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吠える島  作者: 宮本あおば
第二章
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第二十話・彼らの断片

〈これまでのあらすじ〉

(第一章の詳しいあらすじは、第二章一話をご覧下さい)

 ホノルルを震撼させた連続殺人犯、河野由樹とヒイアカが壮絶な最期を遂げた後、警察の担当官だったジャスティン・ナカノに異変が起きる。

 祖父の霊の助けを得て、「悪いもの」と呼ばれる悪霊の仕業と知ったジャスティンは、河野が悪霊の一部になった事も確認する。「悪いもの」はジャスティンの後に、ナカヤマとチョンに移動し、傷害事件を起こさせた。

 事件関係者の様々な状況や思いをよそに、さらに移動した「悪いもの」は立て篭もり事件で、多くの犠牲者を出す。河野の友人北本祐司は、「悪いもの」が事件の被害者でルームメイトのケビンに移った事を発見し、ジャスティンに告げる。


 ケビンは話し出した。

 ――どこか南の島の浜辺で、ケビンは膝を抱えて座っている。

 膝小僧の大きさから言って、自分は子供になっているらしい。腹も減っているし、手足は擦り傷だらけだ。もうじき日が暮れるけれど、行く場所がない。正確にはあるのだが、そこへ行くとろくな目に遭わないことが分かっている。

 太陽が落ちて行くのが、この上なく無慈悲な仕打ちに感じられる。夜が怖くて仕方がない。

 すっかり辺りが暗くなって、ケビンは腰を上げる。街灯もなく、舗装もされてない道を素足で歩いて、やがて小さな古い家に辿りつく。そこで中年の女に、足腰も立たないほど殴られた。

 土の上に倒れ、頭を踏みつけられて視界が暗くなり、気が遠くなった。

 次の瞬間、目の前に広がったのは暗い水面だった。体が落下して行く。

 水面が近付く間に、なぜだか、やっぱりこうなったと思った。水中に落ちた時には、スクリューが怖い、と感じて必死に手足を動かした。

 水面に頭を出すと、大きなクルーザーが遠ざかって行くのが見える。その向こうに小さい、動かない明かりがいくつか浮かんでいた。


 ふいに状況が一変して、明るいタタミ・ルームに移動していた。

 目の前にいるのは日本人ばかり、男女五、六人。ティーンエイジャーにも見える若者たちだ。

 騒がしい周囲の様子から、日本式のバーだと思った。卓上に置かれたビールを傾けながら、斜め向かいの女が何か話し始めた。残りの人間は面白そうに聞いているが、自分だけは違う。なぜそんな話が面白いのか分からない。

 特に向かいに座った男が興奮しているらしいのには呆れる。女が話し終わると、皆、卑しい笑いを浮かべた。馬鹿々々しくなって立ち上がった。驚いた連中が何か言ったけれど、黙って財布から紙幣を抜き出して店を出た。

 ネオンサインがまばゆい都会の夜だ。外を歩いている人も多い。一分経つか経たないくらいで、後ろから腕を掴まれた。さっき下らない話をした女だ。

 何か懸命に言っているし、自分に好意を抱いているらしいけれど、笑えもしない。こんな女とどうかなったら、自分まで汚れてしまう。

 乱暴に腕を振り解いた。

 再度暗転したと思ったら、明るいライトを浴びせかけられ、エレクトーンの軽やかな響きで驚かされた。着飾った人々が自分に笑顔を向けている。

 隣に座った白いドレスの女が微笑む。結婚式らしい、それも自分の。やっとここまで来たと、到達感が湧いてくる。こんな綺麗な女の隣で、堂々と胸を張っていられる。人生は悪くない。

 一転して胃が冷たくなる。

 やはりどこかの式場には違いないが、人々は一様に沈鬱だ。今度はステージにいるのは自分ではない。初老の女性の写真が、菊の花に埋もれるようにして飾ってある。どうも彼女が死んだらしい。

 今、隣に座っているのはこれも初老の男だ。彼は一目見て分かる程に落胆して、やつれ切っている。そういう彼を見て、自分は嫌悪感しか湧かないし、祭壇の写真を見ると暗闇に落ちていくような感覚に襲われる――


 また別の夜には、大勢のポリネシア系の男と戦う夢を見た。

 そういう自分もどうやらポリネシア系らしい。武器は石斧や木の槍だけだ。敵の数は多く、味方は少ない。敵も味方も、身に付けている物といえば、腰の周辺を包む布だけだが、腕にも胸にも足にも刺青が入っている。

 味方はどんどん押されて、ケビン達は山の中に逃げ込んだ。

 海辺が見渡せるような崖に出ても、建物らしい建物は見えない。

 もう女や子供は殺されてしまっただろう。海からやって来たあいつらが自分たちを殺す。

 敵は容赦なく追いかけて来る。懸命に木々の間を駆けて行こうとする左膝の後ろに衝撃が走った。彼らの一人が投げた槍が刺さったのだ。たまらずに膝を突くと、あっという間に囲まれた。

 胸一杯に悔しさがこみ上げた――


「祐司から話を聞いて、すぐに分かった夢もあるよ。俺は事件がショックだったから、頭が勝手に創ったんだと思ってたんだけどな」

 辛そうな目をしてケビンは話し続ける。

 マノアに住んでいたヘンダーソン夫妻殺害の夢だ。

 玄関口で「エクスキューズ・ミー」と声を張り上げると出て来たのは年とった白人の男だった。彼はケビンを一目見て、実に不愉快な顔をした。それですっかり嬉しくなって、後ろ手に持っていたナイフを思い切り、彼の咽喉に突き刺して抜いた。

 血が噴水のように上がって愉快だ。

 老人が倒れた音で奥から人がやって来た。やはり白人の老婦人だ。「旦那さんが大変ですよ」と言うと、血相を変えて老人の上に屈み込もうとする。その首の後ろをナイフで刺すと、声とも言えない妙な音を発して老人の上に倒れ込んだ。

 豪華なホテルに泊まっていた日本人夫婦、真新しいメルセデスを傷付けられて怒っていたアジア系の男、人生に何の曇りもないといった顔でいる連中を殺して切り刻むのは楽しくて仕方がない――

「夢の中で俺は楽しいんだ。信じられない。その……、あいつらが食った肉の感触が口の中に残ってるような気がするよ」

 ああ神様、ただの夢じゃなかったんだ、とケビンは頭を抱え込んだ。

 震える背中を撫でながら祐司はケビンが、アリシアの父親殺害については何も言わなかったことに、少しだけほっとしていた。

 ジャスティンの夢と同様、ケビンも夢の中で周囲が発した言葉は理解出来なかった。しかし状況と相手の表情で、ある程度判断はついたし、河野やヒイアカ自身の感情は言語に関係なく理解している。

 一つ解せないのは、ケビンが見た戦いの夢だ。夢の中でケビンは男で、景色などからすると、現代ではないようだ。つまり河野でもヒイアカでもない人間の記憶という事になる。

 祐司は、ジャスティンが話した夢の内容を思い出した。

 閉じ込められた小屋を破って、多くの人間を殺したというそれだ。戦いに敗れた男が捕虜になり、その後脱走して人を殺したのだろうか。そうだとしても、何故その男の記憶が、河野やヒイアカの記憶と一緒に「悪いもの」となっているのだろう。

 一体この事件の始まりはどこなのだ。

 祐司は頭の後ろが冷たくなった。しかし、今は不気味さに(おのの)いてばかりはいられない。

「頼むよ祐司、助けてくれ。あんな夢を見続けるのはもう嫌だ。人殺しにだって俺はなりたくない」

 ケビンが啜り上げた。反対側からアリシアが抱き締める。

「大丈夫よ、ケビン。きっと『悪いもの』をやっつける方法があるよ。あいつらの魂がこの世にあるんなら、あたしの父さんの魂だって絶対ある」

 大きな瞳から涙を零して、アリシアはケビンを励ました。それは彼女の願いでもあるのだろう。

 ケビンは夢の中で人殺しが楽しかったと言った。仮に河野が眠ることなど望んでいなくとも、もうこれ以上人を傷付けるのは止めさせなければならない。

「アリシアの言う通りだし、アリシアのお父さん以外にも助けはある」

 かつて「悪いもの」の話をした時、ジュニアは「分かりやるような、分からんような」と言っていた。それでも、全然分からん、よりはずっとましだ。時計が三時を指しているのを確認して、祐司は電話を取り上げた。

 ホテルの代表からヴァレーに回してもらうと、コール一つでジュニアが出た。

「よう兄弟、何かありやったね?」

 どうして分かったと聞き返す余裕もなく、祐司は受話器に向かってはっきりと言った。

「あんたの助けがいる。『悪いもの』がケビンの中にいるんだ」

 三十分ほどでジュニアはやって来た。

 腕にはいつかのようにティ・リーフの束を抱えている。葉を入れる容器をと腰を浮かせた祐司を制して、ジュニアはコーヒーテーブルを挟んで、ケビンの向かいの床に腰を下ろした。

「少うし臭いやるな、けどまだそんなに心配はいらん」

 逆に言えば、時間が経ったら心配しなくてはならない事態になるのではないか。その質問は怖くて出来なかった。

 祐司がケビンの様子と彼の夢を説明する間に、ジュニアは持って来た葉を細く裂き、編み込み始めた。裂いて細長くなった五、六本を器用に、複雑に編んで一本の縄を作っているらしい。ジュニアのグローブのような手が、それほど器用に動くことを祐司は知らなかった。

 祐司の説明が終わると、緊張した風もなく、体はだるいかとか、どれほど苛々するかといった質問を、ジュニアはまるで医者のように淡々とケビンに投げる。その間も手は休まない。

「明日の夜、何とかしやる。念のために安定剤は切らしやったらだめだから」

 風邪ですね、薬を出しておきましょう、という口調だ。ケビンは安堵のためか、一気に脱力して長い溜息と共に、カウチから滑り落ちそうになった。

 しかし祐司はかえってジュニアの様子が腑に落ちなかった。

 以前と比べて、今日は「悪いもの」への対処がすっかり分かっているように振舞っている。それを聞こうとした時、ジュニアが声を出した。

 誰かに向かって話しかけたのではない。自分の編んだ縄に向かって何か言っている。祐司には理解出来ないから、サモア語に違いない。最後に小さく気合いのような声を出し、ジュニアは素早く十本の指を動かして縄を括った。

「あと、これもかけておきやって」

 長めのネックレスといった(おもむき)のそれを、ジュニアは手ずからケビンの首にかけた。

「じゃ、俺は帰らんと。祐司、明日は一緒にモーニング・シフトだったな? 明日の夜また来やるから」

 軽く腰を上げたジュニアに、道路まで送るよと祐司も立ち上がった。

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