、最後にはコオラウ山脈の中のヌウアヌの断崖から、彼らを突き落とした。
現在、その戦場はパリ・ハイウェイの展望台となっている。
しかし、河野が行ったのはパリ・ハイウェイの近辺ではない。祐司がそれを主張すると、カフナはケビンの夢についていくつか質問して首を振った。
「カラニクプレの部下が殺されたのは、必ずしもヌウアヌの戦場だけとは限りませんが、違うでしょう。ケビンの夢に出て来たのは、石斧と木の槍だけでしたね。カメハメハは外国と取引をして銃火器を持っていたし、カラニクプレも同様です。それに、さっきヴァアが叫んでいた言葉が当時のハワイ語だったなら、私は分かったはずです」
ケビンやジャスティンは知っているだろうハワイ史に触れながら、説明をしてくれるのは、祐司の事を気遣ってくれているのだろう。
「じゃあ、何ですか?」
不思議そうな顔でアリシアが尋ねると、カフナは少し黙ってから、「長くなりますが」と前置きして、話を始めた。
――ハワイは若い土地なんです。カウアイ、オアフ、モロカイ、ラナイ、マウイ、それにハワイという順で島が生まれたのは知ってますね。ハワイ島はおよそ百万年前に出来たと言われています。
この諸島はまた、他の島々や大陸とは非常に離れている。火山の噴火で隆起した島々に、偶然の重なりで辿りついた動植物が、生きて行けるようになるまでの時間が流れたのは確かですが。
現在のところ、人間の生活跡で最も古いものは、二千年ほど前の跡が発見されています。ククイの花粉やタロなどから、ポリネシアンであったのは間違いなさそうです。それが具体的にポリネシアの何処からかは断定出来ていませんが、タヒチ、クック諸島が有力です。
ジュニア、あなたはサモアンだそうですが、サモアでは三千年前の遺跡が発見されていますよね。サモアから出発したポリネシアン達は、驚くべき距離を移動して来たんです。
その後、六世紀か七世紀にマルケサス諸島からやって来た人々がいるのは確かです。しかし、彼らは後にソシエテ諸島からの移入者に滅ぼされてしまった。
ああ、マルケサスもソシエテもタヒチ方面ですよ。
ハワイでは、何度も何度も移入者の間で戦いがあったんです。
私はハワイアンですが、先祖はタヒチ近辺から来たことは間違いないでしょう。火山の女神、ペレは元々タヒチで信仰があったと言われています。
メネフネという小人の伝説を聞いたことがありますか。
水を管理するとか、土木作業をするとか言われている小人ですが、彼らは小人じゃないんですよ。現在のハワイアンが淘汰してしまった人々の事だという説もあります。新しくやって来た人々は、ハワイ島から順に勢力を広げて、最後がカウアイでした。
十九世紀に行われた調査の際には、メネフネの子孫を名乗る人々がまだカウアイにいました――
「あなたのお国でも、そういう歴史はありませんか」
流れるように話していたカフナは言葉を切って、祐司の顔を見た。
ええ、とだけ祐司は相槌を打った。
弥生人は縄文文化をほぼ淘汰したし、アイヌの人々は北へ北へと追いやられた。
「新天地を目指す人々がいることは、決して悪いことではありません」
カフナは再び本題に戻った。
――先に来た者と後に来た者の間に諍いが起こるのは珍しくありません。島の間でいがみ合いが生じるのも、仕方のない事でしょう。
さっきカメハメハの話が出ましたが、彼が全島統一をした際に、本当に沢山の人が命を落としました。それ以前に、カラニクプレも、その父親のカヘキリもまた、勢力を拡大する上で大勢の人を殺していました。
しかし、それは長い諍いの歴史の一端にすぎません。
そういう争い事で殺された人々の一部は、いまだに弔われないままハワイ諸島のあちこちに眠っていますよ。この若い土地でね。
土地の若さは大抵の場合、人々にポジティブな思考を与えますが、逆に作用すると恐ろしいことになる場合もあるというのは、私の個人的な意見です。
思うに、コーノが見付けた骨は、そういう戦いで命を落とした人でしょう。長い間地中にあって、既に個人としての意識はなくなって部族意識だけが残っていたのかもしれないし、同時に土地の記憶が染み込んだのかもしれない。
コーノは辛い事があって、周囲を憎むようになったと言いましたよね。しかも、よほど切羽つまっていたのじゃないかな――
そして、と間を置いてカフナは真っ直ぐに祐司を見た。
「彼はハワイに住んでいたことがある。でなければ、とてもハワイが好きではありませんでしたか」
冷たい瞳だったら反発したかもしれない。カフナの瞳は悲しげな色に染まっていた。
「好きでした。彼はハワイが大好きだった」
そうですか、と溜息と共に言った後、ニ、三回首を振ってカフナは話に戻った。




