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吠える島  作者: 宮本あおば
第二章
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第二十三話・憎悪の同盟

〈これまでのあらすじ〉

(第一章の詳しいあらすじは、第二章一話をご覧下さい)

 ホノルルを震撼させた連続殺人犯、河野由樹とヒイアカが壮絶な最期を遂げた後、警察の担当官だったジャスティン・ナカノに異変が起きる。

 河野とヒイアカの霊が悪霊になり、自分に憑いていた事を知ったジャスティンは追跡を開始する。悪霊は移動を続け、二人の市民に傷害事件を起こさせた後、立て篭もり事件を引き起こして多くの犠牲者を出し、さらに河野の友人、祐司のルームメイト、ケビンに乗り移る。

 祐司の同僚、ジュニアが弟、ヴァアに悪霊を移すと、河野が自分の言葉で出生の秘密と心が壊れた理由を語りだした。


 辛そうに声を絞り出して、河野の話は続く。

 

 葬儀でみっともないほどにうな垂れている父親は、もはや嫌悪の対象でしかなかったけれども、聞きただしてみる勇気は出なかった。伯母の言った事が肯定されるのが怖かったからだ。

 父は自分が、姉との間に出来た子供だと知っていただろうか。同時に、結婚した後に実の姉と関係し、何食わぬ顔で妻との生活を送っていた男の心が恐ろしくもなった。

 なぜ伯母が死ぬ前に打ち明けたのかが、理解出来なかった。彼女は河野が自分の出自を知るべきだと思ったのだろうか。

 秘密を告げられる少し前に、子供を作る相談をした気がする。彼女は警告したかったのだろうか。問題のある子供が産まれるかもしれない、と。

 それならば伯母自身が産まなければ良かったのだ。実の弟との子供を産んでその妻に育てさせ、死ぬ前に真実を告げて行くなんて、身勝手過ぎる。

 実の両親を河野は憎み始めた。

 去り際に汚い物を丸ごと押しつけられてしまった気がした。いや、今までは知らなかっただけだ。

 自分は存在すべきでない関係から産まれた、反吐のような人間だ。

 続いて怖くなったのは、妻だ。

 正確に言えば、子供を作ることが怖くなった。彼女が子供を望むのは当然だ。自分が健常者として生活を送れるように、自分の子供だって普通の赤ん坊として生まれてくるかもしれない。

 しかし、もしもそうでなかったら、どうすればいいのだ。やはり、それだけは出来ない。

 妊娠可能な夜を避けている内に、可能性の薄い夜でも妻に触れるのが怖くなる。

 妻を不審がらせ、他に女がいるのではないかと疑問を抱かせ、結婚生活は荒れた。妻の訴えを聞いた双方の両親が心配することも、一層の針の(むしろ)だった。河野は不能になった。

「言えるかよ、俺は近親相姦の子だから子供は作れません、なんて」

 生活が荒れるに従って、仕事にも支障が出て来た。

 つまらないミスが次のミスを呼ぶ。一体、自分が何をしたというのか。セックス以外の家庭生活には心を砕いているし、仕事も一生懸命やっている。しかし状況は悪くなるばかりだ。

 自分は汚れた人間だから、仕方がないと言い聞かせてはいたが、罵られ、けなされる事が増えるにつれて、妻も会社の人間も憎らしくなった。

 自分は誰にも言えない暗部を抱えて生きている。辛くて苦しいばかりだ。なのに連中と来たらどうだ。恥じる事なんか何もない顔で、平気で人を踏みにじっている。


 河野は一旦言葉を切ったが、祐司は言葉が出なかった。

 自分が、河野は幸せに生活していると信じていた間、どれほどの辛い夜を過ごしていたのだろう。

 悪い環境なら抜け出せばいい、しかし自分自身からは逃れられない。他の人間だったら、大した事ではないと思えたかもしれないが、河野がどれほど清くありたいと自身に切望していたか、祐司は知っている。

 血統が「清い」基準になるかどうかは、個々の判断だ。けれども河野の基準では、決定的に汚いものだったのだ。

 だからこそ余計に、子供を作ることを恐れたのだろう。近親同士の結婚で、子供に問題が出る可能性は、おそらく河野が怯えたほどには高くない筈だ。

「でも、広美さんにあんなことをする必要はなかっただろ。あんなことをしなくたって、離婚でも何でもすれば良かったじゃないか」

 河野の出生の問題は彼の責任ではないけれども、それを知らずに子供を望む妻にも罪はないはずだ。

 しかし、今さらこんな事を言っても仕方がない。河野は死んでしまって、罪を償う機会もない。ヴァアの瞳が細められた。

「それが……、あの、山へ行った日」

 対照的に祐司は目を見開いた。生きている河野との最後の会話で、彼は山へ行って何かを見付けたと言っていた。

 ハイキング用の山道を歩いている内に、河野と広美さんは口論になった。何がきっかけでどういう内容だったか、河野は覚えていなかった。

 しかし頭を冷やすために、広美さんを一人で道に残し、木々の生い茂る坂を上って行く間に、小さな地滑りがあったと思われる場所に出た。

 丈の短い草が地面の表層と共に流され、大木の根方に何か白っぽいものが覗いている。好奇心に駆られて河野はそれを手に取った。遠目には白っぽく見えたそれは、手に取って見ると薄く黄色がかっていた。

 木の棒かな、と思う間もなく急に体が熱くなった。鼓動が早くなり、眩暈がして河野は手の中のそれを取り落とした。

「木の棒じゃなかったんだ……。落としてから気がついた。人骨だったんだ」

 全身が粟立った。

 歯の根が合わなくなりそうになるのを押さえながら、祐司は続きを促した。

 きっとこれが最後のチャンスだ。これを逃したら永久に河野のことが分からず終いだ。

 ヴァアの瞳が不自然に上下して、肩が震える。その薄い肩を撫でて祐司は静かにもう一度「それで?」と尋ねた。声が上ずっていなかったと思いたい。

 ヴァアが苦しそうな息を吐いた後、河野が話し出した。

 人骨だと気が付いても、騒いだり届け出たりする必要はないと思った。骨を木の根元に浅い穴を掘って埋め、河野は広美さんの元へ戻った。彼女に言われて初めて、通り雨にでもあったかという程に汗で濡れているのが分かった。

 だからその後おそろしく体がだるくなったのも、風邪だろうと思っていた。ホテルに戻って夕食を済ませ、就寝の時間になって、広美さんが軽蔑の眼差しを投げるまでは。

「ベッドが二つの部屋を取れば良かったわね。あなたは北本さんには何も言ってないの?」という言葉を聞いた後は、よく覚えていない。

 血に溢れたホテルの部屋を出た後は、ただ誰にも会いたくない気分で、非常階段を下りて海辺へ出た。自分が何をしたかは分かっていたし、これで全て終わりだという奇妙な爽快感もあった。

 肩の荷を降ろしたような気分で河野は海に入った。自分の体は髪の毛一本も残したくない思いで、出来る限り遠くまで泳ごうとした。

「死んだと思ったんだけどな」

 河野とトーマス・マホエ、ロナルド・マラナの不幸な出会いは、アリシアの考えた通りだった。

 もしも満月でなければ、夜の海で彼らが今にも沈んでいこうとしている河野を見付けた可能性は薄い。口も利けないでいる河野を、彼らはとりあえず、とカリヒのマホエ宅に連れて行った。

 河野はヒイアカと出会った。出会ってしまった。

 言葉を交わす前に、河野はヒイアカが生まれてからずっと虐げられて来たと感じた。彼女も河野に似たものを感じたらしい。

 ヒイアカが二人の男の飲み物に何かを入れたのは知っていた。二人が眠り込んだ後、ヒイアカが一言「殺そう」と告げた時に、仲間を見付けた事を確信した。

 いずれ、このハワイアンはヒイアカに酷い事をし始めるに違いなかった。それまで待つ必要はないと河野は判断した。もう一人は、そこにいたから仕方ない。

 大した言葉も交わさずに仕事をやり終えると、力が漲った気がした。

「復讐」と、短くヒイアカが言った一言で、これからする事がすっかり分かってしまった。この世界への復讐だ。

 二人は計画を立てなかった。「他人を蹴飛ばして、楽しい人生を送ってる連中」のいそうな場所へ行っただけだ。

「ルームサービスです」と言っただけで、ホテルのドアを開けた人間もいた。

 ワイキキには、買い物袋を提げた観光客を目当てに行ったのだが、時刻が遅く、不審な目を向けつつもドラッグを売ろうと声をかけて来たレジー・ジョンソンを殺害した。彼の持っていたドラッグを河野は試してみたが、一向に面白くなかった。

 河野とヒイアカとはほとんど話をしなかった。一々言葉に出さなくても分かり合えた。初めから血の臭いをさせていた河野を、ヒイアカは信用したようだ。

 彼女はどうやら、タヒチから少し離れた小さな島で生まれたらしい。

 詳しい事情は知らないが、河野と同様か、あるいは集落の決まりごとで、祝福される出生ではなかったようだ。

 学校にもほとんど通わせてもらえずに、虐待され続けていたヒイアカは、好色な漁師に頼って島を逃げ出し、さらに別の漁師や、遠出できる船を持った物好きな金持ちを利用して移動を繰り返した。

 彼らは決まって彼女を犬以下に扱った。

 ヒイアカという名は、大きなクルーザーの持ち主がたわむれに付けたらしい。彼は航海の途中で毛色の変わった玩具に飽き、彼女を海に突き落とした。

 トーマス・マホエは親切だったが、どうせ飽きるまでだとヒイアカは判断していたようだ。

 どうしてかは分らない。生まれた理由は自分のせいではない。人はヒイアカを嫌い、辛く当たる事しかしない。

 ヒイアカと一緒になってから、未来を考える事はなかった。死ぬ前に、「ほんのちょっと愉快な光景を見たかっただけ」だった。

「肉は……、美味かったよ。あんな奴ら、広美だってそうだったんだ。後ろ暗いところなんてない奴の肉は、さぞかし美味いだろうとは思ったんだけど、そうだった。それで俺の体が変わるかと……、俺の汚い体がちょっとはきれいになるかと思ったんだけどなぁ。まだ全然足りないみたいだ。恥知らずに人生送ってる奴らには吐き気がするよ。ぶっ殺して切り刻むと少しいい気分になるんだ。でもすぐにまたイライラしてくる」

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