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吠える島  作者: 宮本あおば
第二章
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第二十四話・望み

〈これまでのあらすじ〉

(第一章の詳しいあらすじは、第二章一話をご覧下さい)

 ホノルルを震撼させた連続殺人犯、河野由樹とヒイアカが壮絶な最期を遂げた後、警察の担当官だったジャスティン・ナカノに異変が起きる。

 河野とヒイアカの霊が悪霊になり、自分に憑いていた事を知ったジャスティンは追跡を開始する。悪霊は移動を続け、二人の市民に傷害事件を起こさせた後、立て篭もり事件を引き起こして多くの犠牲者を出し、さらに河野の友人、祐司のルームメイト、ケビンに乗り移る。

 祐司の同僚、ジュニアが弟、ヴァアに悪霊を移すと、河野が自分の言葉で出生の秘密と心が壊れた理由を語り、事件の背景と共犯者ヒイアカについて説明する。


 よどみなく河野が話す間、ヴァアの頬は痙攣していた。

 祐司はヴァアの頬に触れ、不自然な緊張を解きほぐすように撫でた。涙が出そうだった。

 彼は嫌悪の矛先を自分に向けるあまり、他人への嫉妬と攻撃で理性を失った。

 虐待され続けたヒイアカと出会って、より壊れてしまった。

 暗部のない人生はない。楽しそうに生きている人も、そう見えているだけかもしれない。そんな事も分からないほど、河野は闇に呑まれていた。黒い感情の谷間に落ち込んでいた。

 お前こそ、全てをかなぐり捨ててここに逃げて来れば良かった。自分自身からは逃げられなくとも、その自分すら大事に出来る生き方が見付かった。きっと見付かった。

 メールにたった一行、「辛いから逃げ出したい」と書いてくれれば、祐司が河野を助ける番だった。

「こんな風になる前にお前を助けたかったよ。俺はそんなに頼りなかったかな」

 黒い二つの瞳が和んだかに見えた。

「本当はお前を連れて行きたかったよ。なのに、あのむかつく葉っぱのせいで、近寄れなかったんだ」

 河野がマノア滝で死ぬ前に、ジュニアがティ・リーフを持って来た事を言っているのに違いない。

 あの葉のせいで、近寄れなかった。もしもジュニアがあれを持って来ていなければ、河野はここへ来たというのか。

 葉を置いておかなければ、祐司は生前の河野に会えたかもしれない。

 顔を見て自首してくれと頼むことが出来たかもしれない。

 そう思ったのは僅かの間だった。あの日はアリシアもいた。

「連れて行く」という意味が、共犯者に加える意味でなく、祐司を殺す意味だったなら、彼らは躊躇なくアリシアも傷付けただろう。

「俺を殺したかったのか? 俺の肉はきれいじゃないぞ」

「それでも、お前は俺が汚いって知らなかっただろ。お前の脳味噌にはきれいなままの俺がいると思ったんだ。そいつを食べたかったな。もう遅いけど」

 自嘲的な笑いに、ヴァアの口元が引きつる。やはり「連れて行く」とは祐司を殺す事を意味していたようだ。

 暗い部分のない人生を持ったように見える羨望の対象を、次々と殺した河野。祐司の記憶に残る自分を欲しがるほど、まだ自身に執着があった。

 壊れた執着だったけれど。

「今は、どうしたいんだ?」

 返事はなかった。急にヴァアはうっと息を詰まらせ、黒目が上がった。文字通り白目を剥いてヴァアの中の誰かが叫んだ。祐司の顔に唾が飛ぶ。

 絶叫とも言える激しさでヴァアの咽喉から大声が上がる。先程の声とはまた違う、最初に祐司が聞いた掠れた声だ。

 ヴァアは横向きの姿勢から仰向けになり、背骨も折れそうなほどに仰け反った。

「どけ、祐司」

 ジュニアが祐司を押し退けた。ヴァアに覆いかぶさるように抱き締めると、毛布の端を掴んで彼に噛ませる。

 急にヴァアの体から力が抜けた。鳩尾を突いて気絶させたらしかった。

「ケビンの鎮静剤かなんか、もらえやる? ちっと眠らせんと」

 こんなに切なそうなジュニアの声を初めて聞いた。祐司がおろおろと腰を上げる前に、アリシアが立った。

「祐司の睡眠薬があるわ。処方箋の薬はきっとヴァアには強すぎる」

 市販の睡眠薬の一錠をさらに砕いて、ジュニアはヴァアの乾いた唇に押し込んだ。アリシアが渡したグラスの水を口に含み、口移してヴァアに水を飲ませる。

 咽喉を鳴らして飲み込んだヴァアの中にいる河野が、目を閉じたまま、祐司を呼んだ。

「北本……。もうどこにも行けないんなら、俺、いなかった事になりたいんだ」

 小さな囁くような声に、祐司は動けなくなった。


「こんなにはっきり彼らが出て来るなんて、驚きました」

 カフナがぼそっと言ったのは、ヴァアが規則正しい寝息を吐き出し始めてからだった。ケビンはようやく目を覚まして、「怖いくらいすっきりしてる」と、実際良くなった顔色で言った。

「霊感体質と言ったらいいのかな。彼は以前にもこんなことを?」

「初めてだし、最後になりやるよ」

 吐瀉物で汚れた毛布は洗濯機に放り込んだため、今はマットレスの上で眠っているヴァアの髪を撫でていたジュニアが、カフナの問いに低い声で答えた。

 さらに何か言ったけれども、それは英語ではなくヴァアに小さくサモア語で話しかけているようだった。

「祐司、彼は何を話したの?」

 ずっと黙っていたアリシアが祐司の顔を正面から見つめる。ジャスティンとケビンもアリシアにつられるようにして、祐司の方を向いた。

 二人とも尋ねたかった質問なのに違いない。祐司はアリシアから視線をそらせた。

 言えない。河野が誰にも言えずに抱えていたものを、実は彼はね、と簡単に口に出す事はとても出来ない。

「すごく辛いことがあって、それで彼は、ヨシキは周囲を憎むようになったんだ。ヒイアカは小さい頃から、ずっと虐待されて育ったらしい」

「辛いことって、何? あたしには知る権利があるはずよ」

 明らかに口を噤もうとしている祐司に、アリシアは言いつのる。祐司は唇を噛んだ。

 誰かに話したからといって、アリシアの父親が戻って来る訳ではない。どんなに不幸な理由があっても人殺しの罪は消えない。

 それならばたった今、彼が言った「いなかった事に」という言葉通り、彼の理由も光を当てずに葬り去ってやろう。何度も何度も、何度も河野の事を知りたいと願ってきた。けれども彼は知られたくなかったのだ。

 被害者に向かって河野の弁護をしたいと願った事もある。しかし河野はそれを望まないだろう。「汚い」自分を多くの人間に知られるよりも、憎まれて消される事を選ぶはずだ。

 一生、誰にも話さない。祐司が死ぬ時になかった事になるのだ。

「知る権利なんて誰にもない。アリシア、知ったからって、君は彼を赦せるわけじゃないだろう」

「何よ、あいつを庇うの?」

「そうじゃない、彼の過去を知っても何にもならない。同情されるような立場じゃない、彼は。もし、君が世界一好きな人にも、いや好きな人だから言えないようなことを俺に言ったとして、俺はそれを一人で守って死ぬよ。そういうことなんだ」

 理解してもらえるとは思わなかった。アリシアにしてみれば「世界一好きな人」を殺した相手の過去だ。知る権利があると思うのは、当然だろう。

 しかしそれでも言えない。アリシアにはこの先何だってする。河野の秘密を話す以外なら。

 怒った顔をしたアリシアを(いさ)めたのはケビンだった。目が少し赤かった。

「俺は聞きたくないよ。聞いて、奴に同情なんてしてやるもんか。俺が洋子やジムには二度と会えないってことは変わらないじゃないか。けど、祐司、奴が話したのはそれだけか?」

 強い調子で言ったケビンに、黙って頷きながら、祐司は河野との会話の一部を思い出した。山で見付けた人骨というのは、人知れず遺棄されてしまった遺体だろうか。

 人骨の件やヒイアカとの出会いについて、隠す必要はない。アリシアの父親の話を避けながら、細部まで河野との会話を話した。

 アリシアが祐司に詰め寄った時は背中を向けていたジュニアが、振り向いた。他の四人もただならない表情をしている。

「イウィ、だ」

「いや、ナー・イヴィです」

 ジャスティンの発音をカフナが正した。彼らの緊張した反応が祐司には解せない。何だいそれ、と聞くとジャスティンに促されて、カフナが説明を始めた。

 古代ハワイアンはその地位によって様々な埋葬の方法を採って来ており、中には死後、誰にも遺骨の場所を知られたくないと願った酋長(アリイ)たちもいる。

 彼らはハワイ諸島のあちこちに今もひっそりと眠っており、その骨に触れると大変な災厄が起こると言われている。河野のように、何かの弾みで触れてしまった人々に起こった災いは、多くの例がある。

 高熱を出して死んだ者。時を経ずに事故に遭った者。中には骨を掴んだ子供の手が、数十年経っても成長しなかったというケースもある。埋葬された場所については現在も分かっていない。

 ヘイアウと呼ばれる神殿とはかけ離れた場所などで発見される事も多い。文字に書いて記す文化を持たなかったハワイアンだから、という理由ではなく、記録に残す事は禁じられていたと考えられる。

 また彼らが葬られていることが、ハワイを霊的に守護していると信じられてもいる。

 そういった事柄を、カフナは平易な言葉で説明してくれた。


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