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吠える島  作者: 宮本あおば
第二章
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第十九話・憑依

〈これまでのあらすじ〉

(第一章の詳しいあらすじは、第二章一話をご覧下さい)

 ホノルルを震撼させた連続殺人犯、河野由樹とヒイアカが壮絶な最期を遂げた後、警察の担当官だったジャスティン・ナカノに異変が起きる。

 祖父の霊の助けを得て、「悪いもの」と呼ばれる悪霊の仕業と知ったジャスティンは、河野が悪霊の一部になった事も確認する。「悪いもの」はジャスティンの後に、ナカヤマとチョンに移動し、傷害事件を起こさせた。事件関係者の様々な状況や思いをよそに、さらに移動した「悪いもの」は立て篭もり事件で、多くの犠牲者を出す。無力感に沈むジャスティンに、河野の友人、北本祐司から「悪いもの」の移動先について連絡が入る。

 祐司が墓場(グレーブヤード)シフトをこなして帰って来ると、目の下に隈を作り、青い顔をしたアリシアが待っていた。

 せめて抜糸が済むまでと、アリシアは足繁く祐司達の家へ来てくれる。特に夜はケビンが熱を出すので、泊まって行くとこも多かった。

「ゆうべ、ケビンに襲われかけたの」

 白っぽくなっているアリシアの唇から出た言葉に、祐司は卒倒しそうなほど驚いた。ケビンはまだトイレに行くのすら、辛くて仕方がないはずだ。

 アリシアもそう思っていた。

 だから二時近くに深夜番組を低く点けているリビングルームにケビンが来た時には、空腹で眠れないのかと尋ねたのだ。

「そうじゃねぇ。あんた、一体いつまで甘ったれてるつもりなんだよ。親父が死んだのが何だってんだ。それともなんだ、俺が親父より可愛がってやろうか?」

 数時間前とはまるで別人のような足取りで、ケビンはアリシアに掴みかかった。

「そ、それで?」

「あたしも夢中だったから」

 驚きながら抵抗しようとしたアリシアは、ケビンの脇腹を蹴り上げ、頭突きを入れて反撃した。「頭の包帯が目に入ったからそこだと思ったの」とアリシアは肩を竦め、でも怖かったと結んだ。

 痛みのためか、ケビンは我に返ったそうだ。

 アリシアに今、自分が何をしたか尋ね、「そんな馬鹿な」と言いながら今度は足を引き摺って自分のベッドルームへ戻って行った。

「五時ごろのぞいたら寝てたよ。傷の具合までは見てないけど」

「なんで帰らなかったんだ? 知らせてくれればすぐ戻ったのに」

「帰った後で、ケビンが死んだりしたらどうするのよ? それに、あんまりしょっちゅう仕事場から飛び出すと、解雇されるんだからね」

 アリシアの父親は亡くなる少し前に、長年勤めたホテルを解雇されたのだった。

 こんな時でも他人を気遣える強さが、彼女にはある。祐司は眩しい気分でアリシアに礼を言った。

 それにしてもケビンの言動は全く解せない。目の前で同僚を撃ち殺されるというショッキングな体験をしたからだとしても、安定剤を処方してもらってなお、そんな粗暴な気分になるものだろうか。

 帰って眠った方がいいという祐司の勧めを退けて、アリシアはいつかケビンが買ってきたハーブティーを淹れた。

 ケビンが起きて来たのは、二時間ほど経った頃だった。

「やぁ、おはよう」

 寝癖のついた頭で、足を引き摺りながらリビングルームへ出て来たケビンは、昨夜祐司が仕事に行く前と変わりなく見える。

 ただ怪我をした脇腹を押さえているのが違う。あいてて、と呻きながらカウチに腰を下ろしたケビンと入れかわるようにして、アリシアがキッチンに立った。やがて持って来たケビンの分のハーブティーは、一旦祐司が受け取ってケビンに渡した。

「気分はどうだい?」

 恐る恐る聞いた祐司に、ケビンはハーブティーを一口啜って答えた。声が嗄れている。

「悪いよ。起きてるとぼんやりするし、寝ると変な夢しか見ないし。本当に気味が悪い夢も見るんだよ。……今朝なんか、アリシアに蹴っ飛ばされる夢を見たよ」

 最後だけ口調を変えて軽い調子だったが、アリシアは鋭く反応した。

「夢じゃないよ。蹴られるような真似をしたからじゃないの」

 カップが揺れて、中の黄色い液体が飛び散った。

 熱い、と叫びながらもケビンは辛うじてカップを落とす事はせず、テーブルに置いた。祐司は慌ててケビンのパジャマを脱がせにかかり、脇腹に張られた大判のガーゼに血がにじんでいるのを見つけた。

「俺、どうしちまったんだろう」

 縫った場所が開いていないことを確認してガーゼを取替え、アリシアに頭突きを喰らわされた頭の包帯も変え、着替えも済ませて、もう一度ケビンが落ち着いてカウチに座るのに三十分ばかりかかった。

 内腿に出来た赤い筋は火傷かと思ったが、よく見るとミミズ腫れだった。痒いのだろう。

 もっと頻繁に体を拭いた方がいいな、とだけ祐司は思った。その後のケビンの第一声がそれだった。

「あんな事が起きて、おかしくならない方がどうかしてるよ。ただ、アリシアに変な真似をするのはやめてくれ」

 なだめるような祐司の言葉にケビンは頷きながら、探るように祐司の顔を見つめている。

「どうした?」

「変な夢を見るって言っただろ。お前の夢も見たんだよ。けど、髪がもっと長かったし、若く見えたな。お前が服を買うんで、俺が選んでやるの。本当にあったことみたいに覚えてるぞ」

「服を……?」

「日本のデパートのスーツ売り場かな? お前がグレーのスーツに赤地のネクタイなんて野暮ったいのを選ぼうとするから、俺は笑っちゃってさ」

 出来る限り無難な話題を探そうとしているらしいケビンとは逆に、祐司の手が震えた。

 ケビンがアリシアを襲ったと聞いた時に、どうしてその可能性を考えなかったのだろう。

「悪いもの」の行方を考えなかった訳ではない。ジャスティンと話す機会はなかったけれど、ジュニアとはSWATの隊員ではないかと話をした。

 まさかケビンに移るとは、予想だにしなかった。

 かつて就職が決まった祐司と洋服を買いに行ったのは、河野だった。「悪いもの」がケビンの中にいる。これを邂逅(かいこう)と呼べるのか。

「ほ、他にも夢を見ただろう。女になっている夢を見なかったか」

 祐司の顔付きが変わった事は、ケビンもアリシアも気が付いた筈だ。しかし、ケビンは眉間に縦皺を作って唇を噛んだだけだった。

「どうなんだ?」

「何でそんなこと聞くんだよ」

「いいから話せよ」

 驚くほど強い声を出した祐司に、ケビンは傷をつねられたような表情で、口を開いた。

「変な男らに乗っかられてる夢ならね、見たよ。あと、ポリネシアンのでっかい女に、木の棒でぶちのめされる夢だな。いや、あれは自分が女だったかどうか分からない。子供だったのは確かだけどよ……。凄いんだ。頭といわず、体といわず、滅茶苦茶にぶたれてさ、俺はもうその女が憎らしくて仕方ないんだけど、かなわないんだよ。それで、それで起きたらアリシアが呑気にテレビなんか見てて、腹が立って、なんか酷いことをしてやろうと思ったんだ」

 間違いない。思わず、くそ、と罵り文句が吐息に混じって洩れた。誰を罵っているのかは自分でも分からない。ケビンは続ける。

「おい、俺は一度だってアリシアに腹を立てたことなんてないぞ。俺はどうしちまったんだ。お前、何を知ってるんだ?」

 自分で出した大声が傷に響いたらしく、立ち上がりかけたケビンは渋面と共に腰を落とした。

 アリシアが呆気に取られた顔で、ケビンと祐司を交互に見る。

「分かった、話すよ。信じられないかもしれないけどね」

 手の震えは一向に治まらないが、怖くはない。話している間にケビンの中の「悪いもの」が暴れ出したら、とにかくアリシアだけを守ればいい。幸いな事に、宿主のケビン自身はアリシアでも反撃出来るほどに弱っている。

 覚悟を決めて祐司は、ジャスティンから聞いた話を含めて、解決したはずの事件にとんでもない続きがあった事を語った。

 途中、信じ難い話を一生懸命にしたジャスティンの気持ちが分かった。

 思いの外冷静に、二人は祐司の話を聞いた。なぜ今までそんな大事な話を黙っていたのか、と祐司をなじることは忘れなかったけれども。

「ジャスティンは前の事件の関係者の名前までは教えてくれなかったけど、とにかく『悪いもの』がアンディ・カラリヒの中にいて、それからケビンに移ったらしいんだ」

「そういう事かよ。畜生、医者に癌だって言われる方が楽だな。なぁ、ジェーンと洋子とジム……、皆、いい奴だった。死んだなんて今だって信じられないよ。今度は俺が誰かにこんな思いをさせるってことか?」

 今にも泣きそうな顔で、ケビンが言った。

 ケビンの泣き顔なら何度も見た事がある。けれどもその時は、祐司は彼がどうすればいいのかちゃんと分かっていた。今は、それがない。歯軋りしたい気分で、祐司は携帯電話を取り出した。

「ジャスティンに相談してみるよ。あとはジュニアだな」

 もう昼が近いとはいえ、朝まで一緒に働いていたジュニアはまだ寝ているだろう。祐司はまずジャスティンに電話した。


 勤務中だったらしいジャスティンは、てきぱきとした口調で、すぐにもケビンが不穏な行動に出そうかどうか聞いた上で、「帰りに行く。その前に何かあったらいつでも電話してくれ」と言って切った。

「アリシア、帰りなよ。ここにいちゃいけない」

 祐司の電話が終わるのを待っていたようにケビンがアリシアに声をかけた。アリシアは無言で首を振る。

「だめだ、帰るんだ。本当なら祐司とだって一緒にいたくないんだぞ」

「こんな時に帰れないよ」

 やっと答えたアリシアの声は小さかった。

「こんな時だから帰れって言ってるんだ。親子であいつらに殺されたいのかよ」

 顔は祐司から見えなかったけれど、アリシアを怒鳴りつけたケビンはすでに涙声だ。

「コーノとヒイアカがそこにいるんなら、あたしこそ殺してやりたいわ。でもあんたはケビンじゃないの。どうしたらいいのよ? 家に帰って心配してるだけなんて絶対出来ない」

 目を真っ赤にして、アリシアも応酬する。自分も感情的になるのをこらえて、祐司はアリシアとケビンをなだめた。二人の気持ちは痛いほど分かるが、アリシアの安全だけは確保したかった。

「アリシア、前に持っていた銃はある? 今のケビンなら俺が止められるけど、万が一『悪いもの』が俺に乗り移った時に、ちゃんと俺を撃てるならここにいてもいいよ」

 ケビンが「銃?」といぶかしげな声を出し、アリシアは叩かれたような表情になってから、立ち上がった。

「分からないけど、車から銃を持ってくるわ」

 そのまま帰ってくれないかと思ったが、祐司がケビンに説明している間に、アリシアは小ぶりの革のケースと一緒に戻ってきた。

「縛ったりした方がいいんじゃないか?」

 ケビンの声は不安げだ。祐司は首を振った。

「そんな事をしても仕方ない。もっと悪いのは、あれが俺に乗り移った時だ。そしたらアリシアの銃でちゃんと撃てよ」

 唇を噛んでケビンは頷いた。そうだな、今ならお前の方が強いものな、と自分に言い聞かせるように呻いてカウチの背に体を預けた。

「ケビン、辛いんなら言わなくてもいい。でも、お前が見た夢がどんなだったか、もっと詳しく教えてくれないか? 俺、河野のことが知りたいんだ」

 パジャマの袖で顔を乱暴に拭くケビンに、祐司は出来るだけ静かに頼んでみた。「悪いもの」が去った後のジャスティンは抵抗なく話してくれたけれど、ケビンにとっては今、現在が悪夢なのだ。

 二度、三度と赤い目を瞬かせた後、ケビンは小さく頷いた。

「いいよ。かなり支離滅裂だけど」


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